天上界を追放される
「熾天使マラク・エル・タウスマン。貴公を天使の力を剥奪した上で追放処分とする」
裁判官の厳かな声が法廷に響き渡り、わたしの有罪が確定した。
傍聴席の天使たちはひそひそと陰口を叩きながら、わたしに冷ややかな視線を浴びせてくる。
衛兵に連れられ法廷を後にするわたしの瞳には、検事役を務めた熾天使ステラの嘲笑が焼き付いていた。
ここは天上界。人間たちが生きる地上を陰ながら管理する、天使たちの生きる世界。
少し前の話だ。
「地上の人類を滅ぼすという提案には納得できません」
わたしは天使の中でも最高位に属する、熾天使だけが参加できる天上界最高会議に出席していた。
議題は"第三次世界大戦などと愚行を繰り返す人類を滅ぼすか否か"というものだった。
その会議の中で、わたしは最後まで人類を滅ぼすことに反対していた。
「普段は仕事をサボってばかりいる駄目天使の癖に、無駄に会議を引き伸ばそうとするのやめてくれる? 反対してるのあんただけなんだけど。どうせゲームが発売されなくなるとかそんな理由で反対してるんでしょ」
人類を滅ぼすことを提案した熾天使、ステラがわたしに嫌みを言ってくる。
失礼な、わたしが仕事よりもゲームを優先してるのは人類の叡智を見極めるためだ。
これはわたしの持論だけど、ゲームは人が他人を楽しませるために生み出したもの。みんなは芸術とか宗教とか、神様や天使を称えるものばかりありがたがるけど、本当に優先すべきなのは人が人のために行うことだ。
わたしたちのような最高位の天使こそ、従来の価値観にとらわれず様々な視点から人類を見る義務があると思う。
そもそも、仕事が立ち行かなくなるのは人手が足りないのに通常の業務に加えてそういった娯楽関係の仕事を全て押し付けてくるからだろうが。
「ステラだけじゃなく、みんなももっと人類のいいところに目を向けるべきだと思うよ。次の会議ではわたしから色々紹介するからもう一度考え直して欲しい」
とりあえず応急措置として問題を先送りにし、会議は終了した。
どのみち最高会議で案を通すには全会一致が必要。わたしの目の黒いうちは人類滅亡なんて許さないから。
それからしばらくして、わたしの元に天上界警察が訪ねてきた。
「熾天使マラク・エル・タウスマン。汚職容疑で逮捕する」
「へぇ……?」
寝耳に水だった。だってわたしには全く身に覚えのないことだったからね。何かの間違いだと思った。
この時はすぐに無実が証明されると思って、わたしも無抵抗で連行された。
「この通り不正の証拠は挙がっています。そして部下だった者たちからの証言も取れています。私は、被告に天使の力の剥奪、及び天上界からの追放を要求します」
結果がこのざまだ。見たこともない資料にわたしの判子が押されていて、ろくに話したこともない部下がわたしに命令され不正を行ったと言う。
わたしは濡れ衣を着せられたのだ。
「久しぶり、マラク。ずいぶんとやつれたんじゃないかしら? まあ無理もないでしょうけど」
面会室。刑執行の前日にステラがわたしの元を訪れた。勝ち誇った顔をしやがって。むかつく。
「なんのつもり? まさかわたしを憐れんだわけじゃないよね?」
「まさか。でも可哀想っちゃ可哀想かもね? あなた、こんなことになっても誰も会いに来てくれないなんて、人望がないにも程があるわ」
分厚い強化ガラスに阻まれていなければ今すぐその腹立つ顔をぶん殴ってやりたい。わたしは友だちがいないんじゃなくて必要としてないだけだ。趣味の合わない者との付き合いほど無駄なものはない。
どうやら天使の世界においては、わたしのように人の娯楽を大切なものだと考える者は変わり者のようだ。
天使の常識では人類の美徳は労働であり、娯楽はそれを妨げる邪悪だと考えている。
逆だ。娯楽があるからこそ労働に身が入るのだとわたしは常々主張していた。おかげでわたしの下から天使は離れていったのだが。
「でもお陰で助かったわ。こんなに上手くいくとはね。マラク、あなたよっぽど部下に嫌われているのね。まあ無理もないけど」
「なんの話……?」
「気づかなかったの? お馬鹿さん。私があなたの部下をそそのかしてあなたに罪を被せるように言ったのよ? あなたは目障りだったから」
「ってめえ!」
わたしは衝動的に立ち上がって殴りかかった。拳は強化ガラスに阻まれて痛みだけが残る。思ってたよりだいぶ痛くてわたしは少し冷静になった。
「あらら、怖い怖い。せっかくいいことを教えてあげようとしたのに」
「いいこと……? どうせろくなことじゃないんでしょ?」
「地上の人間を滅ぼす日が決まったわ。あなたがいなくなってくれたお陰で会議がスムーズに進んだの」
案の定最悪の答え。とことん性格の悪い女だ。歯を食いしばってステラを睨み付けるが、ステラはそれさえも面白くてたまらないらしく、口角をさらに吊り上げた。
「明日よ。あなたが天使の力を失って地上に追放されたその日のうちに、地球が滅ぶの。地上で一人惨めに生きなくてすむわよ、感謝してね?」
「方法はどうするつもり? まあだいたい予想はつくけど」
「私が主導でやるわ。火星の軌道を操作して、地球と衝突させる。派手でいいでしょう?」
ちっ。ウキウキだからこいつがやると思ってたけど、趣味が悪い。地球ごとやるつもりかよ。
ステラは惑星を管理する"星の天使"。それくらいのことはできる。
「それじゃあマラク、さようなら。明日の追放、楽しみにしてるわ」
「くたばれ」
去っていく背中に、わたしは負け惜しみを言うことしかできなかった。
そして翌日、刑が執行される。
「それでは、熾天使マラクの力を剥奪する。機械を接続せよ」
わたしは専用の機械に接続されて、天使の力を奪われていく。抵抗しようとしても、体が動かない。
ああ、これが年貢の納め時ってやつか。せめて死ぬ前にあのゲームを終わらせておきたかったなあ……なんてアホみたいな考えが浮かんでちょっと笑ってしまう。こんなときまでわたしは駄目天使かよ。
不思議と穏やかな気分で、わたしは目を閉じた。
「……ク、マラク、聞こえるか……」
ん、なんだろ……?
わたしは目を開けた。そしたら、知らない黒人のおっさんがわたしに語りかけていた。ハゲだ。
「すやぁ……」
変な夢だ。わたしは目を閉じた。
「こら、寝るんじゃない」
「ぐえっ」
ハゲに殴られた。いたい。わたしは叫んだ。
「なにこの状況! あんた誰だよ! なんか神様とか言い出しそうな流れだけど!」
「左様。俺が神だ」
左様て。黒人ハゲが神かよ。なんかイメージと違う。もっとこう……あるじゃん?白人でウェーブがかった白髪と長い髭が生えてるテンプレイメージ。
「お前だって天使の癖に黒髪褐色赤目ボーイッシュロリ爆乳だろうが、勝手な先入観を持つなよ」
「まあそれは確かに……」
なんとなく納得がいかないけど実際そうなんだから仕方がなかった。
「それよりも時間がない。単刀直入に言うぜ。今の天上界はまずい方向に向かっている。このまま人間界を滅ぼし過激な方向に向かっていけば、いずれその攻撃性は身内同士での争いにさえ発展するだろう。お前は地上に降りて、人間界と天上界の両方を救うために動くんだ」
「へぇ……?」
「最上位天使かつ居なくなっても誰も悲しまないやつはお前しかいないからな。頼むぜ。どうせこの後助かっても遊んでるだけだろ?」
遊んでるだけとは失礼な。わたしは信念をもってゲームをしている。自ら娯楽に触れるからこそ人類に寄り添った視点で物事を考えられるわけで、決して遊びで遊んでいるわけではない。仕事の一環だ。
人を導く立場でありながらあえて人と同じ領域まで身を落とす、いわば現代のイエス・キリストだな。そこんところよろしく。
あとわたしがいなくなったらなんだかんだみんな悲しむと思うよ。あいつがいたおかげでわたしたちは日常を面白おかしく暮らせていたんだって、だから――。
「ああはいはい、そういうのノーセンキューだから。早く行ってこい」
わたしは神様にまた殴られて、意識を失った。
「はっ!?」
再び目を開けると、わたしは機械に力を吸いとられている途中だった。
だが、なぜか拘束がゆるんでいる。これならいける!
「へぇあーっ!」
「なっ!?」
機械から抜け出し、辺りの天使たちが怯んでいるうちに駆け出した。さっきの神様とのやりとりはいまいち現実感がないけど、今はそれを信じて逃げるしかない。
闇雲に走り回っていると、わたしを追放するための地上へと続くワープゲートが見つかった。
こう都合よく事が運ぶのも、まさに天の思し召しってやつか。ご都合主義万歳!
わたしはためらうことなくゲートに飛び込んだ。
「ふう……なんとか助かった」
わたしが地上についた瞬間、ゲートは閉じた。これで向こうも追ってこれないだろう。
とりあえずわたしの身の安全は保証された。
問題は天使の力だけど、機械にだいぶ吸われちゃったな。でもまだ半分くらいは残ってる。これならまだ戦える。
「……? あ、あれは!」
急に辺りが暗くなったと思って空を見上げると、巨大な星が地球に迫っていた。
――火星の軌道を操作して、地球と衝突させる。
そういえばステラがそんなことを言っていた。これが世界の危機ってやつか。いいだろう、神様に言われずとも、わたしが世界を救ってやる。
意を決して天に飛び立とうとしたその瞬間。火星は爆発した。
「………………へぇっ?」
変な声出た。えっ、なになに? 今のわたしがかっこよく決める流れじゃないの? なんか勝手に終わったんだけど。
わたしは呆然としてぽかーんと空を眺めていた。細かい破片が隕石となり、そのほとんどが大気圏で燃え尽きていく。ふふ……なかなかいい眺めだ。スマホがあったら今頃写真撮ってツイッターに上げてる。
お、一つ燃え尽きてないのがあるな。おー、近づいてくる。けっこうでかい。これは近くに落ちるかもなー。きたきた。こっちきた。……あれ? 本当に近くない? あっ! 待って! マジでここに落ちてきてる!
「へぇああああーっ!!!?」
ぎりぎりだよ。ぎりぎりで避けたよ。本当に死ぬかと思った。せっかく神様に拾われた命が失われるところだったよ。こわっ。
わたしは立ち上がって隕石をまじまじと見つめた。ずいぶんでかい隕石だなあ。地面に小さいクレーターできてるし。こういうのってゲームだと中に宇宙人いたりするんだよね。あ、なんか刃物みたいのが刺さってる。いや、これ生えてるのか……?
次の瞬間。刃物が動いた。いや、それは動いたというより隕石をぐるりと一周して……隕石がぱかりと二つに割れた。そして。
「きゅー?」
謎の白髪少女が中から出てきた。
これが、わたしとカヤの出会い。
そして、これはわたしたちが世界を救う物語だ。