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【Pino】(短編集)

作者: 東 宮


【Pino(短編集)】


一「Pino」


北海道、大雪山系の山岳地帯。 この世に生を受けて十一歳まで麓の町モイレ町で育った女の子名前はピノ。 彼女の数奇な生き方をちょっと覗いてみましょう。  


ピノの十一歳の誕生日の目前、家族に悲惨な事件は起きた。 ピノを学校へ迎えに父親の運転で弟と母親を乗せて向かっていた。 

赤信号で停車中の父親の車に前方からダンプカーが信号を無視して追突し、車ごとダンプの下敷きになり三人とも一瞬のうちにこの世を去ったのだった。 


ピノはひとり残され叔母の家に預けられたが、極度のいじめにあい、いつもひとりで山遊びをするのが唯一の安らぎの時間。 山でリスや狐や野鳥を観察するのがピノの日課となっていた。


 そんなある日、裏山でピノが遊んでいると、叔母の息子のヒデタカが薪をピノめがけ投げつけた。 そんな行為は日常の事でピノはもう平気だった。 が、たまたまその時は側でリスがドングリを啄んでいてヒデタカはそのリスめがけて投げたのだった。 


ピノはその事に気が付き、とっさに薪とリスの間に分け入った。 

薪はピノの頭を直撃しピノは意識を失いその場に倒れ込んでしまった。 その様子を見たヒデタカはピノをそのまま放置し逃げ帰ってしまった。 

 

空には月が昇り山はひんやりと冷え込んでいた。 倒れたままのピノは意識を取り戻し周りを見渡した瞬間驚いた!


そこには狐や野ウサギ、リスやテンといった野生の動物達がピノの様態を案じているかの様にピノを中心に輪を作っていた。 


次の瞬間、一匹のリスがピノの側に寄って来た。 ピノの視線と目があった瞬間ピノになにかを語りかける様な仕草をした。 


「君、大丈夫……?」 


ピノにはリスの言葉が理解出来た。 


「頭が痛いの……」ピノは返答した。


リスは「私はあなたに助けられたリス。 さっきはどうもありがとう…… 本当に感謝してます」 


「……あ、はい」そう答えた瞬間ピノはまた気が遠くなった。


ピノはそのまま数日間、気を失っていた。 目が覚めたのは東の空から太陽が昇って間もない頃。 ピノの身体は毛皮に包まれているような柔らかくほんのり暖かい感触があった。 ピノは倒れてから三日経ってから気が付いたのだった。 自分に何が起きたのか把握出来ていなかった。 


「気が付いた! 良かった!」


「もう大丈夫!」 


「良かった! 良かった!」


ピノの周りがざわついていた。 


あの時のリスが「もう大丈夫。 元気になって良かった!」


ピノは突然飛び起きた


「あっ?」


ピノを包んでいたのは熊だった。 


熊は「驚かないで! 私はあなたの味方だからね…… 驚かないで」


その他にも沢山の動物達がピノの周りに群がっていた。 


「人間さん、まずは水をお飲み」鹿とリスが何かを差し出した。 


それはフキの葉を数枚重ねた器に水が入っていた。 ピノはいっきに飲み干した。 次にリスや狐などの小動物が次々と木の芽や山菜・木の実などを運んできてピノの周りに置いていった。 


「ありがとう」ピノはお礼を言った。


ピノは「みんな、どうしたの?」 


「私達はこの山に住む仲間。 君がいつもあの人間にいじめられているのをず~っと見ていたんだ。 今回リスさんがあの人間にやられそうになったのを君に助けてもらったから…… この森の仲間が君にお礼したくて集まったんだ」


 数十匹の動物の姿がそこにあった。 


そこには熊や狸、狐など肉食の動物も、鹿などの草食系の動物もみんな一緒にいた。 


「私はピノです。 私を救ってくれて本当にありがとう。 それと、

ここは私の家からどのくらい離れているの?」 


熊が言った「ここは人が全く来ない山の中。 私の背中に乗せて一日ほど山奥に入った所。 しばらくここにいなよ……」  


「ありがとうございます。 でも私、食べ物とか取ってこれないから…… それに叔母さんに叱られてしまうもん」 


「大丈夫だよ。 君達が食べてるような動物の肉は無いけど魚と野菜と木の実は沢山ある。 ここにいなよ」狸が言った。


ピノは動物達としばらく暮す事にした。 山の生活は夜明けと同時に始まり夜更け後に眠りにつく。 食事は一日一食で完全菜食。水は身体が欲するままに飲む。 


自然の中で生活するというのは自然に従う事が基本となる。 雨が降れば何日も洞穴で過ごす事もある。 ピノにとって一番の楽しみは渡り鳥や地方から来た鳥達との会話だった。 


その地方や土地の変わった動物や自然の話を聞くのが楽しみだった。 中でもお気に入りはアイヌ民族と動物達の共存と交流の話や森の妖精達と動物との交流の話だった。

 

昔はアイヌ民族と動物はお互いのテルトリーが決まっていて、境界線を越える事は希だった。 それが日本人が南から入ってきて境界の収拾がつかなくなった話や動物は普通に妖精達と会話をし、今も交流が当たり前のようになされているなど、おとぎ話しのような話もたくさん聞かされた。 


ピノが基本的に思ったことは、妖精も動物も自然もすべての動植物は調和を保つことを原則としており、調和が乱れることや、乱されることを極端に嫌いそして恐れた。


肉食動物と草食動物の間には制約があり、食用の為の捕食は双方合意のもとでなされていた。 無意味な殺生は存在しなかった。 捕食される側も合意がなされていた。


ピノはキツネにその事で質問したことがあった。


「じゃあ、何で捕食される側は逃げるの?」 


キツネは「生命体としての本能なんだ。 解ってはいても死は怖いのさ」 


「ふ~ん」 


そんな暮らしも五年が過ぎようとした頃、ピノの目に登山者の二人が目に映った。 久々の人間であった。 自然界には実在しない色遣いの服装とリュックを久々に見た。 ピノになんともいえない懐かしさが頭を蘇ってきた。 


「ねえリスさん。 あれはなに……?」 


リスは答えた「あれは敵。 私達の仲間を見たらすぐ殺そうとするの。 絶対、音をたてたり見つかってはいけないのよ……」 


リスは説明するも、ピノは懐かしさを拭えなかった。 ピノはリスの制止を聞かず人間のあとを追った。 登山者の二人は倒木の上で一息ついていた。


ピノが様子を伺っていたら足下の木を踏んでしまい音をたててしまった。 二人は熊かと警戒しながら音の方を振り返った。 そこには丸裸で髪の長い少女の姿があった。


二人は一瞬目を疑った。 


「誰だ?」ひとりが声を掛けた。 


ピノは即、走り去っていった。


町に下山した二人は警察に通報し見たままを説明した。 その二日後には二十名ほどの救助隊が結成され山に捜索に入ってきた。


捜索が入って二日目に大きいなブナの木の下にあった洞穴から十歳前後の少女のものと見られる白骨体が発見された。 死因に頭部損傷の疑いがあり司法解剖に回された。


死因は頭蓋骨陥没によるものと判明され、被害者のDNA鑑定の結果、行方不明のピノと断定された。 


殺人事件と見なされた。 関係者の事情聴取によりヒデタカの傷害による殺人と死体遺棄が伝えられた。


後日、関係者に発見現場の状況報告と写真が送付された。 ピノの白骨死体の周りにはクルミやドングリなど、さまざまな木の実と動物の毛や鳥の羽毛が散乱していた。

 




二「石と手紙」


東京都三鷹市井の頭、閑静な住宅地。 高校生の神居誠十八才(通称ドリル)は日課となっていた散歩で井の頭公園に来ていた。  


今日も平日だというのに多くのカップルが公園を散歩したりボートに乗ったりで楽しそうにしていた。 ここ井頭公園は学生の街。吉祥寺駅から歩いてすぐの公園で、昔から人気のデートスポットでもある。


ドリルは井之頭辨財天堂でお参りするのが日課であり散歩コースになっていた。 今日も夕方の散歩し辨財天堂に手を合わせた。庚申塔の方に目を向けた時、塔の下に何やら紫色の卵形の石をみつけ、それが光った様な感じがしたので近寄った。 確かにその石は他の石とは違い、自ら光を発してる様に感じられ、ドリルは恐る恐る左手でそっと拾った。 一瞬、左手に電気が走ったようにチクチクと感じられた。 


ドリルは帰ってからゆっくり確かめようと、そのままリュックに石を無造作に入れ散歩を続けた。 一時間程の散歩を終え帰宅したドリルは手を洗い、その石も一緒に洗おうとリュックから取り出し洗った。 


自分の部屋に戻り窓サッシの下に石を置き乾かした。 ドリルは趣味、お気に入りのヤイリー社のフォークギターを取り出し、今練習中のレッドツェペリンの天国への階段を弾き始めた。 弾き始めて五分ほど経った頃、窓が小さく振動し始め何やら振動音がした。 

なにが起きたのか解らず、ただ呆然とギターを抱えたまま見入っていた。 


石は振動と同調するかの様に光り、その光には微妙な強弱が感じられた。 不思議な事もあるものだと石を手にしたその時、後ろからいきなりの声がした「こんにちは。 こんにちは……」と繰り返し声が聞こえたのでドリルは声の方を振り返った。


瞬間「えっ……?」ドリルは声を発した。 部屋に緊張が走った。 


そこにはドリルの知らない何者かが立っていた。 


「ど・泥棒……?」ドリルは声にならない声で叫んだ。 


その存在は「こんにちわ。 驚かないで、突然ごめんなさい」


ドリルは「あなたは誰? 何でここにいるの?」 


ここまで話すのが今のドリルには精一杯だった。 


その存在は「突然済みません。 私はファイと申します。 


あなたが先ほど拾ったその石の事で、私は百五十年ほど未来の日本から来ました」


「百五十年……? 未来?」


「あんた、頭大丈夫ですか?」


「ごめんなさい。 納得出来ないですよね。 証明するしか方法はないわ。 今日あなたはもう一度、井の頭公園へ行く事になります。 そしてサンロードを二往復します。 今はそこまでしか解りません。 明日また寄らせて下さい同じ時刻にきます。 また来ます。 その時は信じてくれると思います。 ほ、本当に失礼しました。 突然でお許し下さい。 じゃあ!」ファイはその場から消えた。


ドリルは「今のなに? ひとりで勝手に語って、なんで勝手に帰るんだよ? まったく。 腹立つ、急に部屋に入って来て信じろと? ふざけるじゃねえよなまったく。 絶対、公園なんて行かねえし……」 


ドリルはぶつぶつ呟きながらまたギターを弾き始めた。 しばらくして母親からメールが来た。 


「井の頭線不通になった、タクシーが全然走ってないので拾えない。 すまないけどサンロードに迎えに来て荷物持って欲しい。マコトへ。 母より」


「何だよ、吉祥寺か……」


ドリルは吉祥寺にむかった。 サンロードに入ってから待ち合わせ場所に直行した。 そのまま荷物を持ってサンロード入口を出た時、母親が「マコト申し訳ない。西友で買いをし忘れた物があるの。戻っていいかい、ごめんね……」 


「ああ、かまわないよ。 行こう」 そう言った時ファイの言葉が脳裏をかすめた。 


「まじかよ? あいつの話しそのまんまかよ?」 


ドリルは好奇心と同時に何なんともいわれぬ不安を憶えた。


翌日ドリルはいつものように学校から戻り日課の散歩をこなした。 途中、井之頭の辨財天堂で昨日の事を思い出し帰宅した。 内心ドリルはいくつかの質問を考えていた。 


そしてその時が来た。 昨日のように紫の石が微細な振動を始めた。 突然、霧のような揺らめきの中からそれは現れた。 


「こんにちわ。 昨日はごめんね、ドリル」  


もう呼び捨てかよ? ドリルは妙に馴れ馴れしいと思った。 


「こんにちわ。 昨日、君の言った通りになったから話を聞くよ……」


「そう、信用してくれたんだ。 ありがとう」 


「いや、まだ半分ですけど」ドリルが返した。 


ぶっきらぼうに「で、話しってですか……?」ドリルは言った。 


「実は私がここに来た理由は、この手紙なんだ」ファイは手紙をドリルに渡した。 その手紙の宛名は同じクラスの板垣久美子だった。


「……?」ドリルは皆目見当がつかなかった。 


「ねえ、ファイさん。 これどういう意味?」当然の質問であった。


「僕のことはファイと呼び捨てでいいよ。 じゃあ、これから説明するよ。 この差出人は板垣久美子さんのおばあちゃんのトメさんで、板垣久美子さんへの手紙なんだ」


「えっ? 確か、お婆さんは昨年亡くなったって聞いたけど?」 


「そう。 そのトメさんなんだけど、彼女へひとつ言い忘れたことがあったらしく、僕は彼女へ渡してくれるように頼まれたんだ」


「なんで君が?」ドリルは首を傾げながら聞いた。


「ドリルがその石の持ち主になったからなんだ。 その石には太古の昔からある役目があるんだよ。 その石を所持した人間は霊界とこの世との伝達人の使命が科せられるというものなんだ。

 

以前の持ち主は高齢のため他界したんだ。 遺族はその使命を知らないまま昨日の井之頭辨財天堂に棄ててしまったんだよ。 もう五十年も前の事だった。 そこへドリルが昨日通りかかり、その石と五十年ぶりに君が縁を作ってしまったんだ……」


「なんで僕なの?」 


「ドリルはその石を洗う時に可哀想と思った。 それでその石は君を選んでしまったんだ。 君と石が同調したのはその石の意思だったんだ。 君が石に選ばれたのさ」


「石の意思? ダジャレかよ! 僕、勝手に選ばれても困るんだけどな……」 


「ここは、不運だと思ってあきらめてくれないあ」 


「まっ、大体のことは解ったけど、その手紙を板垣さんにどう説明して渡すの?」


「方法は二つあるんだ」


一つは彼女の夢に侵入して渡す方法 

 但し、夢から覚めると忘れやすいというリスクがある 


二つ目は彼女に直接手渡す方法

 但し、受け取ってから三分以内に読んでしまわないと手紙は消滅してしまう。 


「直接読んで聞かせる方法はどう? 一番簡単で早いと思うけど」


「じゃあ、その手紙読んでごらん?」


ドリルは手紙を広げた。 言葉に詰まった。「……?」手紙は白紙だった。


「ねっ、解った? 第三者は宛先しか読めないのさ」


「とりあえず三分以内に読むように伝えてこれ渡すよ。 でも板垣さんになんて言って渡そうか? 渡す切掛けが難しいよ。 ファイも考えてくれよ……」 


「それがドリルの今後の仕事になるんだ。 だから頑張って」そう言って消えた。


翌日の放課後、板垣久美子を校庭の裏に呼び出した。 


「ドリル君、私になにか用でも……?」 


「こんなこと信じてくれないと思うけど、板垣さんの去年死んだお婆さんからの手紙を、あるルートであの世から僕が預かったんだ。

それで受け取ったら三分以内に呼んでほしい。 それが過ぎると手紙が消滅するんだ」ドリルは言い終えてホッとした。 


「何それ……? なんで私のお婆ちゃんなの?」 


「何か君に言い残した事があったらしく、それが重要なことだったみたいで、今回、僕に依頼されたんだ。 僕もなんで僕なのか解らないけど……」


板垣久美子は半信半疑で手紙を受け取り素早く読んだ。 しばらくして彼女の目から涙が頬を伝って落ちた。 そして手からその手紙が消えた。 


「板垣さん、どうだった? 大丈夫?」


「ドリル君ありがとう。私、お父さんの事で長年悩んでいた事があったの。 この手紙で私の誤解だったと解ったわ。 それをお婆ちゃんが気にしていて、生前私に話して聞かせようと思ってたらしいわ。 それが出来ないまま他界したので死んでからも気にしていたみたいなの。 ドリル君ありがとう。 私、最初は半分疑ってたけど、あの手紙はお婆ちゃんに間違いないわ。 お婆ちゃんの言い回しと筆跡も同じだった。 ありがとう、ドリル君」 


「何の事か解らないけど誤解が解けて良かったね、お疲れさん」 


「でも不思議ね、あの世からの手紙なんて。 三流SF小説みたいな事あるのね」


「僕も今回が初めての経験なんだ。 だからまったく見当がつかないよ、今日の事は内緒で頼む。 面白い話があったら教えるね」


ドリルは不思議な達成感みたいなものを感じた。 これがドリルとファイと不思議な石との出会いであり、不思議な世界を旅する物語の始まりとなった。


 ある日の夕方、突然ファイが手紙を持ってドリルの部屋に現れた。 


「やぁ!いたの?」


「あっと、びっくりした……」ドリルは目を見開いた。 


「驚かしてごめん」 


「あのさあ、今度から現れる時、何かドアをノックするとか合図のようなものないの?」


「ノックする体が無いからノック出来ないし…… そうだ! その石を振るわせるっていうのはどう?」


「うん、それでいいよ」 


「これからそうするね。 今日はこの手紙を渡して欲しいんだ」


そう言いながら手紙をドリルに渡した。 


「ハイ! 水島信夫? どっかで聞いたこと…… もしかしてこの人って広域暴力団の水信会の組長と同じ名前だけど違うよね……?」 


「そうだよ」

 

「えっ! 今回はお断りします」ドリルは即答した。


「大丈夫だよ。 本人に会わなくても、もうひとつの夢に侵入する方法を試したらどう?」

 

「あっそれ、聞こうと思っていたんだよね。 どうするの?」 


「夜寝るときに左手に石を持ち、右手に手紙を持って頭の中で水島信夫って何度も名前をいいながら寝るんだ。 そうすると起きた所が水島信夫氏の夢の中っていう訳さ。 後は彼に説明してから手紙を渡す。 但し、こういう人達は夢の中でも荒っぽいのが多いからね。 ちなみに殴られてもダメージは無いけど夢の中の君は多少痛いかも。 肉体が無いからって無茶しないようにね」


「なにそれ……」


その夜ドリルは説明された通りの手順で眠りに入った。


 ここは水島信夫の夢の中。 子分と思われる者三人と水島信夫が渋谷のクラブで酒を飲んでいた。 これから他の組の者と何かあるらしい。 


水島が「いいか、お前達。 俺に何かあっても俺にかまわず逃げろ。

もし俺がおっちんでしまったらこの家業から足洗え。 そしてまっとうに暮らせ。 解ったな」


「ヘイ頭、解りました。 でも俺は頭を必ず護ります」 


「ありがとうな、政晴」この一部始終を視ていたドリルは


「なんなんだ? これから、もしかして抗争? そんな時にどうやって手紙を渡すの……?」夢の中のドリルは焦っていた。


次の瞬間、ドリルは水島信夫の前に立っていた。 これが夢のいい加減さである。 護衛役の政晴が急に立ち上がり、ドリルを威嚇した。 


「何だ、てめえ! どっから出て来やがった?」


「はっ僕も解りません。 これ読むように申し使ったんで渡しに来ました」 


上着のポケットから手紙を出そうと、手を内ポケットに入れた瞬間、水島はドリルが胸からピストルを取り出すと思った。 次の瞬間、水島はソファーの後ろに隠れた。 政晴と他二名はドリルに飛びついた。 


「ま、ま、待って下さい。 これは手紙ですから」政晴はドリルの手から手紙をむしり取った。 


「頭、これ」と水島に手紙を渡した。

 

「なんでぇこれは?」 それには《信夫へ、ヒサより》と書いてあった。


死んだ母親から水島信夫に宛てた手紙。


「なめとんか、こらっ!」水島はドリルの胸をつかんだ。


「おう、若いの。 俺の母親はとっくにあの世に行っちまってる。

もう少しましな嘘をつきな。 えっこらっ!」


ドリルも必死だった「まずは読んでもらえませんか? それから判断して下さい、頼みます」必死にドリルは訴えた。


「読むだけなら読んでやらぁ!」水島は急に態度を変えた。


ゆっくりと手紙を開いた。 


『信くん。突然の手紙で驚かせてごめんね。 あなたは優しい子だった。 人の道を外したのはお母さんのせいなの。 私も子供の頃にお母さんからいつも厳しく育てられた。 いつも反発したかったけど出来なかった。 そしてお母さんが親になった時、母親のイヤだった躾の仕方を何故か信くんにやってしまったの。 お前は当然反発したけど私はお前になにもしてやれなかった。 今になって本当に悪く思っています。 信くん、ごめんなさい』


その手紙を水島信夫は読み終えて、あっさり棄ててしまった。

次の瞬間、拳銃がドリルに向けられた。 そこで夢から覚めた。

「かぁ~殺されるところだった」


夢と知ってはいても、そのリアルさにドリルは、いたたまれなくなった。


それから数ヶ月が過ぎ、広域暴力団の水信会は突然解散。 水島信夫組長以下百三十五名は刑に服す者、かたぎに戻る者、田舎に帰って家業を継ぐ者が続出し極道の世界では、この事を発端に組を解散する動きが相次いだ。


それを知ったドリルは自分のやっている誰にも語れない不可思議な役割が、少しは世の為になってることを誇らしく思った。


ドリルの部屋の石が振動し、ファイが手紙を持ってやってきた。


ファイは手紙を渡し「これ……」 


「ファイさあ、今日はチョット聞きたいことあるんだ」


「僕のわかる事ならいいけど、なに?」


「ファイはどこの世界からここに来てるの?」 


「僕はね、君たちに解りやすく説明すると、君達は四次元で僕は五次元だよ」 


「ここは三次元じゃないの?」 


「正確には三次元に時間が加わるから四次元なんだ」


「じゃあ、この手紙も五次元から?」 


「そうだよ」 


「死んだ人が逝く世界?」 


「そう、但しその上に逝く人もいるよ」 


「その上って?」 


「解りやすくいうと神に近くなるってことさ」


「えっ、神様っているの?」 


「大いなる神は存在するよ。 君たちの考える神と違うけど、本当の神はチョットずぼらだけど存在するよ」


「ずぼらな神か……? 面白い。 じゃ、悪い事やって死んだ人はどうなるのさ?」


「ドリルはどうなると思う?」


「三次元とかに落ちるの?」 


「違うんだ。 やはり五次元に戻るんだよ」 


「戻るって? この世より上ってこと?」 


「そう、それとこの世の人は全てが上の次元からの転生なんだ。

こっちの世は下なんだよ。 これにはルールがあって、上の次元からから下の次元にしか転生出来ないというものなんだ。 そういう意味で人間は総時限の中でいうと下の次元なのさ」


「じゃあ、地獄の世界も人間より上な訳? ファイ、それっておかしくない?」

 

「おかしくないよ。全ての人間は死んだら周波数がこの世の人間より高くなるんだ。 但し、死に方によっては思いっきり周波数の低い状態を選ぶ魂がいるんだ。 つまり一般的にいう地獄ってやつ。

みんな自分で選んでるのさ。 この世だって神様の様な人もいれば地獄の大将みたいな存在もいるだろう。 


魂は本来の周波数の高い所に戻るけど、なかには死んだ事を知らずに、周波数の低い場所を漂ったり、マイナーな世界に移行するものもいる。 閻魔様が決めるんでなく、全ては自分で行き先を決めてるのさ」 


「じゃあ、仏教の見解と違うね?」 


「あれはあれで一つの戒めとしていいと思うよ。 本当は今、僕が説明した様に地獄も五次元。 解ってもらえたかい?」


「なんとなく……」 


「そのうちドリルにも解るよ」 


「で、本題。 はい、これ今度の仕事だよ」



三「ガイドの仕事」


私はガイドのマーヤ。 年齢、性別すべて不詳。 というより私の世界では必要無いからありません。 当然、名前もありません。人の世での便宜上マーヤといいます。 仕事はガイド。 一般的には守護霊といわれてますが宗教的制約が多いので守護霊と表現せずガイドといいます。 


仕事はこの世に生を受けた魂、つまり人のガイド役。 ガイドの仕事は、もっぱら人間の縁の下の力持ちみたいな黒子役です。


 今、私がガイドを務めている人は二十六歳の女性。 名前はコナ、群馬県前橋市在住の英会話と旅とお酒が好きなごく普通の女の子。


いつもと変わらない一日の始まり「母さん、行ってきま~す」 


「気を付けてね」 


コナは黒の原付スクーターに乗って家を出た。 そのスクーターはちょっとエンジン改良を施したので時速八十キロほど出た。


マーヤはいつも微笑ましく上から観ていた。 


でも、今日は違う。 マーヤは真剣にコナの意識に念を送っていた。 いつも通勤で利用しているトンネルが崩壊のおそれがあり、ガイドのマーヤは進路を変えるようコナの意識に働きかけた。 


『コナ、その道は今日は通ってはダメ。 危険! 迂回しましょう。 あなたの人生にバイク事故は組み込まれてないの!』 


ガイドのマーヤは念を送り続けた。 当のコナは鼻歌交じりで運転し、全然気が付かない。あと一キロ程でトンネル。 時間にして三分程だった。 


ガイドのマーヤは方法を変えた。 進路方向に狸を誘導しコナの進路を妨害し時間を稼ぐ事にした。 


「あらっ……? 犬かしら? いや違う! 狸……? 何でこんな所に? 危ないよどいてちょうだい!」 


狸は道の真ん中をヨロヨロとコナの進路を妨害しようとした。


「危ない! 山へ帰えりなさい狸さん……?」


狸は愁いの満ちた目でコナを見つめた。 


「この狸、怪我をしてるのかしら?」 


バイクを止めた。 ガイドのマーヤは方法を変更し、心優しいコナの性格を利用した。 バイクを降りて近寄った。 


「ねえ狸さん。 どうしたの? 車にはねられた? 大丈夫?」


その刹那、トンネルの方角で瓦礫が崩れる様な大きな音がした。 狸は急に飛び起き姿を消した。 コナは頭の整理がつかなかった。 事の次第を母親に携帯で報告し安心させた。 



時が過ぎコナが事件の事を忘れかけた頃、会社にある男性がやって来た。 コナは靴屋の店員をしていた。 


「いらっしゃいませ」 

 

「すみません、黒いスニーカーありませんか?」 


「はい、こちらです」普通の会話であった。 


その男性は靴を購入し帰って行った。 


マーヤは呟いた『コナ! その男性は運命の人! 思い出すのよ……!』 


 出会いから二日後の夜、コナは同僚三人と前橋駅前で酒を飲む事になっていた。 


同僚のネネが「今夜は何処に行こうか?」 


別世界からガイドのマーヤがコナに念を送った。


『味処番屋にして味処番屋!』


コナは同僚に「最近オープンした味処番屋はどう?」


「賛成! いいねえ、そこにしよう」ネネが賛成した。 


三人は味処番屋に行った。 


店員が「いらっしゃいませ。 三名様ですか? どうぞお好きな所にお座り下さい。 メニューですどうぞ」 


コナは店員の顔を見ないでそのままメニューに目をやった。 メニューから視線をずらすとその先に真新しい黒のスニーカーがあった。


「あっ! これ?」視線を店員の顔に向けた。 


「あっ、この前のお客さんだ……」 


店員もコナの顔を見て気がついていた。


「履き心地はいかがですか?」コナから声を掛けた。


「はい、足が軽く仕事に最高っす」


「そうですか良かった。 またおこし下さい。 お待ちしております」。  


三人は乾杯したわいない話で時が過ぎた。 そのままカラオケ店へと向かった。三人が別れたのは十時頃だった。 コナは友人のアクビがやってるスタンドバーにひとりで寄ることにした。


「アクビ元気してた?」 


「コナいらっしゃい。 聞いたわよ。 トンネルの事故と狸の話」 


「アクビも知ってるの? 今思うと不思議な話よね、びっくりだわよ」

 

二人が話し始めて間もなく一人の男が入ってきた。 


「あらっ上野さんいらっしゃい。 お久しぶり」 


そこに立っていたのは味処番屋の青年だった。


二人は同時に「あっ!」


アクビが「なに? どうして…… 二人は知り合いなの……?」 


その様子を観ていたマーヤは『ハイ! 予定通り…… お幸せに!』


やがて二人は結ばれ、子供を授かり五人の孫にも恵まれた平和な人生を過した。 月日は流れご主人は他界し、コナも八十歳を過ぎ、人生の旅立ちの準備を無意識に始めていた。 ガイドのマーヤの世界からすると一瞬の早さであった。 その後、他界したコナを一番先に出迎えた別世界の住人はマーヤだった。 

『コナお疲れ様。 今回の生でのガイド役のマーヤ。 お久しぶり』


コナにとってマーヤはかけがえのない存在だった。



ここは渋谷。 広域暴力団の水信会に属するトマリ連合の若頭カズトミ、五十五歳。 通称念仏のカズ。 カズトミの兄やんが「念仏」を唱えたら敵味方関係なくその場から逃げろとまで恐れられた存在だった。 


カズトミのガイドはダイスケという存在。 


今日もカズトミはよその組と縄張り争いの抗争に出向いていた。 敵対する組の若い者に、ドスで腹をひと突きされ意識不明の重体に陥っていた。 病院のベッドに横たわったカズトミはだんだんと意識が遠のき、気が付いたら意識が病室の天井近くにあり、下には血だらけの自分がそこねていた。 


「なんだ……? どうなってんだ?」 


『あなたは死のうとしている』 カズトミは驚いてそちら意識をやった。 


「なんだてめえは……?」 目に入ったのは懐かしい感じがするけど知らない存在。 


『私はダイスケ。 あなたがこの世に来てからずーっと見守ってきた。 あなたとは昔からの知り合い。 今の抗争でピストルで撃たれ肉体は死のうとしてる。 私はあなたを復活させる事が出来る。 但し条件付きで……』 


「何じゃい、それは……? なめんじゃねえぜ。 まったくよう」 


『そうですか、じゃあ好きにしていいです。 強制はできません』 


「ちなみにどういう条件だ?」 


『まず組を解散。 あなたは通訳者として余生を生きて下さい』


「通訳? バカいえ、俺は自慢じゃねえが日本語以外話せねえよ」 


『違います。 あなたは今、私と会話してるように、話し相手のガイドの言葉を伝えればいい』 


「俺、霊能者じゃねえよ」 


『いえ、あなたは小学校まで能力はあった。 中学に入った頃、その能力を批難された事が切っ掛けで、その能力を自ら封印した。 たった一言の事で。 それからは全く聞こうとしないから自然と聞こえなくなった』


カズトミは四十年程前の事を思い出した。 そして自分が何故この世に生を受けたのかを少し思い出した。


「あっ、そうだった! 俺は通訳者として生まれたんだった……」


次の瞬間、病室のカズトミの心臓が鼓動し始めた。 看護師が走り、医者は急いで処置をした。



刑を終え、カズトミは組を解散し、しばらくは四国の田舎に籠もり、六十歳を迎えた日、全く自分と縁のない仙台市で路上に簡単なイスとテーブルを出して座った。 テーブルの張り紙には[あなたのガイドの通訳いたします] と書いてあった。


 カズトミはすぐに有名になったが偉ぶる事も高ぶる事もせず、残りの人生を通訳者として貫いた。 生涯TVやマスコミの出演を拒否し、不世出の通訳者として一生を貫いた。 


通訳で得たお金はすべて孤児院に寄付した。 カズトミは一月の寒い朝に誰にも看取られず亡くなった。 所持していた物は、ポケットの中の現金三千円と母親の写真一枚だけだった。






四「拳 聖」



時代は平成。 京都は大原の三千院近くに居を構える武道家、松岡拳美の物語。 彼は幼い頃から格闘技が大好きな少年。 


元武道家の祖父に強い影響を受け少年期を過した。 青年期になってからも柔道・剣道・空手と休む間もなく道場通いの青年期を過した。 地元の高校を卒業した拳美は武道を極めたいと思い、日本を武道修行の旅に出ることを決心した。 拳美十九歳の春だった。


始めに最初に門をくぐったのが柔術で、世界的にも名の知れた流派。 その道場には世界各国から多くの門弟が訪れ修行に励んでいた。 拳美が入門して半年が過ぎた頃には、天性の才を持った拳美に試合を挑む者が無く、いつも指導する立場ばかりで退屈の日々が続いた。 そんなある日、道場に元オリンピック柔道銀メダリストの丸山四段が遊びに来た。 


道場師範が門弟を集めて言った「今日は、丸山四段がお前達に修行を付けてくれる。 この機会だから聞きたい事があったらどんどん質問するように!」


小一時間練習し丸山の体が温まった頃、門弟の多田が「拳美、お前乱取りしてみろよ」拳美はそのつもりだったので多田が言い終わる前に手を上げていた。 


師範も待っていたかの様に拳美を指名した。

 

師範が「丸山さん、こいつはまだ白帯ですが稽古をお願いします」丸山は快諾した。 道場の門弟は拳美の強さがどこまで丸山に通用するかワクワクした。


二人は向かい合った「始め!」主審が手を上げた。  


拳美は直感した。 この人はすごい。 オリンピック選手はなにかが違うと実感した。 道着を掴み合った瞬間、とてつもない重圧を拳美は感じていた。

 

端から見ると丸山は余裕の笑みさえ感じられた。 拳美が先行をしかけた。 右払い足だ、丸山はびくともしない。 丸山は余裕からか拳美の次の技を待っていた。 拳美は背負い投げを仕掛けた。


簡単にはじかれた。


次の瞬間、丸山がこれが背負い投げだ! と襲いかかってきた。 一瞬、拳美は気が遠のいてしまった。


「一本!」


主審の手が拳美の方を指し示していた。 拳美は呆然としていたが、他の門弟は大はしゃぎだった。 二人は定位置に戻りお辞儀をした。 


丸山が近寄って来た「やあ~まいったな~白帯に負けちゃったよ」


二人は握手をした。


全く投げた実感が無いまま勝った拳美は「あのう、すみません。 もう一番お願い出来ませんか?」 


丸山は快諾した。 門弟達はあの馬鹿調子に乗って、あれで辞めておけばいいのに……


「始め!」


丸山の形相が先程とはまるで違い、オリンピックの時のその顔だった。 丸山も敗因が解らなかったので気が締まった。 また拳美の方から仕掛けたが簡単に返された、力の差は誰の目にも歴然としていた。


そのまま小康状態が続き終盤に近づくと丸山が仕掛けた。 大外刈りに出た瞬間拳美の気がまた遠のいた。 次の瞬間、丸山は畳に受け身を取っていた。 拳美はツバメ返しをしかけていた。 


「一本!それまで」 道場はまた湧いた。


双方、握手をして別れ、丸山は道場を後にした。 その日拳美は家に帰ってから今日の試合を振り返った。 


「僕は実力で勝ったと思えない。 気が遠のいた瞬間たまたま勝っただけなのに……」


翌日、師範からこの道場専業でやらないかと言われたが、拳美は丁重に断り道場を辞めた。 



次は喧嘩空手と異名をとる道場の門を叩いた。 そこでも半年足らずの水色帯の拳美は、この道五年の黒帯相手に組み手をしていた。


道場主が「拳美、そろそろ大会に参加してみないか?」と指名された。 


拳美は出場する事になり、準備は進み大会の日となった。 拳美は勝ち進んだ。京都代表となり全日本大会は大阪での開催となった。 


大会は決勝まで勝ち進み、拳美は水色帯でここまで勝ち進んだ。 大会史上初の事で会場はざわついていた。 決勝は横木三段との対決。 開始直後、横木が上段回し蹴りを放った。 瞬間、拳美は後ろに立っていた。 観客はその動きが全く見えずにいた。


それが数度繰り返された時、対戦相手の横木の足と手が震えてきた。 横木は戦意喪失状態にあった。 拳美も自分の不可思議な異変に気が付いたのか、これ以上はもう戦いたくない。 結果は判定で拳美の優勝となり世間に名が広がった。 しかしそういうことは拳美の意志と反し、世の中が勝手に騒ぐことを嫌らった拳美は、世界大会を辞退し空手の世界を後にした。

 

ある日、拳美は不思議な夢を観た。 植芝という武道界では有名な人物が枕元に立ち「創武館」と白い文字の書を拳美に渡したところで目がさめた。 


起きてからも拳美は気になっていた。 その夢から五日後、拳美は本屋で立ち読みしていてたまたま開いたページに創武館の文字があった。 


次に向かったのが剛柔一体をうたい文句の創武館という道場。 その道場は十年の歴史しか無く支部等も無くそこだけの練習道場。 今までの道場と違い、とても武道場とは縁遠い感がする道場だった。 まるで武道好きの青年が趣味で建てたくらいの、自宅裏の大きめの物置小屋という感じのする道場。  


拳美は道場に入った「ごめんください」


中には[合一]と書いた掛け軸だけが貼ってある。 


「ハイ! いらっしゃいませ」


「あのう見学させて頂きたいのですが……」


「どうぞ、靴下を脱いでお上がり下さい」


拳美は道場に通された。 道場生はみな思い思いの柔軟体操をしていた。 突然大太鼓の大きな音がして全員整列した。 初めに、年の頃なら七十歳くらいの白髭の仙人っぽい風格の老人が上段に向かってなにやら祝詞の様なものを唱えていた。 全員、後に続いた。 その老人が振り返り最初に始めたのが両手を上げゆらゆらと身体をくねらした。 クラゲダンスのような感じだった。 


次に始まったのが独特の呼吸方法で、音を立てて鼻から大きく吸い込み、次に息を止め身体全体に気をため込み最後は口からゆっくりと吐き出していた。 

その間1分程だった。 拳美はじっと見入っていたがやがてその老人が得体の知れないものに包まれているのが見えた。 それは白いモヤモヤとした煙のような後光のような不思議な光景だった。

 

ひととおり終わったところで小休止をはさみ、突き蹴りの練習の様な格好ではあるが、まるで遅くたぶんハエや蚊が止まるぐらいのスピードだった。 


拳美は思わず「ぷっ……」吹いてしまった。


その老人が拳美の方に近寄ってきた。


「お兄さん、見たところ色々と経験が豊富な様じゃが、一緒に稽古せんか? 道着貸すよ」


拳美は了承し着替えた。


「まず君が吹いた正拳突きだが、理論は後で話すとして、とにかく気と呼吸の調和を図ること。 それが出来ると相手との差が無くなり、戦う前から相手を制する事が可能になる」


拳美は「いきなり精神論か? 俺は武道を見に来たんだけど……」


老人は「そうか。 君の場合、一度道場の若いのと乱取りでもした方が理解が早いかな? 誰でもいいから君がこの中から相手を指名してごらん」


拳美は思った俺は全日本選手を二人倒したから人間だから本気出せないよな……


躊躇しながらも「あなた宜しいですか?」指名したのは先頭にいたガタイのいい青年。


「顔面突きだけ禁止以上。 始め!」


拳美は間合いを取りつつ攻め寄った。上段突きを放った瞬間、その青年は拳美の後方にスッと立っていた。 瞬間、拳美は身体をひるがえし下段蹴りを放ったが相手はもうそこにはいない。 後ろに殺気を感じ振り返ったそのせつな青年の正拳が拳美の顔面の前で止まった。


「一本! やめ!」


完璧に拳美の負けであった。 老人が笑みを浮かべ近寄って来た。


「どうですか? うちのも結構やるもんでしょ」


老人は透き通るような目をしていた。 拳美はうなだれて道場をあとにした。 数日後、拳美は創武館前の掃除をしていた。 


老人が「創武館はただの強さを競う道場でない。

 

人間はどんなに強くみえても自然には絶対かなわない。 


だったらその自然に学べば自ずと自然と一体になれる。 


同時に自分を知り相手も知る事が出来る。 


相手と一体になればおのずと相手を知る。


相手を知れば自然と戦いは無くなる。 


つまり絶対平和が達成出来る。


それを形にしたのが、君が笑ったこの踊りのような動きです」 


拳美は聞き入った。 


「君も過去に二度ほど経験してるね」拳美はハッとした。


あの不思議体験を思い出した。


「もの解りがいい青年だ。 私はこの創武館を創った佐藤稔七十二歳。

宜しくお願い致します。 松岡拳美さん」


拳美が入門を許されて八年目に佐藤稔創始者はこの世を去り、遺言で拳美が創武館の二代目を継ぐこととなった。


拳美はその後なおも修練を重ね百年に一人の武道の天才と呼ばれ、

世界七十二ヶ国、 十万人以上の門弟の頂点に君臨した。


人は、どの格闘技流派が

    一番強いかと論争するが

        それは愚問である

問題は誰が何をやるか 

   人の価値で格闘技や流派の

        価値が決定する 拳美






五「トップセールス」  


新井田マサオ四十五歳、職業住宅リフォームの営業。 営業一筋二十年の超ベテラン。 人はマサオを営業になる為に生まれてきた人間と評した。 


マサオは二十五歳で車の営業を始め、高度成長時代のおかげもあって、カタログひとつで二百万円の車を月五十五台はコンスタントに販売してきた。 


ある時、同僚のクニオがマサオに「新井田君はどうしてそんなに売りまくるわけ? 俺さあ、部長から今月十台売らないと来月は解雇と言われたんだ」


クニオはセールスのコツを始めてマサオに尋ねてきた。 


「コツなんて無い。 しいて言えば話し好きの客には聞き役を、寡黙な客には多少雄弁に接して相手の空気を読み、出来るだけ時間を掛けずにたたみ込むようにしてるだけだよ。 特別なテクニックって無いさ。営業はクニオ君のほうが上手だと思ってるよ。 車の事も僕なんかよりもよく知ってるし……」


クニオはますます疑心暗鬼になった。 


マサオは続けた「クニオ君はもしかしてやたら車の説明を客にしてない?」 


「……確かにそういわれたら思い当あたるけど……それがなにか?」 


「いや、客は車の事は既に調べ上げた上でここに来てると思うんだ。 

いや僕達以上に詳しいかも知れない。 だからそれ以外のなにかがあるのかもね。ちなみに僕はいつも車の説明は殆どしてないよ。 聞きたい事あったらパンフを読むかネットで調べてっていってるけどね」


「うそっ! 車屋なのに車の説明なしなの?」 


マサオは付け加えた「営業っていうのは何を売るかでなく、いかに自分を売るかが営業の仕事だと思うんだけど」


その後、クニオは成績を伸ばし名実ともにトップセールスとなった。


マサオは車の販売、二十八ヶ月連続日本一位の実績を納め、将来を有望視されたが二十九歳の誕生を境に辞職した。



 次にマサオが営業職として選んだのは、住宅リフォームの訪問販売会社だった。 この業界は典型的な強引な売り方と悪徳商法を主とした業者も少なからずあった。 


マサオが入社したのは「HMペイント」という塗装屋。 当然営業。 一般住宅専門の塗装会社で、家を遮熱し保護するという商品がメインの塗装。 


販売方法は訪問販売。 売り方は自由。 金額は大きさ形によって価格が決定され、それ以上は売っただけ営業の利益になるというもの。 マサオは訪問販売は初めての経験であったが、持ち前の笑顔と人なつっこさが効をそうし、ここでも入社数ヶ月でトップの成績を収めた。 


そんなある日のこと、新人の佐藤大輔くんに営業のノウハウを教えてほしいと会社から頼まれた。

 

「佐藤大輔と申します。 二十五歳、宜しくお願いします」 


「新井田です。 皆はマサオと呼びます。 宜しく」


二人は住宅地に到着した「今日は僕の後を黙ってついてきて雰囲気を読んでね。 僕は教えるのが苦手だから見ていて下さい。 それだけ」


「はい!」 


それから二人は住宅地に入り仕事を開始した。


「今日はここから始めます」 


二人は住宅地を歩き回って、午後三時には契約を一件取った。 


「はい、これで今日は終了です」 


「えっ! まだ三時ですし二十件ぐらいしか訪問してませんけど……」 


「うん、僕は件数や時間は関係ないの。 集中が途切れたらそこで終わりにしてる。 人それぞれのやり方があるからね。 ところでなにかひとつでも興味ある事あった?」 


「訪問販売は軒並み訪問すると思ってたけど、新井田さんは違う様な気がしましたが……」 


「それは、塗装パターンの家を探してるんだ」

 

「パターンですか?」 


「うん、例えば塗装は壁を保護するのと、外観を綺麗にするというのが大きなポイントだよね。 つまり外壁の綺麗な家には訪問しない。 当然綺麗な家でも話さないと解らない。 けど、確率からいうと少ない。 僕の場合はとりあえず無視します。 低い可能性に掛ける時間がもったいないからね。 


次に家の周りが整理されていない住宅は無視します。 その気はあっても予算が無いとか、子供が小さくて家の周りに気が廻らない人が多いから。 家に気を配る人は生活に余裕のある人と老夫婦の世帯が比較的多いよ。 それと会話をしていて聞く側が頭を傾げて聞いていたら、話を聞いていない証拠だよ。 他にも沢山の判断基準がある。 借家の場合は庭を手入れしていない家が多い。 


そういう風に絞って訪問するから僕の場合、量より質を取るのさ。 最初は僕も軒並み訪問したよ。 でもポイントが解ったら、 そのポイントをつく仕事をした方が簡単で効立的な事が解ったんだ。 ダイスケ君もこの仕事をやるなら自分にあった方法を考えるといいよ」


ダイスケはマサオの言葉を一字一句噛みしめた。


マサオはそれからしばらくはダイスケの質問攻めにあった。


ダイスケは入社三ヶ月でマサオに次ぐ成績になり、部下も与えられ教育する立場となった。


やがてマサオは訪問販売の業界を去るときがきた。 最終日の朝礼でマサオはこんな話をした。 


「僕は今日で訪問販売を卒業します。 最後にこの商売で培ったポイントをひとつだけみなさんに伝授します。 それは、売ろうとしない事。 客と息を合わせる事が最大のポイント。 これは僕の見解ですけどね、偉そうなこと言ってすみません。 今日までお世話になりました。 の会社と皆さんには感謝します。 ありがとうございました」


マサオは入社から退社までトップの成績だった。






六「覚醒の旅」



神エイジ五十五歳男性、妻子有り。職業タクシードライバー。 どこにでもいるごく普通の中年男性。 


北国の冷え込んだ朝、エイジは客待ちで地下鉄駅横にタクシーを停車し客を待っていた。 そこに居眠り運転のダンプカーが後ろから追突するという事故が起きた。 


完璧なダンプ運転手による過失だった。 エイジは病院へ救急搬送され精密検査の結果、腰の強打で全治二週間の診断が下された。 事故の大きさからすると軽傷で済んだ。 が、事の始まりはここから起こった。



エイジは事故以来、尾てい骨が熱く感じられ、背骨に沿って蟻が這うようなチクチク感を感じた。 時には背中が火で炙られたかのような感じや、水の入ったバケツの水を突然背中に掛けられたような冷たい感じもした。 医者にいくら訴えても「異常は見あたりません」といつも同じ答えだった。 


異常はそれだけでは無かった。 


胸の辺りが急に熱くなったり、頭のてっぺんが若干盛り上がったかのような感があった。 それは肉体の感覚であり医師には相談してないが他にも異変はあった。 急に目の前の景色が光り輝いたり、相手の考えてることや行動が事前に解ることにも気が付いていた。 


エイジは自分が事故を契機に完全に気が触れたと思い、暗く重い日が続いたかと思ったら急に全てが至福に満たされ光の世界に入ったかのように感じられ、自分と全てが一体化されたような感じさえあった。 天国と地獄が自分のなかで入り交じった感が憂鬱に思い、自分で自分をコントロール出来なくなっていた。


「何だ、この感覚? どうなってる俺の頭? 誰に相談すればいい? 精神科にも一度受診したが事故の後遺症と診断されて精神安定剤を処方された。 俺は精神疾患なのか?」エイジは心底困っていた。 


事故からふた月が過ぎ身体は完全に回復し、仕事にも復帰したが、お客さんが行き先を告げる前に行き先が解ってしまったり。 客との会話も言葉の嘘や虚栄が多くてエイジはだんだん辛く思えてきた。 


話す言葉と心の声が全く違ったり、客同士の会話でさえ本音と建て前の違いが解ってしまい、自分とは関係ないと言聞かせても仕事がどんどん辛くなってきた。 


そんなある日、雑誌を見に書店に入った。 エイジは何かに誘導されるかのように宗教思想の売り場に立っていた。 


「なんでこんな売り場に……?」 


何気なく取り上げた本が[クンダリーニ覚醒のプロセス]という題名の本だった。 ページをめくっていて突然、目が釘付けとなった。 本に書かれている体験とエイジが事故後経験した不可思議な体験が、本の内容とほぼ一致していたのであった。 さっそく購入し一日で読破した。


「そうか、そういうことだったのか」


エイジは何となく原因が解った。本に書いてあるように、このままクンダリーニを頭頂から抜けさせて悟りの境地を目指すことに決めたのだった。 妻のムラサキに今までの事情とこれからのことを話して聞かせた。 


最後に「今後一週間は食事は要らないし、部屋にひとりにして欲しい。 外と完全に遮断したい。 万一この方法が失敗したときは人間破壊が起きる可能性もある」そうムラサキに説明し許可を求めた。


結婚して三〇年間、今までこんなに真剣なエイジをムラサキは見たことはなかった。 ムラサキはエイジの意向に従う決意し伝えた。 


その後エイジは会社を退職し部屋に籠もることになった。 部屋は小電球の明かりだけで最低限の明るさにし、その薄暗い部屋でひとり行に入った。 手元にあるのはその本だけだった。 


最初のうちはもっぱら呼吸法に時間を費やし、だんだん慣れてくると呼吸と同時に胸の辺りにぼんやりとチャクラの輝く光が見えた。 数日経ちその頃には眉間に意識を集中すると色は違うが、ぼんやりとしたチャクラの光が心地よく感じた。 と同時に自分の奥深いところにある自分と重なる方法も憶えた。 


本とは若干違うところもあるが、それは個性の違いだということも解った。

やがて尾てい骨のチャクラから登ってきたエネルギーは、頭頂を貫き天に向かって伸びた。 同時にエイジの肉体はその衝撃で気絶していた。


意識だけは至福に満たされハッキリとしていた。 次の瞬間、意識が地球の外に飛び宇宙と一体になり、そして自分のこの地球が生まれて去るまでのビジョンと自分の地球上での今までの輪廻転生までもが全て思い出された。


「宇宙即我」どこかで聞いた事がある。 この感覚だったのか……。 


今のエイジにピッタリの言葉であった。



その後エイジは部屋を出た。 妻のムラサキは変身したエイジを黙って迎え入れた。 


「お疲れ様でした」ムラサキがいうとエイジは涙顔で黙ってうなずいた。 二人の会話はそれだけで全てを物語っていた。


覚醒を果たしたエイジには恐れという感情は消えていた。 そこにあるのは、あるがままにある。 言葉では説明できない世界観だった。


それからのエイジは数週間というもの何やら別世界を堪能してるかのように見え、端から見ると宙に浮いたようなエイジがそこにあった。 当のエイジが忘れていた事や、この世での自分や家族の出会いの奥深い経緯など一つ一つ確かめていた。 


ひととおり確認を終えたエイジは脱皮した蝉のように自由の身となった。


覚者となったエイジの中には、もはや葛藤が無かった。 葛藤が無いという事は考えも行動も自由でありなんでも出来る、つまり制限や制約のない自分がそこにあった。 自分を縛るものが無いという意識状態になっていた。 


エイジはムラサキとの会話でとりあえず本を書こうということになり執筆活動を始めた。 書きたい事は何も無かったがパソコンの前に座りキーボード上に手を乗せると文章が浮かんできた。 その文章をキーボードで叩くという方法で本を執筆した。


一冊目は4日間で原稿用紙二百ページを打ち込み、ムラサキが編集を手伝うという方法で出来上がった。


その内容は大まかに、これからの人間と地球の在り方というものだった。 実際に近未来の地球を垣間見てきた者だからこそ描ける内容になっていて、おもしろおかしく書き上げていた。 


他にも意識と制限の問題に触れた内容も多くあった。 書店から出版されるまで二年の歳月が流れ、その後エイジの元に読者からの問い合わせや相談が増え、講演会も不定期ではあるが開催された。


その講演会は本の執筆と同様、題材は直前になって決まるというもの。


「今日は僕の講演に来て頂きありがとうございます」ここから半トランス状態が始まり言葉が勝手に口を付いて出て来るのだった。


今日も要請で講演会がありエイジは出向いた。


「今日は近未来の事についてお話しさせて下さい。 近未来の地球は一定の期間、具体的にいうと今から二十数年後までに二つに分かれる事になります。 


一方は今の世界の在り方を良しとする人たちの地球であり、もう一方は人間本来のありかた、つまり霊的な意味合いの生き方をする人たちの地球。 この両方の地球に別れる可能性がおおきいです。 残念ながら親兄弟、配偶者でさえも一緒の世界に暮すとは限りません。 


どういう事かというと、各々が自分の居心地の良い世界に住む事になるんです。物質欲の強い思考の人はそのような人の多い居心地の好い世界を選びます。 

自分で自分をつくろったり、自分に嘘はつけないから普段の思いがそのまま表面に出ます。


そしてそのような世界を選ぶんです。好きだから。 これはどちらの世界も同じで好きな方を選択します。 嘘や建前等は絶対に通用しません。 それが本来の魂の法則だからです。


宗教用語は使いたくないのですが、今までの地球では地獄で仏という言葉があります。 どんなに辛いと思っても必ず助けてくれる人に巡り会えるという意味ですが、今後の世界では地獄的意識は地獄へ移行します。 誰も助けてくれません。


そして近い将来は地獄の様な世界も消滅します。 残るのはバージョンアップした地球になります。 キリスト教では「神が審判を下す」とありますが神は審判を下しません。 全ては自分で自分を裁く事になります。


もう一度言います。 嘘や偽りが絶対に通用しない世界が今後の世界です。 葛藤や障害の無い世界が待っています。 それが近未来の地球意識の在り方です。今後、 地球は分離して二つの道を歩みます。 

その後、片方はやがて姿形が視えなくなり、残った地球が今後の地球の在り方で、礎となります。 その時、今のこの文明を振り返りこう思うでしょう。


猿が文明を創っていた世と。 それほど今後に残る文明は霊的に目覚めた文明となるでしょう。 ただし、未来は未確定ですから、今の心のありかたがまったく新しい世界を作り出す可能性は充分あります。 


最重要なのは今です。 


今!


双方どちらを選ぶのも自由。 その為に皆さんはこの地球へ転生して来たのです。 これからの在り方について色々なことが言われてますが、私の口からは宇宙時代の到来とだけ言わせてもらいます。 どの世界を選ぶのもあなた次第です。 今までの集団意識的常識は通用しませんから、内なる自分を信用して新しい時代を迎えて下さい。 ありがとうございました」


エイジは数年間活動し、晩年は妻と二人で田舎に移り住み土に戯れて晩年をむかえた。






七「小説請負人ハマⅠ」



私はハマ、職業は作家。 貴方の為だけのオリジナル小説を書きます。  

恋愛・推理・サスペンス・SF・ジャンルは問いません。 貴方の希望する小説を貴方の為だけに執筆します。 当然、貴方の大切な人に送る小説もOKです。 


人気小説は依頼者のパラレルな自分の自叙伝。 別世界の自分の半生を描いた小説に人気があります。 依頼者が来た場合、依頼者の生い立ちと小説にしてみたい事柄、登場人物の名前を教えてもらいジャンルを聞いて希望の書き方をします。 まだ内容が決まってない人はとうぜん相談に応じます。 


最後にこの小説は誰の為に作成するのか? ここがポイントになりそれによってメッセージせいが変わってきます。 こんなすべり出しで客と一時間ほど打合せをしてから、制作に一週間ほど時間を掛けて書き上げるというもので、費用は一律三十万円。 出張取材が必要な場合は別途料金で請負ます。 


ハマの発想は今までこの業界には類がない。 評判が評判を呼び予約が殺到していた。 

 


今日も直接、依頼者の訪問があった。


「いらっしゃいませ」 


「小説を書いて下さい」来たのは初老の紳士。 


「はいでは 多少の質問をさせて下さい。 まず、この小説は誰の為に作るものですか?」 


「妻の為です。 昨年、体調不良で他界した妻の為です。 五十八歳でした」 

「内容は随筆風・恋愛風・物語風等どのように描きたいですか?」 


「童話風で妻を主人公として幼年期は苦労し、それ以降は子宝に恵まれた幸せな晩年を。 妻をケルトの妖精にしたてて欲しいです。 生前、妻はケルト文化の神秘的な世界が好きだったものですから……」 


「はい、もう私の中にイメージが湧いてきました。 あとはご主人さんをどのような場面で登場させますか?」 


「僕は要りません。 登場させないで下さい。 妻には最後まで何一つ優しいことをしてあげられず苦労ばかりかけてきたので、せめてこの小説は僕抜きで違う伴侶と結ばせてやりたいのです。 この小説は妻に捧げるレクイエムのつもりです」 


「そうですか…… 解りました。 今日の打合せの大筋を二~三日で通知します。目を通していただき、それで良ければ執筆活動に入ります。 それで宜しいでしょうか?」


「はい、お願いいたします」 


ハマは、大筋の作成に取りかかった。 



 ここはイギリスのウェールズにある小さな漁村。 古来からのケルトの風習が多く残る村。 ある人間の家の屋根裏にブラウニーという家事好きな妖精がいた。 よく人間の手伝いをしてくれ、報酬のミルクや蜂蜜を忘れたり、仕事に文句をつけたりすると、ブラウニーは怒って家をめちゃくちゃにする事もある。 また、 丁寧に扱わないと悪戯好きなボガードになりさがり、更に落ちると、醜くて物を壊したり投げつけたりするドビーになってしまう。


そのブラウニーがある時、人間の青年ニップに禁断の恋をしてしまう。 


妖精ブラウニーは事あるごとに山に入り、フェニックスの落とした羽を集め帽子を作ったり、妖精ならではの手法による小物を作りニップに手作りの小物をプレゼントした。 


ニップもその厚意に報いるためにブラウニー専用のドールハウスを作ってプレゼントをしたりと、二人の間はだんだんと深まり、やがてふたりは恋に陥ってしまった。 人間と妖精という大きな壁を抱えたまま時は過ぎていった。 


そんなある日、 


ケルトの神話伝説に、人間の青年に恋をした妖精がトネリコ山脈のどこかにあるココというキノコと白龍の涙を煎じ、満月の夜に妖精が飲むと人間に変身出来るというのを耳にした。


ブラウニーはその伝説に掛けてみようと決断した。 身内からは「そんな伝説に信憑性がない。 トネリコ山脈は危険な山だから辞めた方がいい」だとか「妖精は妖精同士で結ばれるべきだ……」との声も多くあった。 そんなケルトの妖精ブラウニーの半生を描いた物語。

 


 二日後ハマは依頼者に概略を説明した。 電話の向こうで依頼者のむせび泣く声が聞こえた。 それから六日間で小説は完成し製本され依頼者に手渡された。 


「はい、この世でただひとつの物語。 お読み下さい」そう言って渡された。その四日後にお礼の手紙がハマの手元に届いた。 心のこもった感謝の手紙だった。



「いらっしゃいませ」依頼者の訪問であった。 ハマは、ひととおり説明し相手の言葉を待った。


「あのう……」 


「はい?」


「こんなお願いの前例ありますか?」 


「はい! どんな事でしょうか?」 


「主人公は実は宇宙人の子で、大きくなって本当の自分に目覚め、地球を救うという使命を思い出す。 という内容で描けませんか?」依頼者は恥ずかしそうな目をして言った。


「はい、全然可能ですよ。 では登場人物の名前を数人教えて下さい。 二日前後で大筋を連絡します。 それでよければ一週間で描けると思います」 


「はい! よろしくお願いします」


二日して依頼者に概略をFAXした。



 ここは渋谷駅、井の頭線の通路にあるコインロッカー。 その一つから微かな声がした。 駅員はロッカーの鍵を開け中を見てみるとそこには、産着に包まれ指をくわえた生後間もない女の赤ん坊がいた。 駅員の通報によりその赤ん坊は警察が保護し渋谷区内の孤児院に引き取られた。


その子は生後間もないせいもあって里親が早く決まり、同じ渋谷区内の夫婦に引き取られた。 月子と命名され幼児期、思春期と愛情たっぷりに育てられた。月子が二十歳になったある満月の夜、たまたま近くの代々木公園をジョギングしていた月子は突然激しい目眩に襲われその場に倒れ込んでしまった。


気が付いてみるとなにやら身体が軽い。 いや、重力が全く感じられない。 

周囲に視線を向けて驚いた。 そこは乳白色のブヨブヨとした狭いけど狭さを感じさせない心地良い空間だった。 


次の瞬間、隣から声ではない声がした。 


「ニーナ・ニーナ」と誰かが月子に話しかけてくるのだった。 


「……? 私はニーナでありません。 月子よ」 突然月子に意識体が重なってきた。 


「月子、あなたはプレアデスから来た宇宙巫女。 二十歳まで地球人に育てられました。 今の地球は修羅場。 我々宇宙の存在も大変心配してます。

あなたにはこの地球を変える役目が生前から約束されていたのです」 


「私はそんなこと知りません。 地球に返して下さい。 それにあなた達宇宙人がやったらどうですか?」 


「我々には直接手を下してはいけないというルールがあって、そこで二十年前にあなたを地球人として育て上げるために生後一ヶ月のニーナを失礼ですがコインロッカーに置いてきたんです。 そして縁あって月子さんの今のご両親が育ててくれたんです。 深層意識では御両親とも承諾済みですけどね」


「チョット待ってよ。 じゃあ、私は両親と血が繋がってないと……?」 


「そうです」


そのまま月子は気を失ってしまった。 その時月子は宇宙の存在から黄色い石をもらった。 その石は宇宙の存在と会話が出来る能力や様々な力を秘めていた。 やがて使命に目覚めた月子は地球を救うため友人を集め、地球人の意識改革を始めることになったが、困難の連続の日々の中にも心温まる出会いがあり、独特のヒューマンドラマに仕上がった。


依頼者はFAXを読み快諾した。 後日、依頼者に一冊の本が届けられた。



ある時、ハマの友人マキコがやってきた。 


「ハマさん久しぶり。 最近はどう? 何か面白い事あった?」 


「そう簡単に面白い事なんて無いわよ」 


「私も一冊頼もうかな?」 


「あんたのなにを書くのよ?」 


「私、最近考てる事があるのよ、近い将来家も家族も全部棄てて旅に出ようかなって思ってるのよね。 長年、思ってたんだけど世界中を回って絵を描いてみたいの、世界中の町並みを……」 


ハマは一瞬驚いたが冷静に語りかけた「それ、小説で実現しない? マキコがこれから実際にやるのではなく、バーチャルでやってみたらどう?」


「バーチャル? なにそれ?」 


「マキコが実際に体験しないで小説の中だけで経験をするのよ。 つまり仮想現実を小説にしてしまうの。 小説の中で色んな体験をしながら旅を重ねるのよ。 費用はかけず旅をし絵も学ぶの…… 但し仮想でね。 


だからやりたいことをどんどんやるの。 男にもなれるし、神様にだってなれる。 神として人類に警告を発するなんてどう?  創造は自由で制限が無いから何だって出来る。 おもいのまま。どう?」


「ハマ、それ面白そうね。自分の夢を追えない環境の人や、一度挫折した人が再トライして夢を達成するの。 たとえ小説の中でも形にしたら何かが変わるかもしれないよね」 


「マキコ、私も夢が広がったよ、ありがとう。 これ商売になるかもしれないね?  なんか喜ばれそう。 ワクワクしちゃう。 さっそくマキコの夢を叶えちゃいましょう。 当然無料で。 発想のお礼よ」


「OK」 


その後、この企画は一般に広がった。 特に第一線から退ぞいた中高年層や主婦に好評だった。






八「小説請負人ハマⅡ」


今日もまた依頼があった。 今回の依頼は小さい頃の夢で歌手になって世界中を飛び回りみんなに感動を与える人間になりたいという女性の依頼。 例のごとくあらすじが出来上がりFAXした。


あらすじ 


川田ミヨリ二十歳、職業歌手。 MIYORIは高校生の時、所属していた合唱部で歌う事の楽しさを経験した。 その経験がMIYORIを歌の世界に駆り立てる切掛けとなった。 しかし MIYORIには性格上の問題があった。 それは他人と同じ事をするのが大の苦手という事だった。 


だからMIYORIが歌の楽しさを知ると同時に自分独自の歌が作りたくなり、ギター片手に作詞作曲を手がけ、今では五十曲のレパートリーを超えた。 


そのどれもが完成度が高く、プロのアレンジを加えると歌謡史に残るのではと専門家のお墨付き。 でもMIYORIの意識は違った。 まだデビューもしていないのに夢の舞台は日本には無かった。 そう、頭の中は世界を相手に歌っているMIYORIの姿だった。 


結局、日本の音楽関係者からは「世間知らずの天狗少女」と相手にされずMIYORIの才能は埋もれてしまった。 だが夢を諦めないという強い意志のMIYORIはバイトでお金を貯め単身渡米した。 



場所はニューヨーク。 


昼間はカフェで働き夜はバーのウェートレスをしながら、あらゆるオーデションに応募するという下積み生活が三年続いた。 そんなある日の休憩中、店の裏庭でMIYORIはアドリブでギターを弾きながら今の心境をバラード調に歌っていた。 そこにたまたま通りかかったのがプロデューサーのJ・キング。 彼は大物歌手を何人も世に出した凄腕のプロデューサー。 


「ねえ君、もう一度今の歌ってみてよ」MIYORIは要求に応えて歌った。じっと聞いていたJ・キングは歌い終わってもじっとして動かない。 


MIYORIは「ごめんなさい……。私、休憩終わりだから行きます。 聞いてくれてありがとう」 


そう言って立ち去った。


J・キングは「この娘には一種特有な波長が感じられる。 これは今まで経験した事の無いものだ。 世間に知らしめたい……」


彼はその衝撃を抑えきれなくなった。 その事が切っ掛けでMIYORIは夢のアメリカデビューが叶った。 そこからが怒濤の勢いでアメリカ、ヨーロッパと瞬く間にMIYORIの歌は世界を駆けめぐった。 


「MIYO」という愛称で世界の人気者になっていった。 日本でMIYORIを批難していた音楽関係者も手のひらを返したように態度が豹変。 


「こんな内容でどうでしょうか?」とハマはFAXした。 


先方から返信がきた「ありがとうございます。 内容に申し分ありません感謝しております。 ただ、最後は人気絶頂の中、白血病でMIYORIを他界させて下さい。 最後は幻の歌手として終わりたいのです……」 


小説は一冊だけ製本され依頼者ミヨリに届けられた。



今日もまたハマのもとに一通の手紙が届いた。


僕は小林ヤスマサ。来年定年退職を迎えるごく普通の公務員です。 長年自分を抑えて組織に従ってきた何処にでもいる公務員です。 定年退職を迎えるにあたり僕が若い頃夢見た職業に、小説の世界だけでもいいのでなりたいのです。その夢とは芸術家です。

 

僕は長年、規則の中で生きて来ました。 規則から外れることを許さない世界です。 その反動もあり自由な発想の表現者として芸術家を選びました。 結末はどうでもかまいません。 とにかく破天荒な自分を小説のなかだけでも演じさせて下さい。 


小林ヤスマサ


ハマは執筆に取りかかった。


 あらすじ 

K・ヤスマサ・年齢不詳・出身地不詳・職業アーティスト。 作風? 本人曰く宇宙。 かつて岡本太郎は「どんなものにも顔がある」と表現した。 


彼の場合「どんなものにも宇宙がある」そんな調子のK・ヤスマサであった。


彼は世田谷の大学を出たあと叔父の薦めで世田谷区役所を三年勤めたが、性分に合わないと退職。 毎日下北沢・渋谷・吉祥寺あたりで路上に自分の作品を

売り、細々と生活をしていた。 K・ヤスマサの作風は自分でいうとおり宇宙を意識しているらしいが、なかなか理解に苦しむものだった。 


右と左が○と□のメガネを作って「宇宙を見るメガネ」と問いかけてみたり、キューピー人形に鉄の鎖を巻き付け「悟り直前(宇宙即我)」と題し販売したりと一般人の理解を超えた奇抜な作風だった。


そんなK・ヤスマサにいつも優しく接していたのがイクヨという名の女性。 彼女には特異能力があり、お客の顔を見て、即興でその人に今一番必要な言葉を書で表現し販売していた。 彼女の感応能力は学生の間では評判だった。 


イクヨはK・ヤスマサの一番の理解者でもあった。 そんなK・ヤスマサの生活が一年ほど続いた頃、何処から聞きつけてきたのか大手広告代理店から作品の依頼があった。 


来年竣工予定の駅前ビルの玄関ホール前に「宇宙をイメージしたオブジェを置きたい」との依頼であった。 費用は材料費込みで三百万円。 K・ヤスマサにとっては思いがけない仕事の依頼。


その作品を期にK・ヤスマサの名前は徐々に世間に浸透し、数年後には奇才K・ヤスマサと評され、世界的にも徐々にではあるが有名な芸術家のひとりと評された。 だが本人は「何かが違う…… 何か解らないけどなにかおかしい……」と眠れぬ夜が続いた。 


悩み続けたある日「そうだ! まだ僕には宇宙が見えてない。 僕の頭の中にある宇宙はこんなちっぽけな型には納まらない!」と悟る時が来た。 


「僕の宇宙は頭の中のその向こうに存在する世界。 それが絶対の宇宙!」 


そう言い残しK・ヤスマサは全ての依頼を断ってイクヨと旅に出た。

  


 数年後、バルセロナの路上で東洋人のカップルが作品を展示販売していた。

女は色紙に筆字で○(宇宙を表現)を描き依頼者の顔を見てその人にあった漢字を○の中に一文字書くというやり方で販売していた。 


西洋人には「東洋の神秘」と評され受けがよかった。


一方男性は何時間でも瞑想して、目を開けたと同時にいっきに金属の造形に取りかかった、その姿は西洋人には理解に苦しむものだったが、作品は安定感のある斬新な出来が受けこちらも違った意味で評判がよかった。  


そんな二人を地元では「オリエンタル・イリュージョン」と親しみを込めて評した。


ハマは依頼者にFAXした。


依頼者小林ヤスマサは作品に大筋納得したが注文を依頼してきた。 


「作品のあらすじは了承出来ますが、イクヨの神秘性も随所に入れて欲しい」

との依頼がありイクヨの才能も含め小説は出来上がり製本され小林ヤスマサに送られた。


小説請負人ハマの仕事が雑誌に紹介され、数年後には「小説請負人」という商売が日本だけにとどまらず世界的にもメジャーになってきた。 


SF・恋愛・サスペンス・童話など、各ジャンル専門の才能ある小説請負人が職業として普通に見受けられるようになった。


小説請負人という職業のパイオニアは当然ハマであった。 この形態のあり方を「ハマノベル」と称され世界の共通語とされた。






九「覚者Ganzi」



彼の名はGanzi。 東京生れの東京育ち、三十七歳で死を遂げた不世出の天才Ganziの物語。 


 彼を知る人の中には彼を「石と戯れる覚者」と呼ぶものもあった。


彼は幼少の頃より瞑想が好きで、玩具で遊ぶより瞑想が好きという実にユニークで変わった子供だった。 


母が「Ganziひとりで何をやってるの? また座禅組んでるのかい、気持ち悪い子ね。 お兄ちゃん達と外で遊びなさい」


「はーい」と言いつつ違う部屋でひとりまた座禅を組んでいた。 それは五歳の頃の話であった。


小学六年生、宿題の詩を作っていて急に「死」という言葉が頭を過ぎった。


「人間死んだらどうなるんだろう? お父さんやお母さんが死んだら? 僕が死んだら?」 


そう考え始めるといたたまれなくなってしまった。 Ganziは死んだら解決出来ると思い自殺を考える事も少なくなかった。 


中学に入ったが、同級生や取り巻く環境が、自分と大きく違う事への疎外感。どうしようもなく重圧に感じリストカットをした事もあった。 しかしいつもこの世に引き戻された。  

 

そんなGanziも地元の高校に進学、同級生と交わったかのように見えたが、根本は解決されていなかった。 一時は忘れていたあの感情がことあるごとに蘇ってくる。 その回数が増え始め、ついにそれは起きてしまった。 学校帰りにふらっとビルの屋上へ向かってしまったのだった。 


「嗚呼! 神よ教えて下さい。 何故僕は存在するのかよく解らないのです。 お聞かせくださいお願いします。 僕は生きていていいのでしょうか?」


神は答えてくれなかった。 ついにGanziは意を決した。 


「ここから飛び降りて死のう」意識したのは死だった。  


「これで終われる。 楽になれる……」


屋上に立ち飛び降りようと足を踏ん張った瞬間それは起きた。 



一瞬、頭の中の何かが弾けた。 


その経験は初めて。 


目にする全てが変わって視えた。 


というより見ている自分の中で完璧に何かが弾け飛んでいた。 


それまでの価値観や全ての全てが変わった。


涙が溢れ大泣きしてしまった。 そう、Ganziは悟りを開いたのだった。


全てのからくりが解った。 


というよりからくりが無いのが解ったのだった。 


はじめから存在しないからくりを、自らでっち上げていたんだ。


「宇宙と一体」それが答えだった。 


それから部屋に籠もったまま三十日間が過ぎた。 


腹は減らない疲れもしない。


悟りの境地を思う存分味わっていたのだった。 


部屋から出て来たGanziは新しく生まれ変わっていた。 


あの過敏なまるでガラス細工のような心の青年Ganziとは大きく変わっていた。


彼には学校という存在自体もう用を足さなかった。 


先生の意識や同級生の意識が手に取るように把握できた。 


教科書に書かれている内容の間違いや、起源など全てが手に取るように把握できた。 


Ganziは退学する事にした。 意味がなくなった。 


今の彼には人間的な葛藤は存在しない。 人間的意味合いの、なにかを頑張ろうとか、なにかを学ぼうとかそのような次元にもういなかった。


障害が無いのでいつも自由な存在だった。


当然、死さえも超越していた。

  

絶対自由これがGanziの境地であった。


まだ十八歳のGanziは沖縄県の宮古島で琉球そば屋のアルバイトをしていた。 なぜ沖縄かというとGanziのガイドが沖縄行きを促した為である。 

そこで二年間働いた。 人間的にはもう大人としての扱いをされる年齢である。

沖縄の琉球でひとりの覚者と出会いより深い悟りを得た。 もう 沖縄に居る理由が無くなった。 そして東京に帰郷したGanziは気ままに生活をしていた。 


立ち食いそば屋でアルバイトをしていたGanziにある客が「店員さん何かやってるの?」 


「いや、なにもやってないですよ」 


「そうかい? 店員さんがやたら光って見えるんだけど」 


「そうですか、お客さんも光ってますよ」 


その後その客はGanziのもとで勉強することになった。 


Ganziが世に出たのはそれから間もなくだった。 世に名前が出ることは当の本人は全く気にしていなかった。 本を出版したのは世の中が変わる前にはクンダリーニの目覚める人間が多く出るからとされていたため。


クンダリーニは日本では馴染みが薄く、古くはヨガ修行の一部に類していた。日本ではヨガというと美容に関連づける人が多かった。 そしてなによりもクンダリンーニヨガは危険を伴う為、グルと呼ばれる指導者の下で行うことが望ましいとされていたからであった。


Ganziのその本を読んだ者がなにかに導かれるように全国から集ってきた。あえて本は理解しがたく制作されていた。 


それは意図的に理解しがたく書いていたからで、インドでも古くからクンダリーニヨガはグル(指導者)が必要不可欠とされていた。 それほどクンダリーニヨガとは難解で危険な修行のひとつなのだった。 


間違うと発狂の恐れや廃人や自殺に陥る可能性がある。 原因はクンダリーニが尾てい骨で刺激を受け背骨から、はい上がり頭頂から突き抜けるまでの過程で各チャクラが刺激を受ける。 すると下級の幻影に惑わされる危険があるというものだった。 天国と地獄が自分の中で起こると言われている。 その過程でそれに気を取られる恐れがあるからだった。 自分の状態が把握出来ないで終わってしまうケースも少なくない。 


それを見極め修正してくれるのが師の存在。 


簡単にいうとGanziが本で究極に触れず、あえて少し難解に書いたのは危険防止の為もあり、真剣に修行したい人間はGanziのところに来るだろうというひとつの試しが含まれていた。


「悟りが先かクンダリーニが先か」晩年、クンダリーニの指導者になったが経緯は本を出版した数年前に遡る。 


Ganziの頭の中に「インドへ行け」と指示がありインドへ渡った。 

インドの街を散歩していると、向こうにGanziと同じ風体の人間が歩いていた。 声をかけたが男は無視して歩き出した。 小走りで追いかけると男はヨガ道場に入っていったのでGanziも入った。 そこにひとりのヨギが座っているのを確認した。

 

Ganziがそのヨギの上に目をやると、額にあった絵の伝説の聖者と同じ人物だった。 


名前は伝説の聖者大聖ババジだった。 Ganziはそのババジから直系のクンダリーニヨガを学び、生身の人間としては最後の悟りを果たし日本に帰郷した。   


Ganziは短い生涯であったが組織を作ったり自分の教えを残そうとは生涯しなかった。 覚者Ganziの生涯がここに終わる。  

 

「スズメがスズメを生き、

      石ころが石ころを生きる」




      

十「夢職人ミホコ」



私は夢職人ミホコ。 私の仕事は依頼者の夢の実現を手助けする事。 依頼者本人が望む職業は別世界パラレルワールドのもう一人の自分が既に手がけているケースが非常に多いわけ。 そこから情報を得てこちらの依頼者の深層意識に植え込む作業をします。 


するとこちらの依頼者は約二ヶ月という短期間でそれを習得出来ます。 その後、依頼者は自分の望む才能を手に入れ、それを職業としたり趣味に活かしたり出来ます。 


今のところクレームは一切ありません。 大まかな基本は私が作成しますが、あとは本人次第となります。 ここだけの話、歌手のヤエコやワタリはお客さんのひとりです。 芸術の世界ではH・山形もそう。 基本的に分野は問いません。


依頼者が頭でなりたいと考える人物や職業は既に、別世界パラレルワールド

の自分が経験してる可能性があります。 そこに行って意識を借りてきてこちらの依頼者の深層意識に植え付ける作業を約ふた月繰り返すやり方です。 別世界の自分が経験してない場合は見本になるお好みの人物の意識を植え付ける方法をします。 但し、前者よりも時間は多少掛かりますが基本的には可能です。

 

先だって文学好きの青年が来て「吉川英治を尊敬してるのでその意識を取り込んで小説を書きたい」との依頼があり引き受けました。 後日依頼者本人の書いた小説を見せてもらいましたが、作風は吉川英治そのもので、似すぎていて面白味に欠けていました。 だから全てが上手くいくとは限りません。



今日もひとりの依頼者が訪れた。


「ごめん下さい」 


「はい、いらっしゃいませ。 どうぞお掛け下さい」 


還暦をとうに過ぎたと思われる上品なご婦人。


「あのう、私は今年六十五歳になります。 子供の頃から助産師になるのが夢だったんです。 生命の誕生をこの手で受け止めたかったんです。 主人が公務員という事もあり転勤続きの為、ひとつの街で腰を据えてなにかを学ぶということが出来なかったんです。 

この年齢では夢を実現出来ないのは解っていますが、せめて助産師さんの意識をあじわう事だけでも出来ないでしょうか?」


「確かにお客様の年齢から考えるとこれから仕事に従事するのは無理かも知れません」婦人は下を向いてしまった。 


ミホコは今までの経験とご婦人の透視から方法を探った。

 

ミホコの目が輝いた「こういうのはどうでしょう? 別世界のお客様の中に詩人のお客様がおります。 その方もやはり生命の誕生に興味があるようです。その方の意識を取り入れてお客様も詩を作るんです。 普通の詩と違い生命の誕生を題材にして人間はもとより動物の誕生をも詩に託すというのはどうでしょうか? 


年齢も環境も関係なくペンと紙があれば何処ででも出来ますし、ネットの上でしたら無制限に投稿したり出来ます。 当然、沢山の他人の目にも止まります。いかがですか? 


諦めかけていたご婦人の目が輝いた。 


ご婦人が言った「それはいい考えですね。 別世界に詩で表現している私がいるんですね? 私も実は詩が大好きで詩集を何冊も持っています。 自分では書かないけど不思議と詩に惹かれます。 ぜひその方法で宜しくお願いいたします」


それから二ヶ月が経ちご婦人はネットに投稿し始めた。 生命の誕生を表現したご婦人独特の感性が年齢を問わず好評で、それを見た出版社の目に止まり詩集の発売も決定したとミホコの事務所に最大級のお礼と、ひとつの詩が同封された手紙が届いた。



こんな依頼者もいた。 


「僕は建築設計の仕事をしてます。 もう二十五年やってますが、僕の作品は日の目を見たことがありません。 多次元の僕で設計士は存在しないのでしょうか? 僕自身多少の才能はあると思うのですが、これだけやって認められないと自信喪失します。 もし多次元にいたらどんな具合か教えて下さい」 


こういう類の相談は厄介だった。 才能が今生で開花するタイプと次の生で開花するタイプがあるからだった。 夢職人という商売と意味合いが違う質問だった。 


「残念ですが、私の仕事と意図が違うようです。 そのご相談は別の方に相談なさって下さい」と断るしかなかった。 


多次元の自分が認められていたとしても、こちらもそうなるとは限らないからである。 安易な事をいえないのもこの商売であった。


「僕は坂本龍馬を生涯の師と思っています。 その坂本龍馬の意識を取り込んで欲しいのです」 


「はい、それは可能ですがひとつ聞かせて下さい。 あなたの尊敬する坂本龍馬は机上の彼なのか? それともあなたが足を使った上での実像に近い彼なのか? お聞かせ下さいませんか?」 


「はい、映画や小説などで情報を得ましたがなにか?」 


「そうですか。ひと言いいですか? 小説の龍馬はあくまでも作者の意識化での想像です。 特に過去の偉人は創作の法が多いようです。 もし実際と大きくかけ離れていたらあなたはどうなさいますか? 私が繋がる人物は作りものではなく、現実の坂本龍馬です。 小説のように格好いい龍馬とは限りませんがそれでも宜しいですか? 脅しではありません。 忠告と思って下さい。 

彼と重なるということは全てを受け入れるという事です。 


万一、期待と違った場合は少し厄介です。 なにせ深層意識の世界ですから。もういちど龍馬の事をよく調べた上でも遅くないと思います。 過去にヘミング・ウェイトンにあこがれたお客様がおられ彼を取り込んだんです。 私もその頃はまだ正直解っていなかったんです。 


作品は確かにヘミング・ウェイトン風に書けました。 でも世間が英雄視する人間ヘミングウェイと実際は大きく違ったんです。 夜は電気を付けないとひとりで眠れないという臆病で気の小さな人物だったんです。


彼の小説は自分には無いあこがれをデフォルメした姿として書いていたんですね。 表向きと実際は大きく違ったのです。 その依頼者を元に戻すのに大変な思いをしました。 これはひとつの例ですが実際、著名人の方は私もよく解りません。 急ぐ事はありませんのでよく考えて下さい」 


実像と虚像の違いは珍しいことではなかった。 特に書物になるような著名人や歴史上の偉人。 テレビや映画に出ている役者さんなどは、はあくまでも劇中の演者や、役者自身の思い描く虚像も多い。  


それを知るミホコは極力お客様自身のパラレルワールドを勧めるようにしていた。 パラレルの自分は必ずどこかでこちらの自分と共通する部分がある事を知っていたからだった。



十一「天才ヤスマサ」


彼はヤスマサ三十歳。 一般的な同年代と違った感性の持ち主。 ヤスマサは中学・高校・東京国立大学とその全てをトップの成績で卒業していた。

しかし 彼には大きな問題があった。 他人と交わる事が大の苦手だったのだ。唯一、気を許せた相手は母親とヨークシャーテリアのミルキー十二歳。 


彼が大学生の頃、母親にねだって犬の言葉が理解出来るというバウリンガルなる装置を買ってもらい、それを自分流にアレンジして犬と会話が出来る装置に作り変えた。 ミルキーも人間的な意識を持った天才犬であり、事実上ヤスマサの育ての親役でもあった。


ヤスマサの職業は物理学者と発明家の二足のワラジを履いた何処の組織からも束縛されない自由人。 彼は時折、蟻の巣を観察するのが好きだった。 


ある時ミルキーに「ねえ、ミルキー聞いて。 蟻ってひとつの宇宙を形成してるんだよ。 人間はひとつのコロニーの形成っていってるけど何か違うんだよね。 あれはあれで宇宙なんだ。 完璧なんだよ。 蟻が歩く基本は六角形なんだ。 それを意識して歩くからどんなに遠く巣から離れても帰れるんだよ。たまに間違って他の巣に入ると、すぐ仲良くなってそっちの巣で世話になるんだよ。 面白いね」 


ミルキーは「私は蟻嫌いなの。 あの匂いは鼻が痛くなるのよ。 ちゃんと手を洗ってから家に入ってきなさいね」 


いつもこんな調子で二人はコンタクトに不便しなかった。


「ヤスマサ、少しは世の為になる発明や発見でもしたら?」 


ミルキーに尻を叩かれるこの光景は日常茶飯事。 


「もう考えたよ。 後は実験だけなんだ……」 


「それ、どんなものなの?」 


「原子振動装置だよ」


「何に、それ?」 


「細胞を振動させたら発熱してしまう装置を電子レンジっていうでしょ。 

僕の発明は原子だけを振動させるんだ。 結果、その物体は次元を越えて半透明になってしまうんだ。 家の壁は荒い構造体だから壁も通り抜けちゃうんだよ、どう? それを繰り返すと身体の癌だって治っちゃうはずなんだ」


「その発明はダメね」 


「なんで?」 


「そんなのが世の中に広まったら死ぬ人がいなくなっちゃうでしょ。 地球に人が溢れちゃうわ」


「そっか、 そこまで考えなかったよ。 さすがミルキーだね」 


「そんな発明しなくていいから私の好きな美味しいジャーキーを空気と水で作る装置でも考えてよ!」


「ハイ」


こんな調子で、日の目を見ない大発明が過去に幾つも存在した。



ヤスマサとミルキーが公園を散歩していた時だった。 公園の上空に葉巻型のUFOが浮かんでいた


「ヤスマサ、上を見て。 あの白いのは何……?」 


「あれはねえ、UFOと言って宇宙人の乗り物だけど」 


「静かだねぇ。 どうやって飛んでるの?」 


「地球の乗り物でないから解らないよ……」 


「あれ便利そうね。 ヤスマサは作れないの?」 


「原理さえ解れば作れると思うけど…… 作ってみようかな」 


「賛成!これからはそういう発明しなさい……」


「はい!」


ヤスマサは何日も研究室に入り浸りだった。 ミルキーも半ば心配になり始めた頃。


「わかった!」部屋の中から声がした。


憔悴しきったヤスマサが研究室から出て来た「ミルキー僕やったよ。 僕やったんだ」そう言いながら倒れ込んでしまった。 極度の過労である。 


目が覚めたヤスマサはミルキーに「これ見て」と言いながらテニスボール大の物体を取り出し、放り投げたと思った瞬間、空中でホバーリングしてるかの様に静かに浮かんでいた。 


ミルキーが「オメデトウ! これ乗れるの?」 


「うん、乗れる大きさにしたら可能だよ。 でもこの大きさだと無理だね。 

人間が乗れる大きさにするにはもっと予算が必要だから個人では無理」


ヤスマサの携帯が鳴った「はい! あっ父さん?」 

ヤスマサはすぐに携帯を切り宙を仰いだ。 


異変に気づいたミルキーは「ヤスマサどうしたの? なにかあった……?」 


ミルキーは心配そうに尋ねた。


「母さんが急に倒れて病院に運ばれたんだ。 意識不明みたい。 ミルキー

僕どうしよう? ねえ!」 


ヤスマサはうろたえていた「しっかりしなさい。 すぐ病院に行きなさい」 


「うん、わかった……」

 

父とヤスマサが医師から、母の病状は脳梗塞と診断され、五日間は脳が腫れる可能性が考えられるから危篤状態と告げられた。 死んだ脳は再生しない為、後遺症があるかどうかハッキリしないという診断。


それから数日が過ぎ母の意識は戻ったが、ヤスマサの知る母とはなにかが違う気がした。


ヤスマサはミルキーに説明をした。


ミルキーは「前に作った原子振動装置を工夫して何とかならないか」


ヤスマサの目が光った。 そして その装置を持って部屋に籠ってしい、

部屋から出て来たのは五日後の朝。


ミルキーが心配そうに尋ねた「ヤスマサどうだったの?」 


「ミルキー、出来たと思うけど何かに試さないと解らない」


「どうやって試したらいいの?」 ミルキーは聞いた。 


「まず悪いヶ所周辺にこっちの青い光を当てて細胞ごと分解するんだ。 そして今度はこの赤い光をもう一度照射するんだ。 他の健康な細胞と同調し、

死んだ細胞の再生が完了する仕組みなんだけどね……」 


ミルキーは意を決しヤスマサに言った「私は十二歳なの。 最近、足腰が弱ってるのね。 私で試せないのかい?」 


「絶対イヤだよ! ミルキーに何かあったら僕生きていけないから」


「ヤスマサ、いいかい。 しょせん犬と人間は寿命が違うの。 私はもう十二歳のお婆ちゃんなの。 あんたより必ず先に死ぬんだからね、ヤスマサの役に立てるのなら私、命は惜しまないよ。 人間とは構造が違うけど同じ動物だもの。私で試しなさい! 解った?」涙をためながら強い口調で言った。 


光の照射が始まり三十分経ち、ミルキーはヨロヨロしながら起き上がった。


 「ねえミルキーどう? 痛いところ無い? ちょっと歩いてみて?」 


ミルキーはゆっくりと歩きヤスマサを見上げて「全然痛くないし前より快調だわ…… これならいけると思う。 やったね! ヤスマサ!」 


「後遺症だとかはこの先解らないけど、基本には自分の細胞での再生だから大丈夫だと思うよ」


それから一月後。普段と変わらない母の姿があった。 その経緯を知るのはヤスマサとミルキーだけだった。 母親の一件があり、ヤスマサは人間の身体にも興味を持ち始めた。 ある時、いつもの閉じこもりから出て来たヤスマサは頭に妙なヘッドホン装置を装着していた。

 

ミルキーが「今度はまに?」 


「これはね、脳細胞の活性化を図り超能力を身につける装置なんだ。 僕が試したら意識が地球を飛び越えたんだよ。 それから僕の生まれる前の人生や今度生まれる場所まで見えちゃったよ」 


ミルキーはじっと聞いていた。 


「人間の脳って殆どの部分が寝ているからそこを刺激して活性化してあげると今言った事が起きるんだ。 お坊さんは長年修行して悟りを得るけど、この装置を付けるとたった数分で悟った気分になれるよ。 装置を外したら前と同じだから疑似悟りだけど危険性はないと思うよ。 疑似であってもそう云う世界を薬や葉っぱに頼らないで垣間見れるのはいいと思うけど、どう?」


「ミルキー、これ見て!」


ヤスマサは満面の笑みを浮かべていた「また何か作ったの?」 


「うん、やったよ。 無重力装置だよ」


「無重力? つまりどういう事?」


「前から宇宙線の力に着目してたんだ。 宇宙線は宇宙から地球に降り注いでいるんだしかも無尽蔵に。 それをエネルギーに変換出来たらいいなと思ったから、その変換装置を作っていたんだ。 でも殆ど失敗続きで半分諦めてた。


そしてちょうど先週の今日、寝不足も重なって疲れたから休憩しようとクエン酸ジュースを作るのにクリスタルコップを洗おうと、手に取ろうとしたら間違って足下にあったチタンの粉に落としたんだ。 そしたらコップに入っていた何かの物質が反応してか、そのコップが変な動きをしたんだ。 おやっ? と思い。 そこから又、研究が始まって今日これが完成したんだ」 


ヤスマサが机の上にあった鉄球を乳白色の容器に入れ、ミルキーの方めがけて放り投げた。 その物体は放物線を描き、軽いモーター音を出しミルキーの手前まで来て静止した。 それは宙に浮いた状態で止まっていた。 


「ミルキー、これが無重力装置だよ。 計算ではこの大きさでエジプトのピラミッドを一週間もあれば作れるんだ。 但し、設計と石切りは別だけどね」


ヤスマサの能力に拍車が掛かった。 さすがのミルキーもつき合いきれず、空返事が多くなってきた。


「ミルキー、聞いて。 僕、昨日ねえ、熱の対流力学を研究したんだよ。 今度の夏前に天然の冷房装置を作ってあげるね。 地熱の温度は特殊地帯とかは別にして季節に関係なく十五度なんだよ。 それを利用すれば夏は冷房に、冬は暖房の補助に使えるんだよ。 道路の雪だって工夫次第で溶かせるよ。 


あと部屋の芳香剤だって格安で作れちゃうよ。 使うのは高分子吸収体と香水だけ。 ミルキーのトイレシートを使うんだよ。 あとは遮熱断熱塗料とか湿度取り剤とかシリコンのコーティング剤なんて格安で簡単に作れちゃうよ。 


理屈が解れば結構、化学も面白いよ。 今、僕が考えてるのは宇宙線を利用した発電装置。 それを一家に一台設置すれば電力会社から電気を買う必要無いんだ。 究極の自家発電装置なんだよ。 いいと思わない? ねえ、ミルキー聞いてるの?」最近の二人はこんな調子だった。


母親から電話で「ヤスマサ、お父さんが夕べ飲み過ぎたみたいで、二日酔いがひどいのよね。 速攻で効く方法ある?」 


「水だよ」 


「昨日寝る前に味噌汁を沢山飲んでたのよ。 今朝もだけど……」 


「それは逆効果だよ! 血液の水分より濃いものは反対に血液の水分を奪うんだ。 浸透圧の原理さ。 だから酒を飲み過ぎた朝は喉が渇くんだ。 味噌汁は液体だけど濃い水だから逆効果、塩分補給にはいいけど。 水や体液に近いスポーツドリンクを沢山飲ませて尿を沢山出させてよ、それしかない。 

くれぐれも濃い飲み物は控えてね。 利尿作用を高める物がいいけど、例えば水や番茶のようなもの」


そばで聞いていたミルキーは「そんな事まで知ってるの?」


「これも化学だよ。 例えば寒暖の差もそうだよ。 流体力学なんだけど、

液体や空気なんかは暖かい方から冷たい方へ移動。 液体は濃い方から薄い方へ移動して調和を保とうとするんだ。 暖気は上で冷気が下で中間が飽和状態なんだ。 そしてその寒暖の差でエネルギーが生じ自然界では風という現象。我々は化学や物理学を知らなくても上手に使いこなして生活してるんだね。 


みんな「自分が、自分が」って主張するけど、他人の事も考えてやると調和が取れていいのにね。 調和の取れた状態って平和だと思うけど」


自然が彼に調和を教えていた。






十二「老人の涙」


 札幌の街が一望できる藻岩山にあるホスピス。 医者の手を離れた患者が余生を穏やかに過ごす為だけに存在する施設。 今ひとりの中年男性が少ない余生を過ごすために選んだ施設。


早朝、介護士の相木が部屋を訪れた。


「西村さん、おはようございます。体調はどうですか? トイレは行かれました? 体温を測りますね」


かるい黄疸症状のある西村の顔が微笑んだ「おはよう相木ちゃん。 うん今日はなんだか調子がいいよ、久々にいい夢視たから」


「そうですかそれは良かったですね、で・どんな夢でした? 聞かせていただいてもいいですか?」


西村は窓から見える下の街並みを眺め呟くように「うん、俺って若い頃はやんちゃばっかりの半端者だったんだ」


「へ~、そうなんだ。 西村さんヤンキーだったんですか?」


「大きな悪事する勇気もねえただの中途半端な大バカ者さあ……アハハ」


体温計を差し出し「で? どんな夢でした?」


「母親がデパートでラーメンをご馳走してくれる夢なんだ」


「え? ラ・ラーメンですか?」


「そう、たかがラーメン。 なんの飾り気もないどこにでも普通にある醤油味のラーメン。 でも、俺にとってはこの世での安らぎの味なんだ。 デパートの大衆食堂のただの普通のラーメンが……


母親は無言なんだけど『いつもすまないねぇ…… あんな父さんと一緒になったばっかりに、母さんが悪いんだ、ごめんな……』子供ながらに俺にはそう聞こえるんだ」


「安らぎの味ですか?」


「そう、俺の父親はろくすぽ働かねえ、昼間っから家で酒飲んで酔っぱらっているような、グータラ男の基本のようなおやじでよ。 母親ばかり働らかせ、思うようにいかないとすぐに機嫌が悪くなるバカ親父よ。


それだけじゃねえ、俺は父親から虐待されてたんだ。 身体中いつもアザだらけよ。 顔は殴らねえから友達や先生達は知らねんだ。 あの酔っぱらい親父なりに殴り方をちゃんと考えてるよ。 殴られた時は決まって母親の働くデパートの大衆食堂に逃げ込んだよ。 そんな俺の顔を見て察した母親は黙って、ラーメンを俺の前に置いてくれたんだ。 逃げ込んだ時はいつも、いつも。


中学校に入ってから俺も素行が悪くなりはじめ、一応高校に進学したが中途退学して家を飛び出し、札幌で大工の見習いをしながら暴走族に入ったんだ。 何度も警察の世話になったよ。 その頃知り合った彼女と結婚してすぐに父親になった。


俺は、てめえの父親みたいには絶対ならねえと、心に決めてたんだけどな子供が小学校に入った頃、勤めていた工務店を喧嘩して辞めたんだ。 どういうわけかそれから家で酒を飲んで暴れるようになっちまった。 気がついたら一番嫌いなあの親父と同じことを、俺の息子にしてたんだ。 この世で一番嫌いで軽蔑するあのオヤジと…… この俺が一緒だったんだ」


西村の目から涙が頬を伝わって落ちた。


「そうですか……」


「俺も、最期は遺体の引き取り手がない、ただのオヤジで終わりそうだ」


「そんな寂しいこと言わないでください」


「悪いね、朝から嫌な話し聞かせてしまって、すまない」


「いえ、わたしが思い出させたみたいで、かえってすみません」


「それはそうと、この施設に来てひとつ気がついたことがあるんだけど聞いていいかい?」


「なんでしょう? わたしで分かることでしたら」


「ここに来て二月経つけど、何十名もの患者さんがここに入所するよね。そういう人がさっ最初は険しい顔してたり、また魂が抜けたような人だったりっていう印象なんだけど、それがひと月も経たないうちにみんな穏やかな、良い顔っていうか優しそうな仏さんのような顔にも見えるんだけど……俺の気のせいかな? 相木ちゃんどう思う?」


「よく見てますね、そうなんです。 そのとおりなんです。 わたしも途中で気がついて先輩に同じこと聞いたことありました。 この現象はここだけのことではなく、このような施設や死刑宣告された服役中の方にみられる現象みたいです」


「死が近くにある人ってことかい?」


「その先輩いわく、死の宣告された方は三つの大きな壁に直面するようです。


一の壁、

余命を宣告された人は、とにかく絶望とい谷に落ちるようです。 人間のいちばんの問題は死。 その死を突きつけられると、今まで培った全てが音を立てて崩れ落ちるようです。 ひとことで言うと『絶望』の意識状態。


二の壁、

一の壁を乗り越えた頃から、助かろうとする意識に変わるみたいです。 良いといわれる薬・医者・病院などとにかく模索して実行する。 でも、それもかなわぬと知る時が来ます。 死以外の道はないと悟ります。


三の壁、

二の壁を越えた辺りから自分には死しかないと悟り穏やかな気持ちで受け入れます。 死の超越です。 そうなると恐れや迷いといった心が動揺することがなくなります。 逆にお見舞いに来た人を慰めるくらいの心のゆとりまでみせて見舞客の涙をそそります。


このような死までの心理状態の壁を『三つの大きな壁』と表現してるようです」


西村は「やはりそうかい……」呟いた。


それから数日後西村が「相木ちゃん頼みがあるんだが」


「はい、なんでしょう?」


「おれさ、はやく元気になってさ、ラーメン食いてぇ…… ただの素朴なラーメンを……」


「分かりました。この相木がご馳走させていただきます。 チャーシューと玉子はどうしますか?」


西村は「チャーシューはいらねえ、シナチクと海苔一枚あればそれでいいや…… 約束だよ」


「任せてください」相木は力一杯の笑みを浮かべた。


そして最期の時が来た。


「母さん、このラーメンとっても美味しいよ、ありがとう! 僕、父さんのことなんとも思ってないからね、気にしないでね……」


それが西村最後の言葉に…… 


終わり

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