第2/フローズン
放課後。
ギリーこと平利は何やら用事があるとかで、早々に姿を消してしまっていた。
オレはと言うと、亜衣子のことが気になったので、様子を見に行こうとした、その時ーー。
「ーー空堂くん。ちょっと、いいかしら」
その透き通るような声に、呼び止められた。
声の主は、隣のクラス、2年A組の氷室 幸花だ。クールな雰囲気と黒い綺麗なロングヘアーがよく似合うこの美人は、その見た目通り成績優秀、能力ランクもAランクという、才色兼備な優等生だ。当然の帰結として男子からの人気も高いのだが、クールで近づきがたいオーラがあるのか、実際に声を掛けるヤツは数少ない。
かくいうオレも、そんな高嶺の花とお近づきになった覚えはないのだが……。
「……やぁ、氷室さん。オレなんかに、どういった用向きかな?」
ちょっとおどけて探りを入れてみる。
彼女は風紀委員会の一員でもあるがーーオレ何かやらかしたか? ……いや、少なくともオレ自身は身に覚えがない。だとすると、はてなんだろう? などと考えていると、あろうことかその美少女はオレの手を取って歩き出した。
「ちょっと、来てください」
「え、や、いいけど、どこに?」
「…………」
氷室さんは答えない。
その雰囲気や態度に反して、彼女の手はとても温かく感じられる。
そんな事を思っていると、オレの手を取ったまま歩き続ける彼女は、こちらに一瞥もくれずにボソリと呟いた。
「……知ってくれていたのね。わたしの名前」
「へ? ああいや、そりゃ知ってるでしょうよ。隣のクラスなんだし、氷室さん有名人だし?」
そう言うと、氷室さんは一瞬だけ立ち止まり、肩越しにこちらを振り返ると、そう、とだけ言ってまた歩き始めた。
その顔が少し赤みをさして見えたのは、オレの錯覚だろうかーーーー?
「着きました」
程なくして彼女が歩みを止めたのは、能力ランク測定のテストにも使われるトレーニングルームだった。体育館に併設されているその大きな建物は、ハイランカーが能力を全力で行使しても大丈夫な仕組みになっており、さまざまなトレーニング設備や能力者同士の模擬戦闘が可能な闘技場などを備えている。
どうやってその頑丈さを維持しているのかは謎だが、その詳細は学園の機密事項として秘匿されており、オレのような一般生徒が窺い知ることは不可能だ。ーーもっとも、やぶ蛇をつつきそうな予感しかしないので探ろうとも思えないが。
「……ええと。着きました、って。こんなところにオレなんか連れてきて、一体どうしようというのかな?」
「付き合ってください」
「えーーーーと、トレーニングに?」
「いえ、模擬戦闘に。気になることがあるので」
彼女の言い方に一瞬ドキッとした、がーーーー模擬戦闘だって? 氷室さんが? オレと?
「いや、ちょっと待ってくれ氷室さん。自分で言うのもなんだが、オレってばごくフツーのCランクよ? 君の相手になるとは思えないって」
別の意味でドキッとする。彼女が気になっていることとは一体何なのか。そっちの方面では身に覚えがあったりするので、オレとしてはちょっと嫌な予感がしてしまう。
ーー嫌だなぁ、亜衣子じゃないが、こう言う時の予感って当たるんだ。
「相手になるかならないかは、やれば分かります。生徒会の許可は取ってあるので、ぜひ」
「…………マジ?」
「はい」
生徒会公認ときたか。どうにも今日は嫌な予感が冴え渡っている。
安全上の対策はしてあるとはいえ、模擬戦闘だって戦闘には変わりない。なので、闘技場に入る際は利用者全員の氏名と学生IDを入力し、安全装置と映像記録を起動させる必要がある。その映像は利用者の合意により公開・非公開が選択できるようになっており、非公開設定にされたものは一般生徒が見ることはできない。
ーーが、例外がひとつ存在する。それが生徒会だ。生徒会には学内の能力者のデータを収集し管理する役割と権限が与えられており、特権的に非公開記録を閲覧することができる。
とはいえ、生徒が日々自由に利用する施設のことだ。普段ならわざわざ非公開の映像をチェックしたりはしないはずだが……模擬戦闘自体が生徒会の公認なら話は違ってくるだろう。
「どうしましたか?」
「あ、いや。無様を晒して負けるところを生徒会にチェックされるのは、チト嫌かなぁって」
「そうですか。でも、もう決まってしまっているので」
覚悟を決めてください。と、問答無用である。
……仕方ない。ここで逃げ出してもかえって変だし。いつものように、上手いこと手を抜いて適当に負けるとしよう。無駄なリスクは取りたくない派なんだが、事ここに至っては仕方ない。
「……わかったよ。それじゃあちゃっちゃとやりますか。生徒会は見るんだろうけど、一応設定は非公開ってことで」
「ええ、いいわ。わたしだって衆目に晒されるのは好みませんし」
お互いの氏名と学生ID、それにパスコードを入力して闘技場に入る。
模擬戦闘では、両手足と頭にそれぞれバンドを装着するのが決まりだ。バンドにはセンサーが搭載されていて、そこからは極太のワイヤーが何本も伸びている。どちらか一方が付けているセンサーが一定量のダメージを検知すると、両者ともにワイヤーが巻き取られ、戦闘が強制終了される。このバンドやワイヤーには戦闘でのダメージをある程度肩代わりする効果もあるらしく、模擬戦による怪我等のリスクを最小限に抑えている。
「さぁ、準備はいいですか? 遠慮なく、全力で来てください」
「ああ、まぁ、お手柔らかに頼むよ」
全力だなんて、間違っても出すもんかい。そう思いつつ、とりあえずオレの能力である『波動』を発動する。探りの一撃として空気振動による衝撃波を、軽く一発。すると。
「ーー舞いなさい。『氷雪華』、起動」
氷室さんの周囲に、氷の華が咲く。ふわりと舞うその美しい結晶と、纏った冷気に長い黒髪を揺らめかせる彼女に、つい見とれて。
「うっ、お!?」
衝撃波をかき消した氷の華が、回転しながらオレに向かって来ていたことに気付くのが遅れた。
「あの、空堂くん。真面目にやってください」
「ははは、面目無い……」
我ながら流石に今のは間が抜けていた。うまく誤魔化すため、と言う意味でも、集中してやるべきだろう。
ーー氷室さんの能力は冷気と華を象った氷の結晶を纏い操る『氷雪華』。ランクはAで、いわゆるハイランカーというやつだ。
結晶を壁にする、結晶を飛び道具にするなど、攻守共に長けている。オレの『波動(ウェイブ』が通用するかというと。
「遠距離からだと出力負けしてどうにもならんねこりゃあ。白兵戦のがいくらかマシそうだがーー」
「させると思って?」
「ーーですよねぇっ!」
前に出ようとした途端、氷の弾丸が次々と飛来して前進を止められる。仕方なく衝撃波を連発して応戦するが、氷華の盾に全て阻まれてしまう。
こちらの攻撃は全て防がれてしまうが、向こうから決定的な攻撃を仕掛けてくることもない。間違いなく、彼女は何かを探っている。何かーー即ちそれは、オレの本来の力量か。
「Aランクともあろうお方が、随分と守りに徹してるじゃないの。そっちこそ真面目にやったらどうだい?」
「そんなに負けたいの?」
「や、んなこともないけどさ」
軽く煽ったつもりだったが、氷室さんは眉一つ動かさない。依然として積極的な攻めはせず、ただ的確にこちらの攻撃手段を潰すのみだ。このままだと長くなりそうだがーーあちらさんの気が済むまで付き合うしかないのかねぇ。
と、そう思った時だった。
ヴン、という音と共に照明が落ちる。安全装置起動中は不備による事故が無いように徹底的に管理されているはずだ。もちろん、急な停電で照明が落ちる、なんてことも起こらないよう配慮されている。
「おいおい、何事だいこりゃ」
「ーーぅ、ぁ……くぅっ」
「氷室さん?」
暗闇の向こうからうめき声が聞こえてきた。声は女性のもので、間違いなく氷室さんのものだ。
「氷室さん、大丈ーー」
「は、ぁーーきゃああああああああっ!!」
「っ、氷室さんっ!!」
物静かな彼女に似つかわしくない、大きな悲鳴。慌てて駆け寄る。『氷雪華』の能力は解除されており、彼女のワイヤーだけ巻き取られている。ワイヤーの巻き取りは戦闘を終わらせるために両者同時に行われるものだ。こんなことはあり得ない。それにーー。
「こいつは、まさかーー!」
バチバチと、ワイヤーから火花が散る。ワイヤーとバンドに軽く触れてみると、予想以上の反発で体ごと弾き飛ばされそうになった。氷室さんは倒れたまま、身体をビクビクと痙攣させている。気絶しているのか、意識はない。Aランクの氷室さんが簡単にダウンするほどのダメージ。ワイヤーの状態と本来の特性を考えるに、おそらく原因はひとつ。
「あーもう。くそ、こんなんやるしかないじゃんよ……!」
『波動』を再起動し、空気の振動、その発生に掛かるエネルギーを最大限に圧縮する。そのエネルギーを『波動』による空気振動に思いっきり叩き込み、仮想真空状態を作り出す。
「ーーーー『破空波動』ッ!!」
突如として発生した仮想真空により周囲との絶大なる気圧差が生まれ、その差を埋めんと動く気流は膨大な圧力を生じさせる。その圧力を受けた結果、強靭に作られた極太のワイヤーは全て断ち切られ、氷室さんの身体はその戒めから解放される。
「ぅ、ぁ……」
切断されたワイヤーから漏れ出たエネルギーに弾き出された氷室さんの身体を受け止める。
……このワイヤーの本来の役割は、模擬戦闘で生じたダメージをエネルギーとして吸収し、装備者が受けるダメージを肩代わりするというものだ。では、もしそのエネルギーが逆流したとしたらどうなる?
オレとの戦闘では氷室さんはノーダメージだった。ワイヤーは原則、模擬戦闘が終了するごとに交換されていると言う。しかし、もしも交換がされておらず、前回の戦闘で発生したダメージがそのまま全て蓄積されていたとしたら?
模擬戦闘は学園に管理されている。その管理には生徒会が携わっている。
「そんでもって、この模擬戦闘には生徒会から正式に許可が出ている、と。やれやれ……」
今の生徒会長はここの学園長のご令嬢だったか。これはまた、とんでもなく面倒なことになりそうだ。
氷室さんの身体を抱えたまま、闘技場を出る。保健室までの道中、周囲の視線を感じた。遠巻きにヒソヒソ話してる気配も感じる。でもだからといって、あそこに放っておくわけにもいかない。
教師に模擬戦闘中の事故だと伝えるとしばらく事情を聞かれたが、やがて教師のもとに連絡が届き解放された。どうやらこの件は生徒会の預かりとなったらしい。
「本当、うんざりするくらいやな予感しかしないねぇ」
当然、これで終わり、というわけにはいかないのだろう。まだまだややこしい事になりそうな気がする。
その日は氷室さんの様子を覗きに行って、家に帰るまで特に生徒会の干渉があることもなく何も起きなかったが、オレには珍しく翌日の登校が憂鬱になるのだった。