第3話 アニマルサーカス
フローラルウィンドタウンの、レンガの街並みは続いていく。道幅はそれほど広くはないけれど、両脇に沢山の露店が立ち並んでいて、活気があって賑やかだ。だけど……ちっとも、楽しい気分になれない。
名前。わたしの、名前。一番大切な、こんなうさぎのお化けじゃなかったっていう証拠。
それがどうして。どうして思い出せないの……? 忘れちゃった?
いや、そんなはずがない。忘れられる訳がない。なのに、他の色んなことはちゃんと覚えているのに、自分の名前だけが歩いても歩いても思い出せない。
そんな、名前が無いと、本当に人間だったわたしが、無くなっちゃうのに。
「? うさぎさん、どうしたの?」
よっぽど暗い顔をしてたのか、前を歩いていたフィーが不思議そうに振り返る。
「ひ、な、何でもないです!」
だめだ、このことをフィーに知られちゃったら……! どうにか誤魔化そうとする。
「それなら良いんだけど――あっ!」
ふとフィーが、再び前を見て。それから明るい声を上げる。とても嬉しそうに。
「有った! あれだよ!」
フィーが指差した道の先には、街中に広がる大きな芝生の公園が有って。その向こうには。
あれは……テント?
外側に輝く星空の模様が描かれた、内側から膨らんだドームの様な物がそびえている。一か所に大きな扉が設けられていて、その上には『いりぐち』という看板が。
「着いた着いた! やったー!」
公園に足を踏み入れたフィーは、ぴょんぴょんと飛び跳ねてはしゃいでいる。きらきらと輝く青い瞳。
「今日は、ここで、マジックを……?」
星の模様や、縞模様が派手に描かれてるこのテントは明らかに、何かを披露するための舞台だ、決まってる。
テントでショーをするのなんて初めてだ。どこでも、内容は同じなんだろうけど……。
「ううん。そうじゃないよ!」
だけど。意外なことに、フィーはふるふると首を横に振って。
「見て見て!」
それから、テントの壁に貼られている大きなポスターを指差した。
「サーカス、ですか?」
『とっても楽しいアニマルサーカス、開催中!』。
そのポスターには、虎やライオンや馬――沢山の動物のシルエットと一緒に、華々しい文字が躍っていて。
「その通り! 今日はフィーとうさぎさんのショーじゃなくてね、このアニマルサーカスを見に来たんだよ!」
ぎゅっ。
そう言うなりフィーは、またわたしの手を引っ張って歩き出した。
「このサーカスはとっても凄いんだ。前に一度だけ見たことが有ったんだけどね、それからずーっとまた見てみたかったんだ!」
「な、なるほど。それで、どこに行くんですか……?」
てっきり、チケットを買いに行くと思ってたのに、どうやら違うみたい。フィーはさっき見えたテントの入り口じゃなくて、どんどんと裏側の方へと歩いていく。
「えへへ。星だよ!」
星。……ちっとも意味が分からないけど、訊き返せない。
とっても大きなテントの周りを、もうしばらくだけ歩いていると。
これは……。フィーの言葉通り、テントの側面にわたしの背よりももっと大きな星印が描かれているのを見つけて。その星の前でフィーがピタリと立ち止まる。
「有った、これだよ!」
フィーがこっちを振り向いてにっこりと笑って。それから、その星の中心に手の平を置いた。
「……」
そのまま無言で10秒以上が経った。
でも、何も起こらないけど……? と、疑り始めたところで。
「あははっ!」
「きゃっ!」
眩しい! 一瞬体が、ふわっとした明かりに包まれる! とっさに目を閉じた。
「もう大丈夫だよ、うさぎさん!」
そんなフィーの声。もう、眩しくないのかな? 怯えながらそっと目を開けると。
あ、あれ? 反対に今度は周りが暗くなっていて。周りには、おもちゃ箱の様な物が沢山、わたしの身長よりも高く積み上がっていた。
「どっちに進めば良いのかな?」
と言いながらフィーは、ステッキの先端を魔法で輝かせて、箱の間の通路を歩いていく。
付いて行くしか、無いみたい。恐る恐る、フィーの後ろを歩いていく。
ここはきっと、テントの中のはず。だけど、勝手に入っちゃって、良いのかな……。
「ロコちゃんはフィーの友達でね、団長さんと二人で、このサーカスをやっているんだよ!」
振り返ったフィーの、いつもよりももっともっと明るい声。
友達。
「普段はロコちゃんもフィーも色んな所を回っていて、中々会えないんだけどね」
サーカスの団員の、ロコ、ちゃん。
この話だけだと当然、どんな子かは分からない。どのみち、フィーの友達ってだけで、わたしは会いたくないけど……。
なるほど、だから今日のフィーは、いつもに増して元気なのかも。
「偶然、この公園にサーカスが来てくれるって話を聞いて、やって来たんだ! でも……」
フィーが、きょろきょろと辺りを見回して、口元に右手の人差し指を当ててきょとんと首を傾げる。
……かわいい。認めるのは嫌だけど、やっぱり、フィーはかわいい、とても、すごくかわいい……。
きっと、何にも知らない以前の自分が、こんなフィーの仕草を見たら、もっと純粋にそう思っていたんだろうな……。
「――どこにいるんだろ?」
フィーの言葉の通り、辺りから人の気配はしない。開演前の時間なら、誰かが準備をしていても不思議じゃないのに。
「――」
ぴくり、とうさみみがわずかに反応する。
聞こえてくる、どこからかがさごそと、物音が。
「あっ!」
フィーが嬉しそうな声を上げる。確かに、少し歩いた先、二メートルは有りそうな大きなおもちゃ箱の陰から、黒いシルエットが覗いていて。
「ロコちゃんかな!?」
フィーが素早く走り始めて、慌てて後を追う。そして積まれた箱の角を曲がって、
「ロコちゃん、久しぶり――」
陰に隠れていた背中に声を掛けようとして。
「「きゃああっ!!」」
大声を出して、フィーとわたしは思いっ切りしりもちをついた。
?!
「ラ……ライオン、さん?」
ら、らいおん、ライオン? ぶわっと逆立つ全身の毛。
そして、箱の影から現れたシルエットは、くるりとこっちを振り返ったのは――ら、ライオン! 大きな大きな、白いライオン!
立派なたてがみ、きりっとした顔。ライオンは不思議そうにこっちを見つめていて。
や、やだ、いやだ、食べられちゃう? こんな、うさぎの姿のままで??
足がすくんで、ガタガタと震えて、立てないよ……!
「や、やだ、やだ!」
だ、誰か、誰か!!!
両耳を押さえて、ぎゅっと目をつむった。
「あっ、ご、ごめんなさい!」
すると。テントの暗闇から、声が響いてきて。それからぱたぱたと、慌てた足音がこっちに近づいてきて、恐る恐る目を開けて確認する。
「ガル」
すると、元々わたしたちに襲い掛かる気なんかちっとも無かったのか、白いライオンもゆっくりと、その人のそばに寄った。
「ごめんねレオル君。お散歩の時間はもうおしまいで……始まるまでは、自分の場所に戻っててね」
その人に優しく頭を撫でられると、レオルと呼ばれた白いライオンは一回頷いて、それから素直にテントの奥へと戻っていった。
「ご、ごめんなさい、お客様! お騒がせしてしまって――」
と、振り返ったその女の子が、言い切る前に。
「ロコちゃん! ロコちゃん! やっと会えた!」
フィーがぎゅっと、その子のことを抱きしめて。
「あれっ、フィーちゃん……フィーちゃん! 久しぶり……!」
その女の子――ロコちゃんも、ぱああっと明るい顔をしたのだった。