第21話 プレゼント
「うさぎさん、まだ眠くないの?」
わたしのすぐそばに立っていたフィーは、色んなおもちゃが描かれたピンク色のパジャマを着て、白いナイトキャップを被っていて。
ピンク色の長いふわっとした髪の毛からほのかに湯気が出ているからきっと、シャワーを浴びてきた後なんだろう。
「は、はい。ちょっと、涼みたくなりまして……」
慌てないで、今は複雑なことを考えないで、ただ、返事に集中しよう……。
「そっかあ……」
するとフィーも、わたしの右隣、芝生に腰を下ろした。その呑気な横顔は、普段と変わらない。
かわいくて、かわいくて、そして、何を考えてるか分からない、どこまでも純粋な表情。何にも知らずに出会ってたらきっと……本物の天使だと思っていたかもしれないぐらい……。
「とっても面白かったね、ロコちゃんとエゼル団長と、動物たちのサーカス!」
夜になってもフィーの声は、変わらず元気だ。
「フィー、とってもわくわくしちゃったよ! ロコちゃん、昔よりももっともっと魔法が上手になってるんだもん! あんなにかわいいカーバンクルに変身させられるなんて、すごいね……!」
……さっき、ロコちゃんも同じ様に、フィーのことを褒めていた。
こんな風に、少しも裏表を感じさせない、心からの口調で。
「そう、ですね。見ている間、ずっと、ハラハラしちゃいました」
と、答えながら気が付いた。あれ、よく見ると、フィーが後ろ手に何かを持っている……?
「あっ……気付いちゃった?」
そんな視線を察したのか、フィーが恥ずかしそうに笑った。
「実はね、うさぎさんにプレゼントがあるんだ!」
プレゼント? そんな言葉に戸惑っていると、フィーはすぐにそれを手渡した。
「はい! これ!」
反射的に受け取ったのは、ラッピングされた四角い白い箱だった。
中身は……チョコレート。
直感で分かる。これも、変化魔法で作った物だ。
途端に、手の平がずっしりと重くなった気がする。
「まず一人の子をチョコレートに変えて、それから、もう一人の子を、ミントのフレーバーに変えて混ぜてね、ミントチョコレートにしてみたの」
顔を上げてみれば、フィーは少し不安そうで……声もどこか、緊張しているみたいだった。
「今度は、あんまり甘くならない様に作ってみたんだ。良かったら食べてみて!」
けれどフィーはすぐにいつもの調子に戻って、元気にそう言った。
……どうやらフィーは、変化魔法で作ったお菓子がわたしが食べれないのは、味が甘いからだって、まだ信じているみたい……。
「あ、ありがとうございます」
ひとまずお礼を言って、やり過ごそうとする。
だけど。
「それとね、もう一つ……うさぎさんに、あげたいものが有るんだ」
フィーはもじもじとして、こっちをじーっと見つめてきて。
もう一つあげたいもの……? でも、見たところフィーはもう、何にも持っていないみたいだけど……。
「――――」
するとフィーが恥ずかしそうに、目を伏せて、細い声で囁いた。
「えっ……?」
「……シロップ……」
「シロップって……お菓子にかける、あのシロップですか?」
「ううん。そうじゃなくて……うさぎさんの、名前」
名前? わたしの……?
名前、名前……そうか、さっきロコちゃんが最後に言い掛けてた『フィーから直接聞いた方が良いこと』って、わたしの名前のことだったんだ……。
今日一日色んな事が有り過ぎて、すっかり考えていなかったけれど。わたし、自分の名前を、思い出せなくなっていたんだった……。
「白いうさぎだから、シロとロップでシロップ……なんだけど……」
シロップ……何度聞いてもあの、甘い甘いシロップを連想してしまう。
それに、確かにわたしのうさみみはずっと垂れているけれど、それはずっと気分が沈んでるからであって、種族がロップイヤーな訳じゃない……多分。
「ど、どうかな……?」
……。でも……。
シロップ。
「嫌なら、もちろんそう言って――」
「……いい、ですよ」
こくり、とフィーに頷く。
シロップ……シロップ。
フィーにしては……思ったよりもまともな名前。響きが良くて、女の子らしい名前だ。
でも、だけど。
フィーから名前なんて付けられたくない、それにわたしには本当の名前が有る。
だから、断りたいっていう気持ちも芽生えてくる。断らなきゃ駄目だよって、思ってもいる。
だけど、少なくとも、うさぎさんって呼ばれ続けるよりは……シロップ。
シロップの方がまだ、ずっと良い。
そんな気がした。
「良いの? 本当に良いの?」
断られると思っていたのか、フィーは意外そうに目をぱちくりとさせて、それから。
もう一回頷くと。
「……そっか! ありがとう、シロップ!」
ようやく安心したのか、フィーは笑ってぎゅっとわたしの両手を握る。
「シロップ、シロップ!」
弾む声で、何度もフィーは名前を呼んで。
「本当に、本当に凄かったね、かっこよかったね、素敵だったね、ロコちゃんとエゼル団長のアニマルサーカス!」
それから不意にぱっと手を放して、立ち上がる。
「だけど――だから!」
……?
「二人で一緒にマジックショー、もっともっと頑張ろうね、シロップ!」
それから、とびきり明るい声でフィーは、そう言った。
月明かりを映して、爛々と輝く青色の瞳。笑った口元からこぼれる八重歯。
きれいなピンク色の髪と、夜空のコントラスト。
そんなフィーはとても幻想的で……。
「それじゃあね、シロップ! おやすみなさい!」
そしてフィーはやっぱり照れているのか、ささっとテントへと駆け出して壁の星に左手を当てると思いっ切り右手を振って。
フィーの周囲が輝いたと思うとすぐに、その姿は見えなくなった。
だけどまだ、芝生の上には嵐の様なフィーの気配が残っている気がする。
「……」
もう一回、ちゃんと座り直す。今度は膝を抱えずに。
静かな公園には、もう何の音もしない。他に誰も公園にいなかったし、アニマルサーカスの動物達の声も聞こえてこない。静かな夜がやってくる。
きっとまだ、眠れない。
シロップ、その言葉が頭の中で繰り返される。シロップ……わたしの、名前。
何度繰り返してもやっぱり、そんなに悪い気はしない。それがかえって、怖いよ……。
もっともっと、嫌がらないといけない……きっと、そうだよね。
……わたしは人間だ。こんなうさぎのお化けなんかじゃない。
人間に戻りたい、戻らないといけない。いつかは、きっと。
わたしは、うさぎじゃない……。
……でも。
だから……それまでは。自分の名前が思い出せるまではせめて……シロップ。
『うさぎ』さんじゃなくて、シロップでいよう……。
目を閉じて思い出す。今日起こったことを、沢山、沢山。本当に色々なことが有った。
嫌なことが沢山と……楽しかったことも、少しだけ。
不意に思い出すのは、あの言葉。
『魔法で一番大切なのは、お願いの力』
というロコちゃんの、そしてフィーの言葉だ。
と、いうことは……。今になってようやく気が付いた。
ロコちゃんとフィーは本心から、女の子たちを魔法で変えちゃいたいって願っているってことだ……。
……。…………。
……わたしは、どっちなの……?
ステージの上で三人で手を繋いで、動物の形をしたお菓子に女の子を変えた魔法。
アイデアは有っても、それを願わないと魔法は使えないのが、本当だとしたら……あの時のわたしはどうして、魔法を使いたかったんだろう。
わたしのお願いは……どっちだったんだろう。
『フィーやロコちゃんやエゼル団長を助けてあげたい』?
……。…………。………………。
それとも。
『この女の子たちをお菓子にしちゃいたい』…………?
……どっちが、本当の願いだったんだろう……?
今となっては、思い出せない。だけど、二番目のお願いじゃないと、良いな……。
「あっ……」
考えている内に、ふと、ひざの上に置かれた箱のことを思い出す。
ミントチョコレート。フィーが作った……。
「……」
芝生の上に腰を下ろしたまま、箱を手に取って。
そっとふたを開ければ、バニラエッセンスと、ほんのりとミントの香りがした。
第1章 アニマル☆サーカス――おしまい