第14話 一緒のステージ
「~♪」
静かな歌だった。
歌詞の意味は分からない。
周りのお客さんの反応からして、多分、この世界でも、それほど有名じゃない言語……もしかすると、架空の言語で、語られている歌だってことが、何となく伝わってくる。
だけど、そんなことは些細なことだった。
ただ、みんな、瞬きするのも忘れて、ステージに注目している。
透き通った歌声が、テントの中ををゆったりと包み込んでいく。
耳を澄ませていると、ちょっと寂しくて、切なくて、だけど体がふわっと浮く様な、不思議な感覚に満たされていって……。
視界がにじむ。どうしてだろう、どうして、わたし、泣きそうになってるんだろう……?
歌に乗せてロコちゃんは、ボールを放るペースを変えていく。
それだけじゃない。さっきとは違って今度は、後ろ手で放ったり、片足でボールを受け取ったり、目を閉じて投げてキャッチしたり……。
七個、八個、九個――ボールの数もいつの間にか、十五個までに増えていて。
そしてロコちゃんはそれを歌いながら、一回もミスすることなく続けていく。動きはあくまで淡々としていて、決してドタバタしていない。
洗練されていて、優雅だった。
「きゅっ!」
ロコちゃんからのボールを、ルカちゃんが鼻先で器用に受け止める。
「きゅるっ!」
その直後に飛んで来たボールを、今度はしっぽで器用にはじき返す。
空中をふわりふわりと舞って、ロコちゃんとボールをパスし合う。
それから、手を繋いでくるっと回ったり、ハイタッチをしたり、二人一緒の動きをしたり……。
二人とも常に動いているのに、それでもやっぱりボールは地面に落っこちない。
……凄い。こんなの、初めて……。
それ以外に言葉が見つからなかった。
カーバンクルの珍しさ、かわいらしさに目が行っていたお客さんたちもいつの間にか、息を呑んで、二人の動きに魅了されていて……。
「ぴい!」
「……うん!」
目が合った二人が笑い合う。
その途端に、ぽん!と二人の体が煙に包まれて。
ロコちゃんのパーティードレスが一瞬で変わる。
白と黒から、青を基調にしたドレスへと。
だけど、ただの青じゃなくて、水色、紺色、青色と、色んな色がグラデーションの様に織り込まれて、流れる様な模様になっていて。銀や金色の細い糸の刺繍が、スポットライトに当たる度にわずかにきらめく。
フリルは決してゴテゴテしていなくて、すっきりとして上品だ。タイツはつま先にかけて藍色が黒へと変わっていくグラデーション。胸元の赤いリボンが、やっぱり良いアクセントになっていて。
それからロコちゃんは、銀色の小さなシルクハットを、頭にちょこんと載せている。葉っぱをかたどった深緑の飾りが輝いていた。
気付けばルカちゃんの方も衣装を着ている。
こっちは燕尾服とドレスを組み合わせた様な、黒が基調の、元気なルカちゃんには意外な感じの衣装で。
かっこいい服だなあ……と思いながらも、ロコちゃんとおそろいの赤いリボンがやっぱりとってもかわいい。サイズもルカちゃんにぴったりで、決して窮屈そうじゃない。
そして、大きな耳と耳の間にちょこんと乗っているのは、同じくロコちゃんとおそろいの銀のシルクハット。
「ぴいっ、きゅるるっ!」
ルカちゃんもかわいい衣装が着れたことが嬉しくて、動きはむしろさっきよりも活発になっている。ゆらゆらとフリルを揺らすのが、とても楽しいみたいだ。
……あの衣装も、もしかしたら、元は女の子だったのかもしれない。だけど、それでも……華やかで、綺麗で、かわいくて……。
衣装が変わった後も演目を続けていくロコちゃんの表情からは、段々と緊張が消えて、次第に喜びを映していく。
それに、ルカちゃんも、カーバンクルになってあんなに泣いていたルカちゃんも、本当に楽しそうに、ボールを操っていて……。
変身してからたった数時間で、ここまで息ぴったりに動けるなんて……それはきっと、心の魔法のお陰、だけ、じゃない。
ロコちゃんとルカちゃんが心と心を通じ合わせ始めたからこそ、ロコちゃんがルカちゃんのことを心から考えて、教えてあげたからこそ、できているんだ、きっと……。
そしてルカちゃんも、カーバンクルになれて、本当に、心の底から、喜んでいるみたいで……何だか、泣きそうになってしまう。
だけど、悲しい、じゃない。かわいそう、でもない。
これは、この気持ちは……『良かった』……?
「~♪」
……。おとぎ話の様な、日記の様な、ふわふわとしていてつかみどころのない歌。
歌詞の意味はやっぱり分からない。だけど、頭の中にふと、きらきらと輝く階段を昇る、背中に透明な羽の生えた妖精の女の子が思い浮かんだ。それが、歌の内容とどう関係あるのかは分からない。
ただ、きれいな景色だと思った。
もしかしたら、聞いている人によって、感じることは変わるのかもしれない。……フィーには、どう聞こえているんだろう。
「……」
歌に使われている言語は、多分、フィーにも分からないんだ。だけど、懐かしそうなその表情から……同級生だった頃に、聞いたことは何回も有ったのかな。
フィーは口を閉じて、静かにロコちゃんの様子を見守っていた。口を結んで、真剣に見つめている。だけど同時に、嬉しそうで。安心したみたいで。
フィーの気持ちが初めて、ほんの少しだけ分かった気がした。
「~」
すっと涼しい風が通り抜ける様な、歌声が続いていって……。
そして、歌はクライマックスに差し掛かって、次第に旋律が変化していく。かすかになって、フェードアウトしていく。
ロコちゃんとルカちゃんがもう一回、目線を交わし合って。
せーの、で両手を軽く前に差し出した。
すると、全てのボールが一斉に、同じタイミングで手の平の上に落ちてきて。
ロコちゃんは九個、ルカちゃんは四個をそれぞれしっかりとキャッチして……。
最後の二つを、ロコちゃんとルカちゃんは小さな銀の帽子をそっと外してひっくり返し、その中にそれぞれ一つずつ捕まえた。
「~……。……」
歌は、ゆっくりと途切れて、テントの中は静寂に包まれる。
二人が持っていたボールが、ぱっと消えて。
ルカちゃんがぴょんと、ロコちゃんの左隣に飛び降りて。
ぺこりと、二人で一緒にお辞儀をする。
パチパチパチパチ……!
隣の席から、最初に、大きな大きな拍手が聞こえる。
すぐにテントの中は、割れんばかりの拍手に包まれる。
気が付けばわたしも、ロコちゃんとルカちゃんに向けて拍手を送っていた。
一人でに、自然と。心の底から、自分の気持ちで……。
『拍手しなきゃ』、じゃない。ロコちゃんとルカちゃんに、拍手をしたい。それは、本当の気持ち……。
盛大な拍手に、きょとんとしていたロコちゃんは……やがて、ほっとした表情を浮かべた。
「キュ~ッ!」
ルカちゃんは再び空中に浮かんで、嬉しそうに前足を観客席に振っている。
そしてスポットライトの範囲が少し広くなって、エゼル団長もステージに現れて。
とても嬉しそうな表情をしながら、ロコちゃんにウインクをして合図を送った。
「わたしは、アニマルサーカスの団員のロコです」
ロコちゃんが改めて、お客さんに自己紹介をする。
「そしてこの子は、カーバンクルのルカちゃん。今回からこのサーカスに加わることになった、新しい仲間です!」
「きゅっ、きゅる~!」
『よろしくね!』と、言ってルカちゃんはくるっと空中で一回転して、ロコちゃんの肩に乗っかった。
わあっ! と、ロコちゃんとルカちゃんに対する観客席から歓声――女の子たちからの『かわいい!』という声が上がる。
確かに、ルカちゃんは勿論だけど……ロコちゃんも、相当かわいい。フィーが人形みたいなかわいらしさだとしたら、ロコちゃんは小動物みたいなかわいらしさ……かな。
エゼル団長やロコちゃん目当てでサーカスに来てる女の子達も多いのかも、なんてぼんやりと考える。
「副団長のロコと、魅惑のマスコットのルカ、どちらも我がサーカスの未来を担う期待のメンバーです! 今のジャグリングなんて、初めてコンビを組んだとは思えないぐらいの完成度! 私にはこんなに繊細な演技なんてとてもじゃないけど――」
エゼル団長も二人の演技に感激したんだろう。熱のこもった口調で、誇らしげに純粋にロコちゃんとルカちゃんのことを褒めようとするけれど……。
「え、エゼル団長、それよりも続きを……」
くいくいと団長の袖を引っ張って、ロコちゃんがそれを制する。演技をしている時よりもずっと顔が赤くなっている。そんなほのぼのした光景に、観客席にも和んだムードが広がった。
緊張感溢れる演目を無事に終えて、ゆったりとした心地良い空気が漂っている。
それにしてもエゼル団長、本当にロコちゃんのことが大好きみたい……もしかして、放っておいたら、舞台の上でもキスしちゃうんじゃないかな……?
「それでは素晴らしい演技をしてくれたロコとルカに、もう一度拍手をお願いします!」
エゼル団長がそう呼び掛けると、さっきにも負けないぐらい大きな拍手が沸き起こって。
フィーもわたしも、いっぱいいっぱい拍手をしていると、舞台の上のエゼル団長と目が合った。
すると、エゼル団長がちらっとロコちゃんに目くばせをして。ロコちゃんもこっちに気が付いた様で、パチッと目線が合って……。にこっと、爽やかにほころんだ。
わたしは二人に笑い返した。フィーは小さく手を振っている。
「――皆様、今宵を飾るアニマルサーカス、如何でしたか!」
拍手が収まった後、エゼル団長がはつらつと声を出す。
「かわいらしくてかっこいい動物たちとのひととき、楽しんで頂けましたか!」
ロコちゃんが、掛け合いの様に続ける。
「気になる次回の公演は半月後、これより東のセレノスカイタウンのセントラルパークにて!」
「チケットは当日の日の出からの発売となります! お早めにどうぞ!」
「さて、残念ながら今日の演目はここまで――」
「皆様本日は、ここまでお集まり頂き――」
「――ここまで、ではなくてですね!」
「本当にありが……え?」
エゼル団長のセリフに、ロコちゃんがきょとんとする。
「実は皆様にサプライズがあります! 何と、本日のアニマルサーカスには、スペシャルゲストをお招きしているのです!」
観客席のざわめきが更に広がっていく。
「え、エゼル団長……?」
それどころか、ロコちゃんも完全に知らされてなかったみたいで、瞬きをして団長の顔を覗いていて。
「ゲストだって、うさぎさん!」
フィーがはしゃいだ様子で、話し掛けてくる。
「そう、みたいですね……」
「一体誰なんだろう! 楽しみ~!」
フィーは単純に楽しそうだけど。
何だか、物凄く、嫌な予感が……。
「それではご紹介しましょう! お菓子におもちゃに動物に! どんな変化魔法も自在に操れる稀代のマジシャン――」
パチッと、スポットライトの灯る音。そして観客席の一か所が照らされる。
「――フィーさんと、アシスタントのうさぎさんです!」