百戦錬磨の斧使い重戦士勇者軍追放よりド田舎にてスローライフを送ることとなる
流行りを追って追放物を書いてみました
前半はエセ古文、後半は現代日本語
「——オレーナン・カショセン、ジンセク・ダリザッカ。以上20名の者は、本日をもって魔王討伐軍から名誉除隊となる。今までの功績を称え、そしてこれからの人生を祝って拍手!」
王国歴78年夏の始まり、30歳で我、ジンセクは無職になりつる。小さい頃から我は体格も良く村一番の男であった。15に嫁を取り、20で国からの命令で勇者軍に入れられ、今の今まで一線で活躍する。その名が我が身に合うとは思えず恥ずかしき物ではあるが、世をして東の豪傑と言えばダリザッカと言わしめるほどの男であった。そしてその名に恥じぬように前回の聖地奪還では噂の勇者様の命を救ったのも確かである。東の豪傑から、勇者を救った英雄となった我が除隊される理由に、心当たりは十分にあった。
かの聖地に蔓延っていた蛮族の長、無名のトロルは恐ろしく強く、そして狡猾であった。その軍略は魔王軍の四天王に相応しく邪悪で、その軍勢は装備と神の寵愛以外の点において全てが我らより強力であった。それは如何に勇者様と言えど一筋縄で行くものではなく、疲労していた所を強力ながらも悪虐なるトロルとの戦闘。普段の勇者様であられるならば一切りにした所を、その知略によりあわや絶命寸前となった。その場にいた俺はこの命にかえてでも勇者様を救おうと体を動かし、幸いな事に我が右足を潰されるだけですむ。
若き勇者様は悲しんでおられたが、我の右足だけで済む事であれば安い物である。かくしてトロルの一撃を避けた勇者様は一閃、トロルを腰から肩への切り上げで二つに分けむ。
めでたい事よ、我らは聖地を奪還し、我は一命を取り留めぬ。しかして、我は利き足を失いぬこれが我の除隊のせむ故なり。我は郷に幾ばくかの金とともに若き嫁と赤子である息子をのしてここまで来ぬ。されど、それもとうの昔の事なれば、息子は我を忘れ育たむ、我が嫁もきっと我を恨むべし。元より入隊にて失ったも同然の命ゆえ、いや、我が嫁へ向ける顔なく、我は上官へ頼み、幾ばくかの金銭を我が身に残し英霊の身分となりぬ。残りの金銭は我が嫁への慰めとしては少なすぎる物であるが、母子が一生困らぬ程の額を送らん。
かくしてたより無き身となりし我、かの聖地より少し戻りし小さき山の麓の村にて一人の農夫ならん。我は出生は農夫より戦さ場にても斧をとりし故に、我は木こりとして薪を作り、また同村の農夫より畑などよろづの物の作り方を学びぬ。恥の多き事ではあるが、我は木こりや戦士のいろはは知れども30にして学ぶこと多く、残した息子ほどの娘にも我は様々な事を学びぬ。
我はかの娘を実の子のように接し、かの娘も実父のようにしたう。かような歳なれば同じ歳の男に惹かれるが常ゆえ我がその故を聞けば、かの娘は父無し子であると我に打ち明け、我を会ったことのない父に重ねていると言う。我は衝撃を受けぬ、かような歳の若き娘が我が息子と幾らも変わらぬ境遇に会いし事は、天命なのだと受け取りつる。その日から我とかの娘は村の者には秘めながら、親子の情を結びぬ。
あしたに川へ水を汲みに行き、朝にパンと幾らかの野菜を食み、昼中に畑を耕し、夕に娘の作りし食を取り、宵に細工を作りし日々を年ごろ過ごし、我が三十半ばになりし頃、遂にかの勇者が魔王を討ち取りぬと耳に挟み、宴なども開き、土地の呪いは解け、暮らしは僅かなれど豊かになりぬ。
我が四十になりし頃に、かの勇者が村に訪ね給いて、我へかの大戦にて承り給う恩を返さんと金と宝剣を授け賜う。我断れずに剣を受け取り奉り、かつての鎧とともにそれを一家の宝とせん。されど我が家に悩みあり、我が娘は20ほどになり、子をなさんとする歳でありつる。村の者には親子の情を知らせずにいた為、我らは男女の関係であったと思われぬ。それ故、かの勇者は我らに上等なる美酒を呑ませ、我ら親子二人を同じ部屋へ寝かせ一人帰らん。
酒なぞ高価な物を、常日頃から一介の農夫が嗜む由が如何にありなん、酔うた我らは一夜の過ちを犯したりければ、驚く故無し、一人の子を成す。娘が受け入れたこともさる事ながら、我が軽率さには閉口せざるを得ず。
その子は息子なれば、いよいよ我が天命を知らむ。我は第二の息子を幼き妻と共に心血を注いで育てたる。息子が一人で野山を駆け始めし頃、また近く、戦の起こらんとする報せあり。先の大戦の英雄として指南役として召集されるも、我は年ごろの老病と利き足の失いしを故にこれを三度断る。しかし我が子の健やかになる事、嘗ての我の如し。我はこれを恐れ、我が子に決して斧を持たせず、厳しく庭訓を教えむ。10年の従軍の際に習いし礼儀作法、軍略、文を教え、宝剣を振らせしむ。これは、一介の農夫であった我は宝剣を使いし指揮官の死に難きを知っていた故である。
かの戦は長引き、我が子は僅か13にして郷を発つ。残された我と妻の耳に聞こえし噂は誉れ高くも恐ろしいもの多く、時に教会では一人我が子の足を失い早々に帰る事を祈る事さえあり。これは我が戦さ場から離れ20年余り、我は片時も戦さ場の恐れを忘るる事なく、また妻を抱きし夜までの10年を一晩とて夢路をたどる事を得ざるほど、酷く傷つきし故なり。
我、この時既に50を超え、妻は30ほどであった。この歳になれば肉体の衰え、精神の削れも顕著にならん。かつて身の丈程の斧を振るいし我が腕は手の先から肘の先まで程の斧しか振れず、かつて戦さの恐怖を押し黙らせた武者の心はただ息子の無事を祈るばかりの老夫の心となる。指は震え、目は霞む。我が別れし妻は如何に良く生けむか、我を知らぬ息子は如何に良く育たむか、我はその事も悔やむようになりぬる。
我が妻、日毎に心身共に弱る我を慰め、我の働くをよく支えむ。息子の発ちしより15ほど発ち、戦終わり、息子が帰らむ。我が息子は錦を飾り、美酒と共に我に戦さ場での活躍や今は亡き友を語る。聞けば、その友はかつて東の豪傑ダリザッカの名を世に知らしめしジンセクの息子、ミンナクと言う。ミンナクは早くに母を亡くし、その後に父の英霊になりしを知り、一人育ちつる壮士と言う。我はこの事をその時まで知らず、我が耳を疑う。我夜中に一人枕を濡らしけり。怪しがりて妻は問い、我答えり。妻は我を八度に渡り慰める。
今、我は60となり、かつての妻と息子を亡くした事を知れり。もし我が戦より郷へ帰らば、我が息子は如何に生き永らえむ。コレ、我が息子を殺したも同じことなり。如何に一人戦場へ赴きし我を残された妻は恨まざるや。
我は天へ赦しをこい、我は安息日ならず日頃に教会へ通いつめ始める。皆怪しがるも、かつて我の働きし様と我の息子の無事を祈りし様とを思い、我が神への感謝を捧げていると思い違いをせむにや、皆我を信心深き人よと褒めつる。我が心を一人知る妻、毎晩我を慰め給う。
我は神への赦しを請うとともに、また感謝も捧げ申し始め、いよいよ神の足元にも近くなりつるにや、我が足は次第に衰え、妻の支えなくして教会へ行くことだに得なくなりなむ。我、ここに70を目前にして死を悟る。元より20にて死を迎えしたも同然の身、げに長く息をしたものよと思い、教会にて悟りを開くに至る。死は恐るに値せず、また子を思うだけであった我の小ささ、よろずのことに思い至る。げに遅き悟りなれど、我は老いし妻を息子に残し、天の国へと今旅発たむ。
私が物心ついた時には、既に母親は壊れていました。父は何処にもおらず、幽鬼の様な母の呟きから察するに、鬼の様な力強さと神の様な慈悲を持った方だったことだけを知っていました。
村の人からは腫れ物の様に扱われていましたので、私がいざ婿を探す年頃になりましても、元々軍の召集にて男手が減っていたのもあり、中々旦那様が見つからずにいることができました。
私の住む村から遠く離れた聖地と言う場所が魔族の手より取り戻された事を風に聞こえ始めた頃、村に一人の殿方が来てくださいました。その眼光は鋭く体躯はまさに御伽噺に出る鬼の様で、しかも軍人の様な言葉遣いをし戦さ場でも無いのに常に大きな斧と鎧を着てまた高価な馬を連れていたものですから、最初は軍の者が何の用かと村の人は邪険に扱いました。
私はそんな殿方に親近感の様な物を覚えてしまい、彼がお世話になり始めた家が比較的私に良くして下さった老夫婦の家であったこともあり、農家としての知識にはまるで子供の様に疎い彼へ色々な物を教えて行きました。
彼は私の様な娘同然の様な存在の言葉にも耳を傾け、よく働く人でした。また子供の様な面もあり、気になって何故鎧をいつも着ているのかと問うと、右足が切り落とされていてそんな姿を見せれば村人に怖がられると思っているのだと語るような事もありました。その鎧を着込んでいる方が恐ろしいと伝えると、常識を知らない事が恥ずかしいと言ってその日から普通の服を着て作業する様にしました。また私が無茶をして木から梨を取ろうとして足を滑らせば体に相当な負担がかかるでしょうに、まるで義足を履いているとは思わせない動きで私を受け止めてくれたりもしました。
今は寝込んでしまった母のかつての言葉を思い出し、私はいつしか彼を本当の父の様に思い、共に暮らして行きました。しかし、私の年もあり、彼を次第に一人の殿方として見ていた事も幾らかは有りました。
ある日、勇者様と呼ばれる若い男性の方が煌びやかな剣と共に彼の元を訪ねて来てくださいました。お料理を持って行けば、実は私が父の様に慕っていた彼は都では語り草となる様な殿方だとお教え下さいました。父の様な彼を誇らしく思う反面、私が秘かに抱いていた種火も一層燃え上がる様な感覚がしました。その日は勇者様が持って来てくださった酒という話にしか聞かない物を頂きました。
その日、彼は初めて私を求めて来ました。寝るのが怖いのだと言っていましたが、いつの間にかに私の胸の中でスヤスヤと寝息を立てていました。
彼は朝になるとその事を悔いていましたが、その一晩の誤ちで私に子供ができた事を知り、それから村の人に祝福される様にもなると彼は私の子供を父無し子しないようにと腹をくくり、私を妻として娶ってくださいました。
彼はより一層に仕事へ励みましたが、子供が生まれ大きくなると、いつしかの鎧や剣を子供に持たせ、私にはわからない文字や難しい話を教えて行きました。それから暫く、国から夫へ使者が何度も寄越され、何度も断りましたが、遂に私達の息子を軍へ連れ去られました。夫はこの事を予見していたそうで、この時のためになるべく死なない術を教えたと私に言って聞かせました。
この時になると昔とはだいぶ時勢が違いますので、よくこの村へ訪れる商人の方や寄越される手紙などで息子の安否を知る事ができましたが、どうも夫には息子の働きが危険な物だとわかるらしく、二人して教会へ通う様になりました。
暫くして息子が軍から帰りました。息子は夫の教育に感謝をして、また酒という飲み物を持って帰り、三人で暗くなるまで話しました。
その晩に、ふとすすり泣く声が聞こえ目を覚ますと、私は夫の普段人へ決して見せない顔を見る事ができました。話を聞くと、息子の話に出て来たある戦士が、実は夫の息子だと言うのです。最初は彼が信じられませんでしたが、彼の深く後悔する姿を見ると、受け入れずには入られませんでした。もちろん、今でも夫のした行為は不義理な物であると思います。それは私の様な父無し子を作る様な行為でしたのですし、その理由が女の私には到底理解できなものでしたからです。
ですが、弱った夫を見れば慰めるほかなく、夫はその日を境に目に見えて老いるようになりました。かつて私を力強く抱きしめて見せた豪腕は、骨と血管が浮き出るばかりの細腕となりました。義足でさえなんてことの無いように振る舞えた体力も、薪を割る事や畑を耕す事でさえよく転ぶようになり、そして週末だけに通っていた教会にも、死を恐れてか毎日通うようになりました。
日を重ねる毎に心身共に衰えていく事が、ありありと感ぜられました。私の胸で泣く事も多く、私は愛おしく思うと共にそんな夫が悲しくも思え始めて来ました。しかし夫と教会へ通う日々も、ある日を境に変化しました。その理由は定かではありませんが、祈りの時間が増え、そして夫と共に過ごす夜も涙に濡れる事が少なくなりました。
ある日、夫は息子と二人で話しがあると言いました。暫くして息子が部屋から出て、今度は私を呼びました。夫は絞り出すような声で、私への感謝を述べ、あと数日のうちに自分は死ぬと伝えました。私にもそのような予感はありましたので、その告白はすんなりと受け入れられ、事実その晩に夫は旅立ちました。
息子は私の後を見るようにと言われていたらしく、私があれこれと手を回さずとも見つけた出来た嫁と子供を成し、その嫁と孝行をしてくれました。そうして幸せのうちに、私は旅立つことになりました。