私と彼女の望み8
Γいいから帰るぞ。」
ミヤコの手首を掴んだら、手足をばたばたして抵抗し出した。
Γ嫌だって言ってるでしょ!ここがいいの!」
Γこのままだとずっと死人の洗脳に支配され続けるんだぞ。わかってんのか?」
虚ろな目をさ迷わせ、ゆるゆると首を振る。
Γいいの、ここなら誰も傷つけない。苦しく辛いこともない。」
Γ…ミヤコ。」
彼女の腰を掴み、いきなり乱暴に担ぎ上げた。
Γきゃあ!何するの、離して!」
Γこんな所にいたいだと?お前らしくもない!」
足をばたばたさせたミヤコが、顔の側にあったルーの腕を、がぶっと噛んだ。
Γなっ!」
衝撃で固まるルーの肩から、ころりと転がってミヤコが身体を起こした。そのまま脇目もふらず、走って逃げ出した。
Γ…噛んだ。お、俺を噛んだ。」
60年近く生きて、ベスト3に入る衝撃だった。
茫然として、噛まれた腕をさすっていた。ここは、精神世界。痛いと思えば、痛いような気もしてくる。傷があると思えば、傷ができるのだ。
Γミヤコよくも…俺を怒らせたな…」
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ミヤコは逃げていた。何から逃げていたっけ?ただ、ここから外には行きたくなかった。
白い霧のようなものが彼女を囲んでいて、前方だけ道が見えた。前へ、奥へと導かれて行く。
横から飛び出したものに、顔をぶつけた。
見上げると、先程の青年だ。
Γ俺から逃げるとはいい度胸だ。」
ぞんざいな物言いだが、焦ったような表情でこちらを見てくる。
Γ……。」
青年から逃れようとあとずさる。
Γやることがあるんじゃなかったのか。」
言われて疑問が湧いた。そうだ。私はそう言ったんだ。何を?
急に頭が締め上げられるような痛みを感じて、その場にしゃがみこむ。何だったっけ?思い出そうとするたびに、頭が痛むようだ。こめかみを押さえて、目をつむる。
Γミヤコ。」
目の前の青年が、肩をつかんでくる。
Γはなし…」
Γしっかりしろ!俺を見ろ、俺は誰だ?」
誰?言われて、目を開けて青年を見る。その瞳を見つめる。
Γあっ…」
声を出そうとして、頭がずきりと更に痛んだ。
いつの間にか白い霧が消えて、赤く周りが鈍く照らされている。
『魔法使いを殺せ、お前が最高の魔法使いになるなら、他の魔法使いを殺せるはず。』
頭の上から、女の声が響いてきた。青年にも聴こえているのか、声のする辺りを見上げている。
『殺せ、全て消せ。』
Γ…嫌だ。」
自分の言った言葉に、意識が晴れていくような感覚がした。
私のやること、そうだった。
ぐっと顔を上げた。操られていることに、怒りがこみ上げる。
Γ嫌だ。私はあなたの思い通りにはならない。」
Γお前、意識が…」
隣にいる青年の声も耳に入らない。それだけ自分の意志を無視されていたことに腹が立っていた。
Γ私は誰も殺さない!私自身も殺さない!」
『魔法使いは世を乱す。今滅ぼさなくては。あの戦乱で、わかったことだ。』
Γ違う、違う!魔法使いだけに罪があるんじゃない。唆して止めなかった人間にだって罪がある。彼らに、彼に全てを背負わせるなんて間違ってる!」
胸の内に溜め込んだ気持ちを吐き出す。上空からの声など、聞いているのも腹立たしい。
Γ私、私…、救いたい。何もできないかもしれないけれど、救いたいの。皆に忌み嫌われて、孤独な人だから…。」
Γ…ミヤコ?」
Γ長い間、一人でいた人だから。せめて私だけでも…、近くにいてあげたい。」
Γ……それが、お前のやりたいこと?」
隣の声に無意識に何度も頷き、胸を押さえた。
Γあの人を見るたびに、胸が痛む。だから、まだ帰れない。」
心から彼が笑って過ごせる日が来るまで。
Γミ…」
Γ幸せになって欲しいから…だから、こんなところにいられない。私は、いつまでも眠ってなんか!」
掴まれたままの肩に力が込められた。
Γお前が…救いたいのは誰だ?だ、誰のために…?」
彼の顔を思い出し、言葉にしようとしたら笑みが零れた。
Γ料理上手な最高の魔法使いよ。」




