恋のお値段。
「あの」
「はい、いらっしゃいませ」
店のドアを開くと内側に掛かったベルが涼やかな音を立てて、カウンターの中にいた青年が笑みを浮かべて振り向いた。
古いアンティークを取り扱う、街の片隅の雑貨屋さん。
彼女が見つけたその店は、奇妙なものを売っていた。
その店は、質素ではあるもののセンスの良い外観で、『なつかしや』と平仮名で墨書された小さくて分厚い木製看板が、入口の硝子を嵌め込んだドアに掛かっている。
少し薄暗い店の奥に見える古い大きな時計や、奥のテーブルに並んだ淡い模様の入った色とりどりのお皿。
それだけでも彼女にとっては魅力的だったが、カーテンで彩られた小さなディスプレイの出窓にあったのは、不思議なものだった。
花の縁取りをした少し古い便箋が、封筒から僅かに端を覗かせたような形で、大切な宝物のように飾られついたのだ。
興味を惹かれた彼女は、青年に問い掛けた。
「あの便箋は、売り物ですか?」
「あー……そうですね、一応は」
青年が少し困ったように頭を掻くのに、彼女は素直に引き下がった。
「あ、もしご迷惑なら……」
「ああいえ、そういう訳ではないのです。ただ、あの便箋は……使用済みでして」
「え?」
「あれは、あの手紙そのものが、売り物なんです」
「……有名な人の書かれたものですか?」
「いいえ」
「では、中に書かれた文章の内容に価値があるとか……あ、もしかして絵ですか?」
「ただの手紙です。文字だけの。内容に価値があるかどうかは……人による、という感じですかね……」
青年の曖昧な言い方に、彼女は考え込んだ。
「おいくらですか?」
「……タダ、です」
「え?」
青年は、どこか気恥ずかしそうだった。
「あれは、その、お礼状と言いますか……この店を祖母から継いだ時に僕の書いたもなんです」
はにかんだような笑顔で、青年は言った。
「僕は、この店が大好きで。祖母が動けなくなって店を畳むと言うので、潰したくなくて。だから、店がなくならないように、という想いを込めて……お客様に来ていただけるように、と願掛けで書いたんです」
招き猫のようなものですね、という青年に、彼女は顔を綻ばせた。
「ですから、お客様に差し上げます。ちょっと恥ずかしいですが」
少々お待ちください、と、奥に引っ込んだ青年は、便箋を封筒に収めて戻ってきた。
受け取った手紙を持って帰り、彼女はお茶の準備を整えて、ゆったりとした気分で中身を読む。
「『なつかしや』にご来店下さいまして、誠にありがとうございます。当店では、リーズナブルなアンティークを取り扱っております。
部屋の飾りに、あるいは大切な方のおもてなしに、当店の商品を
お役立てていただければ、と思います。
この手紙をお読みになられるような奇特な方がいらっしゃるとすれば、その方にお話ししたい事がありました。
『なつかしや』は、私の祖父が作った店です。
古道具集めが趣味だった祖父が、修理の依頼や飾りの相談などを受ける内に、いつの間にか店を建てる事になっていたそうです。
凝り性な祖父は店の外観などを全て自作したそうですが、道具の知識はあっても店を切り盛りするのは不安だと、知り合いの商家とのお見合いで出会ったのが祖母だったと聞きました。
自由奔放な祖父も、穏やかですが経理に厳しい祖母も、私は大好きでした。
この店を、少しでも長く続けられれば良い、そうした想いを込めたこの手紙をお受け取り下さったお客様は、同様にこの店に何かを感じて下さったのだと思います。
若輩の私に代替わりは致しましたが、再度足をお運びいただけたら、これに勝る喜びはありません。
今後とも、ご愛顧のほど、よろしくお願いいたします。
店主
P.S.これはお客様が手紙をお求めになられてから書いた、貴女に宛てた一文になります。
貴女のような、素敵なお客様にこの手紙を受け取っていただけた事を、嬉しく思います。』
彼女は、そこだけ新しく書かれた一文をもう一度読み直し。
手紙を丁寧に畳むと、封筒に入れて大切に仕舞った。
そして彼女は便箋を取り出すと、封筒に収める。
翌日、彼女は再び店を訪ねた。
「お手紙、読みました」
「? はい」
わざわざすぐに訪ねて来るとは思わなかったのか、青年は面食らった顔をしていたが、すぐに笑みを浮かべる。
「如何でしたか?」
「とても和やかな気分になれました」
そして彼女は、自分の用意した封筒を差し出す。
「どうぞ、受け取って下さい」
青年が受け取った封筒と彼女を見比べて、戸惑ったように固まっている。
「えーと……?」
「どうぞ、中を」
おずおずと便箋を広げた青年は、さらに困惑したように彼女を見た。
その様子がおかしくて笑う彼女が渡した便箋の中身は、白紙だった。
「貴方の心を受け取ったので、私の心をお返しします」
「はぁ……」
「直接こうして話せるのですから、何かを書く必要はないかと思って」
「そうですね」
「私の話も、聞いてもらえます?」
「はい」
青年は小さく微笑んだ。
彼女をまだ客だと思っているのだろう。
「私、お見合いをするんです」
「そうなんですか」
「と言っても、まだ正式に決まってなくて」
「へぇ。相手は幸運ですね」
「あら、何故?」
「お客様のように綺麗な方なら、断る理由がない」
「いえ、その方は結婚する気がないみたいで、どんなお見合いも断るんだそうです。私も断られるんじゃないかしら」
「勿体ない」
「そう思います?」
「ええ」
「その方は、こう言ってお見合いを断るそうです。『私は稼ぎも少ない小店の店主なので、相手を幸せにしてあげる自信がない』と」
青年は目を見開いた。
彼女は、話を聞いて思ったのだ。
今時、お見合いを望む親同士も大概だが、親に結婚をそこまで心配されるなんてどんな人なんだろう、と。
だから会いに来た。
そして気に入ってしまった。
「お金なら、自分の分は自分で稼いでいます。心配されることは何もありません」
「え……?」
「なんなら、私の方が養えるくらい稼いでます」
丁寧に手入れの行き届いた店と、並べた小物のセンス、価値。
そしてあの手紙を見れば、青年が どんな人物かは一目で分かった。
彼女はアンティーク貿易会社を経営している。
顔は良いのに、と散々親には文句を言われたが、普段会うようなガツガツした男性は彼女の好みじゃなかった。
「その便箋」
彼女は、ずっと驚いた顔のまま固まっている青年に微笑みかけ、彼が手に持った白紙の手紙を……たった今、彼女が渡したばかりのそれを指差した。
「いらなければ、買い戻します。お幾らですか?」
彼女の言葉に、青年はようやく状況を飲み込み、頬を掻いた。
「信じられないな……」
「何がです?」
「今、自分の身に起こってる事が」
青年は丁寧に白紙の手紙を畳むと、封筒に戻した。
「この手紙は、売り物ではありません。頂き物です」
「あら、そうでしたか」
「ええ。綺麗な人から頂いた、真心です」
「どうしたら買い戻せますか?」
「僕の心を売っていただければ、すぐにでも」
「それは無理ですね。あれは、私がいただいたものですもの」
彼女は、青年に対して小首を傾げた。
「―――人の気持ちに、値段は付けれないでしょう?」
「ええ」
青年は、彼女の問いかけにうなずいた。
「アンティークと同じです。―――その価値は、買う方が決めるのです」