彼岸の人〜小さな鳩とおみなえし〜
風が、木の葉の色を変える季節に。
―――あの人が、また会いにきてくれる。
私は、着物を身につける。
迎える色は、おみなえし。
あの人が美しいと言った、黄色い花の色。
私は身じたくを終えて、小さな布づつみ一つを手にとると、自分の部屋を出た。
玄関を出たところで一度だけ、深く頭を下げ。
私は、もう二度と帰ることもない生まれそだった家に―――晴れやかな気持ちで、背中を向けた。
※※※
彼とはじめて会ったのは、神社の周りにある森の中だった。
神かくしに遭うよ、と父や母に怒られていたのに、私は、他の子たちと紙ふうせんで遊ぶうちに、森に迷いこんだ。
森を抜けたら、見たこともない道。
家をもとめて歩くうちに、草履の鼻緒も切れて。
私はうずくまって泣いていた。
そこに、声をかけてくれたのが、彼だった。
「大丈夫?」
そう問いかける彼のすがたは、私から見ると、すごく不思議だった。
私たちと変わらない顔だちなのに、髪も目も鮮やかな空色で。
私はおどろいて、泣きやんだ。
あまりにもきれいだったけど、知っている人たちとは違うから、きっともののけだと思った。
「迷子かな。このあたりは、異界とつながっているから」
頭をかきながら、彼は私の来たほうを指さした。
「向こうへおかえり」
「草履が……」
やさしい言葉に、思わず手に草履を握りしめながらしゃくり上げると、彼は私が片方の足に何もはいていないと気づいたようだった。
ふんわりとかすかに笑って、彼は私の前にしゃがみこむ。
「おいで。連れていってあげる」
彼は私をおぶって、知っている道まで連れていってくれた。
「これ以上は、ぼくが戻れなくなる。もう、一人で歩ける?」
私はうなずき、彼は私を下ろした。
歩いていこうとする彼に、問いかける。
「あの、お礼を」
「いらないよ」
彼はまた、ふんわりと笑った。
でも、私はもう一度会いたくて。
遅くまで帰らず、親にすごくしかられたのに、結局また、その辺りをうろうろした。
そして、例の知らない道に出て少し待つと、彼が来た。
「呆れた」
彼は困ったような顔で言った。
「でもなんでか、来るような気がしたよ」
お礼の煮物を渡すと、彼はおいしいと食べた。
「その召しもの、めずらしいけど、きれいだね」
私の身につけていた、おみなえしと同じ黄色の着物を、彼はほめた。
「あなたの首かざりも、きれいです」
彼が首から下げている銀色の小さな鳥……ハトの形をした首かざりは、こまやかに作られた美しいものだった。
私は空色の髪の彼から、色々な話を聞いた。
神社の森は彼の住む異界につながっていて、長くとどまればどちらも戻れなくなってしまうのだと。
そして私と彼がいるここが、丁度境界なのだと。
「だからもう、来てはダメだ」
その言葉が、とても悲しかった。
私は、なぜか分からないが、彼ともう会えなくなるのがイヤで、問いかけた。
「私は、あなたに会いたい」
結局、押し問答のあとに彼が両手を上げた。
「降参だ。なら、こうしよう。月に一度だけ」
私は、それで納得した。
空色の彼と、月に一度の逢瀬を重ねるように、なった。
※※※
「もう会えない」
数年後の秋口のある日、彼は言った。
国が戦争をしていて、戦争に行くことになった、と。
彼は立派な青年に成長していて、私は年ごろになっていた。
縁談もいくつか出るようになり、月に一度どこかへ出かける私を、両親にうたがわれ始めていた。
「これでお別れなのですか」
私は泣いた。
この頃には、もう私は、はっきりと彼に恋をしていた。
私たちは約束した。
五年後だと。
お互いに何もなく、その時がくればもう一度会おう、と。
そして私たちは、おみなえし色の袖と、小ばとの首かざりをお互いにわたした。
別れ、月日が流れ。
私は結婚しなかった。
そして約束の日が近づいて来るのを、嬉しさとともに待ちわびた。
今、道を歩く私は、その道のりを楽しいとすら感じていた。
彼は来るだろうか。
期待はあったが、不安はなかった。
そして、いつもの場所に着き、待っていると。
彼は、来た。
「いるような気がした」
「私も、来るような気がしました」
お互いに笑い合い、そして気づいていた。
私にも、そして彼にも、足がなかった。
「僕は戦争で死んだ。もう君以外に何も残っていない」
彼は腕に結んだ布を示し。
「私ははやり病で。もう、お別れは済んでいます」
私は、布づつみから小ばとの首かざりを取りだした。
生きている間は、手をつなぐことも、口づけをかわすこともなかったけれど。
私たちはようやく、なんのしがらみもなく、共にゆける。
甘い、はじめての口づけを交わした私は、もみじのように頬を染めた。
「生きている世界が違っても。死んだ後に向かう場所は同じかな?」
うれしそうに、ふんわりと笑う彼に、私もにっこりとうなずいた。
「ええ、きっと」
※※※
恋に染む 小鳩の彼と 女郎花
彼岸の逢瀬に むつみて結び
小さな花の約束は、彼岸の秋で果たされる……。




