第五話 猫かぶり姫
「賊を逃がしたなリキャルド!? これだからトワは……腰の据わらぬ!」
ジュアン様!?
いきなり殴るなんて、そんな野蛮な!
それに「これだからトワは」って……あたしも……。
「貴様、武家の女の覚悟を何だと! もろともに殺してやるのが慈悲だろうが!」
「ジュアン、南嶺の賊はケダモノでは無い。連中が無事逃亡の暁には、彼女は返還される。あるいは向こうで保護を受けられる」
「侍女殿を瀆したのはお前だよ! あそこで彼女が死ぬことで敵も滅びる! 捕虜から情報を吸い出せる! 命を賭して一世一代の大手柄、最高の生き様じゃないか! 死ぬべき時に死なぬ、いや死ねぬ。死なせてもらえぬ。それが俺たちにとっていかにつらいことか……お前も戦場を往来する身なら分かるだろうがリキャルド!」
床のほうから、鈍い音が伝わって来た。ごすっ、ごすって。
怖いよ。もうやめてお願いだから!
「抵抗しないのかリキャルド! さては貴様、最初から逃がすつもりだったな? ジェームスに追わせては血を見ることになるからと」
床から身を起こしたジュアンさまが、私を見た。
どうして?
そんな鬼みたいな顔で……いえ、怒ってるんじゃない。あの顔は、あの目は。
蔑みだ。
自分と同じ存在だと思ってない。
「やめて!」
叫んだけど、ジュアン様の顔から目を離せなかった。
やっぱり凛々しくて。でもそのまなざしは私を拒んでいて。
涙が出てきた。
見たくないけど見つめていたい、ジュアン様のお顔が霞んでゆく。
苦しいよ。もうやだよ。消えちゃいたいよ。
「こっちを見ないで! お願い、ジュアン様!」
……その願い、かなっちゃったのよね。
「リキャルド、貴様!」
ずっと無抵抗だったリキャルドの拳が下から伸びていた。
声だけ残して宙を舞うジュアン様が見えた。
そこから先の記憶は無かった。
「テレジア……さん?」
泣いてたのテレジア?
目が真っ赤。まぶたも腫れちゃって。美人が台無し。
「気がついたのね、エレオノーラさん」
何がいけなかったの?
どうしてこうなったの?
「いろいろありましたわね」
私の背中に両手を回すテレジア。
暖かかった。
そうだねテレジア。いろいろあった、それでいいんだよね。
「リキャルド様のこと、見損ないました」
テレジア?
どうしたの? 冷たい声。
「我がバルベルク家は、建築・建設がお仕事。現場では危険なことが数多く起こります。高所作業中の転落、壁が崩れて下敷きになる事故。それでも建設は続けなくてはいけません。手を止め工事を取りやめてしまっては、亡くなった者たちも浮かばれない」
「……見殺しにするの?」
「トワ系の多くはそう言ってバルベルクを見下します」
ちょっとテレジア!
「見下すなんて、そんなつもりは……」
「人の死は、生き様は、最も良いかたちになるよう活かされるべきです。同じトワ系でも、戦場経験豊富なリキャルド様ならばご存知だと思っていたのに!」
テレジア……あなた、リキャルドのことを……。
「あんな男、もう知りません! 腕力ばかりのヘタレ男!」
猫かぶってたんだね、テレジアも。
でもさあ、いくらなんでも。
「そこまで言うこた無いんじゃない? ああ見えてリキャルドはいろいろ気遣いできるし、つらい時だって歯を食いしばって頑張ってたんだよ」
あたしは知ってる。
リキャルドは本来、詩歌管弦が何より好きで。
でも剛力があるからって、トワ系の代表として戦場に駆り出されて。
「トワの誇りだ」
「メルに負けるな」
「うちの次男にも手柄を立てさせてやってくれないか」
少し家柄が劣るからって、あちこちの家から便利使いに無茶振りされて。
それでも歯を噛み締めながら戦場に出て、大斧を振り回して、敵を殺して。
でもそんなリキャルドを、テレジアは……ジュアン様は、意気地無しって。
クリスティーネを見殺しにするのもやむを得ないって。
ううん、やむを得ないどころか当然そうすべきなんだって。
わけ分かんないよ。
どうしてそんな簡単に人を殺せるの?
「ジュアン様、どうして……?」
どうして軽蔑の目で私を見るの?
ひどいよ。私、そんなに悪いことした?
「エレオノーラのせいで失恋してしまいました。許せなくなりそうでしたけど……そちらも失恋したみたいですし、何より怖い思いをしたことに免じて許してさしあげます」
「さん」づけが吹っ飛んでるよ、テレジア。
「ありがとうテレジア。助けに来てくれて本当に嬉しかった」
テレジアが笑顔を見せた。眩しかった。
友達だよね、私たち。失恋仲間。
「落ち着いたかしら?」
さっきのおばあちゃん……。
「気持ちは分からなくも無いの。私も王室の出で、生まれながらの武家ではないから。あ、ご挨拶を忘れてたわね。コンスタンティアです」
あの、それって……当時の陛下の妹君で、降嫁されたって言う。
「先代公爵夫人?」
「そ。メル公爵の母、征北将軍セザールとジュアンのお祖母ちゃん。……ジュアンのこと、許してもらえるかしら」
「エレオノーラ・クロイツです。このたびは命を助けていただいたこと、お礼申し上げます。並びに賊を捕える作戦を妨害したこと、お詫び申し上げます」
「良いご挨拶ですけれど、肝腎のことを聞かせてくれてないわね?」
許さないって言ったら、どうなるんだろう。
この人たち、メル家は、敵と味方をはっきり分けるんだ。
そして……敵は絶対に許しちゃいけないって。
やさしいおばあちゃんが、今はすごく怖く見える。
でも、言わなくちゃ。こっちもはっきりしないと。
「クリスティーネが殺されていたら、許せなかったと思います。でも……生きているって聞いたから……」
助けてもらった身で、勝手を言ってる。
分かってるけど、クリスティーネが生きていてくれて良かった。
「でも殺すのが正しい、殺してやるのが正しいなんて……どうしても分からないんです」
何を言われるか、びくびくものだったけど。
コンスタンティア様、やさしいおばあちゃんに戻っていて。
「合格です……とと、いけない! 一族を相手にする時の悪い癖が出ちゃいました。自分なりに迷って考えて、それで良いんですよ」
でもね?
そう口にしたコンスタンティアさまの微笑みは、悪戯っぽくて。
少女みたいって言ったら、失礼かもしれないけど。
「殺さなくて済むなら、そのほうが良い。……私たちメル家でも、そう思ってはいるの。信じてもらえるかしら?」
はい……って言いたいけど……。
「『殺せ』発言の後に、マウントポジションから頭部への連続パンチを見せられたら、そうなっちゃうのも当然よね? 女の子の前で何て事を! ジュアンにはよーく言い聞かせておきます!」
女の子の前で格闘の解説って! やんごとなき王女様だった方が。
それにジュアン様を子ども扱いって……やだもう!噴き出しちゃった!
「あら、やっと元気が出てきた。猫もかぶりきれなくなって! そのほうがずっと素敵ですよ、エレオノーラさん!」