第二話 若君 その2
庭先と室内を隔てる御簾に、そろそろと近づく。
ジュアン様の足音、ジュアン様のお姿……。
「ジュアン、こちらには度々? 例の姫の話は、どうなったんだ?」
その姿は見飽きてる!
ええい! ジュアン様を映せ!
それにだいたい! 何て! 話を! 聞かせるのよ!
「リキャルドよ、かりそめに口にのぼせて良い筋では無いだろう?」
「御簾のうちに猫が忍んでいるとでも? バルベルクの姫君は、盗み聞きをするほどはしたなくはあるまい?」
思わず御簾から身を離す。
リキャルドめ。あたしと比べよったな?
「その物言い。いずれの姫君と比べた、リキャルド? クロイツ家にしばしば出入りしていること、皆の噂になっているぞ?」
全力で否定したい!
でもここで声を挙げるわけには行かない!
足音が止まった。
何?
「俺達は同じだ。異にして同」
「認めるのか? リキャルド」
「同志のお前には隠す意味が無い。……だがジュアン、バルベルクがどう関わる? 俺も呼んで、何を?」
「同にして異」
「最終的な目標は同じだが、俺達がいま必要とするものは異なっている。確かにそうだな、ジュアン」
「持つべきは、話が通ずる友。実はな……」
ちょっと! 何!何なの!?
声が聞こえなくなった。
扇で口を覆ったんだ。
足音も遠ざかっていく。
奥のご当主の方に向かってる。
「同じ」……って、まさか!
2人は恋のライバル!?
「お嬢さんを僕にください」とか?
「お二人で来られたということは、何かお仕事の向きなのでしょうけれど。あら! その……どうされましたの、エレオノーラさん? 苦しげなお顔」
そうだった!
プライベートの重大事なら、リキャルドなんかと連れ立って来る訳が無い。
やーね、もう。
これが「恋は盲目」ってヤツね?
テレジアが怯えてる。
「苦しげ」ってのは婉曲表現よね。
鬼のような顔してたに違いないわ、あたし。
「あ、いえ。ウッドメル卿が目の前を通られた緊張で、差し込みが……」
ええ、テレジアさん。苦しいんですの。
言い訳が。
でもそれをスルーしてくれるのが、お姫様。
「ミーディエ卿がこちらに参られることは滅多にありませんの。何のお話かしら?」
バルベルク家のお仕事は、宮殿や庭園の造営、よね。
ならば。
「宮殿の巡回警備のお話、とか?」
「我がバルベルク家は、作るまでがお仕事ですけれど……」
そうだった。完成すればバルベルクの手を離れる。
警備の打ち合わせは、持ち主とするものよね。
「いま手がけているのは、どちらだったかしら? 父や弟は、教えてくれませんし。……誰か?」
侍女たちの顔を見回すテレジア。
「南の離宮の改修工事だそうです、姫様。『六緯』の通り沿い、『東川』の内。……庭に立っている男衆から聞いた話です」
王都は、いわゆる条坊制。
東西の通りが、「緯」。北から順に、「一緯」、「二緯」……。
南北の通りが、「経」。内側から東西に向かって数えていく。「東一経」、「西四経」みたいに。
そして王都の東西には、川が流れている。
それが「東川」、「西川」。
安直・平易過ぎるから、歌詠みや詩人はあまり使わない呼び名。
もう少し飾った名前もあるし、定着もしている。
だけど何事もTPOは大事なわけよ。
場所を教えるときには、シンプルが一番。
どこまでが王都内部で、どこからが王畿・郊外かって言われると……。
地元でも解釈が分かれるのよね。
でも「東川の内側」なら、文句無く王都内部。
六緯は……役所に勤める現役世代の住所としては、一等地とまでは言い難いけど。
離宮や庭園や、隠居住まいとしてそこに建てるなら話は別。超・一等地。
あたしが地図を思い浮かべている間にも、テレジアの推理は続いていて。
「お二人とも、近衛中隊長の最有力候補でしたわよね? 建設中の離宮に、何の用かしら?」
おっとりしていると思ってたけど。
テレジアって結構アタマ良いのね。
日頃からいろいろ考えて。
情報が欲しいから周りに聞いて回る。
あるじの求めに答えるべく、侍女もいろいろ頭を使う。
「侍女もしっかりするわけだ」
うおっとーい。
また牛車が揺れた。
ちょっとリタ!
「手をひっこめたでしょ! あたしを支えようと手を差し伸べたの、見てたんだからね!」
「存じません」
「何を……」
あ、いや。
あたしが悪かった。
「違うのよリタ。テレジアがしっかりしてるから、侍女もしっかりするんだなって」
「侍女の私がしっかりすれば、エレオノーラ様もしっかりなさると?」
めんどくさいなあ。
「そうは言ってないでしょ! いくら乳姉妹だと言っても、その態度は無いんじゃない? クリスティーネはどう思……?」
振り向いた先にあったのは、恐ろしいほど真剣な顔。
あたしが言葉を失ったとたん、すぐにほどけたけど。
「失礼いたしました。馬蹄の響きが聞こえていたものですから。……ご安心ください。先頭はゴードンさんの馬、ミーディエ卿のご一行です」
「聞こえる?」
「いえ、私には……本当ですか、クリスティーネ?」
言葉を交わしているうちに、本当に馬の足音が聞こえてきた。
どんどん大きくなってきて。
「日が暮れかかっております。『ミーディエ家もこの先にありますゆえ、同道を願いたく』と、あるじが。」
こないだと同じセリフ、同じ声。
ミーディエ家の郎党、コール・ゴードン。
返した声の主は、こないだとは違っていた。
リタは驚いて動揺していたから。それにクリスティーネのお手柄だし、ね。
「姫様のお許しが出ました。よろしくお願いいたします。」
強くて、明るい声だった。
気のせいかな。
馬の足音も、こないだとは少し違っていて。
なんだか軽くて、頼もしく聞こえた。