■流-始終
※壱
っとまあ、こうして、世にも恐ろしい山姥が出来上がった訳です。
皮肉すぎてわらえないでしょうが、まあ笑ってくださいよ。
笑ってもらえた方が気が楽なんですよ。
あの軋みから先、俺の人生は歪みっぱなしだったんです。
あの──、あの時の母の笑顔みたいにな……
家を飛び出して、俺は足柄の山を下りた。
そっから向こうの俺は、生きていくのに必死でした。
始めはな、そりゃあ、真っ当に生きようと、生きていこうと思いましたよ。
──だけどね……無理、ですよ。
俺は、人間って言ったら、母しか知らないし、
たまに母を訪れる男は、どうにもばつの悪そうな顔をして、決して俺に近づく事はないから話のしようもない。
他の友人と言えば、熊やなんかの動物たちだけだった。
そんな環境で、いきなり世間の中にほっぽりだされたんです。
あの頃の俺はもう力が強いばっかりで、世の中の事は何にも知らなかった。
知っている事と言えば、山の動物の事、母から習った詩歌と人間の言葉位のもんです。
どれもこれも、生きていくには役に立たない事か、当たり前の事だけ。
獣に毛が生えた程度のモノですよ。
だから、俺は何処に行っても俺は邪魔者扱いだった。
山を下って、始めに農家に行きました。そして、そこでなんとか、仕事をもらえた。
だが、俺は山しか知らない。
雑草を抜いておけと言われれば、雑草と苗の区別がつかずに全てをひっこ抜き、畑を耕せと言われれば、作物の実っている畑の区別なく全てを耕し、肥を撒いておけと言われれば、見境なくあたり一面を糞尿の匂いで染め上げた。
結果、鍬と鋤で尻を叩かれ、俺は追い出された。
そこで里の怖さを思い知った俺は、次に漁師の所に行きました。
だが、俺は山しか知らない。
海に着いたのだって、里から何も考えずに歩いていたからだし、海なんてはじめて見たし、そもそもが泳げない。泳ぎ自体を知らない。山にも川はあったけど、行水するか、水を飲むか、だけだったから。他の者がやっているように海に入ってみたが溺れましたよ。
結果、役に立たないからと、俺は捨てられた。
里も海も駄目だった。俺には森しかない。
そう思って、次に森に戻って杣人の所に行きました。
此処は……此処では我ながら良く出来ていたと思っていたんだが、それでも駄目だった。元々居た人間の鬱憤、憤懣は全て俺の所為にされたんです。俺は、よそ者だから。都合がいいんです。不条理の因を俺に押し付けて、叩けばいいから楽なんです。
結果、耐え切れず、俺は逃げ出した。
そのまま、西へ西へと俺は流れた。
流れては、留まり、人を斬り、奪い、噂が流れて人が来なくなる。
そうしたら、また流れ、留まり、人を斬り、奪う。
あの頃の俺は人ではなく、鬼だったように思うんです。
生きていくために、人を喰らう。そんな……
そんな生活を三、四年、繰り返しました。
そうやって俺は、山城と丹波の境、大枝山にたどり着いたんですよ。
ええ、そうです、頼光様。先だって酒呑童子の奴を斬った大枝山です。
俺は元々、あそこで盗賊をやっていたんですよ。
始めは一人働きでやってたんですが、俺の働きが目立ったのか気に入らなかったのか、地の連中が難癖つけてきましてね。
勝負を挑んで来たんですよ。
条件は、地の連中一人一人と勝負し、それに勝利する事。
なんっていう無茶な条件でしてね。
ははは、勿論受けましたよ。そして全ての者に勝ちました。
全てと言っても四人ですがね。ぼっこぼっこですよ。
だが、それでも奴ら、負けを認めないもんでね。
全員まとめて倒してやったら、今度は頭領になってくれと来たもんで、俺の方も一人で盗るのも飽きたしまあいいぞ、と承諾したんですよ。
結果として、大枝山の盗賊集団『初代酒顛』が出来たわけです。
──あの頃は楽しかったな。
なんだか、足柄にいた頃に戻ったみたいに感じたんです。
地の連中も付き合ってみると気の好い連中だった。
奴らは、みんな戦で親を失ったような人間でね。
たった四人で身を寄せ合って、生きる為に盗賊をやっていました。
そう、奴らも経緯は違えど、俺と同じだった。
奴らは名前すらも持ってなかった。
俺は母から貰った金の字があったけど、奴らにはなかった。
だから、俺は奴らに名を与えたんです。
髭を生やした長男には、地熊
美しく妖艶な長女には、宇佐美
手先の器用な次男には、紫猿
渓谷を駆ける三男には、鹿呉
俺が足柄にいた頃の友達から名前を貰って付けた。
人数が増えた分、『初代酒顛』はそれまで以上に精力的に働いたんだ。
奪って、奪って、奪って、奪って、奪った。
道を通る商人も、半ば奪われる事を覚悟して通っていましたよ。
精力的になった反面、『初代酒顛』は狡猾にもなり、人を殺す事は少なくなった。
加えて、全ての荷を奪う事はしなくなった。
殺すよりも奪うだけの方が、全て奪うよりも商人が我慢できる程度に奪う方が、長い目で見た場合に『初代酒顛』のためになるって事に気付いたんです。
『初代酒顛』にとっちゃあ、商人が客みたいなもんだったから。客は大事に丁重に扱いますよ。
それが、功を奏して『初代酒顛』は大枝山で栄華を誇れたんですね。
でも、いくら上手くやろうが、栄華を誇ろうが、結局、悪の上に成り立っている生活なんてそうそう長続きなんてしませんよ。
『初代酒顛』結成から六年、それまで見てみぬ振りをしてきた朝廷も我慢の限界に達したようで、我ら頼光四天王が一人、碓井貞光に『初代酒顛』討伐の命を下したんですよ。
※弐
「いやいや、もう、勘弁してくれよ」
山城から大枝山を通って丹波に抜ける道をだらだらと歩きながら、木こりの衣服に身を包んだ碓井貞光はぼやいた。
「そもそも、何で木こり? こんな貧相な格好してて盗賊が襲ってくるわけ? ……襲ってこないだろ、常識的に考えて、ったくよぉ……ああ、やる気しねえ」
山城を出てから碓井はずっとこんな調子だった。
こんなにぼやきながら、それでも碓井が歩いている理由は、
朝廷からの勅命だからというその一点のみだった。
「宮仕え、宮仕え、あーあーもー、ささっと丹波まで抜けて宿でもとって、明日都に戻ったら盗賊なんていませんでしたーって報告書をささっと書いて、麗しの姫にでも逢いに行こうかなー。やっぱ無理かなー、無理だろーなー。盗賊見つかるまで帰ってくるなって言われたしなー。ってかほんとに盗賊なんているのか?」
完全に人として駄目な感じの発言をしながら山道を行く。
普通、こんな人間は勅命を受けられるような立場には出世しないものであるが、それでも役目を無事に果たしてしまう所が、碓井が碓井たる所以でもあった。
それは今回の件に関しても例外ではない。
「お前さん、ちょいと」
碓井の目の前には一人の女が立っていた。
女は手招きをして、碓井を呼ぶ。
呼ばれた碓井は、特に訝しがる事なく、そちらに歩み寄った。
訝しがる所か、むしろ顔は緩んでいる。有体に言えば、鼻の下が伸びている。
普通であればこんな山奥の、しかも盗賊が出没すると噂されている山道に、美しく若い娘がいよう筈がないと警戒するものだが。
碓井はまるで警戒しない。
その警戒心のなさは、武力に裏打ちされたモノでも、知力に裏打ちされたモノでもなく、単純に性格だった。
よく言えば素直、悪く言えば馬鹿。
何より、女好きの色好みであった。
「ん"ッヴんッ。おや、娘さん。こんな山奥でどうなされました? 何かお困りですかな」
声音がやる気のない声から、低くよく響く声に変わった。
どうやら、漢気溢れる木こりを装う演出にしたようだ。
だがしかし、いくら声を変えた所で、
肝心の顔は変わらず、鼻の下は相変わらず伸びきっている。
そんな碓井に、女はしなをつくってもたれかかった。
もたれかかりながら、碓井の腰に手を回し、金目のモノを探っている。
女の正体は酒顛の紅一点、宇佐美だった。
「ええ、妾の連れが、この先で怪我をしまして往生しておりましたの」
「それは、お困りですな。何か、拙者に出来る事は御座いますかな?」
「……」
「ん、どうしましたかな?」
「いいえぇ、どうもしませんよぉ。そ、それで、ですね。出来れば、連れの所まで一緒に来て、ともに山を下りて頂けないかと……女手では連れを担いで山を下りる事は無理ですので……」
「おお、容易い容易い。それがしに任せて頂ければ、万事上手くいきますぞ」
「…………」
宇佐美は悩んだ。
目の前の男の一人称について。
『それがし』
普通の木こりは一人称にそんな言葉は使わない。
いや、武士以外には使われない一人称と言った方が正しい。
しかし、武士にしては間が抜けている。
今だって、金目のモノを探っていると言うのに、ただ鼻の下を伸ばすだけ。
武士だとしたら、相当の切れ者か、相当の馬鹿。
しかも、供の者も連れておらず、周りに潜んでいる気配もない。
「では、こちらへお願い致します」
迷った挙句、宇佐美は計画通りに事を進めた。
決め手は、碓井が腰からぶら下げていた袋。
手触りだけで相当な重量の金が入っている事がわかった。
あの金があれば、最近の長雨のよる商人の不作も挽回できる。
そう思っての判断だった。
「この小屋の中に連れが居りますので、お願いします」
「そうか、そうか! では、入ろうぞ」
そう言って碓井は大笑しながら、小屋の中に入る。
入った刹那、入り口の両脇から二つの白刃が碓井の目に飛び込んできた。
それでも、碓井は盗賊の罠とは気付かず、
「それがしは、碓井貞光と申す木こりだ。助けに参った者だ。敵ではないぞ」
などと、的外れな事を言っていた。
「お前馬鹿か? 俺たちは盗賊だよ。さっさと金目の物を寄越しな」
「盗賊……? 盗賊盗賊……あっ、あっあああああああああああ! お前たち、酒顛の人間か! そーかそーか! よかったー。ん? あッ! 俺ってこれで今日中に帰れるんじゃないか。うふー! 姫様待っててねっー」
「…………」
小屋の中に居た金太郎と地熊は黙って顔を見合わせた。
お互い、目の前の男に対する判断に困っていた。
しかし、すぐに金太郎はどすの利いた声で言った。
「俺たちが酒顛であろうとなかろうとお前には関係ない。さっさと金を出しやがれ」
「金? いや、むりむりー」
「ッんだと! お前、死にたいのか?」
「死にたい訳ないだろー、今から都に帰って姫と遊ばなきゃならんのだぞ。それにそもそも俺ってお前らを捕まえに来たんだよ、死んだら捕まえられんだろ? だから死にたくはないぞ」
その言葉に、金太郎と地熊は身構える。
外で、会話を聞いていた、宇佐美、鹿呉も小刀を鞘から引き抜いた。
「お前……武者、なのか?」
「うん、そーそー、俺武者」
「余裕だな。この小屋は既に俺たち一党に囲まれてるんだぞ。勝算でもあるのか」
「んー、勝算か? あるぞー俺は強いしなー」
「はっ、そうかよ。でも残念だったな」
「ん? 何が残念なんだ?」
「俺はもっと強いんだよッ!」
金太郎はそう叫ぶと、碓井の目の前にちらつかせていた刀を振りかぶり、碓井の脳天目掛けて振り下ろした。
しかし、それを碓井が大人しく受けいれるわけもなく、すかさず、後ろに転がり、そのまま小屋の外に出る。
外には宇佐美と鹿呉が小刀の牙を剥いていた。
そして、その牙は碓井に襲い掛かる。
しかし、碓井はその牙を紙一重で避け、そのまま宇佐美の手首に手刀をはなった。
宇佐美は「きゃっ」と叫び、小刀を落とす。
碓井はすかさずそれを拾い、身構えた。
金太郎は小屋から出てきて言った。
「おっさんやるじゃねえか。ぼうっとしてるように見せてるけど、とんだ食わせ者だったわけだ」
「んー? そんな事ないよー」
碓井の口調は変わらない。
しかし、明らかに目つきは真剣なモノになっている。
「お前ら、全員下がってろ。こいつは俺がやるよ」
己以外の人間を後ろに下げさせる。
二人は睨み合う。
金太郎は刀を正面で構えた。
碓井は奪った小刀と、元々持っていた山刀を両手に構えた。
目に見えるようなお互いの間合いの円。
それをじりじりと詰める。
じりじりと。
じりじりじりじりと。
じりじりじりじりじりと。
近づき、二人の円が交差した。
と同時に。
二人の剣も交差し、森に甲高い音が響いた。