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とある金太郎の生涯  作者: じゃっく
2/6

■生-生死

※壱


 っとまあ、これが、この俺の生い立ち……らしいです。


 己の事で「らしい」と言うのも変な話なんですけど、自分の生まれてすぐの事なんか自分で覚えているわけもないのだから、当然、それは人から聞いた話でしかない訳で、「らしい」と言うしかないんです。加えて、それを聞かせてくれた相手も、その惨状を見てからの後講釈だから、ますますもって「らしい」というしかなくなってくるんですよね。


 だから、これからまだ少し「らしい」という部分があるんだが、そこは勘弁願いたい。


 その男、俺の父親だが、狂って家を飛び出した後は、俺を殺すために山姥が棲むという谷まで朦朧とした足取りでやってきた。

 そこで、さあ谷底に投げ込むぞという所で、なんていうか間抜けな話なんですが、奴さんは足を滑らせましてね。

 そのまま、谷底にまっさかさまって話です。

 俺ともども、親子揃って。


 まあ、普通は死にますよね。


 だけど、俺は死に損なった。

 普通に投げ込まれていたら、確実に俺は死んでいたでしょう。

 だがどうも、父親の身体が上手い具合に落下の衝撃を和らげてくれたらしく結果として、俺は父親のお陰でこうやって生きている。

 人生って奴は良くわからんもんですよ。

 己を殺そうとした人間のお陰で、命が助かるなんて。


 ん? 父親ですか?

 奴は生き延びた俺に止めを刺す事なく消えていたみたいでね。

 詳しくはよくわかりません。

 まあ、子供の頃は己を殺そうとした人間の事なんて興味なかったんです。

 そこは俺も深く聞く気もなかったし、探す気もなかったんですよ。

 今はある程度調べて、どこぞの元武士で坂田というって事はわかったんですが、足取りはわかってないですね。


──んで、まあ、その後なんですが、いくら転落から助かったと言った所で、生まれたての赤子が一人で成長できる訳がないですからね。

 当然、俺は拾いあげられ、育てられたわけですよ。誰に?


 山姥に、です。


 ああ、ああ、そう、いきりたたないで。

 此処の所、化物騒ぎが多いですから、気持ちはわかりますけど抑えて下さい。

 山姥と言っても妖でも化物でもないんですから。

 そもそも、実際にそんなモノは存在しないですよ。

 俺の育ての親は、山姥と呼ばれていただけ。

 そう呼ばれていただけの、ただの未亡人なんですよ。


 ああ、うん、そうです。頼光様の言うとおりです。

 ただの未亡人が山姥なんて呼ばれる訳がない。

 なんで山姥なんて縁起でもない名前で呼ばれてたかの理由なんですがね。


 それは──春をひさいでいたからです。


 まあ、それだけでは山姥と呼ばれる理由にはならないんですが、残念な事にその未亡人は美しかった。

 近隣の男がこぞって女の春を求めて、夜這いをかけに来る程に。

 噂が噂を呼び、時には公家すら夜這いをかけにきていたらしいんです。

 驚きますよね。足柄の山の中ですよ……。

 人気は止まる所を知らなかった。

 そうすれば、どうなるかわかりますか?

 ん?わかりませんか、案外鈍いですね。


 女に逢いたい男の数が飽和状態を超えたんですよ。

 女の身は一つですからね。当然ですが、毎晩毎夜の夜這いに女の身は持たなくなる。

 生きるために、己の春を見知らぬ男に与えてるというのに、その見知らぬ男のために身体を壊しては本末転倒だ。

 至極当然、男に逢うのを断る事になる。


 しかし、それでも噂を聞きつけた新参は増える一方。

 古参の男どもは女に逢いたくて逢いたくて仕方ない。

 でも、古参、新参、どちらも女には逢えない。

 そこで古参どもは一計を案じたわけだ。


 ここまで言えばわかりますな?

 ええ、そうです。古参どもは噂を流した。流言蜚語ですな。

「その女は山姥だ」「男を喰らう魔物だ」とね。

 ご丁寧に捏造したもっともらしい証拠まで用意して、ですよ。


 こうして、世にも美しい山姥が出来上がった訳だ。


 その頃に俺は彼女に拾われました。

 そこからの生活は幸せだった。

 もしかしたら、俺の人生の中で一番幸せだったかもしれない。

 多分、彼女に拾われた時に──俺はもう一度生まれたんだ。


 山姥の母が出来た。

 その母から、金太郎と言う名前を貰った。

 人間らしい衣服も貰った。

 へその緒を引き千切られた俺のへそが。

酷く出べそだった俺のへそが可哀想に思えたらしい。


 母は、美しく、優しく、教養の高い人だった。

 母から色々な事を教わった。詩歌、管絃、何でも御座れだ。

 料理も上手く、飯が美味かった。


 友も出来た。

 友、と言っても人間ではなく、熊、兎、猿、鹿、なんかの森の動物だけれど。

 それでも気のいい奴らでしたよ。


 まあ、そんな感じに、生まれからけちのついたこんな俺でも、なに不自由なく生きていく事が出来ていたんだ。


 母は、俺を愛してくれた。

 俺も、母を愛していた。


 そして、何事もなく俺はすくすくと力の強い童子に成長した。

 でも、此処らあたりから俺の人生はまた──軋み始めたんです。

 その軋みが始まったのは、ある夏の暑い日だった。


※弐


 それはとてもとても暑い日だった。

 普段は真夏でもそこまで気温の上がる事のないこの山も、今日は異常な熱気に満ちていた。

 普段は優しい女の手が頬を撫でるような涼しい風も、今日はただの脂ぎった中年男の手で頬を撫でられている感触。

 それではいたずらに不快感を増すだけだった。


「しっかし、暑いな」

 金太郎は己の前掛けをはずし、湧き出てくる珠のような汗を一心に拭う。

 その金太郎を背に負った熊は、後ろを振り返り、ひとつ頷くとまた前を向いて歩き出した。

「暑いのに、背負って貰ってすまんな」

 と言いながら、金太郎は熊の首筋を優しく擦る。

 熊は嬉しそうに「ぐおお」と一声唸った。


 なおも熊の首筋を擦りながら、空を仰いだ。

「山もおかしいし、どいつもこいつもどうしちまったんだろうな、一体……」

 ぽつりと呟いて、眉間に皺を寄せる。

 ここ最近、金太郎は頭を悩ませていた。

 その悩みのタネとは山の暑気などではなく、ともに暮らす母の事だった。


 金太郎の知る母は優しく、穏やかな人だった。

 だが、最近の母は違う。

 苛々していたかと思えば、妙に金太郎にべたべたとしてくる。

 そのたびに、金太郎は得体の知れない嫌悪感に襲われていた。

 好きだった母が、まるで違う生き物になってしまった。

 そんな心地の悪さだった。


 そんな事をつらつらと考えていると、熊がふいに足を止めた。家の前だった。

 金太郎は熊の背に乗ったまま、家を少し眺めた後、熊の背からゆっくりと降りた。

 そして、熊の前に座って、その首を抱き、頬を寄せた。

 熊は嬉しそうに、再び喉を鳴らす。

 硬い毛が頬を差し、少し痛痒かった。

「ありがとう。今日はもう山にお帰り。また、明日な」

 そう言うと、熊は向きを変え、のそりのそりと帰っていった。

 金太郎は熊が森の中に消えていくのを見送ると、己も家の中に入った。


「ただいまー」

 家の中はうす暗かった。

「かあちゃん? どこだ? いないのか?」

 返事はなかった。

 明り取りの小窓は全部閉まっている。

 入り口も金太郎みずから、閉めた。

 暗い。

 明るい外から中に入った金太郎の目は暗闇に慣れておらず、先の方まで見通す事は出来ない。

「おーい」

 大して広くない家の中、少し大声で母を呼んだ。

 返事は、やはりなかった。


 仕方なく金太郎は、手探りで家の中に上がりこむと、家の中を明るくするため、窓を開けるために閉じている板に手をかけた。


 ガッッ!


 暗闇の中、いきなり手首を掴まれる。

 金太郎は驚き、瞬間的にその手を振り払った。

 金太郎の手首を掴んでいた手は、意外に容易く振り払われた。

 しかし、今度はその手、その腕で金太郎の胴を後ろから縛めた。

 荒い、錆びたような呼吸音。

 みしみしと響く肉の音。


 うす闇の中、ぼんやりと浮かぶ、己の胴に巻きついた白い腕。

 決して強い力ではない。

 いや、むしろ締め付ける力は、いたく弱々しい。

 簡単に振りほどけそうだ。

 そう思って、金太郎は思い切り身体を捩った。

 予想通り、金太郎を縛めていた腕は、簡単にその縛めを解いた。


 後ろから、どんっがっちゃんと派手な音が鳴った。

 金太郎を縛めていた相手が転んだようだった。

 その音を聞き、相手が怪我をしていないかどうか確認するために、

 金太郎は振り向いた。


 途端。


 今度は正面から、金太郎の足元に、それは絡み付いてきた。

 金太郎は急に足を絡めとられ、姿勢を崩し、尻餅をつくように転んだ。

 そして、それは暑さのために衣服を脱いで下着一枚となっている金太郎の肌の上に覆いかぶさってきた。

 そしてずんずんと足元から、這い上がってくる。


 暗闇に眼が慣れた金太郎は、己の足元から這い上がろうとしているモノを見ようと目を凝らした。


 見えたのは、一糸纏わぬ姿をした、黒い髪の女。

 ぼんやりと見えるのは長く、乱れた、黒い髪の毛。

 それが汗で束になり、ゆらり、ゆらりと揺れている。

 その髪の毛の束の間から見える瞳。

 見覚えのある瞳。


「かあ、さ、ん……?」


「金太郎、金太郎、金太郎金太郎金太郎金太郎金太金金金金金金」

呼びかけられた母は、顔をあげずに、ひたすら息子の名を呼んだ。

「どッ、どうしたんだよ、母さん。こんなに部屋を暗くして。しかも、いきなりこんな事するなんて…………」


 母はその問いに、やっと顔をあげて応えた。

「どうしたも、こうしたもないんだよ。仕方ないんだ。そう仕方ない。もう、誰も妾を愛してくれないんだ。あんなに妾を愛してくれていた男たちは一人減り、二人減り、三人、四人と減り、そして今では誰一人として来なくなった。妾に残されたのは……あんただけだ。だから、だから、だから、だからだからだからだからだからだからだからだからだからだからだからだからだからだから」

 女はにやりと顔を歪めた。


「あんたが、妾を愛しておくれ」


 その時に金太郎が見た女の顔は、容色美しく、慈愛に満ち、教養高く、品のあった母のそれではなかった。

 それは、皺深く、厭らしく、下卑て、品のない女の顔だった。

 いつもは優しい光を帯びた瞳も、今はどんよりと鈍く金色に光っていた。

 うす闇の中、どんよりと濁り、それでもなお妖しく光る瞳。

 その瞳を見た途端、先程までの夏の暑気が嘘のように消えうせ、全身を鳥肌と、恐怖と、嫌悪と、失望と、悲嘆が駆け抜けた。

 金太郎は思った。


──歪んでしまった。


 金太郎は母の名を叫んだ。

 今はもう、記憶の彼岸に消えた名を。

 叫んで、立ち上がり、駆け出した。

 家の出入り口から出たのかも定かではない。

 山の中の何処をどう駆けたのかも定かではない。

 何を思い、何を叫んでいたかも定かではない。

 無我夢中の五里霧中だった。


 金太郎は二度目の生を失った。

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