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とある金太郎の生涯  作者: じゃっく
1/6

■生-語初

※壱


 え? いや、特に悩んでなんかいませんよ。

 

 暗い顔してるって? うーん……疲れてるだけですよ。

 

 珍しい、ですか? そうですね。俺が疲れてるなんて……ないですよね。強さだけが取り得の俺がね……

 うん、悩んでますよ。でも悩んでいるというよりは……後悔している。いや、違うな。

 ……挫折、ですかね。喪失。うーん。

 どれもしっくり来ませんね。

 俺の人生って何なんだろうなーって思ってたってのがあってるんですかね。

 ──こう、上手くいきかけた所を常に何かに邪魔されるってんですか?


 ん? 話してみろって?

 いやいや、こんな愚痴みたいな自分語りなんて天下無双の頼光様にお話出来ませんって。


 あー、他人の不幸は蜜の味ですか。ははは、他人の不幸を宿直の時間つぶしにしないで下さいよ。

 ですがまあ確かに、そんな軽い気持ちで聞いてもらえた方が、俺の気も楽ですし。

 一丁、秋の夜長の夜伽をさせて頂きましょうかね。

 娘でないのはご勘弁。そこばっかりはどうしようもありませんからね。


 …………いや……綱さん、そんな目で見ないで下さい。俺にそっちの気はありませんよ。

 近い近い。ちょっと離れて下さい。

 

 ふぅっ、やれやれ。じゃあちょいと、坂田公時の半生でも聴いてやって下さい。


※弐


「ひっ、ひっ……ひぎぅひぎゅう、はッはッはぁぁヴヴうううヴヴうう」


 破れ屋の中から、女の叫び声が響く。

 その叫びは間断なく続いたかと思えば、急にぴたっと止まり、また暫くして始まった。


 その声に呼応するように、一人の男が破れ屋の外でおろおろしていた。

 其処此処を俯きながら歩き回っているかと思えば、急に足を止め、破れ屋の様子を伺うように首を伸ばしたりしている。


 この男はこの家とも言えないような破れ屋の主人であり、一方、破れ屋の中で叫んでいる女は、その妻。

 今まさに子を産み落とそうとしている所だった。


 暫く男は右往左往していたが、遂にそれすら出来なくなり、地面にへたりこんでしまう始末だった。

 そして、ただただ手を合わせて祈った。


 祈るは、妻の安寧、子の幸せ、家族の形成。


 一心不乱に祈った。

 普段は神も仏も意に介す事もない無信心者であったが、この時ばかりは祈らずには居られなかった。


 その時、一際激しい叫び声が破れ屋の中から轟いた。

 そして、はたりと止んだ。

 子の産声は聞こえてこない。


 手を合わせていた男は顔をあげた。その顔に表情はない。色もない。

 それからゆっくりと膝を立て、幽鬼のようにゆらりと立ち上がった。

 しかし、その先の一歩が踏み出せない。

 その一歩が吉と出るのか凶と出るのかわからない。

 その一歩が丁と出るのか半と出るのかわからない。


 男が足を踏み出す事を逡巡していると、破れ屋の中からその一歩を催促するように赤子の産声が上がった。


 その声を聞くなり、男は弾けた。

 破れ屋に駆け出し、入り口にかかっている筵を引き破り、中に転がり込んだ。


 そして、愕然とした。


 一面が朱に染まっていた。

 布団も、床も、果ては壁にまで鮮血が飛び散っていた。

 血の海という形容はこの為に有るといっても過言ではなかった。


 そして布団の上に横たわる妻の顔は土気色だった。

 表情は生きている人間のそれではなくなっている。

 死んでいた。


 この乱世、人の死した姿など何処にでもあるモノであり、男とて数多くの死に直面してきた。

 友も死に、親類縁者も死に、親も死んだ。

 死んだ人間はその表情を見れば、すぐにそれとわかるまでになっていた。


 しかし、男は妻が死んでいる事が信じられなかった。

 いや、信じたくなかった。

 戦で家族を亡くした分、新しい家族への希望が大きかった。

 そして、なにより妻への愛情が余りにも大きすぎた。

 男は妻を愛していた。

 弱い身体で必死に夫を支えようとするその献身。

 男が冗談を言った時に、くすくすと小さく笑うその笑顔。

 夕餉を作る後姿、服を繕う時の俯いた顔、料理を失敗した時のばつの悪そうな態度。

 全てがいちどきに頭の中を駆け巡った。


 無意識に男は叫んでいた。

 叫んでいるが、己の叫び声は、男の耳には入らない。

 なんの音もしない。

 自分が叫んでいるのかどうかもわからない。

 それでも叫んだ。

 叫びながら──哭いた。

 哭きながら、妻に駆け寄った。

 妻の身体を揺さぶる。

 起きない。

 揺さぶる。

 起きない。

 妻は一生目覚める事はない。


 男はやっとその事実に気付いた。

 気付いた時、男は肩を落として、動きを止めた。

 すると、男の耳に今まで聞こえなかった音が聞こえてくる。


 それは赤子の泣き声。

 哀しくも力強い産声だった。


 男は虚ろな眼であたりを見回し、それを見つけた。

 全てが朱に染まっている世界の真ん中に、それは在った。


 男はゆったりとそれに近づき、まだへその緒がついたままのそれを拾い上げた。

 そしてそれを空虚な瞳で見つめる。

 見つめているうちに光の消えた男の瞳に暗い光が宿り始める。

 憎しみ。

 腕の中にそれを抱き、それを見ていると段々それが醜悪なモノに見えてくる。

 妻の命を奪った原因。

 己の家族を奪った元凶。

 それがこの鬼子。

 幸せになんかなれるものか。

 成長なんか出来るものか。

 幸せになんかさせるものか。

 成長なんかさせるものか。

 そんな考えが頭の中を支配した。


──男は、狂っていた。


 次の瞬間、赤子のへその緒を引き千切り、脇に抱え込むと、それを谷に捨てるために男は駆け出していた。

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