彼女の言葉
作者「ユイはきっと、長髪だと思う」
──ジリリリリリリ……
けたたましく鳴る目覚まし時計をバチンと手で叩いて止め、時刻を確認する。
七時……。今起きないと遅刻だ……起きなくては──。
僕は仕方なく、ベッドから這い出た。
まだ重い瞼を擦りながら、洗面所に向かう。
「おはよう望」
「……はよう」
洗面所から出てきた母と軽く挨拶して、交代で洗面所に入る。
顔を洗って、歯を磨く。
「……はぁ──」
いつものように溜め息を吐き、水で口の中をゆすぐ。
そしてまた自室に戻り、中学の制服に着替える。
「頑張れ……、頑張れ……、頑張れ──」
着替えながら、こう口ずさむのがもう日課になっていた。
僕は、学校に話せる友だちがいない。
なので、こう言って今日一日を乗り切るのだ。
こう言っておけば、乗り切れる気がする。一種の暗示みたいなものかもしれないが──。
「望ー! 早くしなさーい」
「はーい──」
母さんに返事をして、指定のカバンを持ちリビングに向かった。
*
朝食を済ませ学校に向かって歩いていると、ユイが隣に並んだ。
「おはよ、望」
「うん、おはよう──」
ユイは、唯一気兼ねなく話せる友だちだ。
いつも不安な時や辛い時、気づくと近くにいる。
「望。私と出会ったの、いつだったか覚えてる?」
「え? うん。覚えてるよ──」
ユイと出会ったのは、中学に入ってすぐだった。
友だち作りに失敗して、一人窓の外をぼーっと眺めていた時だ。
ユイが、いい天気だね──と話しかけてきてくれた。
それから、ユイとは登下校や休み時間をともに過ごす程になった。
「……あのね、望」
「ん?」
「私とは、話さない方がいいと思う」
「なんで──ユイさ、最近おかしいよ。この前もそんなこと言ってたよね」
最近、ユイはおかしいのだ。
中学二年も半年が終わってから、ユイは変なことを言うようになった。
私となんて話してないで、もっと他の人と話さなきゃ──と。
笑顔なのに、少し悲しげな顔をするのだ。
「……ほら、だってもうそろそろ三年生だし、望も友だち作ってさ」
「…………いいよ。今のままで──ユイと話してるだけで十分だし」
「でもっ……」
「その話はもう終わり──」
まだ何か言いたげなユイを遮り、僕はさっさと歩を進めた。
*
学校は、いつもと変わらない。
授業を受けて、お昼を食べ、また授業を受ける……。その後は部活で、部活に行く人は各活動場所へ。
僕は帰宅部なので、さっさと外部活の人たちの迷惑にならないよう、端を歩いていく。
「おーい、ボール取ってくれー!」
そんな声に少し遅れて、サッカーボールが転がってくる。
僕はこちらに向かってくるユニフォーム姿の人に、ボールを蹴り返した。
ボールは真っ直ぐに転がっていき、ユニフォーム姿の人に届いた。
「ナイスコントロール! サンキューな!」
いえいえ、と軽く会釈して、僕は歩き出す。
少しだけ、お礼を言われて嬉しかった。
「ねえ、望──今の同じクラスの人だよね」
正門を出ると、ユイが後ろからやってきて言った。どこか嬉しそうだ。
「あぁ、うん──確か、能島くん。サッカー上手いんだよね」
この間の体育の授業で、ばんばんゴールを決めていた。
僕はそれを、すごいなぁと思って見ていた。
「よかった──。これも何かの縁だね」
「は?」
「これからは、私がいなくても話し相手になってくれるよ──」
とユイが微笑む。
何でそんなことを言うのか、僕にはわからなかった。
「そうなんだ……?」
何となく腑に落ちないまま、僕はユイを見つめた。
「女の勘よ、勘──」
とユイはとんとんと頭を指で叩いて見せた。
……よくわからない。
「あっそ──」
うん! とユイは笑って、にこにこしていた。
*
ユイの言っていたことがわかったのは、それから数日経ったある日のことだった。
「望、だよな」
「……え? あ、うん──」
久しぶりに名前を呼ばれて、一瞬自分のことだと気づくのに時間がかかった。
能島くんだった。彼は、男子全員を下の名前で呼ぶ。
「あのさ、いつも何見てんの?」
「え? あー……空見てる……」
今もぼんやりと窓の外に顔を向けていた。
「空?」
「うん。空」
「確かに……いい天気だな──」
と能島くんは笑った。
そうだね──と僕もつられて笑った。
*
それから少しずつ、僕は能島くんと話すようになった。
気づくと、ユイと話す時間より能島くんと話す時間が長くなっていた……。
「望」
「ユイ──」
下駄箱で、ユイと会った。
靴に履き替えて、ユイと並んで歩く。
「望さ、能島くんと仲良くなったよね」
「あ、そうそう。ユイの言う通り能島くんと仲良くなったんだ」
「望、嬉しそう──」
ユイが安心したというような顔になる。
「それに、この頃明るいし、もう心配することはないね」
「心配って……そんなの──」
もともとないじゃん、とユイを見ると、ユイは何故か涙ぐんでいた。
思わず立ち止まって、ポケットを探ってハンドタオルを出す。
「どうしたの? これで……」
「ううん……、大丈夫──」
指で涙を拭うと、ユイはにっこり笑った。
「……これからは、能島くんとか、仲良くしてくれる人を大切にすること。いい?」
「なんだか、お母さんみたいだ……」
「いい──?」
軽くおちょくると、いつもノリのいいユイは、今日に限って真面目に返してきた。
「ユイ……?」
「うん、大丈夫だ。元気でね──」
とユイは一方的に話を終わらせて、先を歩いていく。
「待っ──!」
「望ー! ボール取ってくれー!」
前に聞いた声の方を見ると、能島君が片手をあげていた。
そして、足にボールが当たった。
僕はそれを蹴り返し、顔をユイの方に戻す。
でも、もういなかった。
「……どうしたー?」
近づいてきた能島くんに声をかけられて、僕は能島くんに訊いた。
「あのさ、ユイしらない?」
「ユイ?」
「そう。ほら、前にいつも僕がよく話してた──」
「は? 知らないよ──てか望、いつも一人だったじゃん」
そう言われて、僕はやっと理解した。
『ユイ』なんて友だちは、ここにはいなかった──。
「……ごめん、何でもないや」
「そっか。じゃ、明日な」
「うん……」
校庭に戻っていく能島くんを見送って、僕は一人歩き出した。
ユイのことを思い出しながら──。
ユイは、僕の妄想の産物だった。
入学したてで友だちの出来なかった僕が、勝手に創り出した唯一の友だち──。話しやすくて、いつも明るくて、優しくて……。その優しさが、いけなかった。
ずっと、ユイは心配してくれていたのだ──もしかしたら、僕の心配が反映していただけなのかもしれないけど──僕に友だちが出来たら、消えようと思っていたのかもしれない。
そして、本当に友だちが出来た。
だからユイは、消えた。大切にしろと言い残して……。
ユイに会いたいと思うときが、これから先にあるかもしれない。
でも、その時はこらえられると思う。
だって、涙を流すぐらい心配させたのに、また心配させることはだめだと思うから。
だからその時は、僕はユイに言われた言葉を思い出すことにした。
『仲良くしてくれる人を大切にすること』
「……ありがとう、ユイ」
空を見て、呟く。
届くかなんてわからないけど……、でも、言いたかった。
ずっとそばで、心配してくれていたユイに。
僕は、大丈夫だよ──
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