運命の人
思い付きです
その人を見た瞬間、わたしの中に電撃が走った。
視界が真っ赤に染まったかのような衝撃。
体中を突き抜ける高揚感。
胸の内側から湧き出す激しき気持ち。
どくどくと体中の血液が沸騰しそうなほど熱くなり、脈拍は基準値を大きく超えていたことだろう。
我知らず、興奮したかのように肌は赤く染まっていた。
そう、この時わたしは……きっと生れて初めて誰かを本気で好きになったのだと思う。
「どう思う?」
「どうって言われてもねぇ、自分の気持ちでしょーに」
せっかく相談しているのに、気のない返事を返してきたのはわたしの妹、芹菜。目の前には二つ並んだカフェラテ。今日は創立記念日という公然としたお休みで、同じ学校に通う一つ違いの私たちは、出された宿題を無視して買い物に出てきていたのだ。
そこで出会った運命。そう、これはきっと運命だ。
たまたま入ったカフェ。そのカフェでオーダーを聞いてくれた店員のお兄さんが―――きっとわたしの運命の人。
二人がけのテーブル席に座ったところで、出来上がったカフェラテを持ってきてくれたのもお兄さん。愛想よく受け取っている芹菜とは逆に、わたしは顔も上げれない。けど、どくどくとうるさい心臓を落ち着けつつ、ちらっと視線を向けると、なぜかお兄さんもわたしを見ていたのだ!
こ、これが運命でなくなんなのか!
「あのお兄さんも、わたしを運命だと思った……とか思わない?」
「莉菜姉……なにその乙女回路。やめてよ寒いから」
冷たい芹菜の言葉にめげず、わたしは何度もお兄さんを見てしまう。そしてそのたびに目が合うのだ。もう、これは、絶対、運命!
「そんなことよりさ、買ったワンピに合う靴も見たいんだ。やっぱりワンピに合わせると、白か黄色かなぁ」
「そうだね」
「鞄はさ、この前パパに買ってもらったラメ入りのでいいと思うんだよね」
「いいかもね」
さっき買ったばかりクリームイエローのワンピースを脳裏に描きながら、わたしは曖昧な相槌を繰り返した。芹菜は自分が喋りたいだけだから、相槌さえしておけば気にせず喋り続ける子なのだ。わたしはそれをいい事に、何度もチラチラとカウンターへ視線を向けたのだった。
彼女を見た瞬間の自分の動揺は計り知れない。
突然頭の中に湧き上がって来た記憶の渦が、思考回路を壊す勢いで押し寄せてきたのだ。ほんの一瞬の出来事だったが、俺にとっては膨大な記憶が一斉に流れて込んできたため、とても長い時間に感じられた。
妹らしき女の子と2人。今も昔と変わらず、妹思いなのだと感じると―――無駄に胸の痛みを感じた。
昔とは違う、今は違うのだと気持ちは理解しようとするのに、過去の面影を探して何度も視線を向けてしまう。
今は何の接点もなくなったのだ。
今日は偶然出会ってしまったが、彼女たちが店から出て行けばそれだけの事。何度も出会うはずもない。
過去の記憶が今の自分を苛もうとするのを、なんとか押し留めようとするが、それでも無意識に視線は彼女を追っていた。そしてそれは彼女も同様なのか……何度も目が合う。
赤く染まった顔と、少し潤んだ瞳。目が合うと勢いよく顔を背けられ、体を小さく縮ませている。
あの反応は何だろう。
俺を思い出したわけではないのか……?
俺は思い出してしまったのに、過去の壮絶な記憶を。今とは違う世界で起こった……いや、起こしてしまった残虐な出来事を。
―――関わらない方がいい。彼女たちに俺が関われば、きっとまた何かが起こる。
「すいません先輩、ちょっと腹痛くて……」
「何食ったんだ久城。まぁいい裏でちょっと休んどけ」
「ありがとうございます」
まだ休憩時間ではなかったが、同僚に体調不良を理由にして奥のスタッフルームに引き上げた。
座ったパイプ椅子がぎしぎしと音を立てる。
10分、20分、30分……もういいだろうか。カフェラテ1杯で長時間居座るのも、そろそろ限界だろうし、俺もこれ以上顔を出さないとなれば、同僚に怒られる。カウンターに戻る前にタバコを吸おうと裏口から外に出て―――体が硬直した。
そこには……腕組みをする彼女がいたのだ。
「思い出したわ、グエン」
「……」
「今の名前はなんていうのかしら。どうでもいいけどさ」
「……セリナ……」
「汚らわしい声で、わたしの名を呼ばないで!」
芹菜は怒りに燃える瞳で久城―――いやグエンと呼んだ男を見据えた。
「まさかこんなところで会うことになるなんてね。あんたまで転生してたなんて想定外だったわ」
先程までテーブル席でワンピースの話を楽しげにしていた芹菜は、忌々しげに目を吊り上げ、グエンを睨み付けている。
「リフィルは……」
「腐った声も変わらずなのね。そして莉菜姉の名前も呼ばないでちょうだい。誰よりも、何よりも絶対に呼ばないで!」
怒鳴るような声で全身から拒絶を示す。全身から怒りに燃えるオーラが見えそうなほどだ。実際、オーラ鑑定士がいれば、いまの芹菜の全身から吹き出す凄まじい怒りのオーラを目の当たりにして逃げ出していたかもしれない。
「莉菜姉はまだ思い出してない。絶対近づくな……それだけよ」
「……」
「今と昔は違うわ、恨みは消えないけど―――これ以上接触してこないのなら許してあげる。この界隈にも二度と来ない。それだけよ」
言うだけ言い終えると、芹菜は裏路地を駆けて行った。きっとその先の大通りには妹を待つ莉菜がいるのだろう。
「俺は……」
―――それでも莉菜が愛おしい。
ずっと昔、そして地球ではない遠い世界。
リティルとセリナは今と変わらず仲の良い姉妹だった。豪商の父は清廉であり、潔白であった。人の信用を得ること、人との繋がりを大切にすること。彼は幼いころから娘たちに何度も何度もそう言った。
瞬く間に築いた財産は貴族たちを凌駕し、国の中枢にも力を及ぼした。それは貴族たちには決して面白い事ではなく、豪商を破滅させたいと願う者たちは数知れなかった。
そして彼らは本当に、豪商であった父を弑し破綻させたのだ。ありもしない罪をねつ造し、その罪をすべて被せ、築いてきたものすべてを奪った。そしてそれは、何も知らず幸せに生きてきた仲の良い姉妹にも降りかかった災難だった。
突然の悲劇に、彼女たちは何が出来ただろう。
突然現れた男たちが、優しかった父と母を殺し、乳母も殺した。逃げ出さず震えるばかりだった姉妹は殺されはしなかったが、貧しい家に引き取られた。まるでそれが罰なのだと言わんばかりに。
何不自由なく暮らしてきた姉妹にとって、貧しい生活はとても厳しいものだった。引き取った夫婦は2人にきつく当たり、着るものも食べるものも満足に与えはしてくれない。すでに少女の殻から脱していた姉リフィルは娼婦に身を落とし、後を追うようにセリナも同じ道を歩んだ。
いつしか二人は二人だけで生活を始めた。身を売る行為は決して慣れるものだはなかったが、それでも貧しい夫婦で養われ続けるよりは、よっぽどマシな生活が送れたためだ。
そんな二人に転機が訪れる。リフィルが身請けされることになったのだ。セリナも一緒でなくては行けないと告げれば、男は姉妹揃って引き取ってくれた。しかも男はそれなりの爵位もちであるにも関わらず、リフィルを愛人ではなく正妻として迎えてくれたのだ。
年の差10歳は気にならなかった。だが、予想していた通り周りからの風当たりは厳しいものだったが、それでも男はリフィルとセリナを庇い、幸せをくれた。そう―――幸せだったのだ、確かに。
男はグエンと名乗った。
豪商の父を破滅に導いた貴族たち。それを主導していた人物その人だったのだ。
それを知った時、リフィルはグエンの目の前で自害し、セリナもまた後を追い刃で己の胸を突き刺した。
その後の事は姉妹には分からない。
グエンがどれほど嘆き悲しんだのか、謝罪を繰り返し叫んだのか―――制止を振りきり自分の胸に刃を立てたことも。
「欲しいのは、リフィルだけだ……」
潤んだ瞳を思い出す。艶やかな髪が脳裏によみがえる。
小さく喘ぐ吐息。
伸ばされた腕。細い体。
「セリナ、約束は守れそうにもない」
思い出してしまえば諦めることなど出来はしない。
主導を握り、確かに二人の家族を破滅させた。だがそれは、決してグエンの策ではなかった。彼は欲したのだ、蕾のままでも充分に輝いて見えたリフィルを。その体を掻き抱くために、欲望のために道を進んだ。そしてその思いは、狡猾だった他貴族のタヌキ爺たちに利用されたのだった。
気が付いた時には作戦は終わっていた。二人の行方は分からないと言われた。抵抗したので殺したともいわれた。どれが真実かわからず、二人の両親が埋葬された墓まで掘り起こした。
いつしか気力も失くし、似た女をみつけては貪るようになった。花街にも頻繁に繰り出し、名門と呼ばれた爵位は汚れていった。そんな時、道で男を漁っている姿を見つけたのだ。
名前を聞けばリフィルと言う。間違いないと思った。
すでに処女ではなかったけれど、そんなことは関係なかった。ずっと恋焦がれ、一時は諦めた娘が腕の中にいる幸福感は言葉にできないものだったからだ。
「君をもう一度、迎えに行く」
過去とは違い、地位も名誉もない今世だけれど。それでも。
あの笑顔をもう一度見るために。自分のものとするために。
それから久城と芹菜の攻防は凄まじいものがあった。
決して莉菜には会わせようとしない芹菜に、久城はまず二人の両親から懐柔を始めた。実入りの良い仕事に転職し、少しずつ地位を築いていった。それと並行し、莉菜の携帯番号を入手し、アドレス交換をし、時には二人で会うこともできるようになった。必ずあとから芹菜が追いかけてきて邪魔をしてきたが。
「芹菜は久城さんの事が好きなのね」
「ちっがぁぁあーーーう!!!」
姉のとんでもない勘違いに憤慨したことは数知れず。
追い続ける久城と、追い払い続ける芹菜の戦いは出会って8年目で決着がついた。莉菜が妊娠したからだ。その時の芹菜の爆発ぶりは筆舌に尽くしがたい。
「久城ぉぉ……」
「大事にする、絶対、間違いなく!」
結婚式当日も、芹菜は久城を蹴り上げていた。白いタキシードの背中にヒールの靴跡が付いたが、一切悪いとは思わなかった。
「芹菜、ごめんね……」
いまだに妹が久城を好きだったのかと勘違いしている姉は、久城莉菜となった今も時々申し訳なさそうな顔をするのであった。
ちなみに子供の命名権は芹菜が勝ち取り、莉芹と名付けた。
「お、俺の名前が一文字もない気がするんだが義妹よ」
「なに当たり前のこと言ってんのよ、バカ男」
新居に頻繁に顔を出す芹菜は、二人目の子作りは頑として阻止する意向である。
最初は莉菜が久城に復讐するはずだったのですが、芹菜が出張って来たw