第八話:出立は逃亡と等しく
顔が引き攣っているのを自覚しつつ、ここの家主の娘であるはずの人物に声を掛ける。
「な、なぁお前の親御さんは何の神なんだ?」
「見れば分かるじゃろう! 武器の神じゃ!」
「どっちが!?」
「父上じゃ!」
「ようこそ、我が家へ」
その声で、周囲の風景が一気に豹変する。真っ白な空間であった筈は瞬き一つの間で変動し、もうそこは絢爛豪華な二階建ての屋敷の中。
真っ赤なカーペットが地面に敷かれ、繊細な装飾のシャンデリアが頭上で揺れる。
それは主人の訪れを知らせるベルの様で、刑を執行する際の合図の様でもあった。
目の前の大扉が静かに開き、黒服に身を包んだ人物が――執行官が――現れる。
中肉中背、物腰は一見穏やか、カーペットに沈み込む靴には汚れ一つ無い。
実に紳士的だった――その視線を、その眼光を覗けば。
コツン――男は杖をつき、俺に見下す様な視線を送る。いや、本当の所俺を見ているかも怪しい、あくまで見た目だけ、上っ面だけの視線に感じる。
「君が……長谷川 茂君だね?」
「ええ、そうです。葺 雄蔵さん」
葺が周囲の武器など無いかのように挨拶をして来る。
俺は声が震えるのを自覚しつつも、平然と答える事で精いっぱいの虚勢を張る。
まだ"消無私"は使わない、今後を考えると能力に頼り過ぎるのは危険だ。
「まずは一つお礼をしよう。娘をここまで連れて来てくれありがとう」
僅かに頭を下げるその仕草は"優雅"の一言に尽きた、その紳士的な態度はおよそ武器の神とは思えない、勿論周囲に浮かぶ武器の事に目を瞑ればの事だが。
「そして、罪に怒ろう。我が娘の力を奪い、居るかどうか分らない犯神を探すなどと言って誑かした、その罪は重い」
ガチャリ――その音に体が強張る、周囲の武器が僅かに動いたのだ。しかし、強張った体は不思議と直ぐにほぐれる。なぜだ?
「しかし――私は娘が無事帰ってきて気分が良い。どうぞ、我が娘を置いて犯神を探したまえ」
武器が退出を促す、依然周囲の武器は浮いたまま剣先をこちらに向けている。だがその剣が背から突くことは無いだろう、そんな確信が不思議とある。
防人を置いて行く。それだけで無事にここを抜けれるのならば何の問題も無い。正直に言えば、世間知らずのあいつは足手まといと言わざるを得ない、ここで無理にでも連れて行く必要性は無いだろう。
「そ、そんな父上!」
防人が武器も顧みず――冷静な判断を失い――前は一歩踏み出て声を挙げる。およそ、その態度は褒められて者では無い、これが肉親でなければ敵対行為と見られる場合もあるのだから。
「黙りなさい、桔梗。今お前は冷静な判断が出来なくなっているのだ、少し眠ればお前も納得する。さぁこっちに来なさい……!」
「そんな、止め、止めてください……!」
防人が涙を流しながら、葺の成すがままに武器の輪より連れ出される。無力だ。
「どうした、君も早く行きたまえ」
誤解するなよ、葺。
さっきから防人を見捨てる言い訳を並べておいてなんだが、俺は促されるままに退きはしない。
ここで退くことは、神の威信に負け、脅しに屈し、無様に頭を垂らすことに他ならない。
それでは駄目だ。あくまで不遜、何処まで言っても強気、思い上がってベラベラと言葉を吐き出せ! せねば真実と世界は闇のままだ!
俺は一歩前へ出た。音を立てず、だが確かに酸素を全身で取り込む。
酸素が満ちる、喉は震えない。心臓が脈を打つ、その鼓動が俺の背を押す。
憶するな……! 叫べ! 吠えろ! 喚け!
重い口が――開く。
「偉そうに……指図するなよ、似非紳士」
「……何?」
こめかみに僅かに血管を浮かべ、葺がこちらを向く。こちらを見た瞬間に放たれる殺気、それは平和ボケした俺すら気づける程で、全身に鳥肌が立つ。今なら分かる、こいつは俺に対して何も思っていなかったと、先程のこの神の怒りは俺に対する怒りは張りぼて、実際は娘の事しか考えていない。それが今やっと、俺に対して焦点を合した。
「耳が遠いんだな、おじいちゃん。もう一回言うぞ、俺に、指図を、するな、と言ったんだ」
「宜しい、死にたいようだな」
武器が再び音を鳴らす。恐怖で膝が震える、背中が嫌な汗で濡れる。次の一声の為に唇を湿らせつつ、内心では先に自分を叱咤する。シャキッとしろ! 見せかけの無謀を崩すな!
「おいおい、俺を殺したらそこそこ問題になるぞ? 良いのか?」
「安っぽい脅「脅しじゃない!」
声を張り上げる。その意図は圧を含む相手の流れを断ち、己の対話の流れを創り出す事。この流れ失くして俺は何もできない、流れに入ったところで揉まれて喘ぐのだが、人目は気にしろ、見栄を張れ。
「俺が言いたいのは! 俺があんたと対等に会話出来るという事だ! もしあんたが俺から防人を奪うと言うのならば、あんたは何を俺にくれるのか! それを言って貰おう!」
「私の千分の一も生きておらぬ餓鬼が調子に乗るな!」
「生きた年数は関係ない! 生まれたてだろうと死にかけの老いぼれだろうと、この対話にはどうでも良い事だ! 生きた年数が防人の進退に何の関係がある!」
「戯言を……!」
「戯言? 悪いが葺さん、それは俺こそ言いたい台詞だ。何が罪だ! ふざけるな! 力は本人の同意を持って、追跡は本人の意志で選択した事だ! そこにあんたが関わる余地は無い!」
「桔梗をかどかわせたと言って自惚れるな!」
「俺がかどかわせたと言うなら証拠を寄越せ! 無いなら名誉棄損で訴えるぞ老いぼれ!」
「人の法を持ち出すな!」
「はっ! 人の法律も守れないのかよ神様はよぉ!」
「口が減らん……! もう良い、さっさと立ち去れ!」
「そう思うなら、大人しく見返りを寄越せって言ってんだよ! 良い加減その偉そうな態度を改めろ!」
「もういい! 貴様、これ以上はその口開かせること無いと思え!」
「やれよ、本当に出来るんだったらな!」
「貴様っ……!」
銃の安全装置が外れる音がする、弓に矢が番えられ弦が張る、剣がその身に光を反射させる。
全ての武器が予備動作を終える。俺の命が消えるのに秒読みする間も無いだろう。
これは――間に合わないか? それは、ちとよろしくないんだが……!
そう思った瞬間、彼女が来た。
緊張が解けふらりとぐらつく俺を彼女が、防人が支えてくれる。
「止めてください、父上」
傍から離れていた娘を見て葺は小さく舌打ち。先程とは打って変って落ち着いた声を出す。
「その男を置いて、こちらに来なさい。桔梗」
「行きませんし、置きません、父上が認めてくれるまでは」
「桔梗……! 私はお前が……!」
「葺さん、もう止めてください。これ以上は惨めになるだけです」
その声には冷たいものを含んでいるた、当然だここまで娘の事で揉め事起こしたらそうもなるだろう。
コツ、コツと声の主、大人びた女性が階段を降りてくる。歩く動作、鳴らす音、漂う香り、どれをとっても表現するには言葉は足りない程の何かがその女にはあった。
「香美……!」
「本人が行きたいと望んでいるのです、止める必要は何処にもないんじゃありませんか?」
仕草の一つ一つに魅了されそうになる。これが愛の神かと言われたら、納得せざるを得ない。その姿には多種多様な愛の魅力に彩られていた。
「何を言う、桔梗にもしものことがあったらどうするんだ!」
頭に血を上らせ、唾をまき散らすその様子は狂気染みて居た。
「葺さん。桔梗はもう大人です、そうでしょ、桔梗?」
「はい、私はもう一人で歩けます。親に甘える時期はもう過ぎました」
交わされる母子の会話は硬いが、防人は瞳に強く光を称え、きっぱりと決別の言葉を口に出した。
「桔梗はその男に……!」
「茂君……だったかしら?」
葺の声を無視して藍野は俺に声を掛けてくる、見下している様子は無い。ただ、舐める様な目線が気になる、これもまた愛の神が自然と発するものなのか?
「ええ、そうです」
「私が葺さんを足留め(せっとく)しておくから、桔梗と一緒に……ね?」
「分かりました。おい、防人」
前の女の手を取り後ろへと駆けだす。そうしなければ、この女は動かない様な気がしたから。
「ああ、分かってるのじゃ……!」
防人が俺の手に引かれるままに転移門へと戻ろうと駆けだす。
「待てぇ!」葺のその声で門が閉じ、『私が開きます』御神の声が頭に響き門が開かれる。鼓膜と脳、揺らすのはどちらか片方にしてほしいものだ。
「何!?」
背後の驚愕の声に僅かに愉悦を覚えつつ、門の中へ無我夢中で飛び込む。
その一瞬「行って来ます」そう誰かが呟いたの俺は確かに耳にしたが、聞かなかったことにした。
修正完了 7/26
続きはまだできておりません、ややこしいですが次の話は開港前となっているので全く繋がっていません。