第三話:林檎
正直、サブタイは思いつかなかった.
「それが……神の力の結晶、なのか?」
「ああ、そうだ」
原罪の象徴を神からもらうとは、キリスト教徒が見たら卒倒ものだな。
「継承する者へ」
虚無の中に低く響く男声。その声には未だ神の残り香か、聞くだけで救われる様な神々しさがそこにはあった。
その声に押されるように、赤い果実が宙をすぅーと浮遊し、こちらへむかってくる。
「手を」
「あ、ああ」
手の平を上に向け掲げる。すると、宙を浮いていた果実が、糸が切れたように落下する。ニュートンもこの光景を見たらたまげるだろう、まぁあれは後に作られた話しという事だが。
「それで、これは……食べればいいのか?」
「ああ、体内に入れることで、お前に力が継承される」
「これを食べるのか……」
ゴクリ――喉が一つ鳴る。何しろ目の前にあるのは、不完全とは言え、神の力の結晶。数多の物語で神になろうとし、潰えた悪人たち垂涎の品なのだ。悪人には垂涎の品でも、俺の様な凡人には、恐怖の対象でしか無い。
だが、ここで脅えていちゃあ――何も始まら無いわな。
遅る遅る、ではあるが、口元へそれを運び、ゆっくりと歯を立てる。
シャクリ――ゆっくりと歯を立てると、実に耳障りが良い音が辺りに響く。噛んだ瞬間から、鼻を抜ける、林檎独特の清涼感、味は程よく甘く、僅かな酸味。噛んだ感触は、程よく固い俺好みの食感。
グゥゥゥ――久しぶりに餌を与えられた胃が歓喜に震える。思えば、あの日からずっと何も食べてない。その事に気付いたら、もう目の前にあるのは捕食の対象に過ぎない。今まで脅えもなんのその、見る見る間に、その身を削り、芯すらそこには残さない。
うむ、全然物足りないな。って
「これだけか?」
「ああ、継承完了……の筈だ。当たり前だが、私も初めての事なのでな、よく分らないと言うのが実情だ」
「それもそうだな」
口では、何事も無かったように返す。だが、内心では
こ れ で 終 わ り か よ!! 納得いかん! 林檎食べたら、良し完了って。それ何? そんなものなのかよ? 神の力ってそんなもん!?
などと思ってる事は顔に出してはならない、大声で叫びたい気持ちをぐっと我慢だ。衝動に負けてはいけない、理性があってこその人だ。
「待っててくれ、もうすぐ私の両神が転移門を此方に開いてくれるはずだ」
転移門? と思ったが、名前からして世界を移るかどうかするものなのだろう。わざわざ聞くのも面倒だ、そんなことよりも聞きたい事がある。
「あんた、男だったのか?」
散々中性的と思っていたが、今目の前にいる人物は、まぎれも無く男だった。林檎を此方によこした時から感じてた違和感、ずっと気になってたんだよな。
「ん? 言われてみたら……こんなにもはっきりと変わってしまうのか? それとも、確定したのか……?」
返って来たのはよく分らない答えだった。もう少し聞いてみようと、口を開こうとした瞬間。
ゴトっと、白い扉が突然現れる。これが転移門なのだろう。まぁ重要な話でも無し、中断されたとて問題は無い。
「よし、行くぞ」
そう言いつつ、元神は俺の右手を握ってくる。男らしい、ごつごつとした手、およそ握りたいとは毛ほども思わない。
「どうした? 時間が惜しいんだが」
「いや……なんで、手を繋ぐのかなって」
「私とて、好きで繋いでる訳では無い。人間にはこの門は通れないのだ、神と一緒に居れば問題は無いが」
「つまり、体が接触している必要があると?」
「そう言う事だ」
「ちなみに、俺は神じゃないのだが」
「この程度の力が無ければ、犯神を追うのは不可能だろうな」
「……了解」
行き成り命掛けるのかよ、だがまぁ今更後戻りも出来ない訳で。
開いた左手を扉の取っ手に掛け、扉をゆっくりと開く。扉の先には、何時ぞやの空間と同じような、真っ白な階段。
遅る遅る……するのも飽きたので、言ったって、動じず歩み始める。
コツンコツンと一定のリズムで音を響かせ、階段を上る。右手には、相も変わらず、軟らかく、繊細な感触が――っておい。
慌てて、右に居るはずの元神の顔を見る。くりっとした目、整った顔立ち、腰ほどまで伸ばした透き通るような黒髪、腰付近に出来たくびれ、胸は……変わってないとして。
紛れも無く、そこに居たのは女性であった。訳が分からない。と言うか、俺、初めて女性の手握ってんだけど、あっ母さんは勿論ノーカンだ。
ヤバい、体が急速に強張って行く、いや本当に。女性は苦手なんだって。細胞レベルで苦手なんだって。
「……どなた様でしょうか?」
「? 急にどうしたのじゃ? ああ、名前を言って無かったかのう。儂の名前は、"防人乃姫護神"じゃ」
さすが神様、名前がややこしいことこの上ない。って
「いや、そうじゃなく。私は男の方の手を握っていたはずなのですが……」
「うぬ? ……成程、確定はしておらぬのじゃな」
自分の体をしげしげと見て、一言、呟く女性。いや、もうだいたいわかってるんだけど。
「お主が驚くの無理はない、どうやら神ではなくなった今でも、この特性は受け継いでいる様じゃの」
「特性……とは?」
「うむ、儂ら神は若い時には性別がはっきりしておらぬじゃよ。一定の時期になったら、どちらの性別を選択するか決めるのじゃが……何分、この歳での継承など例が無いからのう。まさか、性別がころころ変わるとは思いもよらなかったのう」
性別だけじゃなくて、口調も変わってるがな。だがまぁ成程、どうしてこうなったかは分った。それじゃあ取り敢えず
「男性に戻って頂けませんかね」
男と手を繋ぐ趣味は無いが、女性と手を繋ぐのはひじょーに気を使う。心身ともに、疲れて仕様が無い。
「と、言われてものう、儂にも分からぬ。何分、初めての事じゃから……ん?」
疑問符で言葉が打ち切られる。元神、じゃなくて防人の視線の先は俺の左側に向けられていた。そんな事されれば、当然気になる。
その知的好奇心を満たす為、俺は首を左へ動かす。そこにあったのは、再び白い扉。出口だろうか?
「何なのじゃ? この扉は」
違うみたいだな。じゃあ、なんだこの扉って俺が分かるはずも無いわな。
「まぁよい。取り敢えずは、先に父上と母上の元に……」
――入りなさい。防人、そして、人から神へなろうとする者よ――
響く。鼓膜は震えねど、威厳に満ちたその声は響く。だけど、最近こういうのにも慣れたな。
「この声は、まさか"奉人成乃神"様!?」
この驚き様からして、かなりえらい神の様だな。正直さっきから、きょどるのも面倒くさくなってきたな。
「おい、何をボケッとしてる人の子! 早く行くぞ!」
いやいや、今お前の方が人の子だから、俺の方が神に近いから。
やたら興奮してこちらの手を引く防人にされるがまま、俺は白い扉の中へ足を踏み入れた。