第十四話:覚醒の献杯
女三人寄れば姦しい、と言う言葉を作った人物は実に女人という者をよく分かって要る。もしかしたら、放蕩にふける色男だったのかもしれないのう。
周囲を満たす高い雑音に現実逃避気味に内心で毒づく。
――<婦人素養勉強会>。そう名付けられた只の雑談会に、儂は否応なく参加させられていた。
そう、否応なく、だ。真夜中に投函された誘いの手紙には参加前提の文面が目いっぱい書かれ、最後に小っちゃく自由参加の綴り。これだけで主催者がどれだけ力を持つ政治家で、その妻がどんな人物か分かろうというものだ。
「はぁ……」
本日何度目か分からないため息、幸せが大脱走中じゃ。最も、それ以前に呼ばれた場でため息を吐くのはいただけない。止めなければ、自戒はするものの元々のこういう性質なのか、育った環境ゆえか態度を繕うと事に未だ慣れない。
「あら、どうしましたのため息なんてついて」
チッ、と内心で舌を打つ。面倒な相手に捕まった、今勉強会の主催者<アンナ・ブリジット・エモニエ>、平民党の中でも有数の政治家<セドリック・ファブリス・エモニエ>の奥方だ。
「もしかして、何かお気に召さない事が……?」
「いえそんな……ただ、家の主人はかなりの偏食家なもので、この場にあるこうも美味しい食べ物の内、幾つが食べてくれるものだろうか……と、主人の了見の狭さを思わず嘆いてしまいまして……」
「あらあら、それは確かに困りものねぇ。家の主人もそう言う所があって、すぐに雇ったコックを首にしちゃうのよ、今のでもう七人目よぉ」
ああ、そうかい、出された料理も黙って食えない様な旦那を持って大変じゃのう。と、よっぽど声に出して言ったやりたい所じゃが、そういう訳にもいかぬか。じゃがしかし、何とか取り繕えたのやはりこの手の輩をやり過ごすには陰口が一番か、やれやれ浅ましいのう。
「まぁ! さすがセドリック様、やる事が豪気だわぁ」
「本当、家の主人にも見習わせたいわぁ」
と、それぞれ太鼓持ち、腰巾着と内心で早々に仇名が決まった二人組<アルエ>と<バトン>が合いの手を入れる。
「まぁねぇ? 私としても確かに、今までの料理人じゃあちょっと物足りない所があったから、半分は感謝してる所もあるのだけど、やっぱり大変よぉ~? 自分がつまらない料理を出したから悪いのに逆恨みしてきたりとかね? 番兵が話を付けてくれるから実害は出ないけど、うるさくてしょうがないわ」
言葉と共に視線がちらり。おべっかを言えと、同意しろと、無言で語りかけてくる。ここら辺は、あ奴を見習い適当な返事をしておくかの。
「負け犬の遠吠え、と言う奴ですわね、愚劣な犬ほどよく吠えますから。そんな犬を迷いなく追い出したセドリック卿のご判断と、未熟な料理を見抜いたアンナ様の鋭い味覚、敬服いたします」
「ほほほ、お世辞がうまい事。だけど確かに、あの声も私と主人を称える声と思えば、今日から心地よく聞けそうよ」
機嫌よく笑うアンナの傍ら、太鼓持ちと腰巾着が無言の目で無言の圧力をかけてくる。自分の立ち位置を奪われるのが怖いのじゃったら、もっと舌に磨きを掛けるんじゃな。儂のお……相方曰く、『お世辞は会話の基本。褒められたい場所が分かるようになったら、その逆、言及されたくない所も分かり始める』らしいからの。
「アンナ様、そろそろ次の席へ行かれませんか、アンナ様を待ってる方が大勢いらっしゃいますので……」
強引に太鼓持ちが私からアンナを遠ざけようする、分かり易いことおこの上ない。この女子もこの女子で、僅かに眉を潜め後の言葉にすぐに機嫌を取り戻しこちらに目を流しつつ、
「全く、少しは私を一つの所に落ち着かせてほしい物ですわ……まぁ、これも主催者としての義務、皆様に楽しんで頂かなければねぇ、御免なさいねぇ」
疲れるわぁと一演技、大根役者も此処に極まれりと言った風、見てて苦笑いが浮かびそうじゃ。
「いえ、アンナ様は皆さまから慕われておりますから、私としてもこれ以上御引止めするのは、心苦しい所でした」
「そうね、貴方に迷惑を掛ける訳にもいかないものねぇ。では、これにて」
お引きを連れてアンナがまた違うテーブルへと去って行く、その背中を軽く眺めゆっくりと肩の力を抜く。
今後あれに媚を売っていかなければならぬのじゃのう……少しでも中心に近づくにはこの方法が一番リスクや経費が少なくて済む、それは儂と茂との間で一致した見解じゃし。
先を憂いつつグラスに注がれた甘酸っぱい果実酒で喉を潤す。昼間から酒、我ながら良い御身分じゃのうとは思うが、これからは名と顔を売る為、社交辞令のオンパレードじゃぁ、酒でも呑まぬとやっては居れぬ、気を引きしめて出陣と行くか。
宴もたけなわ一通り顔見せなどが済み、私自身も昔から親交がある(とされている)面子と話を酌み交わしていると、ふと明らかに他とは違う、こう言っては何だが貧相な食事、テーブルで会場の隅にいる集団に目につく。
服装もあまり派手では無く、顔にも疲労の色が濃い、どことなく挙動不審にも見える。しばらく気になってみていると、話していて好感を持てた内の一人である<リアーヌ・モモ・ラヴォアジエ>が口を耳元に近付け来る。
「あまり見ないようにしておきなさい、お姫様のご機嫌を損ねるわよ」
お姫様、と言うのは間違いなくアンナの事だろう。どうやらアンナが気に喰わない人物を集めているようだ。儂としては気に喰わないなら呼ばなければ良いのに、と思うがさらし者にしたいのじゃろう。見れば、あそこに集まる女子は若く美しい者が多い、そこが気に喰わぬのじゃろう。
憤りはある。かといって、ここであの女子の機嫌を損ねる様な事をするのはどうしようもない愚挙だという事も分かる、その辺はシゲルに徹底的に叩き込まれ、脅された。毒蛇の巣、とあ奴は表現しておったが、あながち間違いではないのぉ。
「しかし貴女、始めの方。随分と上手くお姫様を躱してたじゃない、どうしたのかしら? 貴女そう言うのは得意じゃなかったじゃない」
ふむ、結構あけすけに物を言う見たいじゃの、このリアーヌという者は。儂にはこちらの方がありがたいものじゃ。
「主人に少々教わいまして……」
あの男を主人と言うにはかなり抵抗があるのじゃが……止むをえまい。
「本場の、って事ねぇ。私も少しは習った方が良いのかしら、でも私はこの通りの性格だからねぇ」
「私はそちらの方が気軽に話せるのでありがたいですよ」
「ありがとう。でもそう思ってくれる人が此処に何人いる事やら……お陰で、家の主人も決していい地位には居ないから、責任感じちゃうわ」
そう言って苦笑する横顔に残る影に、なんとなく責められてる気分になり、自問自答する。このやり方で良いのだろうか、と。
その後も内心の靄に気になりつつ、儂は談笑を続けた。そして――事は起きた。
「おっと、御免なさいねぇ」
わざとらしい声と共にアンナ・ブリジット・エモニエが、隔離された一角の中の一人に持っていたグラスの中身を浴びせた。さっと周りを見てみるとリアーヌを含めた何人かが僅かに眉を潜めていた。
「でも、貴女も悪いのよぉ。そんな雑巾みたいな服でいらっしゃるからぁ」
「全く、この勉強会を何と思っているのかしら」
「もしかして貴女、アンナ様を侮辱してるの?」
「貴方達止めなさぁい、こんな服でもこの方にとっては最上級のものなんですから、ねぇ? そうでしょう」
「……はい、そうです」
羞恥からか、悔しさからか、あるいは両方からか、髪や服から雫を滴らせる女性は体を震わせていた。その光景を見て、知らずの内に拳が固まり、下唇を思いっきり咥え込んでしまう。しかし、何も行動を起こさず、只々光景を目に焼き付けていく。
今はまだ地に伏せておく他ない、行動を起こさず只管に爪と牙を研ぎ、最後の最後で上り上がるのだから……!
「あああ! 手が滑ってしまいましたわ」
またわざとらしく、今度は太鼓持ちが違う女性に酒を掛ける。そしてまた、見た目だけのお詫びの言葉をほざく。それでも目は背けない、只一身にグラスを振るう女人を見詰める。
案の上今度は腰巾着が、そして次はアンナ・ブリジット・エモニエが合図するように視線を向け、その女性がゆっくりと近づき、グラスを振る。今度はその隣が、そしてまた隣が……その一角以外に居る人全員が順にグラスを手から滑らせていく。
嬉々としてやってるのは屑三人を含めた数人だけで、他のものは外面には出さないものの渋々やっているのが分かる。
赤色のカーペットに染み込んでいく液体は、さながら虐げられる彼女らの血涙。目の前で行われる儀式は、正気の沙汰とは思えなかった。これほどまでに醜い事を、人間は出来るのだとこの時儂は始めた実感した。
情けなかった、何もできない自分が。恥ずかしかった、このような事すらも知らない自分が。恐ろしかった、これが自分の世界でも当然の如く行われていたことが。
およそ何が神だ、と言われてもしょうがあるまい。儂は世界管理の仕方は分かっていても、人の世に対してあまりに無知で、無力で、無誠実だった、見ようとすらしなかった。
頭が真っ白になる中、遂に私の手番が回ってくる。
周囲の視線が痛い、琥珀色の液体がグラスで揺れている、鉛の様に足が重い。
――などと、今までの私なら考えていたのだろう。
愚痴など自責だのそんなのは実に無駄、実に無意味。今考えるは二つ、ここで従うのか、逆らうのか。圧倒的に"楽"な方は従う事だ、何も労さず、只々人一人犠牲にして嗤い、媚びへつらえばいい、あのような愚物簡単に取り入ることが出来るだろう。だが、あとに続くか? と言われれば疑問だ、仮に上手く行き政治の中枢には付けたとして、そこから事を為せるのだろうか? そうは思えない、ただ目の間の様に放り出され、見世物にされる、緩やかな現状からの後退だ。
一つの道は潰えた、ならば通る道は一つしかない。ましてその道、自らの目標へ近づくための布石がごろごろと撒かれているのだ、通らない理由が無い。
成程……これは愉快じゃのう、あ奴もこのような感覚を味わっておったのか
気に喰わない事へ抵抗に宿る、身勝手を通すと言う快感、自分に従う事の快感。およそ、人に取り入る事では味わえない感覚じゃのう、これは。
足取りは軽い、心が躍る、口元の笑みはさすがに自重。
手に握るそれを、バシャリと望みどおりに掛けてやる――アンナ・ブリジット・エモニエ、そのお綺麗な顔面に。
会場の人間が皆、息を呑んだ。痛快、実に痛快じゃのう!
「悪いの、手が滑ってしもうたわ。悪気はないんじゃよ? ……お主らと違ってな」
「よくも……!」
「おう? 何をプルプル震えておるのじゃ? 若い譲様はまだあんよが上手く出来ぬのか?」
「よくも私に恥を!」
「恥? 何を今更おめおめと、歩く人間の恥が何を言う、おっとまだ上手く歩けぬのじゃったか?」
「出て行きなさい! 早く、今すぐに!」
「言われなくとも出て行くわい、いい年して、こんな阿呆な事をしたくないからの。ほれ、お主らもいつまでも濡れたままじゃ辛かろう、行くぞよ」
「何を勝手な事を!」
「黙れい、お主の戯言なんぞ聞きとうない。夫の高名さにかま掛けた横暴、今までどのような事をしていたか想像が付くというもの、何時か天罰が下るぞよ。何せ、神はしっかりとお主の行いを"見た"からの。ではのう皆の衆」
まだ後ろで甲高い罵声が響いていたが、気にせず濡れた人を引き連れ出口へと向かう。愚物に貸す耳は無いからの。
「ぐず……ありがとう、ありがとうございました」
敷地を出た途端、女性の一人が深くお辞儀をして来る。ふむ、感謝されるのは気持ちよいのじゃが、幾分いくつか恩を売ると言うかなんというか、そのような意味を伴ってる為にどことなく居心地が悪い。
「そして、すいませんでした。私……達の為に、貴女まで……」
「いやいや、良いんじゃよ。儂はやりたい事をやっただけ、むしろお礼を言いたいぐらいじゃよ、お主らが堪えてくれたお陰で良い物が見れたからの」
「は、はぁ……」
首を傾げるの女性をしり目に置き、脳内をひたすら検索する。――間違いない、この世界は民衆を軽く見過ぎている。
口元がにやける。どうもあの男に思ったよりも感化されてるらしい。
胸に宿る種が少し、揺れた気がした。




