第十一話:書き取りに追われる夏
石像と化した母親、ひびが入った幼馴染、生気が無くなった街、虚ろな世界――果ては深淵なる闇。
自分さえも不確かで視認することが出来ず、ただ絶望だけに視界は染められていた。
自分が無くなっていくのを感じた、時が経つにつれどんどん存在が希薄になって行く。
そんな中に一筋の光明。ただそれは、某文豪が書いた糸の様に細く頼りがいは無い。だけど俺は思う、縋る亡者すらも此処には居ないのだと――ならば天へと昇れぬ道理は無い、と。
「……」
寝起きのまだおぼろげな意識の中、視界が歪み、一筋の雫が顔に流れているのが分かる。
「そう、道理は無い……」
夢の事もあり、改めて決心を固める、が
「まだ、眠い……」
許して欲しい、神もどきになってから今まで一睡もしていなかったのだから。体感時間的にはもう半月位経ってる、人間だったら余裕で過労死してる、余裕が無いから過労死するのだが。
内心で誰かに言い訳しつつ寝返りを打つと、何かに体が当たる。
……暑い。気温からして現在夏真っ盛りと思われるこの世界、俺自身も何時の間にかズボンを無意識のうちにそこらに放り投げている。それほどの熱さの中、何処と無く軟らかく生温かい物体(目を開けてないから分からないが、恐らく抱き枕か何かだろう)に触れたらもう、暑くて暑くて堪らない。
俺は抱き枕(推定)を蹴とばし、ベッドと言う名の聖域から退場させる。退場させたそれから、ふぎゃ、だの、こやつ、だの聞こえる辺り俺はもう眠りかけているのだろう、ならば逆らう事も……
「不法占拠反対じゃ!」
「おぶっ!」
夢見心地の俺を場外に吹き飛ばす鋭いキックが襲った。ご丁寧に鳩尾を突いてくれたお陰で、吐き気が俺の身体を支配し、体を休めさせようとけなげな睡魔さんを体外退去を命じる。
「だ、誰だ……俺の神聖で高潔な睡眠時間を汚すのは……って、いかんいかん」
それは俺の中学時代の暗部、見られてはいけない生涯史の裏側だ。恥ずかしさで一人で勝手に脂汗を掻いていると、何処から引っ張って来たか、純白のワンピース姿で惜しげも無く生脚を晒す神もどきがベッドの上でご高説を始める。
「ふん、起きたか。行き成り、身を寄せて来たかと思えば蹴り飛ばしよって! 大体お前はここに来て行き成り……」
がみがみがみ。長いお説教は子守歌に等しく、うとうととまどろみ始めると言うのが普通だろうが、俺は違う。反省してるふりをして脚をちら見。足では無く脚、文字がちょっと違うだけで意味随分と違ってくるから念を押しておく。
「……と、長くなるから、これまでにしておこう。少しは反省したか」
「おえ!? おっおおう」
「……ホント、能力無しじゃと駄目じゃの、お主。まぁ、眠ってもおらぬようじゃし、良しとするか」
「あ、ありがとざす!」
建前二割、本音八割の黄金率。防人の呆れた目線も今は全然気にならない。
「さて、真面目な話をしよう。あー、面倒くさいから、主は能力を使えい」
雰囲気ががらっと変えた防人に合わせ、俺も"消無私"を発動する。
顔の筋肉が軋み硬直するような錯覚を覚えるも、発動はスムーズに行われた。何気に初めて自分の意志で発動してたりするのだが、意外と簡単にいくものだな。
「よし、大丈夫だ。取り敢えずは、何だ? この場所は自宅って事で良いんだよな?」
「主はそれも確認せぬままに寝たのか……はぁ、そうじゃ。WGRで認識を弄り、空き家だったこの屋敷を儂らが十年前から使ってることにしておる」
「十年前? おいおい、それじゃあ俺は今、何歳の設定になってるんだ?」
「ちっとは自分で確認せい! WCLで情報挿入は済んでおるじゃろうが、全く」
「っても、俺はそのなんだWCL? 始めたやってるから、確認方法と言うか思い出しかと言うか、ともかくそういうの全く分からないんだよ」
「ぬ……それもそうじゃの。口で説明するのは難しいのじゃが……確か、母上に始めてWCLを使われた時は……そうじゃ! 何か思い出してみろ」
「いきなり思い出すってもなぁ」
「何でもいいから早く、昨日の晩御飯でもいいから」
「昨日は何も食べてないぞ」
「例えじゃ! 話が進まんから、早くせい!」
防人に急かされ、御神の居た部屋を思い浮かべてみる。防人と同じであそこも真っ白な空間だったが、神様には白に何か拘りがあるのだろうか? 俺は日本人として生まれつきの黒髪に誇りを持ってるいるのだが……。
癖になりつつある思考の寄り道をしていると、何か違和感のある記憶があるのを感じる、例えるなら歌詞は覚えているけれど歌手は忘れてしまった曲、みたいな。
「成程、これが……」
我知らず口から零しつつ、曲名を思い出す様に眉間にしわを寄せて不自然な記憶に手を突っ込む。と、脳裏に幾つものフォントで"解凍中"と書かれた、下でゲージが動くフォルダが開く。
脳内でコンピュータを使うような奇妙な感覚に戸惑っていると、ゲージが直ぐに右端まで溜まり、記憶が展開された。
WCLを使われた時の様な情報の奔流は感じられず、知識と言うか常識が、刃を持ったら手が切れると言う位の常識が、頭にも体にも染みつくイメージ。
「俺は五十歳っていう設定なのね……なんか、違和感が凄いな、これ」
「当然じゃ、普通なら年月をかけて、或いは生まれるときから分かって要る様な事を一時的にとは言え無理やり覚えさせるのじゃからな」
「一時的、なのか?」
「そうじゃ、世の理など千差万別。この世界は比較的お主の世界に近い方じゃが、中には一つの塔内が全てなどと言う世界もあるし、重力が存在しない世界もある。一々覚えていたら、身が持たん」
「ほー……って、この世界魔法なんてもんが存在してるんだが」
「それでも、じゃ。それでも、まだお主の世界に近い」
「……なんか、途方に暮れちまうな」
「暮れる暇があったら、今後どうするか考えんかい。魔法なんてもの、お前がこれからやる事には何らかかわりは無いのじゃから、お前が求めるべきは対話。安心せい、この世界はちゃんと口で対話しておる」
この世界はって……あーやだやだ。
嫌な想像を膨らませない為にも俺は頭の中を探る、覚えているのだから"探る"なんて言い方は正しくないのかもしれないが、他に当てはまる様な言葉はこの世界には無い、なんて訳知り顔で思う。
「しっかし、政治形態だけにしても大分カルチャーショックを受けるな。なんだよ、懇談月、決戦月、懇戦月って」
「ぼやくな、勉強する手間が無いだけいいじゃろう」
「年始年末、夏真っ盛りは裁判を覗く一切行政が執り行われない"懇談月"。新年度と表記される四月、実質一年の最後の十一月、大規模な法案を決議する"決戦月"。他は、小さい議案などが行われる"牽制月"って……面倒くさ!」
「喧しい! 改めて言われると、より面倒臭く感じるじゃろうが!」
耳をつんざく金切り声は、頭の中を健康的に五往復ぐらいジョギングしてから去って行き、後には頭痛を残して行く、来た時よりも美しくと声を大にして言いたい。まぁ非があるのは間違いなく、こちらなので頭をぺこぺこと下げて、続こうとした説教はご勘弁を願う。
その後は、挿入された知識を分担して紙にカリカリと書いて行く作業をし続けた。一々、数多の中を探るのは効率が悪いからな。書物を買っても良かったのだが、不審に思われる可能性もあるし、政治家としての身分を与えられてる身としては世間常識が書かれた本を買ってた、などと万が一でもばれると不味い、という事で俗にミミズがのたくったような、と表現される字をお披露目せざるを得なくなってしまった。
食事もせず作業を続け、時刻は三時半。防人がペンを置く。
「ふむ、こんなところかの」
「早いな、もう終わったのか?」
俺は……まだ道半ばだと言うのに……! 何かこれからお亡くなりになりそうだな、俺。
「まぁの、こういう事務作業は慣れておるしな」
「世界管理も事務作業なんて言うと、なんか大したこと無く感じるな」
「そんなものじゃよ、責任が大きい分お主らの方が待遇は良い。まったく、少しはお主らも自分達で何とかしてくれんかのう。日本人は神社やら教会やらだけでなく、試験前夜、面接前、果てはとばく場でも儂らに祈る。それも"神"なんて曖昧な物に、少しは何の神に祈るかはっきりしてくれい」
「はっきりしたら願いを叶えてくれるのか?」
「いや、基本的にそんな小さな案件まで関わる暇などない。時たま、不治の病の子などを治したりして居るが、それも偶然目に留まったもの位しか出来ぬ……情けない事にな」
そう言って俯く顔は、何気ない声と違い沈んだもので、これから俺がなろうとしているものの責任を感じ……
「主は手を動かせ、の?」
「イエッサ―」
向けられた迫力ある笑みに、俺はびしりと敬礼をし、再び手を動かし始める。
時は深夜。腱鞘炎一歩間近(素人判断)の俺の手が止まる。諦めた訳ではない、それ即ち終焉、紙の試練の終わり。歓喜で胸が膨らみ(豊胸では無い)、口はわなわなと震え、瞳からは感涙の涙が浮かぶ。
俺は声高らかに防人にこの事を告げようと、口を開く。
「おい! さきも「五月蠅い!」ぶぅ!」
疾風を纏った枕が俺の顔にぶつけられる。今世紀最大の苦労人たる俺に対してこの仕打ち、まさに天に唾為す行為とはこの事を言うのだろう。我が心は義憤に満ち、道を踏み外そとしている相棒の為にも、己の拳が痛むのも覚悟で、ベッドに怪盗ダイブを敢行した。
「にょわぁ!」
我が正義の鉄槌に対して相棒は顔を真紅に染め己の恥を理解し始める。無論、これで終わる俺では無い、今後こういう事が起こらぬよう、俺は両の手をわきわきと卑猥に動かし、故躇故躇、苦素繰り、とも呼ばれる三千年の歴史がある(気がする)秘伝の刑法を執行した。
手中の中で我が相棒は悶え苦しむ、そのあられもない姿に愉悦を……もとい、深い悲しみに襲われるも、断腸の思いで刑を執行し続ける、と
「"男子一瞬見ざれば女子として見よ(セクシャル・チェンジャー)"」
光が防人の身を包み、そこには細いながらも筋肉質なその筋で人気が出そうな男が現れる。どうやら、"神にも見えざる種"で防人に与えられた(解放といのが正しいのかもしれないが)能力は、成神するまでは定まらないという性別を自在に変えれるものだったらしい。
お陰で、長い書記活動から解放され、暴走していた俺は冷や水どころか氷水をぶっかけられたように、冷静になる。冷静になったから許して欲しい、振り上げてる拳を収めて欲しい、切に願う。無駄だが。
スパン! と快音が響く、俺の顔から。顔が痛いというより熱い、張り飛ばされた頭をベッドの角に打ち付け、今度はしっかりと鈍い痛みを味わう。
余りの痛みにじたばたしていると、俺の腹部に何かが乗っかる、生暖かいそれにはこれっぽっちの色気は無い。
「……」
無言で一発二発と、頬を叩かれる。しばく、とはこのことを言うのだろう、兎も角、痛みを越えて快感……にはならないので、謝罪の言葉をあらん限り吐き出す。
すると、パンパン! と二発ほど最後に食らい、何とか退いて貰える。
這う這うの体で、ベットから転げ落ち、正座でつい先ほど書き終えた紙の前に座る。
「見せろ」
「はい」
びくびくしながら紙を差し出す。防人は紙を手に取り、つらつらと目を通していく。
「字が汚いがまぁ良いだろう」
「ありがたき幸せに存じます」
言いながら正座という姿勢を生かした、日本のお家芸"土下座"。良く父さんが夜遅く帰って来た次の日に母さんに向けて使っていたのを、息子たる俺が再現する。これが"家を継ぐ"という事なのか……絶対違う。
「で? なんで、あのような狼藉を働いたのだ?」
「一日ずっと書いてた影響で、つい……」
「つい? それでお前はあのような事を? お前、刑務所で生活して無かったか?」
「いえ、そんな事は……」
「全く、私じゃ無かったら通報されてもおかしくない所だぞ? お前と言う奴は……」
ぐちぐちぐち。お前は俺のお母さんか、薄々感ずいていたがこいつ説教好きだな。最初こそ真面目に右から左にながしはするが、だんだん腹が立ってくる。着々と苛立ちを募らせていると、そもそも俺はなぜあんなに暴走したのか、その原因は目の前の説教ばあさんにあった事を思い出し――何かが切れた。
「ぐちぐちうるせー! お前は俺の何なんだ!」
「なっ! 反省なしか、貴様!」
「そもそも、何お前は人に働かせておいて休んでるんだよ! 少しは手伝え!」
「うぐ」
ここで防人(男)が怯む、ふふんここで開き直ればよかったものを! 先程から一転、俺は正座を解き攻勢に打って出る。
「人があくせく書いてる時に横ですやすや寝やがって、集中出来ないわ! 色んな意味で!」
横ですやすやと、時にはチラリと"下"から始まり"着"で終わる布が見れる環境でひたむきにペンを動かす俺、思い出さば出すほど涙が出てくる。
「お前……」
やや引いたような防人を無視し、俺の逆切れは続く。
「ここに来るまでは全っ然、話に入れなかったくせして、ここでも俺頼みか!? あぁ!?」
「あぐ……」
「そりゃさ、やり過ぎたなーとも思ないことは無いけどさ、俺は十七歳だぞ。こんなに働かせてたら労基で訴えられるわ!」
「す、すまぬ……」
「謝って済むならブラック企業なんざ生まれないんだバーカ! この暴力男女!」
「お、男女!? 主、言って良い事と悪い事が……!」
「何時の間にか女になって媚びてんじゃねぇぞ!」
「貴様ー!!」
喧々囂々の口論、からの殴り合い……では無く熱い友情の契りは夜遅く、近隣のおばあさん(七十歳女性、孫持ち)に怒られるまで続いた。
初の異世界での夏、苦い思い出が二人に残った、などと言えば綺麗に聞こえないだろうか?