第十話:世に幽霊が降り立つ、その前
「お前は世界管理のシステムがどうなっているか知っているか?」
通された客室での第一声は字創りのその一言だった。俺としては早く話しを進めたい所でもあったのだが、神見習いの俺としては世界を管理する神の世界……って分かり難いな。仮に"神界"と呼称すると、神界に纏わる事は知っておきたい、
「一人で幾つもの世界を管理してるんじゃないんですか?」
だから俺は一つ首を左右に振り、予測で返した。
「違う。確かにお前の言う通り、私達神は、幾つかの世界を管理しているが、それだけで膨大な数の世界の全てを管理する事は出来無い」
「だったら、どうするんです?」
「簡単な話、分担するんだ。大体、私達がそれぞれ何らかの神になっているのもそれが理由、文字の神すらも私一神では無いのだからな。文字の神から文の神、文章の神と限りなく多岐に渡って、分担している」
ここで一息、どこからか水が入ったコップが運ばれ、それを字創りは僅かに傾け喉を鳴らす。
「今回交換条件としてお前には、私の主な業務の一つ"識字率の引き上げ"を行って貰いたい。と言うのも、私が任された世界は……」
「世界は……? なんなんでしょうか」
「いや、これは自身で見て貰った方が早い」
僅かに違和感。"偽を見て為さざるは勇無きなり(ブレイブ オブ ディテクト)"が発動した証拠だ。"僅か"という事は、言ってる事は本当だが、少しでも情報を与えるのは惜しいと言う内心が含まれてるから、だろうか。
「とにかく、"識字率の引き上げ"これを行って貰いたい。なにせ、神である私が直接的に関与する訳にはいかない。その為、"神意遂行者"の選別してからやり遂げるまでの見守り、力の付与など様々な面倒がある、しかもそれで失敗する時もある時はある。幻滅させる様だが、神とてなるべく楽をしたいのでな」
「成程、だから自分の管轄外である私に業務を手伝ってもらいたい、と」
感覚からしてこれは建前半分本音半分と言った所か、神の業務も楽じゃ無いらしい。
「ああ、そう言う事だ。……だが、私は人間上がりのお前にこの業務が伝わるとは思わない。だから一つ、期限を決めさせて貰おう」
「と言うと?」
「二十年だ、二十年でとある国の識字率を七十パーセントまで引き上げる、これが私が君の問いかけに答える為の条件だ」
「ちょっと待ってください、着の身着のまま世界の放り出してですか。それは幾らなんでも……」
「分かって要る、私もそこまでの無茶は言わない。最低限の知識と衣食住位は何とか用意してやろう」
「それでも、二十年じゃあ……こんな事言いたく無いですけど、時間稼ぎにのように聞こえるんですが?」
揺さ振ってみるものの、字創りは完全に体勢を立て直しており、
「そう思うなら、思って貰って構わない」
と言い切り、後は無言。さすがに、無条件で譲歩は都合が良すぎたか……一先ず、俺が通したい要求とそれに対する字創りの言った条件とを整理してみよう。
字創りの提示した条件をざっと頭の中で並べてみる。期限は二十年、成功基準は識字率七十パーセント越え、衣食住保障及び最低限の知識は与えられる。
理不尽とも言い難く、かといって達成可能かと聞かれると、即座に不可能と言える絶妙なラインだ。そもそもこちらの方が下の立場なのだから、ある程度の不利な条件でも呑まざるを得ない、という事を念頭に置いておかねばらない。
俺が通したい要求は……これは交渉で臨機応変に変えて行く方が良いだろう、ある程度の基盤は固めておくが。
十秒にも満たぬ思考の後、俺は緊張で乾く唇を湿らせて口を開く。
「正直、若輩者の私にその条件は厳しいです」
「そうか、ならばこれで話は終いだ、帰りたまえ」
字創が右手を挙げ、"転移門"を開く。こちらを見る目は蔑みと優越に満ちていた。
「勘違いしないでください。私はまだ厳しいと言っただけで、諦めたと言った訳じゃ無い。どうか、もう少し条件の緩和をお願いできませんでしょうか」
「それは……」
「勿論、私も只とは言いません。字創様が仰った期限、二十年よりも早く事を為して見せます」
「ほう……何年で?」
一瞬の思考。幾つか考えた期限から相手に与える影響その他を考えつつ、一つの答えに決定する。
「十五? いや、十……」
だのに字創の顔色を伺いつつ思案しているふりをする。すると、剛を煮やした字創が苛立った様子で、条件を提示する。
「十年、十年ならある程度の条件は呑んでやる。地位か? 金か? それとも……」
「十か月」
言葉を遮り言い放つ。なるべく、内心で未だ渦巻いてる不安を見透かされない様に、自信ありげに。
「半年と四か月。それで、政治家としての地位とそれに見合った資産を。そしてこれが一番なのですが――達成する条件を識字率の規定値越えでは無く、識字率を上げる為の法案、ないしそれに準ずるものを実行する。それで如何でしょうか?」
二十年が十か月。そう聞くと一気に余裕がなくなった様に感じる。だがしかし、二十年掛けても何の人脈も無い俺にはそもそも政治に関わるのすら厳しいだろう。それを考えると、期限を一年以下に引き下げてでも地位と金は欲しい。
字創の額に一筋の汗が浮かぶ。目線はこちらを睨みつけているようで、実際には遠くを見て居る。字創は今必死にこちらの思惑を、俺の妥協案を吞むか否かを考えている筈だろうから。
やがて、やや下に傾けていた顔を上げて喋り出す。
「前二つの条件は呑もう、しかし識字率に関しては六十パーセント越えまでは落とす、それ以下は無い」
「でしたら、私は此処で貴方に尋ねる事を一つに絞ります。尋ねるのを一回限りにする、それでどうでしょうか?」
「何を尋ねるのか明示して貰わぬと、答えかねるな」
「ずばり……犯神が誰か? 無論、正直にお答えして欲しい」
直球な問い。だがこれはブラフ、字創がこれに答えれる程事件の中枢に居る神では無いだろう。となれば「知らない」と正直に答えられる字創はこの提案を内心諸手を上げて呑む事だろう。
「ふむ、それならば……」
だから、俺は言葉を遮り、疑問を核心から外す。核心から外す事は、質問の重要性を落とすことに他ならない、それはまた、こちらが一歩引くことに等しい。
「いや、やはり変えましょう。これでは貴方が関与している様な言い方になってしまう……代わりに疑問と言うより、これは頼み事になるのですが"防人が受け取った情報に改竄は無かったか"、それを調べて頂くと言うのはどうでしょうか? これなら字創様を要らぬ目で見られられぬのでは?」
本来俺は別の世界に転生予定だった、実際防人は別の世界としっかりと確認してから転生させた。なのに、俺は元の世界に転生され、世界は崩壊した。となれば、防人のミスを覗くと、情報が改ざんされていたか、直前で何らかの介入を受けたか、もしくはその両方か……とにかく、故意による物なのは間違いない。
前にも言ったが今回俺が証明すべきは"事件性"。情報の根幹にあるのは言葉にして文章、そして文章は文字から作られる、文字の神のチェックを受ければ容易に改竄の後は発見できる筈。また、嘘を吐かれた場合であっても俺の前では意味も無い。
「確かに、それならばまだ外聞が良いだろう」
が、と字創は間を入れ、
「ここまで詰問が長引いている時点で、私には疑いの目に晒されるだろうし、そもそも改竄があったとして真っ先に疑われるのは"文字の神"たる私」
そう告げて、肩を竦める。否定的だが、先程よりも態度が和らいでいる。同意はしないが、揺らいで無い訳でも無い。
ならば、最後の一手を指すのみ、俺はその取っ掛かりとしての一言を紡ぎ始める、
「ならば改竄が無かった、その時は私達が貴方の潔白を証明します」
字創が顔をしかめ、何か言おうとするのが分かる、大体の内容も。「そんなのは当然だ」だかなんだか言うのだろう、だがこの一言はあくまで取っ掛かりだ。潔白だった時の保障、次こそが本命。
「そしてもし、あなたが関与していた場合の減罪を保障します」
字創が目を見開き、顔を歪める。その歪み方は憤怒のそれとは違い、感情をごちゃまぜにしたようなものだ。
これに乗って来れば、その時点で関与が確定する事は字創にも分かって要るだろう、だがそれを差し引いても万が一の保険として、減罪の二文字は喉から手が出るほど欲しい筈……!
ギリリ――僅かな沈黙の中、字創の歯軋りがやけに大きく聞こえ、やがて、字創がこちらを厳しい目付きで睨み、
「分かった。それで、条件を呑もう」
「では……"求めよ、さらば束縛せん(エキスパンション・マリッジブルー)"」
「ぬ!?」
僅かな風と共に字創と俺、互いの左薬指に指輪が出現し、指輪間が黒い鎖で繋がれ直ぐに消える。
「なんだ? これは」
「契約書、みたいな物ですよ」
「……まぁいい。では、問題の世界の座標指定などを行うから少し待っておけ。何せ、奉人成乃神様からお前等"神追者"の連絡があったのはつい先程でな」
「ふぅ……」
正直、減罪の一手は指したく無かったが、関与が薄いであろう字創ならまだ良いだろう。
みだりにこの手を指すのは罪を見逃す事に等しい、よほどの事が無い限りこれで最後にしておくべきだな。
言いつつ、手元のキーボードらしき物を素早く叩き、それに対応しているのか浮かんでいた文字が慌しく動き回る。
やがて、幾つかの文字が集まり門が現れる。それを一瞥して確認した後、字創りは続けて電話の様な物を取出し何者かと連絡を取り出す。
「ええ、はい。奉人成乃神にWCLによる情報挿入と二人分のWGR使用許可を……」
専門用語二つ、それも横文字の。和名ならまだ推測しようがあるが、これではどんなものなのか想像が付かない。ので、俺は無知から来る僅かな恥を悪態で隠しつつ、隣に立つ神物に聞いてみる。
「おい、空気になってる防人」
「空気て……間違いじゃないがのぅ。なんじゃ?」
「WCLやらWGRってなんだ?」
「ああ、それなら、それぞれWorld Cheating Library(ワールド カンニング ライブラリ)とWorld Ghost Recognize(ワールド ゴースト レキナイズ)の略での、転成者が円滑に神意を遂行できるようにまだ"神の神"では無かった頃に御神様自らが主立って創り出されたものじゃ。前者が世界に纏わる情報を纏めた物で、直接脳内に情報を転写するなどが出来ての、後者は本来居る筈の無かった者を世界及びその中に入る全てのものに認識させるものじゃ。例えば今回の場合、お前と儂を政治家として過程も何も無く、世界に出現させる訳じゃが、当然それは世界にとって異常な事じゃろ? そこら辺をまぁ辻褄を合わせるものなのじゃよ」
説明終わり! と防人が投げやりに結ぶ。気持ちは分かる、聞く方も聞かれる方も面倒くさい説明だったからな。
要はWCLがスーパー暗記ブレッド(英語でパンと言う意味だ)、WGRが……世界全体の記憶操作諸々を行う装置(なのかどうかもよく分からないが)という認識で良いのだろう、良いという事にして欲しい。
「……ああ、分かった早い手続きどうもありがとう、それでは」
字創が手続きを終えたのだろう、手に持っていた受話器(これまたらしき物だが、煩わしいのでこれ以降は省く)を置き、こちらへと向き直る。
「こちらへ近づきたまえ……何も危害は加えないから、早く」
その言葉に腰を引きつつ字創の方へと近づくと、頭に手を翳される(かざされる)。
既視感感じた、その瞬間。頭の中で直接ドラを叩かれた様な衝撃と音に脳が揺さぶられる。
目の前を様々な文字、多様な光景、移り変わる時代が、凄まじい速度で流れ、繁栄し、衰退する。
足元がぐらつく……足元? 分らない。上も下も混ざり合って壊れて、破片が浮かぶ海があって、海が湖で、水が炎で、ででででで……
「ぷはぁっ!!」
何時の間にか止めていた呼吸、自然と止まっていた呼吸を慌てて再開する。
荒く何度も息を吐くと、今度は熱いものが喉までせり上がってくる。
それを何とか飲み下し、やっとこさ声を発する。
「な、な、何を、し、した……!」
「睨むな。私が行ったのは只の情報挿入だ。しかし、転生者ならともかく、神に行うのなら何ら問題は無いのだが、半端者にはちと答えるようだな。で、どうだ? この言葉がしっかり聞き取れてるか?」
ん? と字創は酷薄な笑みを浮かべて聞いてくる。
「どういう……意味だ?」
「よしよし、聞き取れているな。あー何も言うな、お前は今、気付いていないだろうが今から行く世界の言葉で、発音で喋ってる。私が確認したかったのはそう言う事だ」
それで分かるな? とでもいうような顔を見せ、再び字創がキーボードに打ち込み始める。
「座標指定……東経百三十、北緯四十五度。世界内名称はデパール……転移門、安定化開始……」
字創がブツブツと呟いてる内、防人が頭重たげに身を起こす。
「あうう……今まで何度か転生者にやった事があったが、こんなにも辛かったとはぁ……」
「今度御神に会ったら……もっと、体に負担の少ない様に仕様変更して貰うぞ、絶対」
「様を付けろ馬鹿者ぉ……じゃが、お主の言う通りじゃ、絶対御神様に進言せねば……」
「――完了。"神追者"二人、私も忙しい身だ早急に転移門を通り、"いの六番"世界に降臨したまえ」
有無を言わせぬ口調に二神して押される様に転移門を潜り、階段を駆け下りる。
呻き声の二重奏が止まぬ中での疾走は、幾ら速くとも重かった。
「では、十か月間、精々力を尽くしたまえ」
そんな声が響き、ふと気が付けば、足元にはふかふかの赤い絨毯、上には煌々と輝くシャンデリア、左を見てみれば未だ呻く防人、右を見れば気持ちよさそうなベッド。
そう――ベッドだ。俺はそれを目にした途端、左手に握っていた手を離し、本能の命ずるままベットに倒れ込む。後ろで「あ痛っ!」だの「ぐげっ」だの声がしたが、それを意識的にシャットし、ゆっくりと目を瞑り、直ぐに意識は遠くなる。
俺の異世界流浪の第一歩は、世界復活譚の始まりはそんな色気のない物だった。