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喧騒から外れた薄暗い校舎の通気口に目的を見つけ、其の元へ歩を進める。
[ね、あっち行かないの」
「……」
「みんな待ってるしさ、行こうよ。ね」
「……」
無言。無言。…無言。
「ああもう」
思わずこぼした歯がゆさにも、同じものが返る。
「あれで良かったって言ったじゃない。あんただって、今までよくやってきたじゃない。なのに何でそんな顔してるの」
無言。それは変わらず、ただ耳をふさぐように、視界をふさぐようにすべてを拒絶するのが雰囲気からわかる。
そう、わかる。わかってしまうのだ。それが私たちの全てで、それがなければワタシタチとは呼べなくなるから、嫌でも伝わる。
聞く耳がないとわかっていても、言わずにはいられず独り言のような虚しさを抱きながら、私は力もたない言霊を放つ。
「いつまでも同じようにはできなかったって、あんたにもわかっていたでしょ。それに、あんただって望んでいたことじゃない。なのにいざ手放したらその様?」
落ちる無音は張り詰める。けれど私も、言わずにここにはいられないのだ。
「いいかげん、受け入れな。ずっとこうしてはいられないんだ」
「そんなことない」
返った言葉を、それでも私は否定しなければならない。
「ある。ここにいたら遠からず縛られてしまう。そうなったらあんたは別のものになっちゃうってわかってるでしょう?」
それでも、と返る言葉の続きを、私は知っている。いや、識っていた。
それは当然の言葉で、だれしもが縋りたく思う唯一の糸で。…けれど決してその先に光はないのだ。
だから私は言わなくてはいけない。その望みをこの瞬間に絶ち切ってやらねばならないのだ、この私が。それが其のためであり、彼のためであり、私の定められた勤めなのだ。
ひとつ息をのみ、彼の心をここから…いや、彼と彼を縛るものから切り取らねばならない。それが一番正しいことだとわかってはいる。けれど私はいつもこの瞬間が悲しくてならない。
彼らは彼らなりに大切なものがあり、想うものがあり、捨てられないものがあるのだと識っている。私もかつてそうだったように、彼らにとってそれは抜け殻を捨てた今でも己を構成する細胞にすら感じるのだ。
それを捨てるとなれば、今となっては言葉通り、身を裂く痛みを味わう事と同じ。けれどそうしなければ私も彼も、己ではいられないのだ。
かつて私のものでもあった痛みを追体験しながら、飲み込んだ息の代わりに、私はその残酷な言葉を解き放った。
カレラのなれの果てを何度も見てきた。その中の一度、私が情に負けてしまった故に堕としてしまった想いへの贖罪のため、私は勤めに殉じている。
私たちは影送りされた残像のような存在だ。
切り離されたのはその姿形ではなくて、かつて己を構成していた、感情そのもの。故に篤く脆く、頑迷なまでに己を貫く。けれどそれ故、渦巻きもすれば見失いもする、ひどく曖昧で不確かなしたたかさを併せ持ってもいた。
善きも悪しきも、私たちには想いだけが詰まっている。
だからこそ、彼は抱えてしまった箱の主に感化されてしまったのだろう。失ってしまった私たちには、失う前のそれはあまりに強烈で鮮烈だ。
生きた想いに彼が何を感じたか、私にはわからない。
それを感じるために、私たちはまた一から始まりの光を追い始めるのだ。
だからどうかどうか、彼に、
「このえに優しい始まりがそそがれますよう」
留まるも逃げるも暗くあっても道の一つ。闇に隠れた光の道を灯すために、私は贖いの路を行く。
そして願わくば、彼の痛みの先端にいた者も、彼と同じ気持ちであったことを…。
(2009/04/05)