第一章 : 黒猫 ~レイ視点~
ここ数日、結ちゃんの様子がおかしい。
いや、別に体調が悪いとか、トレーニングをサボってるとか、そういう分かりやすい変化じゃない。むしろ逆だ。いつも通り、いや、むしろ少しだけ集中力が増しているようにすら見える。
まるで早く終わらせたがっているように見える。
だからこそ違和感が際立つ。
「……こそこそしてるんだよねぇ。」
洗い終わった皿を拭きながら、ひとりごとのように呟く。
この違和感は、意外と見逃せない。
結ちゃんは分かりやすい性格をしている。
嘘がつけないし、隠し事が下手。思っていることが、表情にも仕草にもすぐ出る。
だからこそ、隠そうとしている時は逆に目立っちゃうんだよねぇ。
「……何してるのかなぁ。」
少しだけ口元が緩む。
別に怒ってるわけじゃなくて、興味が凄くあるだけだ。
何を隠しているのか。
どうして隠しているのか。
その理由が気になる。
だって、あの良い子ちゃんが隠し事なんて面白いじゃん。
その時、扉が軋む音がした。
「ただいま戻りました。」
「おかえり~。」
振り返ると、果実取りから戻ってきた結ちゃんが立っている。
……うん、やっぱり。
一瞬目が合って、すぐ逸らした。
分かりやすすぎる。
「今日はちょっと早かったねぇ?」
何気ないトーンで話しかける。
「え、あ……そう、ですか?」
反応が一拍遅れる。
視線が定まってない。
「あれ、いつもより早い気がしたけどなぁ。」
「そ~うですかねぇ……?そうでもないですよ?」
言いながら、さりげなく体の向きを変える。
……何かを庇ってる。
「へぇ~?」
一歩近づく。
「な、なんですか?」
声が少し上ずる。
「んー?」
さらに一歩。
結ちゃんは、じり、と後ろに下がった。
完全に逃げの動きをしていた。
「……結ちゃん?」
「は、はいっ?」
びくっと肩が跳ねる。
その動きで確信を持った。
「なんか隠してるでしょ。」
「か、隠してないです!」
即答だし、なんか食い気味だ。
「へぇ~?」
わざとらしく首を傾げる。
「ほんとにぃ?」
「ほんとです!」
「じゃあ見せて?」
「……」
沈黙。
視線が泳ぐ。
指先がわずかに動く。
そのまま数秒。
やがて、観念したように小さく息を吐いた。
「……怒らないって約束してくれますか。」
来た。やっぱりね。
「内容によるかなぁ。」
「えぇ……」
結ちゃんは困った顔をしたけれど、こちらとしても引く気はない。
腕を組んで逃げ道を塞ぐ。
しばらくして、結ちゃんは小さく頷いた。
「……出てきていいよ。」
足元に向かって、そう言うと、すっ、と影が揺れた。
「……あ。」
ひょこ、と顔を出したのは黒猫だった。
小さいけれど、ただの小ささじゃない。
存在が、妙に締まっていた。
光をほとんど反射しない黒い毛並み。
吸い込まれるみたいな色。
そして、琥珀色の瞳。
「……なるほどねぇ。」
思わず、少し低い声が出る。
結ちゃんは様子を伺うように口を開いた。
「その……森で弱ってて……」
「うん。」
「最初は保護しようと思っただけなんですけど……」
「うんうん。」
「懐いちゃって…」
「あぁ。」
一拍。
「……こっそり飼ってました。」
「飼っちゃったかぁ。」
想定外すぎて、ちょっと笑う。
「……はい。」
結ちゃんは気まずそうに頷いた。
「……ダメ、でしたか?で、でも、この子、影に隠れられるんですよ!」
その声は、ほんの少しだけ震えていた。
同時に、黒猫が鳴く。
「……みゃあ。」
タイミング、完璧。
「いや、ダメじゃないよ?」
「ほんとですか!?」
一瞬で顔が明るくなる。
ほんと分かりやすい。
「ただし。」
少しだけ声を落とす。
「その子、影に入れるんだし、普通の猫じゃないよね?」
「……やっぱり、そうなんですか?」
結ちゃんは不安そうに猫を見る。
猫はじっと、こちらを見ている。
逃げない。
威嚇もしない。
ただ、観察してる。
「うん、魔物だね!それも、そこそこどころじゃないやつ。」
しゃがんで、目線を合わせてみる。
距離はほんの少ししかない。
普通の魔物なら、この距離は嫌がるはずなんだけどなぁ。
この子は動かないし、むしろこっちを見てる。
「……へぇ。」
思わず笑う。
「面白いねぇ、君。」
小さくそう呟くと、猫は一度だけ瞬きをした。
なるほどぉ言葉理解してるなぁ、これ。
「結ちゃん。」
「はい。」
「この子、結ちゃんに懐いてるから危なくないね。」
「え?」
「普通、こんな簡単に近寄らないし。」
そう言った瞬間、猫はすっと結ちゃんの足元へ移動し、身体を擦りつけた。
「……ほんとだ。」
結ちゃんの声が、少し柔らかくなり、安心した顔をした。
「名前、つけたの?」
「まだです。」
「じゃあさ。」
少し考える。
この魔力は静かで、深く、夜みたいに、底が見えない。
「“ノクス”とか、どう?」
「ノクス……」
結ちゃんが繰り返す。
猫......ノクスは、ゆっくりと瞬きをした。
まるで、了承するみたいに。
「……いいですね。」
結ちゃんが微笑む。
「じゃあ、この子はノクスで。」
「決まりだねぇ。」
立ち上がる。
ノクスはもう完全に結ちゃんの足元に収まっている。
早くも定位置確保したみたいだ。
「ま、増えるのは一人じゃなくて一匹だったかぁ。」
「え?」
「いやぁ、もっと面倒なの連れてくるかと思ってた!行き倒れた人とか!」
「ひどくないですか!?」
結ちゃんが顔を赤くして抗議する。
そして共鳴するようにノクスが鳴く。
「みゃあ。」
……合いの手が完璧すぎる。
「まぁいいや。」
肩をすくめる。
飼っちゃったものはどうしようもないからね。
「ちゃんと面倒見るんだよ?」
「はい!」
結ちゃんは迷いなく即答する。
その様子を見て、少しだけ息を吐く。
ほんと、こういうところ、放っておけないなぁ......。
「俺、今......。」
なんて思った?
早くもほだされちゃってるみたいだ。
良くないなぁ、あんなことがあってから、一人に肩入れしないって決めてるのに。
「ん?どうしました?」
考え事をしすぎたのかな、結ちゃんに心配させちゃったな。
「だいじょーぶ!なんでもない!」
「そうですか?ならいいんですけど。」
そう言ってノクスとじゃれ始める。
「……」
ちらっと、ノクスを見る。
あの目はただの魔物じゃない。
琥珀色の目は魔物の中でも上位である証拠だ。
何故結ちゃんに近づいたのか、理由は分からない。
でも、偶然じゃないことは確かだ。
「……ま、いっか。」
今はまだ、言わなくていいや。
結ちゃんが笑ってるなら、それでいいかなぁ。
「ほんと、いつからこんな肩入れしちゃったのかなぁ...。」
思わずそう呟く。
「さて!」
手を叩く。
「ご飯にしよっか!ノクスもいるし、今日はちょっと豪華にしよっか!」
「もしかして、歓迎パーティーですか?」
結ちゃんが少し驚いて、それからふっと笑う。
その足元で、ノクスが静かに目を細めた。
夜。
結ちゃんが寝静まったあと、小屋の中は静かだった。
それも異様なほどに。
「……起きてるでしょ?」
暗闇の中、ぽつりと呟くと金色の目が、ゆっくり開いた。
ノクスの目だ。
「……へぇ。」
やっぱりね。
「君さ、ただの“上位種”じゃないでしょ。」
返事はないが、視線が外れない。
「結ちゃんに何するつもり?」
数秒の沈黙。
そのあとノクスは、すっと目を細めた。
敵意はないが、魔力的に完全に無害でもない。
「……まぁいいや。」
小さく笑う。
「変なことしたら、止めるからね。」
ノクスは、静かに目を閉じた。
まるでそれでいい、と言うみたいに。
「……ほんと、退屈しないなぁ。」
小さく呟いて、俺も目を閉じた。
少しだけ賑やかになったこの場所で、また新しい何かが始まっていた。




