序章:地球 ---“いざ、異世界へ”⑤
家に帰ると、相変わらず静まり返っていた。
「ただいま……」
返事はない。
鞄を置き、自室に入る。
机の上には、昔使っていたノートや、
小さな頃に集めていたガラス玉がそのまま残っていた。
必要なもの......
何があるかと探していると、ふと一つのものが目に留まる。
「お気に入りの料理をまとめたレシピ集......これは持っていかなきゃね。」
向こうでの食事に困った時の為にきっと持っておいた方がいいから。
他のものは全部置いていくことにした。
夜、いつもより多めに料理を作って私がいなくても生活が回るようにしていた時、優羽が帰ってきた。
「姉ちゃん!あれ姉ちゃんだよな!?異世界行っちゃうの!?」
テレビ中継でも見たのか、あるいはネットニュースでも見たのか。
弟が急いで家に入ってきた。
「おかえり優羽。そうだよあれお姉ちゃん。」
「ただいま。って、あんなに目立つの嫌がってたのに、どういう風の吹き回しなん?」
「いやぁまさかお姉ちゃんも異世界へ行くことになるとは微塵も思ってなかったの。けど異世界の女神さまから直々にお願いされちゃあね。これでも結構こっちのお願いも聞いてくれたの。」
「へぇ~良心的でよかったな。」
「ほんとにね笑」
こういう会話も週1になるのか、少なすぎはしないけれど悲しいなと思った。
翌日。
鵜飼さんが、荷物を揃えて戻ってきた。
「……思ったより多くなってしまいました」
そう言って差し出された鞄は、ずしりと重い。
「判断で、いくつか追加しました。
向こうで“当たり前”が通じない場面も多いでしょうから」
「ありがとうございます」
中を確認すると、追加で浄水機能のついた水筒、簡易照明、そして、いくつかのスキンケア用品とメイク道具、そしてその作り方が入っていた。
「……これらはどうして?」
「まず、どちらに転移されるのか分からないなと思ったので、浄水ができる水筒を用意いたしました。そして、夜は暗いので照明を。後は完全な独断なのですが、私の姉が美貌は女の武器なのよと良く言っていたので......。」
なるほど、と納得する。
「ありがとうございます!助かります。」
そうお礼を言うと、ふと顔をほころばせ、「えぇ。」と言ってくれた。
「あ、後、転移の時間は午後8時だそうです。全世界で生中継されるそうですよ。」
それを聞いて私はしばらく動けなかった。
目立ちたくない、と真逆に位置してしまうのがとても残念だ。
その日の夕方。
転移の時間が近づくにつれ、
胸の鼓動がはっきりと音を持ち始めた。
「週に一度、こちらに戻れるとのことですが……」
鵜飼さんが言う。
「はい。その時、もしこちらで何か問題が起きていたら、教えてください」
「……分かりました」
彼は一拍置いてから、こう続けた。
「旭月さん。私が言うのもおこがましいのですが、あなたは、誰かにとっての“希望”になっています。普通の人には中々できないとなのです。きっと私も、変化を恐れて断っていたでしょう。貴方は凄いのです。それだけは、忘れないでください」
その言葉のおかげで、ずっと心にあった不安が少しほどけたような気がした。
私は、少しだけ笑った。
「……希望かどうかは分かりません。でも、最善を尽くしたいと思います。」
夜。転移する1時間前。
私は国立競技場にいた。
「ここで、転移するんですね。何故ここで?」
鵜飼さんにそう尋ねると、鵜飼さんもわからないようで言葉を詰まらせていた。
「私にもわからないのです。ただ、開けた場所を用意してほしいと言われたとだけ存じております。」
開けた場所......?と思っていたら
「えぇ私も開けた場所なのかなと思っているのですが、まぁ、こちらで大丈夫なんでしょう。」
鵜飼さんも思っているようだった。
そんな会話をしていると、黒服の一人が私たちの元へやってきた。
「旭月さま。お母様とお父様がお越しになっているそうで...」
それを聞いて私は目を見開いた。
まさか父と母が会いに来てくれるとは思っていなかったからだ。
忙しいから来れるわけないと思っていたのに。
扉を開けると、本当に両親が立っていた。
「お父さん!お母さん!どうして!」
「いやぁねぇ、そんな中々会えなくなるなんて聞いたら会いに来るに決まってるでしょ!」
「ほんとにね。書類を書いていた時に、総理が場所を教えてくれたんだ。俺たちが愛娘を見送りもなしに異世界へ送るわけないだろう。」
両親の前にいるとやはりどうしても感情が表へ出てしまう。
私はいつの間にか泣いていた。
「来てくれて、ありがとう、ございます!」
すると、母が私を抱きしめてくれた。
「異世界で救世主なんて、漫画みたいなことあり得るのね。怪我はしてもいいけれど、どうか命だけは大切に戻ってきてね...!」
そう言う母の目にも涙が浮かんでいた。
「二人とも、お仕事は?あ、ご飯は1週間分冷凍してあるからレンチンしてね。あとそれから...」
「そう心配するな、寧ろ、映画の撮影をしてたら監督に追い出されたよ笑。後な、俺たちだって独身時代自炊してたからな笑」
そう言いながら頭をなでる父の手は暖かかった。
「そうだね笑ごめん笑」
両親と、家族と過ごす時間はとても心地よかった。
そして、約束の時間。
指定された場所に立つと、
足元から、淡い光が広がった。
風が吹く。
花の香りがし、歌が聞こえる。
福がたなびき、髪が乱れる。
それでも、自然と怖くない、どこか優しい風だった。
その時、カメラマンの人だったのか、誰かが急に、「おい!上を見ろ!」と言った。
と同時にカメラが広角になり、上を向いたのが分かった。
私も上を見てみると、大きな白い扉が、神聖で、荘厳な、国立競技場と同じくらいの高さのある扉が、降りてきた。
それは息を飲む美しさでいて、どこか侘しさもあった。
ああ。
また、ここだ。
私はそれを見て、夢で何度も訪れた女神さまのいる世界と同じものを感じた。
皆がその美しさに魅了されながら息をのんで扉が地に着くまでを見守る。
扉が地に着いた後、ギギギと少し軋みながら扉が開いた。
扉の向こうは、夢でいた場所と少し似ていた。
花は歌い、風は舞い、草木は歓迎していたが、それらは一つの道をつくり、そしてその先にはもう一つ扉があった。
そして、一人の天使がいた。
カメラが一斉に扉の中と彼を映す。
「こんにちは救世主さん。俺は所謂天使ってやつさ。ウェルナ様から遣わされて君を迎えに来たんだ。」
「そう、ウェルナが。」
「俺じゃ不服か?w あんまり他の世界の神様が異世界にかを出すのは色々と良くないんだよ。」
「そういうことね。別に不服じゃないの、心配しただけで。」
「おーいい救世主なことだ。ウェルナ様もいい人選をしたな。」
そういいながら笑う。
「さて、救世主さんよ、準備はいいかい?」
その言葉に、鼓動が速くなる。
ついに異世界に行くのだと実感する。
「……はい」
私は彼をまっすぐ見ながら答えた。
まだ不安はあるけれど、待ってくれている人たちがいるのならば行かないわけにはいかない。
「気を付けるのよ!」
「安心して行っておいで!」
そう聞こえてくる両親の声に思わず振り向く。
二人は泣いていた。
また泣きそうになるのを堪えて、心配させないよう笑顔で答える。
「行ってきます!」
実は、この時のシーンが切り抜かれ絶世の美女だとバズったりしていたのはまた別のお話。
天使に手を引かれながら道を歩き、もう一つの扉の前に立つ。
「さぁ、後は救世主さんのタイミングで扉を開ければ、そこはもう異世界だ。あ、今持ってるものはマジックボックスに入れておこうか。後、ステータスオープンって唱えると色々使い方とかも分かるから、覚えておいて。」
そう言い、鵜飼さんの用意してくれていたものが入っていたカバンの中身が全てマジックボックスに収納された。
「かばんは必要だろうから渡しておくね。後は、ほんとうに、好きなタイミングでどうぞ。」
私は、今までのこととこれからのことに想いを馳せながら一呼吸する。
そして、決意に満ちた目で扉を開ける。
光が強くなり、
視界が白に塗りつぶされる。
優しさが“悪”になる世界へ。
私は、歩き出した。




