第04話:ギャンジャの森のエトセトラ
ギャンジャの森。
ランカラン王国の辺境都市スムカイトと都市国家シルヴァンの間に位置するこの森は、早馬で三時間、荷馬車で一日強で抜けることができる比較的大きな森だ。以前この森は、スムカイトとシルヴァンを結ぶ交通の難所として知られていたが、今では先達の努力によって、ほぼ一直線で結ばれる街道が整備されている。
その結果、街道は旅商人でいつも賑わっている――かと思いきや、実はそうではない。そう、この街道の主な利用者はスムカイトとシルヴァンを結ぶ早馬であって、旅商人が荷馬車を引いて通ることはほとんどない。なぜならこの森には狼が住みついているのだから……。
旅商人にとって、狼はまさに天敵だ。
狼は賢く、集団で人を襲う習性をもつ。だからこの森で狼に囲まれたら最後、足の速い早馬ならともかく、のろまな荷馬車では、その鋭い牙から逃げ切ることなどできないのだ。つまり、旅商人は狼に襲われたら最後、高い確率で命を落とすのだ。
また、この森の絶妙な大きさと、狼の持つ夜行性という習性が事態をさらに深刻化させる。
そう、旅商人が荷馬車でこの森を抜けようとすると、どうしても一日以上の時間がかかってしまい、最低でも、一泊の野宿をこの森で強いられる。そしてその野宿の間、暗い森の中、身動きが取れない状況の中で、狼に監視され、いつ襲われるかわからない恐怖と戦いながら一夜を過ごさなければならないのだ。
さすがにこの条件で慎重な旅商人の歓心を買うことは難しい。
狼に襲われれば、お金を産む卵である荷物を放棄しなければならないどころか、命さえ落としかねないのだ。だからこそ、慎重な旅商人は、よほどの急ぎの用がない限り、ギャンジャの森を迂回する街道を選ぶ。まさに冷静で賢い選択だ。
しかし、賢明で慎重な旅商人でも見逃している事実もある。
それはギャンジャの森を抜けた旅商人のほとんどが狼に襲われていないという点だ。これは旅商人が狼を恐れるのと同様、狼も人間を恐れているからなのであるが、この現状は一発大きく当てようと企む強欲な商人にはチャンスに映る。
つまり私たち強欲な商人はこう考えるのだ。
この街道を通ることで早く荷物を届け、割り増し料金を得られれば、リスクを差し引いても期待値で利益が出る。つまり、それはチャンスだと……。
そしてこの考えは、あながち間違ってはいない。
なぜなら、本当にこの街道がリスクに溢れているのであれば、早馬でさえ、この街道を通ることはない。そして旅商人がこの街道を通ることで狼に襲われ、貴重な荷物を失うリスクが高いのであれば、荷物の輸送を依頼する各商業ギルドは、この街道の通行を禁止するはずなのだ。
しかし、現状はそのような事態になってはいない。
つまりどの商業ギルドも、この街道を通過することにより荷物を早く届けられるメリットと、それが失われるリスクを天秤にかけ、期待値で考えれば、儲けが出ると考えているのだ。つまり、今回の取引、充分勝ち目があるといえるのだ。
「でも、まったく不安がないわけでもないのよね……」
ため息と共にそう呟いた瞬間、私の頬をひんやりとした風が撫で、深い森の香りを運んでくる。鳥のさえずりが意識に入ってきて――って、ダメダメ、油断しちゃダメ。ちゃんと考えなくっちゃ!
えっと、アルマヴィル帝国とシルヴァンとの戦争が終わって以来、この街道沿いでやたらと山賊が現れるようになった。
その正体は戦争とかの理由によって追い詰められた人達だとは思うんだけど、だからこそ荷物を渡せば命を取られることはないと思うんだけど、本当に大丈夫なのかな? 命の危険って本当にないのかな? って、いやいや、そうじゃない、そうじゃない。
私みたいな守銭奴にとって大事なものは命だけじゃない。荷物や有り金も同じくらい価値のあるもので、それを失うことは由々しき問題なのだ。
だって荷物や有り金を取られてしまえば、私の大好きなお金がなくなってしまうじゃない? それは絶対に困る。
よく命さえ助かれば、いつでもやり直すことができる。なーんてこと言う人がいるけれど、こういう人って、商人の本質をほんとわかっていないのよね。
だって、当たり前のことだけど、商人に取ってお金は命なのだ。それが奪われることは命を奪われたも同然なのだ。なぜなら、お金がなければ商品を仕入れることができないし、その商品を高く売ることもできやしない。つまり利益を生むことができなくなる。要するに、商品とお金を奪われるということは、商人としての死と言っても過言ではないのだ。
「だからこそ」
私は森に入ってから、決して緩めることのなかった緊張を一瞬緩めて、森の奥を監視する視線を緩めて、荷馬車の荷台に視線を移す。するとそこには、用心棒として雇ったはずの、頼りになるはずの大男がのんきに昼寝を楽しんでいる。
「まったく、こんなかわいい女の子が頑張っているというのに、よく無神経に眠っていられるものね」
寂しさのあまりキャロルにそう話しかけると、キャロルは嬉しそうに、「ヒヒーン」といなないた。そして、そんなキャロルを見た私は、一人じゃないことに気がついた。
だから私は感謝の意をこめて、手綱を持った右手を使って、その体を優しく撫でてあげるのであった。




