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だって、お金が好きだから  作者: まぁじんこぉる
第三章:だって、お金が好きだから

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19/22

第19話:沈黙されるとツライのです

 楽しかった夕食が終わり、ふと一息ついて天を見上げると、木々の間から覗いた空は、すっかり闇に沈んでいる。


 しかし、そこに広がっていたのは、見渡すかぎりの星々の海。


 川のせせらぎと、ときおり遠くから聞こえてくる鳥の声だけが、森の静けさに彩りを添えている。まるで眠りについた森が、ほのかに息づいているかのように――。


 目の前にある焚き火が、パチパチと不規則な音を立てている。けれどその火音では、この胸の奥にひろがる寂しさを打ち消すには頼りなさすぎる。だから私は、沈黙を埋めるかのように、かまどの火にかけた鍋から湯をすくってコップに注ぎ、それをタルワールへと差し出した。


 しかしタルワールは、私と目を合わすこともなく、「ありがとう」と不愛想に答えてコップを受け取ると、ふたたび剣と甲冑の手入れに没頭し始める。そして再び訪れる森の静寂、かすかに響く、布で剣をふく不規則な音――。


 長い沈黙というのは、人の感覚をどこか鈍く、あるいは過敏にさせるものなのかもしれない。だから私は、周りの空気が少しずつ重くなっていくのを感じていたし、時さえも粘り気を帯びてしまったかのような感覚を覚えていた。


 そう、動きゆくすべての物が、ゆっくりと引き延ばされていくような――いつも見上げている星の輝きですら、ゆっくりと瞬いているかのような、そんな錯覚を覚えていた。


 これが長年連れ添った老夫婦が共有している時間であるとすれば、それはそれで良かったかもしれない。お互い心で強く通じ合う二人にとって、沈黙は単なる表面上の事象、周りの音は心の交流を邪魔するノイズでしかないのだから……。


 しかし、そもそも私とタルワールは夫婦ではないし、恋人でもないし、そんなことを感じあえる仲でもない。そして何より私は若いのだ、少女なのだ。つまり私がこの沈黙に耐えられないのは間違いなく正しいことなのだ。


 そう自己正当化した私は、真剣な顔で剣と甲冑の手入れをするタルワールに構って、じゃなくて、話しかけることにする。


 というか、お話するだけだったら別に作業しながらでもできるでしょ? 私、今、とっても寂しいの……。


「ところで、タルワール。余ったミルクを温めて飲もうと思うんだけれど、いる?」


 この優しい問いかけにすら、タルワールは全く興味を示さない。ただ黙々と古い布をお湯につけ、手持ちの剣を磨き上げるだけ……。


 ただ、脳のリソースは空気を読む能力にある程度割いているらしく、一呼吸ではすまされない沈黙のあと、「ああ」と短く返事はしてくれる。


 しかし、これでは、さすがの私も会話のきっかけを作りようがない。どうしたものかとほとほと困り果てながら、今日の料理で余ったミルクを火にかける。


 何かタルワールの興味を引きそうな話はないかしら?


 必死にそう考えていると、ふと、タルワールが夕食にこだわっていたことを思い出す。この話題ならいけるかもしれない。


「今日の夕食、美味しいと言ってくれてありがとう」


 笑顔を大安売りにしながら、私は温めたミルクをタルワールに手渡した。


「あぁ、期待以上に美味しかった。明日も楽しみだ」


 私が思ったより早く返ってくるお褒めの言葉。しかしこれは明らかに生返事。どうやら剣の手入れに忙しいタルワールには、食事の話ですら刺さらないらしい。なら、今、一番興味をもってそうな話を振るしかない。


「その剣、今日は一度も使ってないんだし、わざわざ手入れをしなくてもいいんじゃない?」


 そう私が尋ねると、タルワールの剣を磨く手がはじめて止まる。


「そうだなあ、こういう身の回りの道具というものは、毎日手入れをすることが大切なんだ。特に剣と甲冑は、俺たち騎士の命を守る最後の砦だからな。常に万全にしておく必要があるし、それが騎士としての最低限の仕事だと言ってもいい。それが証拠に、俺は、剣の手入れをおろそかにしたせいで、実力を発揮できず死んでいった同僚を山ほど見てきた。そう、山ほどな……。俺は明日死ぬかも知れない騎士だ。だからこそ、こういった道具の手入れに関しては手を抜きたくない。ただそれだけのことさ」


 予想外のしんみりとした答えを聞いてしまった私は、言葉に詰まってしまう。かといって、謝ってすむ話でもなさそうで、途方に暮れてしまう。しかしタルワールは、そんな私の気持ちを察してくれたかのように、明るい声で話しかけてくれる。


「リツだって新しい商売を始める前、ちゃんと下準備するだろ? それと同じさ」


 その言葉に込められた気遣いを感じとった私は、「そうね」と小さく呟いて、温めたミルクを入れたコップを片手に、タルワールの隣にゆっくりと腰をおろす。


「たしかに、私も何かしらの取引をする前は綿密な準備をするもの。実際に取引をしている時間より準備してる時間の方が長いくらい……。だからそういう意味では、商人の準備というものは、タルワールの言う騎士の最低限の仕事に近いかも知れないわね」


 そう言って「ふふっ」と笑い、さりげなくタルワールの肩にもたれかかる。


「そうだな、どんな仕事でも準備が一番大事ということなのかも知れないな。シルヴァンだって、ちゃんと準備をしていれば滅亡することはなかったかもしれない。そう考えると、神様って案外、俺たちのことをちゃんと見ているのかもしれないな……」


 タルワールは寂しげにそう笑うと、携行用の壷から油を少し取り、新しい布で剣を磨き始める。


「なに言ってるの、タルワール。シルヴァンという都市国家は確かに滅びたかもしれないけれど、シルヴァンという街が消えてなくなったわけじゃないじゃない。街が残り続ける限り、シルヴァンが滅びたとは言えないじゃない?」


 そう私が元気づけようとしたものの、タルワールの瞳の奥は一瞬、暗く沈む。


「リツ、すまないな。いらない気を使わせてしまったみたいだ……。確かにリツみたいな街での生活を礎にした商人なら、そういう割り切り方もできるかもしれない」


 そう言ってタルワールは大きくため息をつく。


「しかし、残念なことに、俺は国に仕える騎士だったんだ。騎士にとって仕える国が亡ぶということは、そういうことなのさ……。例えば、だ。器が同じでも中の酒が変わってしまえばその味は変わってしまう。酒の製法が同じでも、作り手が変われば味は微妙に変わってしまう。それでもリツみたいな商人は、誰が作っても同じ味だと言ってその酒を気にせず買うかもしれない。しかし俺たち騎士は酒にうるさくてな、たとえ味が同じだとしても、作り手が違えば納得できないものなのさ」


 肩をすくめて、タルワールは自嘲気味に笑う。


「それにだ。うまい酒を造るには時間がかかる。たとえシルヴァンという器が残っていたとしても、そこに独立という酒を注ぐためには、今入っている酒を飲み切って、器を空にする必要がある。そしてそこから、また新しい酒を造る作業が始まるというわけだ。その後、出来上がる酒の味が違ったものになるとわかっているにも関わらず、な。どちらにせよ、再びシルヴァンが独立できたとしても何十年も後の話さ。そしてその時、俺たちは生きてはいない。つまり俺たち世代にとってのシルヴァンは確実に滅びたのさ……」


 今日一番の寂しそうな顔でそう語ると、タルワールはすくっと立ち上がり、磨き終えた剣を静かに鞘へとおさめた。

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