第18話:最後に出した条件は?
「さて、条件のすり合わせは終わりましたかな?」
ふいにカウンター越しに聞こえてくる低い声。つい先程まで依頼を受けていた初老の男の声。
「いやぁ、どんな商談もまとまる時が一番美しいですな――さて、この商談はこのルンベルトが証書の発行……と、その前に、手数料の確認を忘れていましたね」
「手数料?」
そんな意外な言葉に、思わず問い返す私。
「そうです、手数料です。私の記憶が確かであれば、リツ様とタルワール様のご契約、リツ様が私どもに護衛募集の依頼を出した後、ここドミオン商業ギルドにて、両者お話合いのうえ、契約が成立した。私はそう理解しているのですが、間違いなかったでしょうか? そうであれば、当然、私どもは手数料をいただく権利があると思うのですが……」
言われてみれば、確かにその通り。
その事実に気がつかされた私は、ついつい心の中で舌打ちをしてしまう。その理屈の正しさに感心する。
しかし、目の前でただ座っていただけの男に手数料を取られるなんて、どうにも癪に障る。だから私は、一応、いや必死に、手数料を払わないですむ方便を考える。しかし、目の前で護衛の募集依頼を出しておいて、その後すぐに交渉を始めた事実がある以上、さすがにこれは……。
「はい、間違いありません」
この状況に至っては、くやしいけれど、まずはルンベルトに対して頷くしかない。しかし、商人の枠組みの外にいるタルワールなら……。
そんな不埒な期待を込めて、私はタルワールの方に視線を向ける。しかしタルワールも私と同様、諦観したような表情を浮かべている。ダメだ、ここで手詰まりか……。どうやらこの場の支配権を奪ったのは、ルンベルトというわけね。
「さて、リツ様もタルワール様も納得していただいたみたいで、まことに喜ばしい。それではこれから、このルンベルトがこの契約に関する証書を発行させていただきます」
その顔は笑顔であるものの、その声は反論を許さぬ低い語気。
「契約金は銀貨百枚、契約期間は明日から三日間。契約内容は、ここスムカイトからシルヴァンまでの護衛。この内容で間違いありませんか?」
有無を言わさぬその問いに、私とタルワールは黙って頷くしか術がない。さすがドミオン商業ギルドの商人、私につけいる隙を一切あたえない。
「では次に、契約金の支払いについてです。前金で銀貨五十枚、荷物が無事だった場合に限り成功報酬として半金の銀貨五十枚。これでよろしかったですね? この内容で問題なければ、今ここで前金を払っていただいて、成功報酬はシルヴァンに到着後、我々のシルヴァン支部で支払う形になりますが、それでよろしかったでしょうか?」
いろいろと言いたいことがあるものの、ここは「ぐっ」とこらえて、「そうね。それでお願いするわ」と渋々返事をする。
「では、この内容で契約書を作成してきますが、何か言い忘れた条件等はありませんか?」
その質問に、今まで沈黙を守っていたタルワールが口を開く。
「冷静になって考えてみたんだが、この契約、俺の方が不利すぎやしないか? この内容だと、荷物に何かがあった時、俺に落ち度がなくても成功報酬は貰えなくなるのだろ? そうなると俺の手元には銀貨五十枚しか残らない。それではこの嬢ちゃんが最初に提案した銀貨八十枚から三割以上もの値引きになる。さすがにこれでは割に合わないと思うんだが?」
うっ、うまく押し込まれた? 気がつかれた?
結構いいところまで条件を引き下げてこれたけど、さすがにバレるか……。うーん、どうしよう。とにかく私が有利なこの条件、なんとか見直しは避けたいんだけど――さすがにそれは図々しいかな?
そんなことを悩みながら、私は譲歩できそうな条件を必死に考える。しかし、そんな私の思惑とはうらはらに、タルワールは予想外の条件を提案してくる。
「一度はお互いに合意した条件だ。今さら変えてくれというつもりはない。騎士道に反する行為だと思うからな。ただ、その代わりといってはなんなんだが、条件の付け足しをお願いできないかと思ってな」
「……仕方がないわね、聞くだけは聞いてあげる。でも条件によるわ」
あまりにも私に有利なタルワールの提案に、頑張って間を作り、即答を避ける。
だって、これ、もしかしたら報酬を引き上げることなく、この場を切り抜ける可能性があるってことだよね。
しかも、私が不利になる条件追加なら断ればいいだけだし、今さら変更をしないという言質をとった以上、このまま押し切ることも可能といえば、可能なわけだし、もしかして、私、メチャクチャ有利?
そう都合よく結論づけた私は、タルワールに視線を向け、追加したい条件を話すように促した。
「なぁに、条件といってもそんな難しいことじゃない。これから二日間、嬢ちゃんに俺の夕食を作ってもらいたいんだ。俺も、嬢ちゃんほどじゃないにしろ、そこそこ育ちはいい方でな。料理にはうるさい方なんだ。もし嬢ちゃんが作った夕食が、俺の口に合わなかったら銀貨十五枚を支払うという条件を追加してほしいんだ。この条件であれば、道中二回の食事の味次第で俺には銀貨三十枚得られる可能性が残る。そうであれば、たとえ俺以外の責任で荷物が奪われたとしても、俺には銀貨八十枚を得られるチャンスが残るというわけだ。どうだろう? これこそフェアな条件というものではないか?」
「ちょ、ちょっと待って。その条件だとあまりにも私が不利だと思うの。私が可哀想だと思うの。これって、たとえ私がメッチャおいしい料理を作ったとしても、まずいと言われたら銀貨十五枚払うってことでしょ? さすがにこれ、理不尽じゃない」
強気の表情を崩さないタルワールにそう反論したものの、すぐにとある事実に気づき、私は意見をひっくり返す。
「でも、わかった。その条件を飲んであげてもいい。ただし、銀貨十枚。それが譲れない一線よ」
そう、この条件さえ飲んでくれれば、たとえ荷物が奪われたとしても出費は最大銀貨七十枚。そして荷物を無事に届けたとしても、最大銀貨百二十枚。これなら最初にタルワールが出した条件と同じになる。この線ならギリギリ妥協できるのだ。
商談というものは、一方的に勝てばいいというものではない。特に、今回のように護衛という契約では、そのクオリティは相手のモチベーションに大きく依存する。つまり、ギリギリのところで譲歩してみせることによって、相手のモチベーションを引き上げる効果が期待できるのだ。
それに、今はとにかく時間がない。
これ以上、護衛の件で時間を使うことは得策ではない。って、待って、待って、タルワールは、この土壇場で、私が飲めそうな条件で、最初の条件以上の報酬を得られるように交渉してきたってことじゃない? これ。
うーん、この男、なかなかのやり手かも?
「俺は、騎士道に反した卑劣なことは決してしないと誓っているが、確かに、初対面ではそう思われても仕方がないな。いいだろう、銀貨十枚。その条件を飲もうじゃないか」
男らしい、凛々しい意志があふれ出てくるような、そんな力強い言葉を告げたタルワールは、ためらいなく右手を私に差し出した。しかし私は、その右手をすぐ取るわけにもいかず、申し訳なさそうに一言つけ加える。
「ごめんなさい。私からも二つ条件があるんだけれど、いいかしら?」
「なんだいそれは?」
「一つは、私のことを嬢ちゃんと呼ぶのはやめて欲しい。できればリツと呼んでほしい。そしてもう一つは」
そこまで言って、私は言葉に詰まる。
「さ、さすがに口では言いにくいから、木札に書かせてもらえない?」
もじもじとそう告げると、ルンベルトは黙って木札と羽根ペンを私に差し出してくれる。私は、その木札を受け取って、慎重に文字を書きながら、自分自身の顔が真っ赤に染まるのを感じていた。
だいたい書いているだけでこんなに恥ずかしいのだから、口に出して言えるわけないじゃない……。
「リツ様。この木札、本当にタルワール様に見せてもよろしいのですか?」
手渡した木札を見たルンベルトは、あきれ顔でそう尋ねてくる。私は、一瞬、躊躇したものの、意を決して無言で静かに頷いた。するとルンベルトは申し訳なさそうな表情を浮かべながら、タルワールにその木札を渡す。そして木札を受け取ったタルワールは、一瞬、ポカンとした表情を浮かべたものの、すぐに大きな声で笑いだす。
「なんだよ、この貞操を保証するって条件って――俺は騎士だ、契約書に書かれてなくてもこういう事はちゃんと守る。安心してくれ、この剣にかけてな」
豪快な笑い声に合わせて、タルワールが腰にぶら下げていた剣を軽く叩くと、それをきっかけに、私たちの会話に聞き耳を立てていた趣味の悪い商人たちが「どっ」と一斉に笑いだす。その瞬間、私の顔は火傷してしまったかのように、信じられないくらいの熱を帯びる。
「でも、そんなこと言ったって、私だって女の子なんだし……、ね」
すかさずそう小声で反論してみたものの、それが何の意味も持たないことを、私は理解していた。どうやらこれが、私にできる精一杯の抵抗だったみたい。




