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2-5. 舞踏会当日(5)

 その場に残ったのは置いて行かれたことに唖然とするしかないアシュリーと、表情を険しくしたヴィルヘルムだけだ。――先に動き出したのは息をひとつ吐き出したヴィルヘルムの方だった。


「シェリー嬢」

「は、はいっ」


 驚きで思わずびくりと肩を揺らしてしまう。もしかしたら怒っているかもしれないと恐る恐る見上げると、鮮やかな深紫色の瞳と視線が合った。そこに怒りの色はなく、少しだけ安心する。

 そして再びヴィルヘルムは手のひらを差し出した。今度は挨拶のためではなく、エスコートするために伸べられたものだ。

 ローウェルたちがいなくなっても突き刺さる視線はまだ痛い。だが、わざわざ舞踏会の場で晒し者になり続ける趣味はアシュリーにはない。今だけだと言い聞かせながら差し伸べられた手を取った。

 指先を包むように握られて、とくりと胸が高鳴る。


「この場にいては少し……居心地が悪い。しばらく中庭に出ませんか」

「は、い、ありがとうございます」


 ヴィルヘルムのその提案は有り難く、アシュリーは頷いてお礼を口にする。

 鋭い視線と、明らかに自分のことを指しているだろう口さがない噂話を気付いていないふりをしてアシュリーはヴィルヘルムに手を引かれ、大広間を後にした。


「このような場所はあまり好きではありませんか?」


 中庭に出ると、所々に男女の姿が見えるぐらいで賑やかさはすっかり落ち着いている。アシュリーがほっと一息を吐いたところで、ヴィルヘルムがそう口にした。

 どう返事をすればいいのか迷ったが、アシュリーは正直に首を縦に振る。

 今の自分はアシュリー・マクブライドではなく、シェリー・ダンフォードなのだと言い聞かせて、演じる貴族令嬢像を壊さないように言い聞かせた。


「流行にも疎いですし、周りも美しくて可愛らしい方々ばかりなのでどのような話をすればいいのかわからなくて、気後れしてしまうんです。ですから苦手で……」

「気後れする必要など、ないように思いますが。……私には他の誰よりもあなたが美しく見えた。あなたを連れてここに来たローウェルのことを、羨ましく感じるぐらいに」


 思わず伏せていた視線を上げると、僅かに目尻を赤く染めたヴィルヘルムと目が合う。気恥ずかしげな様子だけれどヴィルヘルムが視線を逸らすことはなく、耐え切れなくなったアシュリーの方が先に目を逸らしてしまった。


 ──社交辞令だとわかってても、心臓に悪い……!


 心臓がどくどくうるさいし、夜風に当たっていても頬に熱が集まっていることは誤魔化せない。繋がれた指先から、密着した体から、ヴィルヘルムの温もりが伝わってきて、より一層落ち着かない気持ちになる。


「ライ……ヴィ、ルヘルム様にそんなふうに言って頂けるなんて光栄です。ありがとうございます」


 危うくいつもの呼び方を口にしかけて、慌てて名前で呼ぶ。緊張して、うまく笑みが浮かべられない。

 笑みが引きつってははいないだろうか。そんな不安が頭を過ぎるけれど、アシュリーにできることは浮かべた笑みがヴィルヘルムにとって見苦しく見えませんようにと祈ることだけだった。

 それきり言葉が途切れてしまう。大広間の方からは管弦楽の鮮やかな音楽が微かに聞こえてくる。時折擦れ違う、想いを通わせ合う男女の濃厚な空気にどきりとする。場違いなような気がして、肩身が狭い。

 だが、同時にふと頭に思い浮かんだのは自分もヴィルヘルムとそのような関係に見えるのだろうか、という疑問だった。先ほどから擦れ違うのは甘い空気を醸し出した男女ばかりだ。

 けれど考えるまでもなく、アシュリーは首を横に振った。


 ──甘い雰囲気とは程遠いし、寧ろそんなふうに思ったなんて烏滸がましすぎる。この間常連の方に勧められて読んだロマンス小説の影響かな……


 本当に最高なのよ! と鼻息荒く勧められて、目を通した小説のことを思い出す。

 勧められたら職業柄、一度は読むようにはしていた。何度も勧められているその類のお話は作品としては面白く読んでいるし、女の子が好きになる気持ちもわかったが、どうも現実味がなくてのめり込むまでにはならなかった。

 だが結婚はしたくないと思ってはいても、どうやら自分もきちんと女子だったらしい。今の状況に少なからず夢を見ていた。


「シェリー嬢?」


 名前を呼び掛けられて、アシュリーははっと我に返る。

 声の主の方へ顔を向けると、ヴィルヘルムの濃紫色の瞳が心配そうな眼差しで見下ろしていた。


「ご、ごめんなさい。少し、ぼうっとしてしまって……」


 だが、その言葉はヴィルヘルムにとっては何か思うところがあったようだ。眉根に皺が寄せられて、彼はひとつ、ため息を吐いた。

 その仕草にアシュリーは気分を悪くさせてしまったかと不安になる。しかしヴィルヘルムが言ったのは予想とはまったく違う言葉だった。


「……すまない」


 もし彼が犬だったなら、その両耳は間違いなく垂れ下がっていただろう。

 突然の謝罪にアシュリーは目を見開き、思わずヴィルヘルムを凝視する。


「俺ではあなたを、退屈させることしかできなかった」

「ちが……!」


 自嘲気味の笑みを浮かべて、ヴィルヘルムは肩を竦めた。

 慌てて否定する言葉を言おうとしたが、ヴィルヘルムはそっと首を横に振る。


「殿下にお願いして、役目はジェラルドに代わってもらおう。あいつなら、あなたを楽しませてくれると思う」


 どこか悔しそうに言ったあと、ヴィルヘルムは繋いだアシュリーの手をそっと引く。

 だが、逆に握り返して引き留め、アシュリーはヴィルヘルムをじっと見上げた。ここできちんと否定しないといけない。どうしてかそんな気がして、必死に言葉を選んで伝える。

 見上げた先でヴィルヘルムが驚いたように目を見開いていたけれど、気にしてなんていられなかった。

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