「告白します。自分は―。」
これまでに、何回ぐらい「告白。」をしてきたのだろうか。「告白」なんて、普通は何回くらいするんだろう。そして、これから先も何回の「告白」をどれだけの人にしていくんだろう。
告白Ⅰ。
小学生の頃。自分の性に対して、違和感を感じていた。身体は女性。でも、心は男性。いわゆる、トランスジェンダーというものだ。今の時代だからこそ、ジェンダーについては昔に比べて随分と理解が得られるようになったと思う。
小学生の頃は、短髪でズボンしか履かなくて、いつも男の子と遊んでばかりいた。時には「おとこおんな。」なんても呼ばれたりしていた。身体が成長していく過程で、自分の胸が膨らんでいくのが苦痛だった。小学生の頃、体育のプールの授業を休むようになった。子供なりに、どうしたらプールへ入らなくても良くなるのか、そんな事を考えて、お風呂の時にわざと手に火傷をつくるようになっていた。小学校の卒業アルバムでも、手に包帯を巻いている姿が映っている。最後にプールに入ったのは小学四年生だった。
ある日、同じクラスの女の子を好きになった。目で追って、時には意地悪なんかもした。
でも、その「好き。」という感情や言葉は、絶対に口にしてはいけない事だと悟った。この時に感じた、なんとも言えない切ない気持ちは、その後の人生においても影響してくるだなんて、この時は全然思いもしなかった。
いつかは、男になれるよね。皆みたいに、「自分は○○が好きだ。」って言えるようになるよね、きっと。
告白Ⅱ。
中学生になると、否応なしに制服はスカートで、毎日が憂鬱だった。運動部に所属していたから、髪は短髪。同性からも「カッコいい。」と言われて、そんな瞬間だけが誇らしかった。
ある日、同じクラスの女の子から、生まれて初めて愛の告白を受けた。衝撃だった。これまでは、同性が同性に好きだと言ってはいけない事だと思っていたからだ。彼女とは別の小学校で、全然知らなかったけれど、「あの子って、リスカしてるんだよね。」と噂で耳にした事があった。自分は「リストカット」という言葉も知らなくて、その意味を知った時は衝撃的だった。どうしたら、それをやめてくれるのか。そんな事を思いつつ、この告白を断ったら、自分のせいで、リスカされるのではないか?という恐怖もあった。
いけない事だと分かっていたけど、自分を好きになってくれた彼女、どうにかリストカットをやめさせなければとの思いで、そんな彼女に溺れていった。人と付き合った事もない、どうして良いのかも分からなかったけど、精一杯彼女を愛した。唇を重ねて、身体を重ねて。
そんな時、彼女と付き合っている事を母親にバレた。自分の全く知らない所で、親同士が近くの喫茶店で話し合いにまで発展していたらしい。自分は、そんな事も知らずに自室で寝ていると、母親に首を絞められて目覚めた事がある。
「アンタは頭がおかしい!精神科へ連れて行く!」
と、泣き叫ぶ母親に抵抗して、病院への受診は免れた。こんな事になるのなら、彼女と付き合ったりしなければ良かったと後悔をした。
中学二年生。再び、同性から愛の告白を受けた。絶対に付き合ってはいけない、母親が泣き叫んでいた悪夢が脳裏に浮かばせながら、「ごめん。好きじゃない。」
と、告白を断った。しかし、彼女からのアタックは止まらなかった。待ち伏せされたり、意図的に周囲からも二人にさせられる場面が続いた。人間、不思議なものである。好きだ、好きだと言われ続けたり、会う頻度が多くなると、いつしか彼女の事を考え始めるようになる。
「少し付き合って、別れれば満足してくれるのかな。」
と、安易な気持ちで彼女の期待に応えてしまった。彼女は、性に対してませていた。自分が知らない身体の重ね方を沢山教えてくれた。思春期真っ只中、気にならないわけがない。ここでもまた、彼女に溺れていった。
ある日、彼女の一言で口論になった事があった。なぜ、その会話になったのかは覚えてはいない。
「男でも乳首って立つんだよ。」
彼女が突如そんな事を言った。何故、そんな事を言うのか?見た事があるって事なのか?それについて問い詰めた事があった。そして、彼女から告白を受けた。
数日前に、自分が地区大会に出場していたグラウンドに彼女が応援に来てくれた事があったと言う。
その日、彼女は塾講師の運転する車内で性的な悪戯をされたと言った。衝撃的で、怒り狂った自分は、彼女を追い立てて泣かせた。
数日後、彼女から塾講師が自分と会いたいと言っていると聞かされた。何故か、家の電話へ塾講師から電話があって、直接会って謝罪がしたいと言ってきた。
「俺は刺されても文句は言えない事をした。でも挿れてはいない。それは神に誓う。」
許せなかった。自分の身体では、どうしたって叶えられない事を一瞬でもしようとした事に対して、自分という彼氏がいる事を分かっていて彼女に手を出した事、聖職と言われる塾講師が生徒にそんな事をした事実に苛立ちが募るばかりだった。それを聞いた週末、塾講師と直接会う約束をしていたが、塾講師の元へは行かず、塾へ直接乗り込んで、塾長へ全てを打ち明けて塾長が塾講師の元へ向かうという、今考えれば若干中学生が大人に対して、よくそんな行動を取ったものだと思う。それだけ彼女を愛していたし、これは許される事ではないとの正義感からだった。そして、それは親達にもバレて、結局は自分達の首を絞める事にもなった。再び、母親は発狂した。
中学も卒業し、高校生になったばかりの頃、夜に彼女から電話がかかってきた。
「今日、○○と初体験した。ゴムつけてなかったけど。外に出したで大丈夫。」
衝撃だった。その相手は、同じ中学の自分の幼馴染だった。本当の意味で、初体験をさせてあげられなかった彼女に対して、幼馴染に怒りが込み上げた。幼馴染にすぐにメールで確認して・・・その後は覚えていない。彼女とは、そのまま自然消滅をした。
その後、高校生活では、誰の事も好きにはならなかった。ただ、彼女と幼馴染の事がずっと頭から離れず、自暴自棄になっていた。当時は「メル友」が流行っていて、自分にもそんなメル友がいた。彼女が求めた「大人の男」とはどんな男なのかを知りたくなった。
年上のメル友と会う事になって、初めてラブホテルに行った。初めてセックスというものを実体験した。男に抱かれる事に対して、強い嫌悪感や抵抗感があったけれど、恐怖心でも、好奇心でもない感情がそこにはあって、ただ「男と女、セックス」というものを知りたかっただけだった。何人かの男性と身体の関係を持ったりもしたけれど、嫌悪感しか残らなかった。自分は、男性をやっぱり好きにはなれないという再確認ができた。
大学生。大学は県外で一人暮らしをしていた。大学では、初めて自分と同じトランスジェンダーの同級生に出会った。彼にはもちろん、彼女もいて。雰囲気や言葉遣いも似ていて、どこか安心する自分がいた。これまで生きてきて、自分だけが「おかしい人間。」と思っていたから、自分と同じ人もいるんだと知って、自分の人生観が変わった瞬間だった。
二十歳になる頃、年下の女性のメル友がいた。彼女には、自分の性についてもありのまま話せる、なんでも話せる仲だった。全く知らない人だったからこそなのかもしれないが、「カミングアウト」をする事で、自分を受け入れてもらえるという成功体験となっていた。世間一般で言うところの、人生においてのイベントでもあろう成人式には行かなかった。着物を着て、女として写真を残す事に違和感があった。今思えば、それも親孝行の1つだったのかもしれない、その頃の自分は「男として生きていこう。」とメル友に誓っていた事もあって、そんな事は全然頭になかった。それよりも、中学生時代の元彼女達やその周りの人達に会うのが怖かった。
二年後。当時、インターネットのソーシャルネットワークを使って、中学校の同窓会があった。成人式にも行かなかった事もあって、何人かから声がかかっていた。案外、旧友達は自分が思っていた程、幼稚ではなく、今どうしているのか?これから社会人としてどんな仕事へ就くのか?と、他愛もない話ばかりで、中学校時代の元彼女の事を根掘り葉掘り聞かれるのではないかという不安は吹き飛んだ。同窓会の後も交流は続いていた。
同窓会で再会した仲間内だけで夜通し遊び疲れた後に、ファミリーレストランで、王様じゃんけんが行われた。王様は言った。
「誰にも言えない秘密を言う。」
このタイミングで、初めて仲間にカミングアウトをした。
「皆には、中学生の頃から、ずっと黙っていた事がある。実は、性同一性障害なんだ。」
と打ち明けた。沈黙の時間が過ぎたが、
「やっぱり、そうだったんだ。もっと早くに言ってくれれば良かったのに。これからも関係は変わらないよ。お前はお前だろ。」
と、言ってくれた。カミングアウトを聞いて、動揺した仲間も居たとは思うけれど、前向きな返答をもらえて、素直に嬉しかった。その後も交流は続いた。
大学も卒業まじかになり、卒論に追われていた朝方。突如として、これまで感じた事のない尋常ではない頭痛が起きた。目の奥が痛い。痛みでのたうち回る。市販薬の痛み止めを飲み、アイスノンで冷やすも全然痛みが引かない。気を失うように眠りについた。翌日、同じ時間帯に再び、あの悪夢のような痛みが襲ってきた。
「いよいよ、死ぬのかもしれない。」と不安になり、自宅近くの内科へと受診した。片頭痛との診断で、痛み止めを処方された。しかし、その翌日も、同じ時間帯になると激痛が走った。痛み止めの薬を替えて、替えてとしている内に、その内に頭痛はピタっと止まった。
そして、社会人になった。
告白Ⅲ。
就職が中々決まらず、焦っていた。社会時になる事が怖かった。身体の性、女性として生きるのか。それとも、本来の性、男性として生きるのか。それは、制服一つでも左右される。スカートや化粧をして人前に立って仕事をするなんて、自分には絶対に出来ないと思っていた。そんな時、求人票を見ながら、無資格・未経験が魅力的だった介護の世界へ飛び込んだ。両親が医療関係者だった事もあり、最初は「介護士になる。」と言った時には、凄く貶された。石の上にも三年という言葉があるように、やってみてもし合わなかったら辞めれば良い、と簡単に考えていた。初めての職場という事もあって、必死に仕事を覚えた。未経験ながらも、半年で役職に就くまでになっていた。ある日、上司から食事に誘われた。いつも気にかけてくれて、良くしてくれた上司。いつでも味方になってくれて、尊敬できる上司。この人になら、自分の事を話しても良い、というより、いつかはちゃんと自分の事を話さなければいけないと思っていた。上司は否定する事もなく、受け入れてくれた。その後の関係も今まで通りで、働く職場としてはとても居心地が良かった。
社会人二年目。新しく入社してきた年上の看護師が、お局看護師にいじめられて、涙を流しながら仕事をしているのを見た。正義感から、看護師長へそれを相談した事があった。それからはいじめもなくなり、平穏な職場環境となった。
しばらく経ったある日、どんな会話だったのかは覚えていない。同僚の別の看護師から、
「新しく入った看護師さんの事、好きでしょ?」
と突然言われてから、それまで全然意識していなかったのに、そのいじめられていた看護師を目で追う事が増えていたのを自覚した。言語化された事で、ついつい好きになってしまったのかもしれない。しかし、相手は16歳も年上で、「家庭」がある人だった。
それでも、彼女の事が好きだった。
半年後、彼女から声をかけられた。
「今日、帰る前にちょっと話したい事がある。逃げるなよ。」
何か、怒っているような口調だった。彼女が屋上へ上がっていくのが見えて、自分も屋上へと向かった。小雨が降る中、屋上のベンチに彼女は座っていた。
「何か、私に言いたい事があるんじゃないの?」
と彼女が言った。普段、彼女に対して、自分の態度が悪かったからだ。「好き。」という感情を見せてはいけない、悟られてはいけないという思いから、彼女に冷たくあたっていた。その事に対して彼女は不満を持たれていると感じていた。
「何もないですよ。」
「いいから、言ってみ?本当は何かあるんでしょ?」
「いや、何も。本当に何もないです。」
と、おどおどして返答してしまった。ため息をついて彼女がその場を立ち去ろうした、まさにその時に言ってしまった。
「『好き。』って言ったらどうします?」
一瞬、彼女の表情が変わった。
「私、結婚しているし。」
「知っています。」
「子供もいるし。」
「分かっています。」
お互いに沈黙し、彼女はその場から立ち去って行った。ついに言ってしまった。明日からどんな顔をすれば良いのかを考えた。
告白をしてからというもの、何事もなかったかのように日々が過ぎて行った。振られたんだな、と感じながら、彼女を避ける行動は続いていた。自分のいるフロアへ彼女が来る度に、その場から逃げるように立ち去っていた。彼女の事を見る事が出来なかった。
その年の冬、四年ぶりに再びあの激痛な頭痛が蘇った。発作だった。夜勤中でも否応なしに激痛が走る。利きもしない薬を服用して、誰もいない屋上で一人悶絶しながら、なんとかその場をやり過ごし、かかりつけの内科へ受診をしても、相変わらず利きもしない薬を飲み続けて、発作が過ぎ去るのを一カ月ほど待ち続けて、頭痛は治まった。
三年後。同期や後輩を連れては定期的に食事会を行っていた。一部の信頼がおける後輩にはカミングアウトもしていて、同僚の看護師が好きで告白をした事も話していた。
ある日、中学の頃に付き合っていた元彼女からメールが来て、会う事になった。久しぶりに会う緊張もあったけれど、話をする中で段々と解消されていった。そして、成り行きでホテルに行ってしまった。元彼女は相変わらずエロくて、どんどん引き込まれていってしまった。そして彼女は言った。
「挿れて。ねぇ、挿れてよ。」
その言葉で一気に冷めてしまった。求められても、どうしたって、それに応えられないからだ。元彼女と別れてから涙が溢れてきた。
「どうして、男じゃないんだろう・・・。」
数日後、退社をしている最中に、出勤してきた看護師の彼女と鉢合わせた事があった。目が合い、思わず下を向いた。
数日後、彼女から「話をしよう。」とメールが来た。待ち合わせの場所に行き、彼女の車の助手席に座り話をした。
「仕事、辞めようと思っているでしょ?」
唐突もなく、そんな事を言われた。
「え?そんな事、考えていないですよ。誰かに何かを言われて、ここへ呼び出したんですか?誰に、何を、言われたんですか?」
と、自分は上司達が彼女にそう指示をしていたのだと思い込んでいた。退職する事は全く考えてもいなかったから、最初言われた時は驚いたけれど、話をしていく中で、誰かの指示で話しをしに来たわけではない事を察した。
本当は、呼び出しがあった後に予め、話す内容は事前に考えていた。目を合わさずに、語るように話し始めた。
「ずっと好きでした。告白をしてからの三年間、ずっとその想いは変わりませんでした。自分はあの時の、あの頃のままです。でも、家庭がある事も、子供がいる事も分かっています。待ち続けるのは苦痛ではありませんでした。」
と、彼女に三年越しに二回目の愛の告白をした。そして彼女は答えた。
「知っていた。ずっと好きでいてくれた事も。凄いね。よく三年も待てるね。私だったら待てなかったかもしれない。」
そんな彼女の言葉を聞いて、心の中の何かが崩れた。彼女にキスをしてしまった。その行動に彼女は驚く様子もない。むしろ、そんな行動を取ってしまった自分自身に驚いていた。その後も話をしていたが、全然覚えていない。ただ、毎日のようにメールや電話をする仲になっていた。
三か月後。
彼女からカラオケ店へ誘われた。嬉しい気持ちでカラオケ店へ行き、他にも誰かを誘っているのかと思っていたけれど、一向に誰も現れない。交互に歌を歌いながら、席も段々と近くに座るようになり、彼女を抱きしめた。
「ホテル行く?」
まさかの彼女の言葉だった。耳を疑った。お互いの車で移動して、駅構内の駐車場に彼女の車を停めて、自分の車に彼女を乗せて近くのラブホテルへと向かった。ホテルの駐車場に車を停めて、ハンドルを握ったまま動けなくなった。本当に良いのか?ずっと、こうなる事を望んでいたはずなのに、いざとなると怖くなった。
「どうする?やめても良いんだよ。」
彼女がそう言った。緊張もしていたし、いけない事をしていると後ろめたさもあった。身体が男ではない自分自身に自信がなかった。もし、挿入を求められたらどうする?それに応えられない。また傷つくのか?耐えられるのか?でも、今、この機を逃したらもうこんなチャンスは来ないと思った。二人でホテルの中へと入っていった。一緒にソファーに座り、何かを話すわけでもない。タバコ吹かすばかり。自分は居たたまれなくなり、ベッドで横になって目を覆った。そこへ彼女が馬乗りになって抱きしめてきた。
「もう、ダメだ・・・。」
そんな彼女を抱きしめ、服のボタンを一つずつ外していく。そして、ブラジャーを外して、見たかった、触りたかったその胸に顔をうずめて、しゃぶりつく。幸せだった。そして、身体を重ねていく。ずっとこうなる事を望んでいた。そして彼女に言った。
「挿れてあげられない。男じゃなくてごめん。」
そして彼女は答えた。
「挿れる事だけが愛じゃない。そのままでいいの。身体を好きになったわけじゃない。そのままでいいの。」
信じられなかった。これまでは、挿れる事が全てだった。女はそれを求めているのだと思っていた。そのままでいい。そんな言葉、これまで生きてきて聞いた事がなかった。本当の愛を知った。やっと手に入れた彼女を、絶対に離さないと心に誓った。もう、この人しか居ないと思った。
こうして、職場の誰にも言えない禁断の関係となった。この日、「彼女」と「彼氏」になった。
「海が見たい。」
初めてのデートのお誘いだった。近場の臨海公園へ行き、手を繋ぎ、海を眺めた。一緒に食事をして、美味しそうに食事をする彼女を眺めて思わず笑顔になってしまった。帰りに、ホテルへ寄っては身体を重ねた。そうして、とても幸せな日常が過ぎていった。
職場で目が合ってもお互いに知らない振りをしていた。でも、お互いに仕事が終われば電話を常に掛け合っていた。同じ休みを取っては、誰も自分達を知らない場所へ、各都道府県へ車で旅行をしては、ホテルに泊まり、激しく身体を重ね合って愛を確かめ合っていた。
自宅近くでアパートを経営している親戚から、空き部屋を利用しないか?と言ってきた。そこで一人暮らしをする事になった。彼女にも合鍵を渡して、半同棲生活が始まった。
しかし、いくら隠し続けても、いつかそれは誰かが異変に気付く。母親だ。父親が癌で闘病生活を送っている最中に、自分は新しい恋へと走り続けていた。アパートで彼女と身体を重ね合っている最中にインターフォンが連打され、激しくノックされた。心臓が飛び出そうで細かく震えたのを、今でもしっかりと覚えている。
自分と母親はキッチンで、彼女はTVもつけないまま居間でポツン。母親が彼女に問い詰める。
「今、うちは父親が癌で、病院に連れて行ったりしている!そんな時に何をしているんですか?」
と母親が激怒する。彼女は
「私も娘が糖尿病で毎週病院へ通院しに行っています。」
と答えた。これを修羅場というか・・・。そして彼女は更に続ける。
「この際、お母さんに聞いてもらおうよ。いつも言っていること。」
と、話を振ってきた。そう、彼女には普段自分が思っている事や考えを話していた。それを母親に離したらどうかと言っているのだ。
「え、何々?聞こうじゃん。」
挑発に乗るような口調振りだった。もう逃げられない。硬くつむった口を開く。
「どうして、いつも自分が仲良くする友達や人に対して、強くあたるの?」
子供の頃から、ずっと引っかかっていた事だった。自分が仲良くしている友達を見ては、
「あの子、ちょっとやめておいたら。もう家には入れないで。」
と、言われ続けていた。それがとても不満だった。それをずっと母親には聞けずにいた。母親はそれを聞いて頭を傾げて、
「もういいわ。好きにすれば良い。」
と言って、アパートを出て行った。彼女から追いかけなくて良いのか聞かれて、自宅へと向かった。母親に布団に臥せっていた。何も言えずに、アパートへと引き返した。彼女は既にアパートを出て行った。
数週間後、今度は職場の上司から呼び出しを受けた。
「この間、連休をあげたんだけど、旅行に行っていただろう。お父さんの看病の為に連休をあげたのに、どうして?」
シフトでは希望を出したわけでもないところが連休になっていた。そんな意図があって連休が作られていた事は全然考えていなくて、逆にラッキー!と思って彼女と旅行に行っていた。なぜ、突然に叱られたのかが分からなかった。彼女に電話で、その経緯を伝える。
「ねぇ。それ、お母さんじゃないの?」
と彼女は言った。母親が上司へ連絡を取って相談をしたのではないかと言うのだ。まさかと思いながら、母親を問い詰めた。
「ごめん、お母さん。アンタが築いてきた関係まで全部壊した。」
と泣いて謝ってきた。彼女の思惑通りだった。母親はたまたま父の看病で病院に行った時に上司とばったりと出会い、最近の様子を相談していたみたいだ。お互いに連絡先も交換していて、メールでやり取りをしていた事もわかった。
数日後、休みの日。突然、上司から電話がかかってきた。
「今から会社に来れないか?」
ただ、それだけの内容だった。なんとなく嫌な予感がした。慌てて退職届を書き、それをひっそりとポケットに忍ばせて、会社に向かった。小さな会議室に通されて、部長・看護師長・看護主任・直属の上司に取り囲まれ、部長から一枚の紙を差し出された。いわゆる退職勧告だ。あれが出来ていない、これが出来ていない等とつらつらと書かれていたが、全てを読む前にポケットから退職届を取り出して差し出した。部長は一瞬驚いた表情を見せたが受理された。その足で、自分のフロアへと行き、現場の職員へ
「ごめん。クビになった。急だけど退職する。」
部長から出された書面を見せて、そう告げて私物を持って退職した。
彼女との関係を、会社も気付かないわけがなかった。会社のイベントの日。早朝から準備をしなくてはいけなくて、彼女が前日にアパートへ泊りに来ていた。一緒に出勤したり、自分が運転する車で一緒に帰ったりとした姿を同僚達は気付いた。あの二人は付き合っている、同棲しているのではないか、実は会社では専らの噂になっていたようだ。
しかし、スキャンダルは自分達だけではなかった。誰からも信頼がおける上司が同僚と不倫をしていたのを目撃した事があった。上司もそれを隠すのに必死だったのだろう。その事実を知った自分を含めた数名が、突然退職をさせられていた。
そして、彼女もまた上司達へ呼び出しがかかったと言う。ある事、ない事を並べ立てられ、「あの上司は不倫をしている。」と噂を彼女が流していると言い寄られたそうだ。
「私は何もしていません。こうやって自分で噂になるような事を上司がしているんじゃないんですか?」
と、彼女は言い返したと後から聞いた。そして彼女も退職をする事になった。
退職をしてから、父親の具合が悪化した。
四か月後、癌で闘病生活をしていた父が亡くなった。父が亡くなる前、病室で父の言葉で号泣した事があった。水が飲みたいというので、ペットボトルの蓋を開けて飲ませようとした時だった。それを振りほどき、
「皆が思っている程、うろたえていない。」
何に対して、うろたえていなかったのか。この言葉の意味や意図は全然分からなかったけど、父に拒絶されたと感じてショックで号泣した。その場に居られず、病院を出た。彼女はその日、職場の仲間とカラオケ店に行っていた。アパートの鍵も持っていなかったし、彼女の元へと号泣をしながら向かった。その場に居た、元同僚達は驚いていた。自分がこんなにも号泣する姿を見た事も想像もしていなかったからだ。そして、自分自身も人前でこれ程までに涙を見せた事はなかった。彼女にアパートへ送ってもらって、彼女にしがみつきながら落ち着くまで一緒にいてくれた。
父の葬儀には彼女は呼ばなかった。父を送り出した間もなく、突然アパートを引き払って欲しいと言われた。そして、自宅での生活が始まった。母親は父親の死を受け入れられず、実家へと帰省していった。彼女と会えない日が続き、いつまでも無職のままではいけないと思い、就職活動を行った。
彼女は既に次の職場で働いていた。自分も同じ職場へ就職をする事にした。車で片道一時間半もかけて通勤をしていた。冬になるに連れて、段々と通勤も厳しくなってきた頃。職場と自宅の間の街に引っ越す事を決意した。そこから彼女の住むアパートから車で数分の所を探した。再び、一人暮らしが始まった。彼女も時々泊まりにきて、半同棲生活が再開した。彼女がすぐそばにいる事に幸せを感じていた。
一か月後。
彼女の父親が亡くなった。元々入退院を繰り返していたのは知っていたが、そんなに悪い事は知らなかった。職場の掲示板に通夜の案内が貼り出されていて、喪服を着て葬儀場へと向かった。呼ばれていたわけではない、でも彼女が心配だった。合掌をしながら、
「自分が彼女を守ります。」
と、亡き彼女の父のご遺体に誓った。
二年後。三回目となる大きな発作が起きた。あの激痛な頭痛だ。今度ばかりは、しっかりと治療をしようと決意した。病院や専門医を徹底的に調べて、脳外へと受診した。色々と薬も替えたりしながら、ある病気だった事がここで初めて分かった。
「群発性頭痛、通称自殺頭痛。」
インターネット上では、三大激痛とも紹介をされていた。また、この病気は原因不明で、患者数も少なくてまだまだ研究が進んでいなくて、これといった治療法も確立されていなかった。まだまだ認知度も低くて、専門医でないと、この病名すら知らない医師は沢山いる事も知った。この病気で死ぬ事は無いという事も分かって安心した。主に治療法は対処療法しかなかったが、発作時に酸素ボンベを吸入する痛みが和らぎやすい事も分かった。職業柄、酸素ボンベの扱いには慣れていたから、すぐに酸素ボンベも借りた。対処の仕方も分かって、自分に合った薬も見つかり、なんとか病気と向き合える事になった。仕事は続けて、役職にも就いたりと昇進もしたけれど、発作が起こった時は、ただの頭痛としか理解してもえなくて、肩身も狭くなり退職した。その数カ月後、彼女も退職をした。
新たに職場を探した。元々、前前職場に入る前から、気にしていた職場だった。彼女と一緒に職場見学へ行った。先に就職したのは彼女の方だった。自分はまだ頭痛の発作が起きていて、群発期が過ぎるまで待機していた。
身体も落ち着いて、無事に就職した。必死に現場で動いて、一年半が過ぎた。
手に痺れが出てきた。これはダメだと思い、とうとう頭の病気になってしまったのではないかと感じた。昔、同じような事があったのを思い出した。大学生の頃、朝起床して顔を洗い、両腕を挙げて背伸びをした時だ。クビのギックリ腰をした事があった。その時と同じ症状だった。
整形外科へ受診した。頸椎ヘルニア・腰椎ヘルニアになっていて、大きな病院でMRI検査も受けた。そして、三カ月休職する事になった。仕事を辞めなければいけないと考えた。休職中に部長から何度か呼び出しがあった。「これからは、現場じゃなく人材教育や広報活動に専念をして欲しい。これからは、身体じゃなくて頭を使う仕事をすれば良い。」
と言うのだ。最初は、何を言われているのか全く分からなかった。現場でしか働いた事がないのに、人材育成?広報活動?何を言っているのか。現場が出来なければ、仕事じゃないと感じていた。休職中の身で、思うように身体も動かせず、今後の生活を考えていた。こんな状態になっても、職場は自分を求めてくれている。少し、やってみて無理だったら辞めても良いのではないかと考えてみた。そして、部長へ告白をした。
「今、群発性頭痛という病気になっている。」と伝えた。病名を伝えてもやっぱり知らなくて、説明をした。発作時期は酸素ボンベを盛り込ませて欲しい、発作時間帯だけ仕事は中断させて欲しい事も伝えた。ただでさえ、頸椎・腰椎ヘルニアで身体を動かせないにも関わらず、頭痛で仕事を中断させて欲しいなどと申し出をした。それでも、部長は受け入れてくれた。
復職。現場から離れて、事務所での勤務となった。現場に居た時には全然考えもしてこなかった業務を行い、研修にも行かせてもらった。せっかく拾ってもらったんだから、せめて恩返しをしなくては、との思いで必死で新しい仕事も覚えていった。
ある日。部長命令で元直属の上司が請け負っていた業務を引き継ぐ事になった。引き継いだ業務を行って、それを持って元上司の所へ行くと、書類をポンっと投げられて
「こんなんじゃ、ダメだから。」
と、何度も突き返しをくらった。元上司と部長は折り合いが悪く、部長の元で復職した自分を良く思っていなかったのだ。冷たい態度を取られて、自分がフロアへ行くだけで
「何しに来たの?邪魔なんだけど。」
と、言われ存在を否定し続けられてきた。抑うつ状態となり、夜も中々眠れなくなってしまっていた。そして、とうとう心が壊れてしまった。
鬱病発症。
最初は、一週間の休職を心療内科の医師から言われた。しかし、一週間が経とうとした時。職場に行くのが怖かった。再び受診をして、三カ月も延長した。
どうして、こうなってしまったのか。そんな事ばかりが頭の中を駆け巡る。直属の上司はいつの間にか退職していった。それからは、その嫌がらせを引き継いだ、取り巻き達からも嫌がらせは続いた。でも、自分には事務所という逃げ場があったから、なんとか踏みとどまって部長に話を聞いてもらいながら堪える事ができた。その取り巻き達も、次々と退職していった。
その後は、平穏な日常が続いた。彼女との生活も続いていて、自分らしく働けて、自分らしく居られる生活にとても満足をしていた。こんな日がずっと続けば良いと思っていた。
一年後。
法人の母体から、直属の上司となる人達が異動してきた。それを良く思わない職員もいたけれど、部長からは
「この人達をサポートしていって欲しい。」
と言われていた。新しく上司となった人達と現場職員のわだかまりはやはりあって、追突する事もしばしばあった。
その年の夏。台風が近づいている日だった。
一人の職員からメールが入った。
「○○さんが、体調不良だから早退させて欲しい。」
と言ってきた。丁度、自分は事務所勤務の日だった。いつもなら、すぐにOKを出すのだが、この日だけは違った。連絡をしてきた職員と体調不良になった外国人職員は、昼休み中に外出をしており、その時は元気に出て行ったのを見ていたからだ。本人達の元へ行き、顔を見て話を聞きに行くも、体調不良を訴える職員は下を向いたままで
「明日。どうしても東京に行かなければいけない。明日は台風が来る。新幹線に乗れないかもしれない。」
その言葉を聞いて、ピンときた。
「飛ばれるかもしれない。」
という不安だ。外国人労働者が、突然職場を飛ぶという研修を受けたばかりだった事を思い出した。「飛ぶ。」というワードは遣わなかったにせよ、すぐに早退させて欲しいと懇願された。
「体調が悪いのに東京へ行くの?体調が治ってから東京へ行っても良いのではないか?」となだめるが、そこは理解してもらえなかった。現場の状況を確認して、少し休むように指示をした。
数時間後、メールが入った。
「今、早退していきました。」
知らない間に、外国人職員を早退させたという知らせだった。数日後、その外国人職員は出勤して来ず、寮を見に行くと自身の荷物だけが持ち出されていて、失踪したのだった。その後は、警察がて失踪届を出したり、機構から急遽監査が入ったりとして、バタバタした。どうしても、腑に落ちなかった。早退を申し出た日だ。外国人職員のSNSを見つけて、誕生日プレゼントでスーツケースをもらったという記事が画像付きでアップされていたのだ。一緒に写っていたメッセージカードを見て驚愕した。独特のメッセージカードは、普段から目にしていたからだ。早退をさせて欲しいと言ってきた職員だったからだ。それについて、直接咎める事はしなかったが、上司らへ報告はした。そこから、その職員に対しては不信感しか持てなくなっていた。
ある日。スーツケースを送り、失踪に関与したと思われる職員が自分に対して怒りを向けた時があった。その日の朝、出勤早々に上司へ前日までの報告をする為に二人で話した込んでいた。
「どうして、私の前で話が出来ないんですか?私に聞かれたら困る事でも話していたんですか?もう上(上司)に言いますよ!」
突然の事で、思わず無言で頭を傾げてしまった。それを言われてから、一日中ずっとモヤモヤしていて、その日の夕方にもう一度この職員と話をしようと思い、呼び出した。
「他にも言いたい事があるんじゃないのか?」と問う。
「いや、それはあなたの方じゃないの?私は今朝話した通りです。」
穏やかに話は進んでいった。一時の怒りだったのか、それとももう諦めがついて穏やかに話をしているのか、全然分からなかったけれど、新しく上司がくるまでは、この職員とは二人三脚でお互いを支え合ってきた仲間だった。しかし、新しい上司が来た事で私もその上司を守らなくてはならない立場となってしまい、現場職員からの上司への不満は全てシャットアウトしてきたのだ。それが苦痛だったのだろう。この職員は、精神を病み、言動もおかしくなってしまい、四カ月後には退職していった。
その年の六月。
体調不良で、市内の救急外来にかかった。腹痛と下痢、食事が全く取れなかった。CT検査をする事になり、点滴を受けながら医師から
「腹部に何かが写っている。おそらく卵巣腫瘍である事は間違いないとは思うけど、もしかしたら・・・。」
「癌ですか?」
「それは詳しく検査してみない事はには分からないから、婦人科に一度かかった方が良い。」
突然の事だった。親にも相談して、別の病院で婦人科にかかる事にした。病気が見つかった事に対してもショックだったが、トランスジェンダーの自分が女性特有の病気になった事の方がとてもショックだった。診察台に上がった時の屈辱的な、なんとも言えない気持ち・・・。触診検査、エコー検査、血液検査、MRI検査、卵巣嚢腫腫瘍である事に間違いはなかった。その腫瘍は7cm大だった。オペになった。しかし、喫煙者だった事もあり、早急なオペでも無かった為、発見されてから二か月後のオペとなった。オペ自体は、特段問題はなかったが腫瘍自体は12cmまで成長していた。自覚症状も全くなくて、いつからこの爆弾を抱えていたのかは全然知らなかった。
一カ月休職して、復帰して二カ月もしない内に、異動してきた直属の上司達から、現場に出るように指示される日が続いた。それまでは、頸椎・腰椎ヘルニアがあるとの理由で現場を除外されていたが、何故か突然毎日のように現場に配置されるようになった。事務仕事が一切できない毎日だった為、期限があった事務仕事が出来なかった時があった。それを報告すると、翌日には現場を外された配置に変わっていた。本当に人手が足らなくて現場に配置をしていたわけではなく、これはあえて現場に意図的に配置していたのだなと察した。
その一カ月後には、障碍者雇用の職員に事務仕事を引き継ぎしろと上司から言われた。人手が足らなくて現場に配置されている中、引継ぎで現場に穴を空ける事がとても苦痛だった。こうして、どんどん自分の仕事は取り上げられていき、自分の手で手放さざるをえなかった。もう身体的にも精神的にも限界だった。退職を申し出た。
数日後、上司らに呼び出しされ、面談が行われた。面談中も何度も
「引き止めるつもりはないんで。」
という言葉を連発された。もうこれは、退職を待っていたのだなと察した。この上司達を守るように部長からは言われていたが、こんな事をしてくる上司達に自分は今まで何をしてきたんだろうと悲しくなった。
そして、退職した。
告白Ⅳ。
転職した。昔、後輩だった人の伝手で再就職先はすぐに見つかった。そこでは、現場を指揮する役職を初めから持たせてもらっていた。ここでなら、頑張れる、やっていけると思っていた。
しかし、一週間もしない内に配置転換があった。突然、本社へと連れて行かれ、
「明日から、ここで仕事をしてもらう。」
と、突然事務の仕事に就く事になった。これまでの仕事とは180度違う仕事をしてきた、まさか自分が事務の仕事をするなんて・・・。戸惑う時間すら与えてもらえず、自分専用のパソコン、名刺が次から次へと準備され、引くに引けない状況となってしまった。自分が入職する前から会社では、前任者の事務員が職員らトラブルを起こしていて、その職員が退職する事となって、その当て馬として充てられたのだ。とっても、迷惑な話。職場の人間関係のいざこざに巻き込まれたとしか思えなかった。しかし、後輩の紹介で入社した手前もあり、「辞める。」という言葉は言えなかった。色んな会議にも出席させてもらい、仕事をする上で色んな人達とも挨拶をして、
「本当に自分は、ここでやっていけるのだろうか。」
という不安だけが、どんどん大きくなっていった。毎日、帰宅後には家の前の公園に行き、「今日もなんとかやり終えた。でも、明日はどうなる?続けられるのか?本当にやりたい仕事なのか?」
と一人でタバコを吸いながら反省会をする日々だった。
もう一人の事務員との出会い。
週に1度だけ、この事務員は出勤してくる。普段は在宅ワークをしている。
初対面の時は、軽い挨拶程度で、よく顔も見ていなかった。一週間後、事務員会議があった時に、
「LINEを教えて下さい。」
と言われて、連絡先を交換した。業務連絡をするだけの間柄だった。
そして、一週間後。自分と後輩がいる支店へ出勤してきた事務員は、前職の事や自身の病気について話をした。事務員の過去は壮絶だった。この人みたいな立場になったら、自分だったらそんな仕事の仕方は出来ないなと思った。自身の持病を話された時、なんとも言えない目のやり場に困った。まだ会って数日しか経っていないのに、自身の辛い体験を聞き、心を開いてくれていると思いつつ、それに応えられないかもしれないという、とても申し訳ない気持ちになった。
翌日、LINEをした。
「昨日は大変大事なお話をして下さり、有難う御座いました。」
事務員からも、返事はあった。
数日後、自分は体調不良で欠勤をした。抑うつ状態になっていて、仕事どころではなかった。新しい仕事のプレッシャーで、心が押し潰れそうになっていた。
「今日は体調不良にてお休みを頂いていました。
告白します。実は五年前から鬱病を患っていて今も通院しています。」
自身の病気を告白した。今後、精神的に辛くなって休む事があり、迷惑をかける可能性が大きいと感じたからだ。事務員からは優しい返事をもらった。
その後も変わらず、事務連絡を交えたLINEは続き、関係性も変わらずに進んでいった。
ある日。翌日の仕事の段取りでLINEをした事があった。「電話できますか?」との返事で、一瞬不安が頭を過ったが、翌日の事だからと思って電話をかけた。
数日後。
「告白しなくてはいけない事があります。実は、薬の副作用で主に夜間帯の記憶障害があります。
薬服用後、10分後位~起床までの時間、ほぼほぼ全く記憶がありません。思い出せません。
昨夜のお電話も最初の数分程しか覚えていません。」
と、LINEを送った。自分の中には、もう一人の自分がいる。鬱病になってから、向精神薬や眠剤を毎晩服用していた。そして、薬の副作用で夜間帯の記憶が無い事を自覚していた。翌朝、シンクに置いてある茶碗や宅配ピザの空箱を見て、夜間帯にLINEや電話をした相手から返信を見て、
「昨日もやってしまったのか・・・そういえば、そんな事をしていたかもしれない・・・。」
と初めて気づく。そんな毎日を過ごしていた。ショックだった。まだ、よく知りもしない人に対してまで、副作用が原因で迷惑をかけて、告白をしなければならない事になってしまっていた、自分自身にガッカリした。それでも事務員は、変わらず、
「勇気を持ってお話して下さったことに感謝しています。
昨日、たくさん話せたこと、私は凄く嬉しかったですよ。何もお気になさらず大丈夫です。」
と優しいメールを返してくれた。チカラになる!と言ってくれた。
数日後、本社で一緒に仕事をした日。
「そういえば、あの在庫はどうだったかな。」と言い、自分は階段を降りて行った。もう一人の事務員と二人になる瞬間があり、そこで事務員へ頭を下げて謝罪をした。
「本当に、本当にすみませんでした!」
「全然大丈夫!気にしないで下さい。ただ、薬は合っていますか?ちゃんと医者へは夜の様子は伝えていますか?もっと会社に近い所へ引っ越しをした方が良いんじゃない?今住んでいる所に理由がないなら、そうしたらどうですか?全然気にしなくて良い。私は大丈夫なので。」
と、ごもっともな事を言われた。とても申し訳ない気持ちで一杯だった。昼休憩の時間になっても、食事が取れなかった。
「ちゃんと食べなきゃダメですよ!」
と、事務員は言う。しかし、食欲がない。
「大丈夫ですよ。夜中に食べている『ようなので。』もう一人が食べてくれているはずなので。」
と答える。
「食べている『よう。』だなんて。ちゃんと食べて下さい。」
と言われた。
数日後。
「私、明後日フリーなので、やる事があるなら行きますよ!」
と、LINEが来た。事務員に対して、申し訳ない気持ちがあり、直接会う事が怖かった。後輩にも、
「どうしよう。どうしたら良い。何かする事はあるか?何か、何かする事・・・。この人は家に居たくないのかな。何かする事はないか、何か・・・。断れない・・・。」
と、明らかに動揺している言葉を発していた。その夜、断りのLINEをした。しかし、薬を服用した後であり、正常な判断も出来ないまま、支離滅裂、誤字脱字な文章を送信していた。そして、翌朝にぼんやりした記憶を辿ってLINEを見て驚愕する。自分自身にガッカリした。
「もう、バカタレですね。自分にガッカリです。変な気は起こしません。本当にすみません。」
と、メールを送った。
「私も分かっているので大丈夫です。」
と返信があった。
翌日は、支店で事務員と一緒に仕事をする日だった。自分は朝からとても不穏で、挙動不審だった。どうしよう、会ったら何て言う?どう謝る?会いたくない、会えない。どんな顔して会えば良い?もう、訳が分からなくなっていた。それに気づいたのは後輩だった。
後輩には薬の副作用や、夜間帯のもう一人の話はしていた。自分が思っている程、失礼な内容を送っている事はないと言ってくれていたが、全く思い出せない自分が許せなかった。
「あ、事務員さん来ましたね!」
という後輩の言葉を聞き、駐車する車の音を感じて思わず、背を向けてしまった。下を向き、顔を上げられない。
「おはようございます。」
と事務員はいつものように笑顔で挨拶をされて、挨拶を返す。立ち上がって謝罪をした。手を合わせて謝った。すると、その手を両手で握り返されて、思わずドキッとしてしまった。きっと表情も一瞬変わっただろう、勝手に手が震える。そして、それに相手は気付く。
「落ち着いて。大丈夫、大丈夫だから!」
と、身体をさすられた。嫌悪感?幸福感?なんとも言えない不思議な感覚だった。
昼前になり、手作りのサンドウィッチを差し出された。
「なんて、優しい人なんだ・・・。」
彼女からもサンドウィッチなんて作ってもらった事なんて、これまでにも一度もなかった。
サンドウィッチを食べながら考えていた。優しい行動、優しい言葉を幾つももらい、日頃のLINEでも、何故か理由は分からないけれど、安心してなんでもこの話せた。この人になら、自分を分かってもらえる気がする。何段こんなにも自分自身の事を話せるのだろう。不思議な人。歳も離れていて、全然共通点も無いのに、何故だろう。よく顔を見ると、自分の好みだった。ずっと見ない振りをしていた。仕草にドキっとさせられている。笑顔で見つめられると釘付けになってしまう。惹かれている。事務員に対して、同僚とは違う、友情とは違う感情が湧き出てきたのを感じていた。
その日の夕方、後輩から話があった。
「今日の朝。私、電話しに外へ行ったじゃないですか。あれ、実は事務員さんに電話したんですよ!今日、明らかに様子がおかしいなって思ったから、出勤する前から様子が変だなと思ったら電話しようと決めていたんです。」
と打ち明けられた。そう、後輩は、自分の今朝の様子を見て、事務員へ電話をしていたのだ。
「LINEを気にして、今日事務員へ会う事に対してとても不安になっている。私の前では、いつも「先輩であり続けよう。」とするから、少し歳の離れた事務員さんから、支えてあげて下さい。なんなら抱きしめてあげて下さい。」
と言った、と言われた。それを聞かされて、更に不安に駆られた。そんな事になっていたとは、全く見抜けなかった。もし、抱きしめられていたらどうなっていただろう・・・。好きだという感情が爆発していたかもしれないと感じた。そうならなくて良かったと思った。
告白伍。
「好きかもしれない。」
そんな感情を隠しながら、頭の中は常に事務員の事で一杯だった。
けれど、自分には13年付き合っている彼女がいる。どうしたら良い?彼女がいるのに、他の女を好きになるなんて、これまで一回もそんな事はなかったのに・・・。これが浮気なのか?自分は浮気なんて、絶対にしないと思っていた。この感情はどうしたら良い?彼女に申し訳ない。これから一緒に仕事をしていく事務員に対しても、どんな顔をして、どんな態度を取れば良いのか分からなくなっていた。
仕事はどんどん進んでいき、休日も関係なく働き続けた。聞きなれない用語、見た事もない書類、やった事もない業務、それだけで頭の中は既にパンクしそうになっていた。何かをしていなくては、色んな感情に振り回されそうだったからだ。そして、みるみる内に身体も心も壊れていった。食事が取れなくなっていた。昼休憩も取らず、ひたらすら仕事をし続ける。一瞬たりとも、気が抜けず、自分で自分にプレッシャーをかけていた。常に頭を抱えて「ダメだ。」「もっと頑張らなくては。」「こんなんじゃダメだ。」とブツブツ独り言を言っていた。
休日。一日中、ずっと憂鬱で椅子に座って泣いていた。そこへ仕事帰りの彼女が、家へ来た。そんな、自分の姿を見て彼女は激怒した。
彼女の顔を見る事が出来ない。彼女が様子を見に来てくれて嬉しいはずなのに、彼女の目を見る事ができない。見透かされてしまいそうで怖かった。目を合わせないようにしているのは彼女にもすぐに伝わった。
「もう、限界じゃん。自分でもこれではダメだって気付いているんでしょ?もうこれ以上、仕事続けてはダメ。ねぇ、私の目を見てよ!ねぇ!見れなくなっているじゃん!ちゃんと私を見てよ!今の自分が正常だと思っているの?精神科の薬を飲んでいるのに、こんな状態だなんて異常だよ。何年一緒にいると思っているの!もう本当にダメ。ちょっと、電話貸して!○○さん(後輩)へ電話する!」
彼女は、自分のスマホを奪おうとした。それを必死に抵抗した。
「なんでそんなに抵抗するの?やましい事でもあるの?」
ドキッとした。胸が苦しくなった。仕事の辛さや、事務員へ酷いメールを送って、不快な思いをさせた事を説明した。本当は、その人の事が好きになっただなんて、言えなかった。彼女は後輩の電話番号だけをメモして、帰って行った。
数日後、後輩から県外の支店へ一緒に行くように指示があった。その車中で恋愛について話題が上がった。
「先輩は好きな人とかいないんですか?もしかして、トランスジェンダーってやつですか?」
とてもストレートな質問だった。これまで、恋愛の話題はずっと避けてきた。誰にも言えない、誰にもバレてはいけない事だと信じていたからだ。でも、この後輩だけには分かっていて欲しい、という願いもあった。少し黙り込んで告白した。
「実は・・・自分、そっちなんだ。彼女もいる。」
後輩は驚く様子もなく、
「やっぱりそうだったんですね。もしかして、そうなのかなって昔から思っていました。でも良かったですわ。今、とっても嬉しいです。この人は何が楽しくて生きているのかなって、ずっと思っていました。だって、考えてもみて下さいよ。昔から、『誰も好きにならない。』家に帰ってもパソコンでニュースばかり観ているって聞かされ続けてきたんですよ。ちゃんとした人間で良かった。彼女もいるんですね。もしかしてあの人ですか?」
と、聞いてきた。以前、一緒に働いていた頃にはカミングアウトはしていなかったけれど、自分の彼女の事は、後輩も知っていて。リアルに自分と彼女を知ってくれている人は、これまでに同期のたった一人しかいなかった。その数少ない理解者が得られた事に、心から感謝した。「自分は、この人が好きなんだ。」と話せている自分がとても嬉しかった。
「でも、今思い返せば、やっぱり男の人ですね。考え方とか、仕草とか、言い方とか。納得です。」
と、後輩は言った。
数日後、再び県外の支店へ出張に行った時だった。後輩と恋愛の話になった。
「なぁ。もう一つ、悩みを聞いてくれるか?」と後輩へ問いかける。
「今、彼女ではない、別の人を好きになりそうで困っている。どうしよう、もう誰だかわかるだろう?」
と、手で顔を覆った。
「え?え?もしかして、事務員さんですか?でも、なんか分かる気がします。同じ女性でも好きになりそうですもん。可愛らしいって言うか、癒し系ですよね。でも、一緒に働いていこうと思うなら、想いは伝えない方が良いですね。もしかして、伝えようとか思っているんですか?あの人には家庭がありますから。え?そうなりたいとか思ってないですよね?」
と、すぐに当てられた。女の勘は怖い。思わずフードで顔を隠してしまった。
「事務員さんの時だけ、なんか異様に態度が違いましたもんね。」
「そんなに違った?それはダメだね。気付かれたかな。でも、これって心の浮気だよな。どうしよう、彼女に怒られる。」
「心の浮気が一番ダメですよ!身体の浮気は洗えますけど、心の浮気は洗えませんからね。一番ダメです。」
その日は、車の中で一時間以上も一緒に恋愛について後輩と話し込んだ。そして、後輩に諭されるように、帰り道に彼女に会いに行った。事務員の事を忘れる為に。久し振りに彼女と会って、嬉しいはずなのに・・・。頭の中は事務員の事で一杯だった。自分は、目の前にいる彼女に対して、なんて事を考えているんだ。
数日後。後輩から電話がきた。
「今、やってもらっている仕事なんですけど、今日の会議で来月から始めるようにってなりました。」
と報告の電話だった。
「まだ業者との打ち合わせも、これから最終段階だし、まだもう少しかかるよ。」
と返答する。
「でも社長は、もう来月から出来るでしょ!って言ってますし。○○さん(前任者)は、いつもこういう時でもちゃんと期日を守って仕上げてくれてたんです。」
と言われた。なぜ、突然に後輩はこんな事を言ってきたのか。これは後輩の発言ではなくて、上からの指示で言わされているであろう背景も理解していた。それを察して、更にプレッシャーが重く感じた。進んでいるようで、思うように進んでいないプロジェクト。慣れない書類作成、不調が続く体調。頭の中は、納期で一杯になった。自分には前任者のようには出来ない。これまでにも、現場の職員から、業務について
「○○さん(前任者)はやってくれていたのに。」「○○さんだったら。」と言われ続けていた。そんな言葉を聞く度に、ストレスを感じていて、心が潰れそうで、思わず事務員へ弱音のLINEをした。
「自分、もうダメかもしれません。前任者のようには仕事は出来ない。しかし、現場の皆が求めているのは前任者で自分ではない気がしています。今、せっかく事務員さんから色々教えてもらっているのにすみません。」
事務員からは、
「これまでとは180度違う仕事をしているのだから、出来なくて当たり前。なんかムカついてきます!」
と返事があり、続いて事故をされたとLINEがきた。自分の弱音なんかよりも、事務員の容態が心配になった。大きな事故のようだったが、いつもと変わらない様子で安心した。
数日後。何も聞かされていなかったプロジェクトへのメールの確認が出来ていなくて、普段関わりのない職員から電話で叱られた。理不尽だなと思いながら応対していたけれど、何故、ここまで言われなくてはいけないのだと感じていた。
その夜、今まで感じた事のない胃痛と背中に激痛が走った。眠れば、治まるだろうと思って入眠するが痛みで二時間おきに目が覚めてしまう。これは、まずい事になった。
朝方になり、全然痛みが引かなかった。救急外来へと走った。彼女に電話をして、現状を伝えた。血液検査、CT検査、点滴を受けた。特に異常は見られないが、痛みが続くようなら消化器内科への受診をと医師から勧められた。とりあえずの痛み止めをもらって、その日は帰宅した。
翌日、事務員がフリーの日であった為、一緒に本社勤務をする予定だった。自分は本社に寄る前に各支店へ書類の回収に回っていた。そして、電話が鳴った。事務員からだった。
「今日、出勤する段取りしていたんですけど、体調が悪くて。家で仕事しますね。着替えまでしたんですけど、車に乗ってそっちへ行くのがしんどくて。」
との連絡だった。事故を起こしてから三日目だった事、持病もあったから、どちらで体調不良になっているのかは聞かなかった。そこで、自分も体調不良でとは言えなかった。薬も飲んでいて、痛みは少し和らいでいた。なんとか踏ん張って、来月までには仕事を終えないと・・・。そんな思いで必死だった。
「あれ、先輩。今日は本社じゃなかったんですか?」
後輩が聞いてきた。
「事務員さん、体調不良みたいでね。先週末に事故に遭われてた事は聞いているか?」
と伝えた。この日は仕事を早く切り上げて事務員の容態が心配でLINEを送った。優しい!と返信があった。
数日後、本社勤務。事務員はいつもと変わらなかった、胃と背中に痛みを感じながら仕事をしていた。時々、激痛が走り思わず顔を歪ませてしまう。それでも、事務員には悟られていけない、心配をかけてはいけないと思った。昼過ぎになり、事務員は帰宅準備に入った。
「また、メール下さいね。いつでも良いので。」
と優しく笑顔で声をかけてくれた。その笑顔に癒された。事務員が会社を出て行ってから、我慢していた痛みが一気に強くなり、机に臥せってしまった。自分は業務で各支店へと移動した。たまたま休みで職場に来ていた後輩がそばに寄ってきた。
「体調悪そうですけど、大丈夫ですか?冷や汗もかいて、顔テカテカですよ。」
と言った。眩暈、立ち眩みもあって、椅子に座るように言われた。看護師に血圧を測ってもらうと、血圧が高かった。それだけ痛みが強かったのだろう。
「大袈裟にするな。大丈夫だから。本当に大丈夫。まだ動けけるし、心配するな。」
そう言い、支店へ戻り仕事を続けた。後輩から電話がきて、明日は休みを取って病院受診をするように指示があった。
「その必要はない。もう大丈夫だ。」
と、断りを続けていたが、後輩は許してくれなかった。
「ダメです!事務員さんに言いますよ!」
と、一番言って欲しくない人を挙げてきた。
「先輩は、もう私達怖い女に四方八方塞がれているんですかね!」
と言われた。想像しただけで、叱られると思うと怖くなった。
翌日、近所の消化器内科を受診した。痛みは相変わらず継続していた。問診だけで、痛み止めをもう少し強いものへと変更となった。そして、来週に胃カメラをする事になった。身体的にも体重が8kg減り、見る見るうちに制服がブカブカになり、精神的にも頭が回っていない、働いていない、ボーっとしているような感覚だった。右目の視界には、虫が飛んでいた、飛蚊症というものだろう。限界のサインを自覚していた。
その翌日、出勤した。仕事を辞めようと決意し、退職届も持参していた。後輩が出勤してきたら渡して早退しようと思っていた。しかし、一向に姿が現れない。昼休憩の時間にLINEを送った。
「今日は支店にいるのか?昨日、病院に行ってきた。報告が遅くなって悪い。」
「ちょっと、そっちへ行きますね。」
と、返事が返ってきた。数十分後、後輩が支店へと来た。胃を押さえていると、
「前よりひどくなっていませんか?ダメですね。今日はもう帰りましょう。今日やる事はなんですか?また今度に回しましょう。」
「大丈夫!なんともない。気のせい。全然痛くもない。大丈夫だから、ほら、早く仕事に戻れ。」
「そんな汗をダラダラかいている人が、大丈夫なわけないじゃないですか。逆の立場だったら放っておけないでしょ!」
と、荷物をまとめられて早退する事になった。来週、胃カメラ検査をする事は伝えられたが、退職届を渡す事は出来なかった。
そして、胃カメラ当日。鼻と喉に麻酔がかけられ、検査中、苦しさに耐えながら考えていた。
「どうして、こんなに苦しい思いをしてまで、今の職場に居続けなければいけないのか・・・。」
検査で、逆流性食道炎、胃潰瘍手前、ポリープが見つかり病理検査に回された。この日はこれで帰宅した。ポリープは、恐らく良性だろうとの事だった。結果が出たらまた電話をすると言っていた。
昼になり、どんどん気持ちが落ち込んでいった。スマホでは「退職」「退職代行」と検索をし始めていた。そして、ある退職代行に相談をしてみた。振り込みボタンを押すのに一時間も悩み、ボタンを押してからの実行まではあっという間だった。その日の内に退職へと進んでいった。
誰にも言わずに・・・。職場の誰にも相談せずに、後輩にも、事務員にさえも・・・。退職をしたのだった。
退職代行を使ったその日の夜。彼女へLINEを送った。
「今日は一緒にいたい。」
とてつもない不安に駆られていた。退職代行を使ってしまった事に対しての罪悪感。誰かから連絡が来るかもしれない、家へ乗り込んで来るかもしれない。そんな不安な気持ちで彼女にすがった。
彼女の自宅近くのコンビニの駐車場で待ち合わせた。彼女が助手席に乗ってきた。思わず、手を握る。手が震える。
「これで良かったんだよ。もう限界だった。よく頑張ったよ。」
彼女は優しく、言った。そんな彼女に申し訳なくて、ついに懺悔した。
「実は、言っていない事が一つある。自分、浮気しないと思っていた。本当に、何もしていない。何も無いんだけど、心が揺れた人ができた。自分自身でもビックリしたし、ガッカリした。でも本当に何もしていない。」
彼女は、
「何も無いのは分かっている。そんな事、しないって分かっているから。でも、若いね。
私はもう、そんなを事を思ったり、考えた事もない。でも人間誰しも、心が動く事はある。でも、私の勘って当たってたね。この間、家に行った時。女を連れ込んでいたらどうしようと思っていた。」
彼女は信じてくれていた。その言葉に安心しつつ、自分自身にとてもガッカリした。
翌日。会社からは、突然の退職に対しての意見書が退職代行を通じて届いた。後輩の紹介で入社した事もあり、後輩を裏切った形になってしまった事に申し訳なさを感じた。社会人として、一番してはいけない辞め方をした。そんな自分に罪悪感を持ち、自分を責めた。でも、限界だった。会社側は、即日退職に応じてくれた。ただ、世間一般で言うところの法律では退職を申し出てから二週間。それまでは、おとなしくしておこうと思った。退職代行から、退職してからの指示があり、制服をクリーニングに出したり、改めて退職届を作成したり、保険証を返却したりとした。
そうして、退職をして一週間になった。頭の中はまだモヤモヤしていて、スッキリしていない。おそらく鬱病は再発している事だろう。でも、今はそんな事よりも、将来への不安もある。だが、事務員の事が頭から離れない。最後のLINEは、物品の依頼だった。それに対して、何も返事は送っていない。退職した事について謝罪をしなくてはいけないのではないか、短い間だったけれど、色々と業務を教えてくれたお礼を言わなくて良いのか。そもそも、連絡はしない方が良いのではないか・・・。職場では、退職代行を使って突然退職したという話が広がっている事だろう。そして、後輩に告白してしまった、事務員への想いも、もしかしたら本人へ伝わってしまっているかもしれない。それでも、本人へ想いを伝えた方が楽になれるのではにないか・・・。想いに応えてはくれなくても、理解はしてもらえるのではないか・・・そんな事ばかりを考えていた。
退職の本当の理由なんて、誰にも言えない。
自分と仕事が合っていなかった。向いていなかった。そんな事よりも、自分が浮気してしまう気がした。誰も幸せにならないと思った。彼女と会っているのに、他の女の事を考えていただなんて絶対に言えない。知られてはいけない。
彼女と電話をしながら、自然に涙が流れる。誰の為の涙なのか。自分は一体何を守りたくて、守ったのか・・・。何故、こんな事になってしまったのか。自分は、一体何のために生まれてきて、生きているのだろう。このまま彼女を愛せばいいのか、事務員へ想いを伝えるべきなのか・・・。その狭間で動けなくなっていた。
ある日。居たたまれない気持ちになった。無言で職場から消えた事への罪悪感が大きくなった。せめて、突然消えたお詫びと普段のお礼をだけでも事務員へ伝えようと思った。
LINEで文章を書く。
「事務員さんは、自分にとって本当に大切な人でした。いつも笑顔で優しく対応してもらえていた事に、とても感謝しております。
これまで、こんな良い先輩に出会った事もなく、唯一無二な先輩であった事務員さん。とっても貴重な存在でした、有難う御座いました。
いつも、こんな自分の味方でいてくれて有難う御座いました、本当に心強かったし、素直に嬉しかったです。もっと色々な話をしてみたかったです。」
と、愛の告白まではいかないにしろ、今言える気持ちを乗せた。30分後、事務員から返信が来た。
「とても心配をしていた。連絡はしてはダメだと思っていたから諦めていた。SOSを出してくれていたのに、私が全然力になれなくて、こちらこそごめんなさい。もっと、違う方法で助けられたのではないかと後悔している。頑張らなくていい。いつも頑張っていると、いつかプツンと糸は切れてしまう。自分の出来る事を、焦らず少しずつやっていけばいい。私の方がが、もっと話をしたかった。ずっと、一緒にいたかった。何も無くても待っている。いつも思っています。再開できる日が来るといいなと思っています。」
と、言ってくれた。涙が出た。てっきり、ブロックされていて、思いすら伝えられなくて、返事なんてもらえるべき立場ではないと思っていたからだ。しかし、結果は違った。この人は、決して離してはいけない人だったのかもしれないと感じた。こんな思いをさせてしまっていたという罪悪感もあったけれど、早くこの人に安心してもらえるようにならなければいけないと思った。一刻も早く、体調を整えて社会復帰ができるようにしなければと思った。そして、再会するその日までにもっと自分を磨いて、今度こそ自分の想いを告白しようと思った。
「告白します。自分は―。」
好きな人に、想いを伝えるって、とっても勇気がいる事。手が震える、心臓が震える、心が揺れる。でも、それを伝えたくなるような人に出会える事の方が何倍も幸せな事だ。ずっと忘れていた、生きているなって感覚を思い出す。