2章#12『争い事の神子』
「加賀ちゃん、加賀ちゃんは神子と話したことはある?」
竹林の中を歩く中、黑珍珠は口を開く。
「はい。ここへ来たのも、実は神子に言われての事で」
「ふーん、私も話したことあるんだ」
「黑珍珠さんも!?」
「………」
黑珍珠はルチルの方を見る。
「呼び捨てでいいよ。堅苦しいのは苦手だから。それでさっきの話ね。私が話した事があるのは、私がまだ赤子だった頃。ここには、神子が2人居てね。争い事を司る神子なの。それぞれが勝ち負けではなく、始まりと終わりを司ってる。あの子達は仲が良いのか悪いのか、いつも口喧嘩ばかりしててね。でも、私の前では、2人共仲良さそうにしてて、私にも優しくしてくれた。だけど……少し大きくなった時に、黒い波が、この秘境の向こう側から見えた。2人はそれを止めようと、黒い波に向かっていった。それっきり、2人を見たのは」
2人は竹林を抜け、浅い川を越えて、さらに奥深くへと向かう。
「少なくとも、片方は消滅した。もう片方は行方知れず」
谷を下り、森の奥。ひっそりと台座があり、線香が焚かれている。
「加賀ちゃん、あの手にはめてたもの出してくれる?」
ルチルは鈍器を装備する。
「私は何を?」
「そこで構えてて」
黑珍珠はルチルをその場に立たせる。台座の奥、大きな岩があり、その奥からは微かに空洞音が聞こえている。どうやら向こう側に洞窟があるらしい。黑珍珠は岩に軽く指先を当てる。肩の力を抜き、脱力する。少しの静寂の後……
「ふんっ!」
黑珍珠は瞬時に力を入れると、洞窟を塞ぐ岩に大きな亀裂が入った。
「!?それ、大丈夫なんですか!?」
戸惑うルチルを背に、黑珍珠は岩の横に移動すると、岩盤の壁に寄りかかる。
「加賀ちゃん、しっかりそこで構えてて」
ルチルは黑珍珠の行っている意味がわからなかったが、亀裂の入った大岩を前に、鈍器を構えた。
そよ風の音と、草木の揺れる音が辺りを包む。だが、その中に1つだけ、ルチルでも、黑珍珠でも、自然の音でもない、誰かの足音が遠くから聞こえてきた。その音は一定の場所で止まると、辺りは静寂に包まれる。ルチルは鈍器を構えたまま、大岩を見つめる。暫くの静寂の後、突如、目の前の岩が粉々になり、砂埃が舞う。その音は、道場まで響いており、翠の耳にまで入ってきた。
ルチルは鈍器で砂ぼこりを防ぐ。ルチルの鈍器の向こう側で、何かがすごい勢いでこちらへと向かって来る。ルチルはしっかりと地に足をつけ、衝撃に備えた。その瞬間、ルチルの鈍器に、かつて無い程の衝撃が伝わる。ルチルはその衝撃で、あっさり向こう側へ突き飛ばされた。
「やっぱり駄目か。でも、仮説は正しかったみたい」
砂埃が少しずつ晴れていく。ルチルの立っていた場所には、微かに金色の輝きを帯びた、白髪の少女が居た。
『ったく、1人にしてくれって言ったのになぁ。まぁいい、いずれ出ようと思ってたんだ。まさかこんな形で、あろうことかお前に連れ出されるなんてな』
少女は振り返り、こちらへ歩み寄る黑珍珠と目を合わせる。
『よぉ、見ねぇ内に随分大きくなったな、黑珍珠。』
「久しぶり、铃兰」
『ところで、俺が吹っ飛ばしたアイツは大丈夫なのか?』
「それなら大丈夫。ほら」
黑珍珠が指した方から、ルチルが背を丸めながら歩いてきた。
『大丈夫じゃなさそうだが......?まぁでも、俺の一撃を食らってまだ歩くだけの力が残ってるとは、中々やるな』
「黑珍珠さん、この人ってもしかして」
「この区画の神子だよ」
「やっぱり......でも、どうして洞窟の中に?」
『まぁ、色々あってな。そうだ、その手甲、ついでに直しといてやったぞ』
「え?...!?」
ルチルがガントレットに視線を向けると、そこには跡形もなく溶けた鈍器ではなく、元からそんな損傷受けていなかったかのように修復されていた。
『中々やるだろ。そんで、俺を外に出したのは何故だ?』
「加賀ちゃんの特訓を手伝ってほしいの」
『加賀ちゃん.....あんた、加賀ちゃんってのか?』
「えっと、加賀知ルチルといいます」
『なるほどな、頭二つ取って加賀ちゃんか。黑珍珠らしいぜ。だが、悪いが特訓はしてやれねぇ』
「どうして?」
黑珍珠は铃兰の顔を覗きながら問う。
『......あんたにも、分かるだろ?竜胆の事だ。まだ気持ちの整理がついてねぇ。だから洞窟に籠ってたんだ。ハッ、らしくないよな。仮にも神子という立場なのによ。俺はあいつみたいにはなれねぇ......というより、それだけじゃねぇだろ?そんな俺の事情を知っていながら、わざわざ俺を出したって事はよ』
「......」
黑珍珠はどう伝えようか少し悩んだが、素直に話す事にした。
「黒波がまた来るかもなの」
『......そうかい。悪いが今の俺にはどうにもできねぇ。そこのルチルとか言ったか。悪いな......ん?』
铃兰はルチルの身に着けている首飾りに気付く。
『お前、それ何処で?』
「あぁ、これはグラ......時の神子に頂いたものです」
『......ハ......ハハハッ、そうかい、じゃあそれにだけは付き合ってやる。来な』
2人は铃兰に連れられ、森の更に奥へと向かった。
〈秘境、???〉
気付けば2人は、今まで見たことも聞いたこともない場所へ足を踏み入れていた。
「铃兰、ここは?」
『......』
铃兰は答えようとしない。ただ黙って、2人をこの奥へといざなう。しばらく歩くと、澄んだ湖が見えてきた。だが霧が濃く、どこまで続いているのか全く想像もできない。
『黑珍珠、お前は戻れ。ルチル、この先はお前だけで行くんだ』
「どういうこと?」
「ここは......?」
ルチルは、目の前の湖を見下ろす。そこはまるで蜃気楼に包まれているようで、深さも、広さも、視覚から入る情報からでは何も分からず、ただ湖が底にあるという事。それだけだった。
『ルチル、安心しろ、その湖は大して深くはねぇ。お前が、どこへ向かうべきか、分かっているんだったらな。さぁ、戻るぞ黑珍珠。』
「......分かった」
黑珍珠は铃兰に連れられ、来た道を戻る。ルチルは1人でその場に残され、気付けば自身以外の命の気配が、すっかり消えていた。
「どこへ向かうべきか.......」
ルチルはしばらく湖を眺めた後、その中へ1歩踏み出した。底は案外すぐそこにあり、ルチルの脛と踝の間までしかなかった。
〈秘境、帰り道〉
3人で来た森の中を2人で戻る。風邪で草木が揺れる音の中で、黑珍珠が口を開く。
「铃兰、ルチルの着けてたあれは何?」
『あれは刻動のお守りと言って、ここから東、時の神子の守る区画で、昔からある御伽話の様なものだ』
「でも、現にルチルが着けてたよ?」
『まぁな。時の神子があいつに渡したと、ルチルが言っていた。刻動の守り自体、東の街では腐るほど見かけるし、それ自体はただのお守りに過ぎねぇ。だが時の神子が持つそれは別物だ』
「どう違うの?」
『......時の神子の力は、「誰かと同じ時を歩む」というものだ。あいつの場合、あいつの護る区画に住む皆だな。皆が居るから時の神子が居る。逆も同じだ。もし、どちらかが欠けるような事があったら......そんな事は考えたくもねぇ。ルチルの奴が持ってたもんを見るに、ルチルはその片割れを、亡くしちまったんだろう』
「欠けたらどうなるの?」
『......黒い波が島を襲った時、俺は竜胆を失っちまった。最後まで口喧嘩してたよ。島の危機だったってのに、馬鹿馬鹿しい。人ってのはな、簡単に壊れちまうんだ。一度失った心を、完璧に元通りにするのは、ほぼ不可能に等しい。言ってしまえば、刻動の守りはそんな心の欠陥を埋める物って事だ。大切な人を失った事で壊れた心を、完璧に治すにはどうしたら良いと思う?』
「......出来るの?」
『そもそも、俺を見てみろ。神子だぜ?こんな存在、ふつうありえねぇだろ。でも今、お前の隣に居る。だったら、非現実的な事を夢に見たって、別にそれは叶わないと決まった訳じゃないんだ。そうだろ?』
「铃兰、竜胆ともう一度会いたいって、思った事は無いの?」
『......今なら、いくらだって思えたさ。だが、どうしてもな、夢見るだけで居られるほど、人の心ってのは単純じゃないんだ』
「あ、ごめん......」
『良いんだよ。むしろ聞いてくれてちょっと楽になった』
「じゃあ、」
『へッ、お前が言おうとしてる事位分かるぜ。お断りだ。にしてもそんな巧妙な口車何処で覚えたんだ?』
「前に本で読んだ」
『ほう?こいつは知らない間に随分言うようになったな。まぁ道場の生徒の特訓くらいには、付き合ってやるよ。』
「ありがとう。でもまずは翠の怒鳴り声を完璧に遮断できる耳栓が欲しいかな」
『あいつの許可取って無いのに岩壊したのかよ......ほら、そろそろ着くぞ。ちゃんと謝りな』
「はいはい。わっかりましたよぉ~」
2人は森を抜け、道場の裏の竹林に着いた。
〈正義と悪の街、時計塔〉
馬車の車輪、蹄の音、遠くの工場から上がる黒煙。グラスは時計台の上から、それらを見下ろしていた。民衆の賑やかな声達が、グラスには心地良いものとなっていた。が、それもすぐに、自身の背後に立つ存在に台無しにされた。
『ここからの景色も、案外悪くないですね♪』
『二度と面見せるなつったんだろ。何度も言わせるな』
『この前会った時も聞きましたね、でも自分からこちらへいらしてましたよね?』
『チッ、だからお前嫌いなんだ。用が済んだらさっさと帰れ。あんたも仮にも神子なんだ』
ヤグルマはグラスと同様に、民衆を見渡す。
『ルチルさんの事、随分気にかけてくれてるようですね』
『お前には関係ないだろ』
『......彼、本当は死んでるんですよ?』
『......は?』
グラスはヤグルマの方を見る。相変わらず表情一つ変えず、瞳は閉じ、微かに微笑みを浮かべている。
『彼、クローンなんですよ』
続く。
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