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2章#10『黑珍珠(ヘイゼンチュウ)』

「くるぁー!!大事な書物を足置きにするなと言っておるだろうがー!!!!」


部屋に入って早々ルチルの真横から怒鳴り声が響く。


「だっておじいちゃんこれ使ってないじゃん。」


「じゃからと言って足置きにして良い理由にはならんわー!!」


少女は頬に筆の尾骨を頬に当てながら、翠の怒鳴り声に一切怯むこと無く答える。彼女はルチルの方に視線を向けると、筆と巻物を置き、こちらへ小走りで寄る。


「渡れたんだね」


「まぁ……はい。」


「はぁ……とりあえず、ワシはアイツを探しに行くから、代わりに道場の案内を頼もうとしとったんじゃ。」


「いいよ。丁度一区切りした所だから」


「そんじゃ、頼んだぞ」


翠はそう言うと、入って来た方へ歩いて行った。


「じゃあ、行こっか」



〈道場、渡り廊下〉



廊下の突き当たりにある扉を抜け、隣接する建物に渡る通路に出る。そこから見える庭園はしっかりと管理されており、様々な色の草花が、小さな池を囲っている。


「私、黑珍珠(ヘイゼンチュウ)。好きに呼んで」


少女はルチルに笑みを浮かべる。


「あ、そう言えばまだ名前言ってませんでしたね。私は加賀知ルチルと言います。」


「よろしく、加賀ちゃん」


「……え?」


ルチルは初めての呼ばれ方に、少しだけ宇宙を見たような感覚に陥った。


「ん?変だったかな」


「いえ、そういう訳じゃ……」


「ふふっ、大丈夫、よく言われるから。そうだ、おめでとう、よく上がってこれたね」


「どうして、落ちたのを……?」


「ヒビ入れたの私だから」


「…えぇ……?」


「街で絡まれた時、居たよね。たまにああ言うのが気合いでここまで来るの。道場での修行を試練にしてもいいんだけど、それで乗り越えられた人見た事無いの」


そんな話をしている内に、かなり奥まで進んでいた。気が付くと、開かれた大きな扉の前に居た。


「来て」


そこには屋外の大広間があり、所々に劣化しているのかヒビが入っていた。黑珍珠は中心に着くと、ルチルと向かい合い距離を取った。


「えっと……ここは?」


「?ここは道場だよ」


黑珍珠は当たり前と言わんばかりに答えると、街で見かけたときと同じ構えを取った。


「まずは君の技量を見ないと。手段としては一番効率が良いでしょ?」


「はぁ……なるほど……?」


ルチルは戸惑いながらも、ガントレットを装備している時と同じ構えを取ってみた。


「いくよ。」


ルチルが身構えたのも束の間、黑珍珠に一瞬にして間合いを詰められた。ルチルはそれを認識できたが、気が付けば視界には満天の青空が広がっていた。

黑珍珠はルチルの顔を覗き込む。


「目では追えてたね。ちゃんと伸びしろはあるみたい」


ルチルは差し伸べられた手を取る。


「着いて来て。」


「えっと……もしかしてもう修行始まってたり……?」


「?ふふっ、修行は明日から。今の君がどれだけやれるか知りたかっただけだよ。ほら、案内の続き」


ルチルは黑珍珠に連れられ、続きを案内してもらった。



翌日………



朝の支度を済ませた2人は、竹林の中にある、少し開けた場所に居た。


「ここは…?」


「キミの得意を伸ばそうと思って。そこに立ってくれる?」


ルチルが黑珍珠の指差した場所に立つと、突如としてルチルの眼の前に刃物が飛んできた。


「うおっ!?」


黑珍珠は紐に括られた刃物を手元に引き戻すと、それをクルクルと回し始めた。


「加賀ちゃんは動体視力が良いみたいだから、それに身体を追い付かせる所から始めてみようか」


「なるほど…?」


黑珍珠は高速で回している刃物の速度を少し緩めると同時にルチルに放つ。ルチルは速度の落ちた瞬間を見逃さず、頭を狙った刃物を避ける事に成功した。


「うん、ちゃんと見切れてる。さぁ、どんどん行くよ」


黑珍珠は再び刃物を引き戻すと、同じ様に刃物を回し、ルチルの身体を狙う。少しずつ飛ばす感覚が速くなっていったが、ルチルはそれを上手く躱す。


「いい調子。もう少しだよ」


刃物を飛ばす感覚が一気に狭まる。気付けば刃物が複数あるかの様だった。


「はぁ…はぁ……」


「うん、問題無かった。あとは体力かな」


黑珍珠は刃物を括っている糸を手繰り寄せる。その手には2本の糸と2つの刃があった。


「本当に複数あったんだ………」


「よく避けれたね。複数にも対応出来るみたい。さてと、次に行く前に……」


黑珍珠は持ってきていた道具箱の中にある包みを取り出すと、その中にある白くて柔らかい物をルチルに手渡した。


「これは?」


「ご褒美と、補給かな。お腹空いてるでしょ」


ルチルはそれを一口頬張ると、温かく柔らかい生地の中から、熱い肉汁と歯ごたえのある具材が飛び出す。ルチルは肉汁の熱さで火傷しそうになったが、それよりも肉饅頭の旨味で口の中が満ちた。


「美味しいでしょ。道場の手作りなんだ。さてと、私も。折角だからそこに座って食べよ」


2人は近くにあったちょうどいい高さに重ねられた畳の上に腰掛け、肉まんを頬張る。


「所で加賀ちゃんって、どこから来たの?」


「私は……そうですね、ここから…えっと、南東の端の方からです」


黑珍珠は目を見開く。


「それってここから真反対の所じゃん!よく来れたね」


ルチルはもはや原型を留めていない程劣化したガントレットを取り出す。


「えっと……信じて貰えるか分かんないんですが、これで……一応、手の形をしてたんですけど、途中でこんな有様に……」


黑珍珠はそれを見つめる。首を傾げる。軽く叩いてみる。


「……もしかして、帰れない?」


「……あ、」


眼の前の事に集中するばかり、完全に忘れていた。


「直せる人とか……知ってたり……?」


「うーん……知らなくは無いかも?」


「本当ですか!」


「会いたいなら、試練を乗り越えてみて」


「試練……?」


ルチルは首を傾げる。


「私を倒してご覧って言ったら、挫けるかなって」


「今全部言ってます……でも、一番弟子という事は、もしかして1番強いのでは…?」


「まぁね、でも加賀ちゃんなら出来る気がしてるんだ」


ルチルはガントレットだったものを見つめる。溶けた跡が鏡となり、ルチルの顔を映す。


「分かりました。私、やってみます」


「その意気だよ。さぁ、これ食べたら早速次行ってみよっか」


「はい!」


2人は手に持った食べかけの肉まんを一気に口に放り込むと、次の場所へ向かった。



〈道場、入口前〉



「ここって……」


黑珍珠に案内された場所は、ルチルがここを訪れる為に渡った木柱の橋だった。


「着いて来て。大丈夫、今回はどこも折ってないから」


黑珍珠はそう言うと、颯爽と柱の上を駆けていく。先日折れたはずの柱は、跡形も無く修復されていた。ルチルは何となく、その柱を飛ばして黑珍珠の後を追った。



〈木柱の橋、中心部〉



気付けばすっかり道場から離れていた。黑珍珠は突如立ち止まり、ルチルの方へと振り返る。


「ここ、風強いでしょ」


最初に渡った時、確かにここで下に落ちそうになった。風除けになるものは全く無く、足元に連なる木の柱以外の足場は遥か遠くにあった。黑珍珠はその場で片足で立ち、強風を待った。ルチルはその場に留まるだけでも、バランスを崩しそうだった。


「大丈夫、下の人達は道場の人だから」


「え?」


どうやら全部仕込まれた事だったらしい。それでも、ルチルが乗り越えられた事を、目の前の少女は称賛していた。


「おっと、そうだった」


ルチルが何とかバランスを保った所で、隣で佇む少女は何かを思い出したように、軽々とルチルを飛び越え反対側の柱へ立つ。


「忘れ物したから取ってくるね。大丈夫、すぐ戻るから」


そう言うとルチルが相槌を打つ間もなく、黑珍珠はそそくさと道場へ跳び去って行った。


周りから隔絶されたこの場所に、ルチルは1人で佇む。この木の柱から落ちないように、バランスを取っている内に、ルチルはコツを掴み、柱の上で静止する事に成功した。だが、暫く立っても黑珍珠は戻らない。やがて風に晒されても、バランスを崩す事はなくなった。


「………」


ルチルはその場から動けずに居た。少しずつ体の感覚が曖昧になっていく程に、その場で同じ姿勢を維持し続けた。ふと周りを見渡すと、辺りは霧に包まれ、道場がどっちの方角にあったか分からなくなっていた。


         続く。

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