2章#9『因幡の白兎』
道行く人に尋ねながら、ルチルは道場のある方へと向かう。その途中、予想より早く着いたのか、あの少女を見かけた。ルチルは少女に声を掛けようとしたが、そのまま道場の方へと行ってしまった。彼女は人混みを避ける際も、最低限の動きでスムーズにすれ違う人々を躱して行き、少しでも油断すれば見失いそうだった。
少女を追いながら進むと、ルチルが街に入る時に通った門よりは、一回り小さな門があった。門の先に進む少女をルチルは追う。すると、その先に待っていたのは、断崖絶壁から続く、木で出来た柱が連なった、道と言えるか怪しいものだった。少女は崖の前に立つと、突如振り返り、口を開いた。
「隠れてないで出てきなよ。」
どうやら少女はルチルに気付いていたらしい。ルチルは少女の前に姿を見せる。
「ふーん……この辺の人じゃなさそうね。まぁいいわ。道場に興味があるのよね。」
少女は再び道場の方を向くと、跳躍し、木製の柱の上に立ってみせた。
「だったら、これを乗り越えてみて。」
少女はそう言うと、ルチルが何か言葉を発する間もなく、柱を伝って道場の方へと跳び去って行った。ルチルは少しの間呆気にとられていたが、ふと我に返る。
「……この距離を……ガントレット無しで……???」
崖から木の柱を伝い奥に見える建物は、霞で少し白く見える程、遠い所にあった。
「気が遠くなりそうだ……それに……」
ルチルは崖の底を見る。日光に照らされ谷底は見えど、水で満ちたプールを覗き込む様に、底までどれくらいの深さがあるのか、まるで想像もつかなかった。ルチルはそこそこ大きな石を拾い、谷底に落としてみたが、底に着いた音は返ってこなかった。
「ガントレットに残されたエネルギーは受け身を取るために取っておこう………でも何回持つか……」
ルチルは考えながらも、少し後ろへ下がる。助走をつけると、最初の柱へと勢い良く跳び出した。
「うおっ!?」
何とかバランスを保ち、大きな一歩を踏み出すことに成功した。だが、足場は片足で何とかバランスを保つのでやっとの大きさ。立ち止まっていては、不意に訪れる強風に落とされるのも時間の問題だ。
「立ち止まってる場合じゃない。これ以上、犠牲を出す訳にはいかないんだ!」
ルチルは次々と柱を伝っていく。だが、道場にかかっている霞はまだ晴れてはいない。そこから続く木の柱は、一向に終わる気配を見せなかった。それでもルチルは進む。少し息が上がって来た。
「くっ……管は使えない。それに、今更戻るわけにもいかない……」
ルチルは次の柱へ爪先を乗せようとした時、バランスを崩し、木の柱になんとか手でしがみついた。
「危なかった……でも……」
ルチルはなんとかよじ登り、木の柱の上に肘を着く。だが、そこから木の柱に足を乗せるのは困難だった。
「大人しく諦めるしか無いか……いや、管が使えない今、もう一度ここまで来れるか分からない。諦めるわけには……!」
ルチルはそう言うと、無理やり足を乗せ、思いっきり柱を蹴った。2つの柱を上手く活用し、なんとか復帰する事に成功すると、そのまま再び道場へ向かい進み始めた。
ルチルが前を見ると、木の柱の終わりが見えていた。
「やった!もうすぐだ!」
ルチルが最後から3番目の柱に足を踏み入れたその時、その柱は中心から折れ、ルチルは谷の底へと真っ逆さまに落ちて行った。
〈谷底、道場前〉
ルチルはガントレットに残されたエネルギーを最小限使い、無事に着地した。だが、道場への道は遠のいてしまった。
「一体どうすれば……」
「ケッケッケ………」
ルチルの背後。少し離れた所から、笑い声がした。その声は掠れており、いろんな方向から同じような声がした。
「!?誰だ……!」
ルチルはガントレットを構える。エネルギーは使えないが、身を守るには十分だろう。辺りから沢山の足音が聞こえてくる。日陰から姿を見せたのは、ボロボロの衣服に痩せ細った身体の人々だった。
「まぁまぁそう警戒なさんなァ、同じく堕ちた同士じゃァりませんか」
周囲から笑い声が聞こえる。それはルチルへの煽りの意とも取れた。
「堕ちた……?もしかして、皆上から………」
「あの道場に行きたいならやめときな。あそこの師は卑怯者のクズさね」
「こんな無理難題で人々を挫折に追い込み、湯悦に浸るクズさね」
「おい!今は俺が話してるんだ、新入りは黙っとけ!」
「何をォーッ!?橋の最初で脱落した雑魚のクセに!」
「やかましい!」
最初に話し始めた者の怒号で、辺りは静寂に包まれた。
「とにかく、上に行くのは諦めるんだね。ふむ……その手甲、醜い形だが高く売れそうだ……良かったら譲ってはくれんか?」
話は通じなさそうだとルチルは思った。
「……すみませんが、急いでますので。」
ルチルが痩せ細った男の側を通ろうとしたその時、ルチルは咄嗟に後ろへ下がる。痩せ細った男の手には、錆びた刃物を紐で括り付けた鈍器が握られていた。
「悪いが行かせる訳にはいかんね。なんつって」
周囲は再び笑い声で溢れる。ルチルが構え、辺りを見渡すと、皆その手に鈍器を握っていた。
「折角の獲物が傷1つつかずにここに辿り着きおった。只者じゃあなさそうだ。だがここを逃しては我々の存在が世に知られてしまうのも時間の問題故、貴様には此処で死んでもらう」
ルチルは最初に会った人の言葉を思い出す。どうやらこいつらがそのならず者らしい。
「くっ……仕方ないか。」
ルチルはガントレットを構えると、残されたエネルギーを全て使い、真上へと跳び出した。ガントレットのエネルギーが底を尽きると、ルチルは崖の中腹にしがみついていた。
ならず者の一人が弓を構える。だが放たれた矢は谷間を通る風に煽られ、ルチルへ届くことは無かった。谷底から怒号が聞こえる。だがルチルはそんな事に構ってる暇はないと、崖の上を目指した。
掴めそうな場所を軽く叩きながら進む。途中再び落ちそうになったが、なんとかガントレットで掴み留まる。下から聞こえていた怒号は、いつの間にかルチルを鼓舞するものとなっていた。
ルチルは尚も上を見る。もうすぐ目的地に辿り着きそうだ。
「っ!!はぁ……はぁ……………」
ルチルは崖の上に肘を着いた足を上げ、必死に崖の上に全身を持ってくると、そのまま仰向けになる。
暫く呼吸を整え、その場で立つと、道場の方を見る。遠くから見ていた時は分からなかったが、そこは思ったよりも遥かに広く、同じ区画でも別世界に来たような感覚に陥る。
「そこで何してる。」
突如、ルチルの右前方から声がする。そこには塀の瓦の上で腰掛け、ルチルを睨みつける男の姿があった。
「すみません、淡い緑色の髪をした女性を見かけませんでしたか?」
「ハッ、そんな事だろうと思ったぜ」
目つきの悪い男は塀から飛び降りると、ルチルの前に立ちはだかる。
「貴様の様なみすぼらしい男に、あの人の相手が務まる訳が無いだろ、出直して来い」
どうやら何か勘違いをしている様だ。ルチルが誤解を解こうとしたが、彼はこちらの話に一切耳を傾けようとしない。
「まだ退かぬか。だったら俺を倒してみろ。貴様如きがあの人の婚約者として相応しいワケがないだろ。」
「婚約……?何のことですか、私はただ……」
ルチルはなんとか誤解を解こうと続けるが、もはや言葉は意思疎通を図る手段として全く機能していなかった。そんな状態で数分の時間が経とうとしている。
「やめんか馬鹿者!!」
突如、彼の背後から聞こえた怒号によって、ルチルはようやく静寂を取り戻した。
「チッ、覚えていろ。」
彼はそう言うと、何処かへ跳び去って行った。
怒号の聞こえた方から、1人の老人が歩いて来た。
「すまんの、遠くから遥々来てくれて早々、家の者が」
「どうも……えっと、貴方は?」
「ワシはここの道場を管理しとる翠と言う。お主の事は弟子から聞いとるよ。」
(オイ、あの嬢ちゃん、もしかしなくてもスイさんとこの一番弟子じゃないか?)
ここに来る前、あの少女を見た時に聞いた、群衆の声を思い出す。
「はじめまして、加賀知ルチルです。」
翠はルチルの名前を聞くと、目を見開く。
「お主、もしや外の人間か!?」
「はい、山の向こうから来ました。」
ルチルは自身の住む区画の方を指差しながら答える。
「ほう……この道場はそんなところまで知れ渡っておるのか。いやはや、誇らしい限りだ。さぁ、着いてきなさい。道場の中を案内しよう……と言いたい所じゃったが、彼奴を探さねばならん。ひとまず一番弟子の所まで案内しよう。」
ルチルは翠に連れられ、道場に足を踏み入れた。そこは最初に見た町中の建物とは雰囲気が異なり、品格を感じさせるものとなっていた。
「さぁ、こっちじゃ」
翠に連れられ建物の中を進む。廊下の床は少し誇りを被っており、所々軋む。ルチルは色々なものを眺めている内に、冒険しているような気分に陥った。
「着いたぞ。ここがワシの一番弟子の部屋じゃ……ん?」
翠とルチルは部屋の中を見る。そこにはお香を焚きながら、椅子の前足を浮かせ、お菓子をつまみながら、巻物に筆を走らせる少女の姿があった。
「やっぱり……」
ルチルの想像通り、この少女こそが、そして、この老人こそが、町中で群衆の言っていた2人だった。
続く。
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私の夢は、この世界の映像化。即ち、アニメ化でございます。
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