[愛の形、心の形]〜時の揺り籠〜 前編
道行く人で賑わう街を抜け、街の雰囲気は一転し、荒んだ廃墟がずらりと並ぶ。その奥には、植物のツタが伸び、自然と一体化した大きな館がそびえ立つ。曇天の中、俯き歩く少女の姿は、何処か切なさを感じる。
〈■▼年前……〉
私は、ある貴族の夫妻の間に生まれ、沢山の愛情と共に、健やかに育った。
ある日、両親と共に街へ散歩に出掛ける途中、路地で倒れている幼い少年を見つけた。
両親は慈悲深く、その少年を家へ招き、痩せ細り汚れたその身体を洗い流し、身なりを整えさせ、家族の一員としてその少年を迎え入れた。彼は私と同じ背丈で私よりも美しい美少年だった。
最初は私も、彼と仲良く遊んだり、お話したりしていた。彼は私と遊ぶのは楽しいと言ってくれた。凄く嬉しかった。こんな時間が、ずっと続いて欲しかった。
〈数年後……〉
私達は、成長した。学校に通って、友達もたくさん出来て、それでも、私達は変わらず友達…いや、家族だった。
ある時、知らない大人が2人家にやってきた。その人達は土足で家に上がり、両親に剣を突き立てた。
『よくも俺の、私の息子を攫ってくれたな。』
言ってる意味が分からなかった。私達は両親に、部屋に隠れていろと言われていた。だが、彼は言いつけを守らず、私の手首を掴むと、部屋を出て、両親の下へと向かった。
両親は剣を突き立てる2人の大人に告げる。
『貴方方の子供は返す。だからその剣を下ろしてくれ。お詫びと言っては何だが、金も渡す。頼むから見逃してくれ。』
必死の命乞い。言い終える間に、私達は2人の前に姿を現した。彼は剣を構える2人の方へ駆け寄る。だが、彼は蹴飛ばされ、その場でうずくまってしまった。
どうやら、私達一家は騙されていたらしい。
剣を持つ2人がこちらを見ている。どうやら奴隷として、私を闇市へ売り払うつもりらしい。
私は抵抗もむなしく、2人に連れ去られてしまった。両親と、彼を置いて。
その後の事は、ほとんど覚えていない。思い出そうとすると、喉の奥でつっかえ、激しい吐き気に襲われる。
どれくらい時間が経ったか。私は私を奴隷として買った人の下から必死に逃げ出し、気付けば路地で倒れていた。
私はきっと……ここで死ぬのだろう。お父さん……お母さん…………最後に一度、会いたかった…………。
………ここは、どこだろう。真っ暗で、何も見えない。ここは、あの世というやつなのだろうか。
何処からともなく、声がする。
『可哀想な我が同志。代償を背負うには、余りにも幼く、重荷を背負うには。その体は弱過ぎた。お前は一体、何を望む?』
両親に………会いたい…………!
そう暗闇に向かって、声にならない声で叫ぶ。気が付くと私は路地裏で、死にかけていたのが嘘のように、体が元通り、いや、それ以上に、前よりも身軽に動けるようになっていた。ふと腰の後ろに手をやると、とても大きな剣を背負っていた。
その後、私は一心不乱に館に戻った。
『お父さん………お母さん………』
館に戻ると、中は散らかり、荒みきっていた。何処を探しても、人の気配1つ無かった。でも、何も収穫が無かったわけではなかった。彼は………アザミは、今も何処かで生きている。
その事実を喜ぶべきか、私には分からなかった。
私が館のある一室で見た光景、それは、
両親が、私の目の前で、血溜まりが染みたカーペットの上で冷たくなっていた。
私は庭に遺体を埋め、岩に文字を彫った。
私を育ててくれた恩人、どうか揺り籠の中で、ゆっくりおやすみなさい。
アザミは何処かで生きている。でも、両親はもう居ない。白骨化した死体の近くに、何故かそれとは違う、死体の跡があった。庭に両親の死体を埋める途中、一度棺桶を掘り当てた。そこにはあの時両親に剣を突き立てた、2人の遺骨の一部があった。
もし、アザミが両親を殺していたのだとしても、両親を殺した2人をアザミが殺したとしても、私はアザミの口から真実を聞きたい。私は、それだけを求め、今まで生きてきた。
館へと、一歩一歩近づいていく。人の気配は無く、街の景色の一つ一つが、懐かしい思い出を塗りつぶしていく。楽しかった思い出も、苦しかった曖昧な記憶も。私の中には、アザミに対する、形容し難い感情だけが残った。
館の扉へ辿り着く。やはり人の気配は無い。
重い扉をこじ開け、中に入る。正面、一番奥が、明るくなっているのが見えた。
光源がある場所へ向かうと、長い廊下。丁寧に灯りが照らされ、誘うように、奥の2枚扉へと灯りが続く。
一歩ずつ、私は扉へと近づく。足取りは重く、これから起こる事に対して、まだ私は覚悟が出来ていないように思えた。
扉の前に着いた。私はゆっくりと扉を開き、部屋に入ると、広く、片付いた部屋の真ん中に、アザミの姿があった。
「この再会を喜ぶべきか。まぁ、まずは久しぶり。会えて嬉しいよ。ローズ。」
アザミはローズを横目に見ながら、声を掛ける。だが、ローズにはその言葉が届いていないようだった。
「お前が……私の親を殺したのか………」
「……フッ、どうだと思う?」
「そうか………もう一度聞く。お前が……私の親を殺したのか!!」
ローズが怒号を飛ばす。ローズの視界には、アザミの事などまるで見えていないように感じた。
「………。」
「……フッ、ハハハ………アハハハハハ!!」
「そうだと言ったら、お前はどうするんだ?私を本当に殺すのか?貴様にその覚悟があるのか?」
アザミはローズの怒りを煽る
「黙れ!!!もうそんな事はどうでもいい。我らに仇為す存在よ………今ここで死ぬがいい!!!!」
もはやその口調や容姿からは、アザミのよく知るローズの姿は無く、アザミの前には、巨大な剣を鞘から抜き、怨恨満ちた眼差しでアザミを見つめる、堕ちた騎士の姿があった。
「あぁそうかい!!だったら口だけじゃなくて!!!!今ここで!!!!俺を殺してみせるんだなァ!!!!やれるもんならなァ!!!!!!!!」
「ぐッ……!!うおおおおああああああ!!!!!!」
(くらえぇ!!)
大剣を薙ぎ、ローズはアザミの首に向かって真っ直ぐ剣を伸ばす。だがアザミは、短剣一つでその剣と対等に渡り合う。
「幼い頃から変わって無ぇなぁ!!お前はいっつも堂々と正面から向かってきやがる!!短剣一つも弾けない貧弱な力で押し切ろうとなァ!!!!」
(そんな剣で俺は斬れねぇよ!!)
ローズは、アザミに大剣ごと突き飛ばされ、咄嗟に体制を立て直す。
(ぅ………うわああああん!!!)
(おいおい、何も泣かなくたって…………ごめん。)
(ぅ……ふ…………フフフッ♪)
(あぁ????はぁ………忙しいやつだな、お前…………)
まるで闘牛の様に、大剣を乱暴に振るい襲いかかるローズの攻撃を、アザミは身軽に躱す。屋内の床や壁には穴が空き、それにローズは躓きそうになるも、剣を地面に叩きつけ、体勢を整える。あまりの勢いに、アザミは少し圧されていた。
「くそっ……これじゃあキリがない……」
(ローズ!また花瓶を割ったの!!?)
(ごめんなさい………)
(はぁ………まぁいいわ。怪我はない?)
(うん………)
(そう、ならいいわ。ほら、あっちでアザミと遊んでらっしゃい。片付けは私がやっておくから。)
本来、大剣はその重さを活かし、そのまま相手に斬りかかるもの、ローズはそれをレイピアの様に真っ直ぐ伸ばす。だが、その方法では大剣の真価を発揮出来ない。
「そうだ…!」
(ローズ、君に1つ課題を出す。)
(えー?めんどくさーい。)
(大丈夫、君が想像してる課題とは違うから。)
(そう?ならいいけど。)
(あそこに林檎がなってるだろう?)
(うん。)
(あれを木を登らずに取るにはどうしたらいいと思う?)
(えっと……梯子を使う……とか?)
(その通り、道具を使うんだ。じゃあ、梯子ってどうやって使うもの?)
(そりゃあ、壁や頑丈で重いものに立て掛けて、梯子に足を掛けて登る。)
(その通り!でも、もしそれが分からない人がいたとしたら、どう使うと思う?)
(それは………)
「そこまで馬鹿になってるとは思わなかったよ!!!!梯子の問題を出したのも忘れたのか!!!!!!」
(………覚えてる。私は、アザミに色々な事を教わった。………色々な事を………あれ、私………なんで…………アザミを殺そうとしてるの………?)
ローズの動きがピタリと止まる。
『そんなの、知らない。』
『知ってたとしても、どうでもいい。』
ローズの頭の中に、声が響く。その声はローズの身体を蝕み、やがてその容姿は、ローズのものとは掛け離れていた。
「へッ……ちょっとした希望にかけてみようとしたらこれだ。情に訴えかけるのは逆効果だったか?……いや、逆だな。おい!ローズ!いや………ローズに付いてる悪霊さんよぉ」
『わたしは、ローズだ。ワタシが、ローズだ。』
「ハッ!自分から正体を現しといて、まだ言うか。だったらローズ。今この場で、お前を殺してやるよ。」
『やれるものなら、やってみろ。』
黒い触手がローズの体に纏わりつく。それは鎧の様になり、真紅のマントはズタボロに引き裂かれた。
黒い触手と共に、ローズがアザミに襲い掛かる。堕ちた騎士は野を駆ける野獣となり、獲物を捕らえようとその牙を伸ばす。
「くっそ………持久戦に持ち込まれるとまずい……さっさと片付けるぞ……!」
(アザミ!ローズに妙な事を吹き込むんじゃない!それに……君も私達家族の一員なんだ。頼む。)
私は、両親を殺してなどいない。私が館に戻る頃には、何も残っちゃいなかった。裏庭には、無造作に埋められた墓があった。私の両親、ローズの両親。
皆、ローズが殺したんだ。
1人でその罪を背負うには、君はあまりにも傷付き過ぎた。それに、幼い頃から一緒だったんだ。最後まで付き合うさ。共に罪を背負って、生きていこうじゃないか。例えそれが、罪を償うことに繋がらなかったとしても。
「くっそ………」
勇敢にも刃1つで、目の前の、家族だった獣に立ち向かうアザミ。その体力は少しずつ摩耗していき、ついには額に傷を負ってしまった。
その時、アザミの視線に何かが映る。
「…………へっ。意識があんならせめて手伝ってくれりゃよかったのによ…。」
アザミの前には、アザミを仕留めようと構えるも、床に剣を突き刺し、途端に悶え苦しみ唸り声を上げるローズの姿があった。
「……ゃ……………ぅな…………」
「ハハッ、喋れるんなら大して無茶じゃ無いんじゃないか?」
「……っと…………せ…ぅ………」
「……あぁ、そうだね。」
アザミは、ゆっくりとローズに歩み寄る。
「1人で、孤独で、思い出だけが、心を形作る。」
『ワタしは………マだッ………!!」
ローズの中に潜む悪霊が、再び触手を伸ばそうとする。だがそれはすぐに勢いを失い、根本の方から砕けて行った。
「きっと、誰にも知られず、その命は尽きるはずだったのだろう。」
地に膝を着くローズに、視線を合わせる。
「君は、その身一つではとても償えぬ程、沢山の罪を犯してきた。でも、今の君は1人じゃない。」
ローズの頬に涙が伝う。アザミは優しくローズの背中に手を回す。
「これからは、私が一緒に居てあげられる。だから今は、ゆっくり休んで。」
アザミは、ローズの項から生える触手を、ナイフで突き刺した。ローズはアザミの胸の中から、ゆっくりと滑り落ち、深い眠りに着いた。
「……さてと。」
アザミはナイフを布で拭き、腰の鞘に納める。
「もう、後戻りは出来ないね。」
アザミはローズを横目に、広間の出口へと向かう。
アザミは、時計塔の遥か向こう側、この街を統べる者の下へ、歩み始めた。
To be continued
ローズに着いていた悪霊、そしてこの街にかけられた呪いの正体。その正体を暴く為、この街の人々を救う為、か弱い少女の罪を背負い、彼はこの街の遥か彼方、灰鉄柘榴城と呼ばれる城へと一歩を踏み出すのだった。
最後まで読んでいただきありがとうございました。後編もお楽しみに。それでは、また明日。