醜い家鴨の子
気まぐれな魔女シリーズ初の、茶飲み友達ver.
現代日本ですが、魔界や魔族などの異世界も存在している設定です。
文献に基づいて実際の美容療法や、食物アレルギーについて記載しています。今回はローファンタジーというくくりの蘊蓄系ですのでご注意ください。
「何を望む?」
世界中の輝く宝石を煮詰めたジャムのような美貌の魔女は問うた。
「姉のように美しくなりたい」
そう虚に呟いた女ーーー葛城朱里は姉妹にコンプレックスを抱える世界中の女の代弁者のようだった。
「いうことを聞かない癖毛もシミだらけの顔も大嫌い」
癖毛をぴしりと一つに束ね、前髪を厚く揃えて見るもの全てを拒絶するかのように目を覆っている。
僅かに見える頬には少なくないシミが所々に浮かんでおり、
その心は歪に曲がり薄紫色をしていた。
気まぐれな魔女は薄紫色の心の朱里のこれまでの過去を、まるで物語を楽しむように眺めた。その真新しいページには可哀想という言葉を免罪符にして、歪んだ笑顔で罵る姉の姿が見える。
『爆発タンポポ頭で可哀想』
『変な色の目で可哀想』
『シミだらけの顔で可哀想』
「これまた陰湿な姉だこと」
人間界でいう『マウントを取る』ってやつだね。同じ育ちでこうも違うと『氏より育ち』とは言えず、持って生まれた気質だ。人間は時にして愚かだ、と魔女は独りごちる。
苦しんだ者はその心を削られ色を変える。歪になったその物語は魔女にとって何よりも興味深かった。
魔女が願いを叶えるのはその物語を読んだ代金だ。
魔女はまじまじと朱里の顔を眺めた。
決して醜いわけでもないのだ。むしろ磨けば可愛らしく系統の顔立ちだ。
あぁ、だからか。出る杭は打たれるというが、出る前に打たれてきたのだろう。
「美しくなることは出来ますか」
朱里はその榛色の双眸に涙を浮かべながら、懇願するかのように声を絞り出した。
「おや、榛色の瞳だね」
その榛色の目を見た魔女は暫し思案する。
このまま願いを叶えてやってもいいが、榛色の人間には苦い思い出がある。魔女は以前救えなかった1人の少女を思い出した。
「出来るよ。ただ、美しくなったところで姉は変わらないだろうよ。残念ながら持って生まれた性根の悪さは不変さ」
「そんな…」
「そんなもんなのさ。美しくなったところで、仕打ちが変わるだけ」
絶句している朱里に魔女は続けた。
「願いは一度きりだ。美しくなりたいなら他に方法がある。金はあるかい?」
「10万位なら…」
朱里は学生の傍ら、アルバイトをしながら細々と貯金をしていた。まぁ10万もあればなんとでもなるさと魔女は頷く。
「なら願いは一度保留にしな。この手の願いは多いんだ。だけど大抵は金と努力でどうにかなる。特別にお前さんには教えてやろう」
「いいんですか?」
「あぁ、あたしは榛色の瞳を持つ人間には優しくするって決めているんだ」
魔女は朱里の厚ぼったい前髪をかきあげ、榛色の瞳を曝け出した。朱里の眉はへの字に下り、悲しそうに瞬きを繰り返す。
「この目は変な色って言われて…」
「ジュリエットも榛色だったよ」
「ジュリエット?」
「あぁ、違う世界の物語の主人公さ。美しい子だったよ。可哀想な最期を迎えさせてしまったから、どうにもあたしは榛色には弱いんだ。あぁ、ジュリエットは好いた男と一緒に死んでしまったけど、今は転生して幸せにやってるよ」
「…私も幸せになれますか?」
「なれるさ、その気があればね」
いつもなら願いを叶えて終わりだが、たまにはこういうのも悪くない。そんな魔女の気まぐれ。
魔女は2つの注意と1つの美容法を朱里に教えると「3ヶ月後にまた来るよ」と消えていった。
◆◆◆
3ヶ月後ーーーー
「魔女さん!」
女はふわふわとした癖毛を肩まで切り揃え、喜色満面で魔女の再来を歓迎した。
「前髪を上げるようになったんだね」
「ジュリエットさんと同じ榛色の瞳だとわかったら、姉に何を言われても全く気にならなくなりました」
バレッタで前髪を上げた朱里は、キラキラとその榛色の瞳を輝かせている。
「おや、大分シミが消えているね」
「皮膚科に行って魔女さんが教えてくれた療法を3ヶ月続けたら段々消えていったんです!」
魔女はまじまじと朱里の顔を覗き込んでほくそ笑んだ。
薄らと残るシミもあるが、日光が元で出来たシミは8割方消えていた。薬の効果で少し肌は赤いが、しばらくしたら引くだろう。
肌のターンオーバーを促す薬と漂白薬でここまで綺麗になれば十分だ。人間は面白い薬を作る。元はニキビの治療薬だった物を美容療法にしてしまうのだから。
「金さえ出せば叶う願いだったろう?」
「はい!肌が綺麗になっただけで気持ちが楽になりました。レーザーは高いけど、これなら続けられそうです」
「シミは一度消えたら、あとは日焼け止めをしていればしばらくは大丈夫だよ。保湿と日焼け止めはきちんと続けているかい?この2つがなにより大切だからね」
「はい!毎日続けています!」
素直な朱里に魔女は満足げに微笑んだ。
人間の素直さは好ましい。この娘は卑屈になっていたけれど、元々素直過ぎて悪意をそのまま受け止めてしまっていたんだろうね。まぁそのくらいの感性がある人間の方が好ましいさ。
「あの、魔女さんも日焼け止め…しているんですか?」
「ふふ、人間界に来る時は日焼け止めも化粧もしているよ。人間の作る物は面白いからね。学者達の書く論文も面白い」
「人間の文献も読むんですね!すごい!」
「どんな文献もね、数えきれない程多くの犠牲達の物語の上に成り立つ集大成なんだよ。薬の歴史はとくに興味深いのさ」
宝石のように美しい魔女も日焼け止めをするのかと朱里は驚きながら、魔女その探究心の高さに感嘆した。
実際には探究心というより、魔女にとってらただ面白いというだけの理由なのだが。
「ところで願いはどうする?」
「願いは…またこうやって会いにきてくれますか?また色んな話が聞きたいんです!」
魔女は思いがけない願いに面食らった。
長い間人間と関わってきたが、こんな願いは初めてだった。
「ふむ。お前さん名前はなんという?」
「朱里です。葛城朱里。あ、名乗るのが遅くなってしまってごめんなさい!」
「朱里。ではまたお前さんが面白いことを始めたらまたくるよ。あたしにも教えておくれ」
「はい!たくさん実験しておきます!」
魔女は歪な物語を読むことと同じくらい、面白いものに目がない。この子は花が綻ぶように美しくなっていくだろう。魔女は自ら手がけた花が咲き誇る様を観察することにし、その申し出を受けることにした。
◆◆◆
「何を望む?」
世界中の輝く宝石を煮詰めたジャムのような美貌の魔女は問うた。
「朱里より幸せにして!」
自尊心を傷付けられたとヒステリックに女は叫んだ。格下の分際で時間を追う毎に美しくなっていく様など許さない!と女は続けて金切り声を上げる。
魔女はこれがあの姉か、と観察する。
顔立ちは妹と似て整っているのに、醜悪な表情のせいで美しいとは到底思えない。
「どんな幸せだい?」
「朱里なんかよりも美しくして!」
「どんな風に美しく?」
「そうね…貴女くらい美しく」
ピクリと魔女の片眉が上がる。
それに気付かない女は魔女の顔を舐め回すように見つめ、にんまりとした。
「貴女とっても綺麗だわ。うん、貴女がいい。貴女の顔になりたい!」
「ほぅ、私の顔になりたいのかい」
「そうよ!早く!早くして!」
「うるさいね。わかったから静かにおし」
魔女は自らの顔を両手を覆うと、一言呟く。
『ተመለስ』
すると一瞬にして魔女の顔は恐怖で吐き気を催すような人外の相貌に成り変わった。
あったはずの鼻はなくなり、縦長の三つ目は瞳孔が全開している。頬まで裂けた口の端からは涎がこぼれ落ちてジュウジュウと床を溶かして酸の溜まりをつくった。
「さぁ願いを叶えよう」
「ひっ!待って!!そんな顔は嫌よ!!」
女は恐怖に顔を歪めながら後退りする。
「お前さんが願ったんだ。あたしの顔になりたいと。これはあたしの本当の顔だよ。作り物の人間顔よりも美しいだろう?魔族の男どもに言わせると美しいより『とても可愛いらしい』そうだけどね」
魔女はチロチロと長細い舌を出して笑うと、腰を抜かして動けなくなった女の顔を両手で包み込んだ。
そして呟く。
『ውህደት』
「いやぁーーーーーーー!」
◆◆◆
朱里は自作の蜂蜜パックを前にしょんぼりと肩を落とした。せっかく作ったのに魔女からコレは使うなと咎められてしまったのだ。SNSで流行っているから試してみようと思ったのに。
「朱里、食べ物は肌に使ってはいけないよ」
魔女は美しい笑みを浮かべながら、蜂蜜パックに向けてパチンと指を鳴らした。一瞬にしてそれは霧散し、朱里の前から消え去る。
「でも、みんなやってるんですよ…」
「肌から蜂蜜成分が吸収されて食物アレルギーを起こす可能性があるからやってはいけないよ。きゅうりも小麦粉もダメだ。食物を肌に塗ることは必ずリスクがあると覚えておきな」
朱里は危うく食物アレルギーを起こすところだった。情報の選択はインフルエンサーではなく、正しい知識に基づいて行わなければならないと理解した。
「自然派やらオーガニックやら、言い換えれば野生だよ。野生派化粧品よりも数多の研鑽を重ねたケミカル化粧品の方がずっと安全だからね。耳障りの良い謳い文句には気をつけな」
魔女は出された紅茶を優雅に楽しみながら、「これもいい勉強だよ、次は間違えなければいい」と優しく諭す。
朱里は魔女が教えたことを研究ノートに太字で書き加えた。『食べ物は肌に塗ってはいけない』と。
「魔女さんは本当にたくさんのことを知っているんですね」
「人間くさくていいだろう?魔界よりも人間界の方が性に合っているんだよ」
「そういえば、姉はどうした?」
「姉は暫く部屋に閉じ籠りきりだったんですけど、突然書き置きを残したまま出ていってしまって…今どこにいるか誰にもわからないんです…」
魔女はニヤリとして、ある噂を思い出していた。
とても可愛い娘が人間界にいると知った魔族の男共が夜な夜な夢に現れてはしつこく求婚し、ようやく魔界に連れ帰ったという噂。
「ふぅん。まぁ20歳を超えたいい大人だからほっておけばいいさ」
性根の悪いあの姉も、魔族の男共の面は気に入ったらしい。人間でいう美丈夫ばかりだから、自分は醜くなっても周りにたかる男共が美丈夫ならそれはそれで幸せなんだろう。まぁ奴等はインキュバスだから大変だろうけど、姉は姉で幸せになったんだ。満足しているだろうよ。
魔女はクックッと笑い、朱里の作ったおからクッキーを摘んだ。
「このおからクッキーとやらは面白い味だね」
「もっと研究して美味しくしてみせます!」
「食べすぎには注意だよ」
気まぐれな魔女と朱里のお茶会はそれからも度々開かれた。冬を越えた蕾は、春の日差しを受けて徐々に綻び花開いていく。
それはまた別のお話ーーー
実際の某大学形成外科の文献をもとに執筆しましたが、個人に合う合わないがあるので薬剤名、療法名については伏せておきます。食物アレルギーに関しましても国内海外の文献に基づき記載しておりますm(_ _)m