指輪
別室へと連れて行かれてすぐ、ハンナはおどおどと女性騎士と侍女に頼み込んだ。
「騎士様、侍女様。どうか……、この子と2人にしてはもらえませんか」
言われて、女性騎士のミレディは侍女と顔を見合わせた。
この場の責任はミレディにある。
だが子どもの面倒を見ているのは侍女たちであるため、独断するのは気が引けた。
侍女はミレディと目が合うと、少しばかり困ったように眉をひそめて見せる。
あまりいい事には思えない、という意思表示だろう。
それを受けてミレディは小さくうなずいた。
「ハンナ殿、2人きりで積もる話もあるだろうが、わたし達も仕事だ。ここを離れるわけにはいかない。ここは諦めてくれないだろうか」
ハンナは、一瞬迷ったようにうつむいたが、すぐに顔を上げてニュルに向き合うと、自身の首にかけていた紐をはずす。
「ニュル、これ、覚えているかい」
それは粗末な紐に指輪を通しただけのもので、その指輪も木でできた、何の飾りも細工もないただの輪っかと変わらない代物だった。
ニュルはその指輪を見て、それからまたハンナを見上げてこくりとうなずく。
「いい子だね。これはお前のお父さんの形見だ。どんな時も離さず、他の人にはできるだけ見せないように、隠して大事にするんだよ。いいね?」
ニュルは再びうなずいた。
ハンナは笑って、紐をニュルにかけてやると外から見えないように服で隠し、もう一度ニュルを抱きしめる。
「良かったねえ」
その声が震えていて、ニュルは喉がひりひりして泣きたくなった。
「本当に本当に良かったねえ。ここを出たら、もう顔を隠さなくていいんだよ。髪を梳かして、毎日きれいにして、いいところにお嫁に行くんだよ」
うん、うん、と泣きながら返すニュルの涙を拭いて、ハンナはそこでニュルの顔をまじまじと見て真っ青になった。
髪を整えられて、愛らしい顔立ちがあらわになったその顔。
代官がこの顔を見たらどうするだろうと思うと恐ろしくなった。
この部屋にいる女性騎士も、侍女も、悪い人間のようには見えない。
だが他の騎士や、その上の領主様は?
代官の言葉を信じてこの子を引き渡したりはしないだろうか?
「騎士様、侍女様」
2人の様子を少し離れて見守っていたミレディは、ハンナのおどおどした様子が無くなったことに違和感を覚えた。
「どうか、お願いします。これだけは、これだけはどうかお聞き届けください。この部屋を出る前に……いいえ、この島を船が出るまででいいんです、どうかこの子の顔を隠させてください。この子は……この子は、この島を出なきゃいけないんです」
それを聞いて、ミレディは仲間の騎士の報告を思い出した。
『もうあと10年もすれば代官の妾になる予定』だと。
確か、そう言ってはいなかったか?
孤児が代官の妾になるのは、普通に考えれば悪い話ではないだろう。
だが、名付け子を司祭のいない孤児院に入れたままにし、世話をするでもなく身内が暴力を振るうままにさせ、どころか城に通わせて年齢に合わない労働をさせる。
そんな人間の言うままに妾に?
すがるように自分を見てくる中年の女の疲れた泣き顔が胸に痛い。
「……フードやスカーフで顔を隠すのは不自然だろう。だが、後ろ髪を前へ持ってきて隠す分には問題ない。誰かに何か言われたら、ずっと隠していた顔を見られるのは恥ずかしいようだと、そういう事にしておこう」
ああ、とハンナが安心したように泣き崩れる。
「ありがとうございます、ありがとうございます」
侍女が、ニュルの髪の毛を優しく指で梳かして後ろ髪で顔を隠す。
服の下の指輪が目立たないよう、そちらは前から背中側へと移動させた。
「うさちゃん、少し我慢してね」
侍女の歌うような優しい呼びかけに、ハンナは彼女に視線をやる。
すると侍女は、苦笑して言った。
「アルバート様……領主様が、どういうわけか、この子を『ニュル』と呼ぶのを嫌がるんです。それで、騎士の1人が子うさぎと呼び名をつけて」
「子うさぎ……」
ハンナはその可愛らしい響きに笑みを浮かべた。
「ごめんなさいね、あなた方からしたら、本名があるのに失礼な話ね」
「いいえ、いいえ」
ハンナは首を振った。
「可愛いあだ名ですよ。可愛い……」
優しげな、愛しげな響きの声音。
その響きで紡がれる愛らしい呼び名。
そういえば、とハンナは今更ながらある事に気がついた。
代官は、あの子を『ニュル』と名前で呼ぶとき、ひどく嫌な笑みを浮かべていた、と。