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無能と呼ばれた娘  作者: 昼咲月見草


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街に沈む日

 ミュリエルが島から出て来て一年がたった。


 この一年でいろんな事があって、ミュリエルは名前が変わり、領都のアルバートの屋敷で暮らす事になった。


 アルバートの妻は背筋のぴんと伸びたきれいな人で、ミュリエルに淑女としてのあれこれを教えてくれる。

 学校へは行っていないが家庭教師もついて、文字や音楽、国の歴史などいろんな事を学んでいる最中だ。


 ミュリエルは貴族ではないのだが、いずれ司祭になるかもしれないのだからと、様々な勉強をする事になった。

 司祭になっても、ならなくてもいいように。



 故郷の島では、代官のシェイマックス家が取り潰しとなり、代官のアルダ様は死罪。

 その妻は実家へ戻り、子どもたちは孤児院へ預けられたらしい。



 島には今、聖王教会と聖霊教会が新しく建てられて、領都から司祭様が派遣されていると聞いた。

 

 月に一度会いに行く島の聖霊たちが話していたのだ。



 ミュリエルは島の司祭一族の子どもであるとハンナが証明した。

 これまで母親だと思っていたアリサという女性は、当時妊娠などしていなかったのだそうだ。


 代官に協力していたという事で罪に問われる恐れもあったが、ミュリエルを守り育てていたこと、そして騎士団に自ら罪を打ち明けたということで放免となった。

 そもそも、ハンナの立場で代官に脅されたら抵抗できない。

 彼女がいなければミュリエルは殺されていた可能性もあるのだ。


 また、島の人間は大なり小なり代官の犯罪に協力させられている。

 子どもの取り替えというのは産婆としてはあってはならない事だが、多くの命を助けて来たことで相殺とする、とアルバートはこの件を終了とした。



 ミュリエルはアルバートに感謝している。



 島でたった1人、ミュリエルが会いたい人、それがハンナだ。

 ハンナは今、罪滅ぼしのように島で女の子たちに出産や子育てについて教えているらしい。

 その中から何人か、産婆の仕事を希望する者もいるそうだ。



 いつか会いに行きたいと言ったら、聖霊たちはそれまでハンナが元気でいられるようにしてやると言ってくれた。


 一年たって、ミュリエルの髪は茶色ではなく少しずつ金色になってきている。


 ミュリエルの母のマーガレットが、みごとな金髪の美しい人だったそうだ。

 聖霊たちによると、ミュリエルは母親にそっくりらしい。


 セドリックが王都でミュリエルの両親と会ったことがあると、すてきな人たちだったと教えてくれた。

 やっぱり、ミュリエルは母親に似ている、面影がある、と。


 顔も知らない人たちのことだけれど、褒められるとなんだか嬉しくなるのは不思議だ。


 お屋敷の屋根の上で1人、沈んでいく夕日を見ながらミュリエルはぼんやりと考え込んでいた。




「ミュリエル、やっぱりここにいた」


 声をかけられて振り向くと、セドリックの長男、ダミアンだった。


 屋根裏の小さな小窓から顔を出して笑っている。

 そしてひょい、と軽く身を乗り出して屋根の上に立った。


「寒くなって来たよ」


 言いながら、ブランケットを彼女の肩に羽織らせる。


「ありがとう」


 この屋敷に引き取られたばかりの頃、ミュリエルに屋根の上への登り方を教えてくれたのは彼だ。

 ここが一番危なくないのだと言って。


 ミュリエルはそれ以来、天気のいい日はよくここに来る。

 風が気持ち良くて、静かで、そしてダミアンがこうして探してくれるから。


 初めてダミアンに引き合わされた日、彼は「いつ紹介してくれるのかとずっと思ってた」と笑った。

 時々屋敷の中で見かけて、気になっていたのだと。


 アルバートやセドリックと違い、よく笑う、いつも機嫌が良くて親切な彼を、ミュリエルが好きになるのはあっという間だった。


 夕日に照らされた街を1人で眺めるのもいいが、構って、優しくしてくれて、大事にしてくれるダミアンと一緒に見るのはもっといい。

 隣に並んで座るダミアンと目が合って、嬉しくなって笑顔になったミュリエルは、夕焼けで良かったと思った。

 







「ダミアンはどうした? もう学園から帰っている頃だろう」


 夫に訊かれて、ハルティヤは答えた。


「さっき帰りましたよ。ミュリエルを探しに行ったんじゃないかしら」


「またか。大丈夫なのかあいつは」


「あの子は平気でしょうけれど、問題はミュリエルのほうじゃないかしら」


 ハルティヤは困ったように首を傾げる。


「あんな乱暴者の無愛想な子でいいのかしらって、たまに思うのよね……」


「ああ。だが初対面のときからずっとあんな感じだろう」


「ええ。わたしびっくりしたわ。あの子のあんなご機嫌な笑顔、見たことなかったもの。一瞬、『誰』って思っちゃったわ」


「うちの息子にはいいんだろうがな……」


 セドリックは眉間に皺を寄せる。

 

 初顔合わせのさい、満面の笑みでミュリエルを歓迎したダミアンは、それ以来ミュリエルの前では人が変わったように好人物になる。

 本当の彼は、アルバートにそっくりな性格の、愛想というものを母親のお腹に置き忘れてきたと言われるような人物だ。

 他人に合わせるという事を全く知らない。


 家系的な動物的直感で、この子に好かれるためには笑顔で優しくしなければ、と感じ、その通りにしているらしい。


「ずっとあんなふうでいるつもりなのかしら……」


 頬に手を当ててため息をつくハルティヤは、そんな事は無理だと思っているらしい。

 だがセドリックは、あの息子ならやるかもしれないと感じていた。


『絶対、絶対、あの子を他にやったりしないでね。俺が結婚するから』


 そう言ったときの真剣な様子は、ちょっとやそっとでは簡単に心変わりなどしないと言っているようだった。

 何より、彼も彼の父親も、ひと目見たときに妻との結婚を決めたのだ。

 経験上、絶対に変わらないと知っている。


「まあ、笑わないよりは笑ってるほうがいいんじゃないか」


 適当にそんな事を言った父親に、母親は目をぱちりと瞬きした。


「それもそうね」


 そして大きくうなずいた。


「人の気持ちが分からないからそれでいい、なんていうより、分かるフリしてくれたほうがトラブルは少なくて済むわ」


 その理解の仕方もどうなんだろう、と思ったセドリックの手を取ると、ハルティヤはダンスをねだる。


「そうしたら、あとは結婚式の準備ね。今から少しずつ始めて、あの子を逃さないようにしなくちゃ!」


 くるくると回るご機嫌な妻の相手をしながら、うちの息子は自分よりも母親の方に似ているのかもしれない、とその可愛らしい頭のてっぺんにキスを落とした。







 段々と辺りが暗くなって、太陽が街の向こうにその姿のほとんどを隠してしまった。

 もうすぐ夜がくる。


 冬が近い空気の冷たさに、ミュリエルはふと不安になった。


「どうかした?」


「ううん、ただ、この一年でいろんなことが変わったから、これからもまだ変わるのかなって」


「う──ん、変わるとしても、大きいのはあと一回くらいじゃないかな」


 ダミアンは腕組みをしながら難しい顔を作る。


「一回?」


「うん」


「あ、司祭になるとか……」


「違うよ、司祭になんてならなくていい」


「じゃあ、なに?」


 少し怖くなってたずねてみる。


「僕と結婚してミュリエル・ウィングレイになること」


 ミュリエルは驚いて、真っ赤になって言葉を失った。


「さ、そろそろ行こう。暗くなる」


 いつものご機嫌な笑顔でそっと手を掴まれて、ミュリエルはこくんとうなずいた。


「大丈夫、危なくないよ。手を離したりしないから」


 その優しい響きに、ミュリエルは笑顔で返したのだった。











ー 終 ー









最後までお読みいただきありがとうございました。



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