名前
「アルバート様、奴らのアジトを突き止めました」
部下の報告に、アルバートと呼ばれた老齢の男が振り向く。
「そうか。何人だ?」
「現在、中にいるのは2名。先ほど1名外へ出て行きましたが、すぐには戻らないと思われます」
「よし、捕縛しろ」
「はっ!」
アルバートは、つい半年ほど前まで王国の騎士団の長であった。
長年の忠義により、国王より辺境領の隣、シェイドリール地方に封ぜられたばかり。
爵位は伯爵のままだが、その広さや豊かさを思えば褒美としては十分である。
だが、その実態はと言えば、けして褒美に相応しいものではなかった。
穀倉地帯として名高いシェイドリールであるが、その経営は豊かさに任せたこれまでの支配者側の身勝手が目立つ。
普通ならそんなものを預けられた側はたまったものではないが、アルバートに限ってはそうではなかった。
彼は融通がきかず、趣味は仕事と言って憚らないような人物で、何事にも全力を尽くす男だったからだ。
元騎士団長としての経験と能力を活かして、まずは領内の治安の改善を目指す。
粛清はそれからだ。
アルバートは王国の平和と安定を乱す者を心から憎んでいる。手を抜くつもりは一切なかった。
そんなアルバートが今日、始末をつけようとしているのが、ここ数年領内を荒らしまわっていた犯罪者集団の最後の3人だった。
領都近辺のアジトを潰し、そこにいた男たちを拷問してみれば、あと3人ほどが遠出をして依頼主の希望に沿った子どもを攫いに行っているという。
その後を追ってアルバートまで一緒にやってきたのは、その残りの3人がいるのが領内の港を出て2日ほどのところにある島だと知ったからだった。
肥沃な土壌に恵まれた海と山のある大きなその島は、過去には強力な王が治めていたが、現在では王国のシェイドリール地方に取り入れられ、王家の子孫が代官として権力を奮っている。
王国では代官には2種類あって、ひとつは領主の代理として地を治めるもの、そしてもうひとつは代々治める地の代官職を引き継いでいるもの、であった。
いずれにしても領主の下で働いている事になる。
本土から海を隔てて、古くからの支配者が代官の地位についているその島の名はダラント。
聖王教会すらなく、島で唯一の聖霊教会すらも代々仕える司祭の一族が取り仕切る、王国の支配下に入ったとは名ばかりの島であった。
「子どもが何人いたと?」
「2人です」
「行方不明の届けが出ていたのは何人だ?」
「1人です、アルバート様」
「妙だな。攫ってきたばかりなのか?」
「いえ、3日前、最初に攫った子どもだそうです。もう1人は昨日。こちらはその日のうちに行方不明になったと届けが出ています」
「ふむ……その届けが出ていない子どもはどういった家の子どもだ?」
「7才の女児で、聖霊教会に預けられている孤児だそうです。名前はニュル」
「ニュル?」
アルバートは書類から顔を上げ、部下を見つめた。
「はい」
「この辺りでは子どもの名前としてニュルというのは普通なのか?」
「さあ、どうでしょう。閉鎖的な島ですし……調べてみましょうか?」
「いや……、うむ、そうだな。その子どもの捜索願いが出ていない状況も含めて調べてみてくれ」
「了解しました」
部下が部屋を出て行くと、アルバートは書類を机の上に置いて考え込んだ。
ニュル。
王国では子どもの名前としてあまり聞かない響きではある。
だが元は違う国家であったこの島の独特の名前だというなら、それはそれでいい。
問題は、それが王国とは別の国では侮蔑的な意味を持つ言葉であるという事だ。
『無能』『価値がない』。
ロデリック大陸の北西にある、とある国ではニュルはそういう意味を持つ。間違っても子供につける名前ではない。
間にいくつも国を挟む、遠い異国の言葉ではあるが、全く知られていないというわけではない。
それは外交の苦手なアルバートが知っているという事からも明らかだ。
特に、汚い言葉というものはどういうわけか覚えやすい。
杞憂ならいいが、とアルバートは顔をしかめた。
「あの子はねえ、不憫な子どもなのさ」
そう話すのは聖霊教会の管理人だという中年の女だ。
夫を海で亡くし、息子夫婦に家を譲って教会で管理人をして暮らしている。
「あの子の親はふた親ともとっくに死んでる。たとえ孤児でも、本当ならまだ教会で手伝いをしていていい年だ。なのに、代官の屋敷でこき使われてる。それであと10年もしないうちに代官の妾だ。いなくなったと言ったら、『海に落ちて死んだんだろう』と言われたよ。崖のそばに靴が片っぽ落ちててね。人さらいに遭ってたんだねえ……。かわいそうな話だよ。怖かっただろうねえ……。でもこんなところに戻ってくるのとどっちがかわいそうだか、誰にも分かりゃしないよ……」
代官には誰も逆らえない。
女は疲れたようにため息をついた。
若い騎士は眉をひそめ、教会を後にしたのだった。