領都の女性司祭
ニュルは侍女達に連れられて領都のお屋敷へと入った。
何か手伝おうとしたが、余計な事はしなくていいと、逆に最年少の侍女とともに屋敷の中へ先に向かう事になる。
領主が帰ったことで使用人たちは大忙しだったが、侍女は厨房近くの使用人用の食堂へニュルを連れて行き、そこにいたメイドにニュルを預けた。
「島から連れて来た子よ。あだ名は子うさぎちゃん。あだ名以外で呼ぶとアルバート様が怒るから気をつけてね。港から着いたばかりでお昼もまだなの、何か食べさせてあげて」
「かしこまりました。いらっしゃい、子うさぎちゃん。野菜のスープは好き? お肉は?」
ニュルは返事をしなかった。
初めて会う人に優しく話しかけられるのは、まだ慣れない。
メイドは微笑むとニュルの手を侍女から引き取って繋いだ。
やんわりと引かれるままに歩き出しながら侍女のほうを振り向く。
彼女は笑いながらまだこっちを見ていて手を振ってくれた。
それだけで、ニュルは少しだけ安心する。
歩いて行く先からは、嗅いだことがないほどいい香りが漂ってきていた。
ランディは素早く昼食を済ませると、部下に荷解きを命じて自分は聖霊教会へと向かった。
他の誰かに行かせても良かったが、自分が動かずにはいられなかったのだ。
ニュルという名前を、一瞬でも可愛いと考えていた自分に腹が立つ。
パルフュリンダは大陸の端に位置する国で、国交があるとはいえ間に何カ国も国家を挟み、ルートや天候などの状況にもよるが、何ヶ月もかけてようやく辿り着くような国だ。
言葉が話せる者自体が少なく、しかも卑俗な言葉となれば知っている者はさらに少ない。
偶然だと、知らなかったと言えばそれまでだが、悪意がなかったで済まされるものでもない。
一刻も早く新しい、良い名前をつけてもらいたかった。
ランディは己が聖霊教会へ事情を説明し、可愛らしい幸せになるような名前を選んでもらえるよう頼み込むことで、罪滅ぼしとなる。そんな気がしていたのだ。
「司祭様、領主館から使いの者が参っております」
柔らかな光を放つような、淡い金色の長い髪。
その髪をまっすぐに伸ばした女が振り向いた。
「領主。アルバート様ですね。あの方は仕事が早い。先日ダラントに出かけたと思ったらもう帰ってきた」
司祭はころころと笑う。
「会いましょう。何の話か楽しみです」
ランディが謁見室で膝をついて待っていると、大扉がゆっくりと開いた。
そこから部屋の中へ入って来たのは、助祭2人を従えた、この領都の聖霊教会の司祭・ユーレイシアである。
聖霊教会の司祭は男女どちらと決まってはいないが、若い娘であることは稀だ。
それは、聖霊教会が祀る聖霊たちが子ども好きだからだと言われている。
信者達は聖霊に愛され喜ばれるために、早くに結婚してたくさんの子どもを作る。
女性信者は教会で勤めるよりも子どもを産みたがる。それが聖霊教会信徒の信仰の証なのだ。
「騎士殿、本日はどういったご用向きで?」
色とりどりのステンドグラスで描かれた聖霊たちが舞う絵を背に、ユーレイシアは微笑んだ。
「はい。我が主アルバート・ウィングレイは、先だって賊の討伐にダラント島に出かけた折、島の孤児院の子どもが誘拐されていたものを救い出しました。その子どもは司祭のいない教会で、女性管理人と2人で村はずれで暮らしていたそうです。アルバートはこれを危ういと感じ、子どもを連れ帰りました。つきましては、この子どもをこちらの聖霊教会孤児院にて預かっていただき、新しい名前を頂戴したく、改名の儀を執り行っていただければと考えております」
「まあ、それはご苦労様です。我らが聖霊の愛し子を連れてきてくれたこと、心から感謝いたします」
司祭は目をぱっちりと見開いて、驚いたようにその手を口にあてて見せた。
聖霊にとって全ての子どもは愛し子である。
孤児院の子どもは少なければ少ないほどいいが、孤児になった子どもを引き取る分には多ければ多いほど恵みが増える、そういうものだ。
子どもが増えれば聖霊は喜んで、力を尽くして教会を豊かにしてくれる。ありがたい事である。
「でも、改名の儀というのはいただけません。名前は親がその子に与える最初の贈り物。それは例え国王でも奪えない大切なもの。何かそうせねばならない理由があるのでしょうか?」
おっとりと笑って司祭は小首を傾げた。
美しく優しく穏やかな女性司祭。
彼女はそのイメージを作り上げ、守るための努力を常に欠かさない。
例えそれをそうだと知っている者の前でも。
司祭の背後で2人の女性助祭がただ黙って目を閉じていた。まるでそこにいないもののように。
「はい、理解しております、司祭様。ですが、アルバートはこの件を重要だと考えております。子どもの名前はその両親ではない人物がつけたもので、子どもの面倒を見ると約束した証。そうしてつけられた名前は『ニュル』と言います」
「ニュル……。あまり聞かない名前ですね。でも可愛らしい響きと言えなくもありませんが」
司祭はそこで言葉を切った。
背後で控えていた助祭の1人が近寄ってきて耳打ちしたためだ。
ランディは跪いたまま、無言でそれを見守った。




