昼の港
ニュルは船に乗るのは初めてだった。
船どころか、島を出るのも初めてだ。
ニュルだけでなく、島の人間の多くはそのはずだ。
ハンナが言うには、先代の司祭様が生きていた頃は少ないながら若者のいく人かは、仕事を学びに島の外へ出るものもいたらしい。
ハンナもそうやって子どもの頃から領都で産婆の手伝いをしていたのだとか。
でも先代の司祭様が亡くなってからは、そういう事もなくなってしまった。
司祭様が知人のつてを頼ったり、お金を出してくれていたからこそできた事だったと言っていた。
そして、一度島を出た人たちは中々戻ってこない。
最初に島を出るとき、「生計が立てられるなら戻らなくていい」と司祭様に言われるから、みんなそれに甘えてしまうのだとハンナは少し怒りながら言う。
司祭様が亡くなったのはほんの8年くらい前の事だけれど、そのとき島の外に出ていた人たちは誰も戻らなかった。
代官様が司祭様の事をいつも悪く言っていたのはそのせいなんだそうだ。
ニュルにはよく分からないけれど、一度島を出ると戻りたくなくなるくらい、島の外はすごいところなのだろうか。
すごいというのは、キレイなのか、楽しいのか、もしかしたらお腹が空いたり寒かったり暑かったり、誰かに怒られて殴られたり、そんなことがないところなのかもしれない。
そんな場所なら、ニュルだって島に帰りたくなくなるだろう。
ドキドキしながら船から見た港は、キラキラしていてびっくりするくらいたくさんの建物がずっと丘の方まで続いていた。
周りには大きな船がいっぱいで、小さな船が港と大きな船の間を行ったり来たりしている。
背伸びをして船縁からずっと見ていると、船員たちが笑ってニュルを持ち上げた。
「ほら、ずっとそこにいると危ないぞ!」
「あっちで騎士様に相手してもらいな」
「ケガでもしたら大変だからよ!」
がなるような声で、乱暴な口調の船員たちは、笑いながらニュルに話しかける。
だからニュルも彼らが怖くなかった。
ニュルはもう顔を隠していない。
顔を見られると怖いことが起こる。
代官に会うと恐ろしい目にあう。
島では怖いことばかりが多くて、いつも怯えて小さくなっていた。
でももう大丈夫なのだと、顔を撫でる海風が教えてくれる。
周りの大人たちはニュルの頭を撫でてくれる。肩車をしてくれる。笑いかけてくれる。
騎士のミレディは、代官に会わなくていいと言ってくれた。
無理やり部屋に入ってくるような真似は絶対にさせないと。
代官はいつもニュルを睨んで怒鳴りつける人だったので、会わなくて済むのは嬉しかった。
島の外の大人はみんな、優しい人ばかりだとニュルは思う。
近づいてくる港の輝きは、ニュルを歓迎しているかのようだった。




