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帰り道

 太陽が水平線へと近づき、夕紅(ゆうくれない)灯火(ともしび)を、これから夜を迎える世界へと送る。

 

 その暖かさを裏切るように、季節は日々熱を忘れてきていて、今日はとうとう今年初めてのトンボが飛び始めた。


 ニュルは短い袖から出た細い腕をさすり、肌寒くなってきた空気から守るように自分を抱きしめる。


 1日ほこりにまみれた、子どもの汚れた肌は、ガサガサに荒れた手のひらも手伝って触り心地が悪い。


 普段は強い海風が吹く道も今日はやけに静かだった。


 ボサボサの髪は平凡な茶色で、顔もわからないほど前髪を長く伸ばした隙間から、窺うように見やる空は(だいだい)


 ひとけの無い帰り道を、ニュルは疲れてとぼとぼと歩き続けた。








 島の代官の城は、港になっている入り江の町を見下ろす要塞のようにそびえている。


 城から海までの道は、両端にずらりと建物が並ぶ。

 だがニュルは港へ行くのとは違う道を進んで、崖上の教会へと向かっていた。

 ニュルは孤児だ。


 孤児はこの国では教会が預かることになっている。

 男児ならば聖王教会、女児ならば聖霊教会だ。

 通常孤児達は、一定の年齢になれば昼間は教区内で手伝いをして働き、夜は教会のそばの孤児院で眠る。


 だがニュルが預けられた島の聖霊教会には孤児はニュル1人だったため、夜は教会の管理人をしている女の家で過ごすのが日常だ。

 王都の教会から派遣された司祭たちのいない現状では、教会の権威を恐れない不心得者がやってくることもあり、その対策として……とはいうものの、女1人の住まいだ。

 町から離れた場所に住む女子どもだけの建物を襲うくらい、犯罪者にはどうという事もない。



 だが、代官から任ぜられた管理人が住む、代官の持ち物である建物を襲うとなれば話は違ってくる。


 そのためニュルは、日中は朝早くから領主の城で働き、夕方に教会へと戻って祈りを捧げてから管理人の女の家へと帰る毎日を過ごしていた。



 と、道の背後からかすかだが怒鳴り声が聞こえてきた。

 まだ遠いが、確かに誰かがニュルを追いかけて来ている。


 そのゾッとするような気配に、ニュルは怯え、慌てふためいた。


 隠れなければ。


 道を海のほうへ逸れると、そこは断崖になっている。

 慎重に近づいていけば、一見崖になっている地面のその先が急な傾斜になっていて、わずかに人2人分ほどの空き地を周囲から隠すようにしていた。


 ニュルは小さな体をさらに縮こませてその空き地へ下りると、息を殺す。



「ニュル! おい、役立たず! どこへ行ったんだ、出てこい!」


「ぼっちゃん、あんまり大きな声を出すと教会の管理人に聞こえるかもしれませんぜ」


「大丈夫だ。教会はまだ先だし、あのババアは最近、年のせいで外に出ないらしいからな」


「そうかもしれませんがね、誰が聞いてるか分かりゃしねえ。旦那様からお叱りを受けるのは俺らなんで、あのガキを殴って憂さ晴らしするのは止めやしませんが、あんまり目立つような真似はしてほしくないんでさ」


「憂さ晴らしなんかじゃない! これはあの役立たずを躾けるためなんだ!」


「はあ、そうですなあ」


「お前ら、探せ! あいつのあのノロマの足じゃ、まだ教会に着いてるはずがないんだ!」



 ニュルはその声が恐ろしくて、ぎゅっと耳をふさぐ。


 見つかりませんように。

 どうか見つかりませんように。


 見つかればまた、ヨナスに殴られ、蹴られる。

 髪を引っ張られ、地面に倒されて傷だらけになる。

 汚れた服を破かれて、犬をけしかけられた事もあった。

 そのときはやり過ぎだと大人が止めてくれたが、彼らはヨナスがやり過ぎるまで止めてくれない。


 ヨナスがニュルを死なせてしまったり、醜い傷をつけてしまったり、あるいは性的な興味から暴行を加えたりしないようにと、彼には常に護衛という監視役がついていたが、それは領主がいずれニュルを妾にするため、その日まで大きな傷なく成長させるためであった。


 逆に言えば、治る程度の傷であれば問題ない。


 むしろ、力関係を理解させて無力感を与え、怯えた奴隷のような心根を植え付けるのにはちょうどいい。

 ヨナスの父である島の代官はそう考えるような人物であった。


 ニュルはもちろんそんな事は知らない。


 だがヨナスも周囲の大人たちも、ニュルにとっては等しくただ恐ろしいだけの存在だった。






 しばらくして、諦めたのかヨナスの怒声が遠ざかっていく。


 ほっとするものの、それでもまだ安心してこの安全地帯から出て行く気にはなれず、ニュルは膝を抱えたままぼんやりとオレンジに染まる海を見ていた。


 夕日が視界いっぱいにきらきらときらめき、波に反射してニュルを照らす。

 それがあまりに眩しくてニュルは目を細めた。


 波の動きに合わせて跳ねると、オレンジ色の夕日が白くまばゆい光に変わるその不思議さ。

 水平線の向こうにゆっくりと沈んでいく太陽をいっぱいに受け止める海の美しさに、ニュルはなんだか泣きたくなった。



 この美しさには何も意味はない。

 どんなに美しくてもニュルの助けにはならない。

 ニュルの未来には恐怖しかなく、救いも希望も与えられないだろう。

 期待はするだけ無駄なのだ。


 言葉ではなく、感覚でニュルはそれを理解していた。



 ニュルはけして、周りが思うような愚鈍ではない。

 だがだからこそ、絶望も深かった。



 波がはじく、夕日のオレンジ。

 暖かな熱がわずかに届くような、そんな気すらする。

 あまりに眩しい、光の反射。


 その、意味もなく美しい景色。


 それはニュルのためではなく、ただそうあるだけの景色。


 そこに慰めはなく、救いもなく。


 だが、こんなにも美しい。


 ニュルを1人、ただ1人世界に放り出して、その素晴らしい自由と輝きを見せつけるように、世界はこんなにも美しかった。











 

本日は2話投稿です。



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