布製の剣は名前を呼ばれる
青年の手が求めたのは、腰に括り付けた布製の剣だった。この剣が歩き回るという噂は本当で、玩具店の中を跳ね回っていたところを捕獲した。依頼主である悪徳店主の申し出で譲り受け、工房に持ち帰って調べる予定だったのだ。
「泥棒たぁ、感心しませんねぇ」
フロスティはにこやかに語りかける。可愛らしく明るい声だが、全身から有無を言わさぬ圧力がかけられていた。大の大人でも少しはたじろぐほどの威圧感だ。しかしスポティッドの青年は、顔色ひとつ変えずに堂々と答えた。
「違いますよぉ。そいつぁ元々私の剣でしてね」
フロスティは、ちっとも信じなかった。もし主張が本当ならば、自分が犯人だと白状していることになる。呪術を扱う者同士、人を呪った話に抵抗がないとはいえ、初対面でいきなり犯罪の自白は珍しい。
「調べて本当だったらお渡ししてもいいですよ」
フロスティは笑顔を崩さず即答した。内心この剣への興味は失せている。青年のものだという主張が嘘であろうと、手放してしまっても後悔はしない。その場合、手数料くらいは貰っても良さそうではある。だがやはり、見ず知らずの相手にハイそうですかと渡す気にもなれない。
「調べる?」
青年は訝しげに眉を寄せた。艶やかな黒い眉の間に、縦皺が刻まれた。不愉快だと言うより、何を言っているのか理解が出来ないと悩んでいるように見える。
「コイツぁ玩具屋の依頼で調べる為に貰って来たんでさぁ」
「ふむ」
フロスティの端的な説明に、青年の眼鏡がキラリと光る。
「自己紹介でも致しましょうかね?」
「いえ、結構」
フロスティはすかさず断る。青年の黒く美しい弓形の眉がピクリと引き攣る。フロスティには、なぜ青年が突然の自己紹介を申し出たのか分からなかった。だが、わざわざ質問して厄介ごとに巻き込まれるのは嫌だった。
青年のような腹に一物ありそうな人間が唐突なことを言い出す時は、スルーしたほうが身のためだ。興味を惹くために、わざと話の流れを無視した発言をしたのだろう。そんなことをフロスティは考えていた。
とりつく島もないフロスティをしばらく眺めていた青年は、中途半端なところで止めていた手を引っ込める。フロスティは警戒を解かずに、その手を目で追った。2人とも相変わらず嘘くさい笑顔を浮かべている。
青年が口を開く。
「ガルールス、来たまえ」
青年の言葉には呪いが込められていた。通常、呪術は道具を使い、聖術は道具を解さない。言葉に込められた力が威力を発揮するのが聖術だ。それは呪いではない。呪いの言葉では聖術を発動できないはずだ。スポティッドの呪術を目の当たりにして、フロスティは目を見張る。
「ガルールス?古代大陸語でお喋りって意味ですよね?」
自分の腰から布製の剣が紐を引きちぎって離れるのもそのままに、フロスティは前のめりで質問をした。
呪われた剣など、もうどうでもよかった。玩具屋に置かれたいきさつは、元より知らなくて良いことだ。彼女への依頼は、その剣を回収することである。支払いを渋る依頼主だったが、最後にはきちんと言い値を払わせた。おまけに興味深い細工物まで見ることが出来たのだ。
そこで目にした龍牙細工の価値に比べれば、布製の剣などものの数ではない。悪徳店主が扱っているというドラゴンの牙たる龍牙の実在を確かめたい。その方が呪われた剣などより重要である。
細工物があったのだから、材料だってあるだろう。呪術を使って調べたので、鍵穴の蓋が本物の龍牙細工であることは確かだ。ドラゴンの牙は自在に染められると聞く。だから色は当てにならない。フロスティはマントにかけた呪いのひとつを使って調べたのだ。
使ったのは、フロスティに見られた物や人が、フロスティを騙せなくなる呪いである。これも身を守るための呪いなのだ。簡易的な呪いなので、さほど強力ではないのだが。騙したり誤魔化したりという行動そのものは止めさせられない。それでもある程度の嘘は見破れる。言ってみれば、真偽が見えるという効果があるのだ。
酒場で耳にした玩具屋の黒い噂が本当ならば、稀少な素材が手に入るかもしれない。そうであれば、どうにかしてそちらの真相は知りたかった。龍牙は違法な品物だ。だが、フロスティは人物本体から服装や持ち歩く道具まで、何から何まで違法である。
呪術師の倫理観は独特だ。自分たちの利益が守られている限り、他人の動向は気にしない。悪だと認識したからと言って、聖術師並みの正義感が生まれたりはしないのだ。珍しい素材が手に入るなら、違法だろうがよいのである。
一方で、布製の剣を手元に置く理由はない。解呪は単純な好奇心だった。厄介な作業をしてみたいという、職人の本能もある。また、倉庫街のカビ事件との関連性を推理した理由は、髭面の男と大差ない。噂話の延長だ。ここでその道筋が途切れたところで、フロスティには不満も不利益もないのだった。
「流石、道具師さん。よくご存知で」
古代語を正確に聞き取り、その意味を的確に表現したフロスティ。青年は満足そうにニタリと笑う。青年の手に収まると、布製の剣は本物に変わった。
平面的な布でしかなかった真紅の鞘は、なんと龍牙に着色して精巧な彫刻が施されたものであった。鍔の側面にぐるりと埋め込まれた細かい宝石は、帝国で下賤とされる紫色だ。皇帝の御所に泥棒が入る前に作られた物なのだろうか。古代の宝剣もかくやとばかりに眩く煌めくつるぎであった。
「よー、姉ちゃん、俺っちはガルールスってんだ。古代大陸の物好きジジイが作った賢い大名剣だぜ!あのジジイ、姉ちゃんと同類だったなあ。懐かしいぜ」
「お喋りだから封印されてたの?」
いきなり喋り出した剣に、フロスティは呆れ気味に言った。なにやら壮大な思い出話が始まりそうだったので、フロスティはバサリと断ち切ってしまう。
「嘘つきだからじゃないですかね?」
布の時には一体化していた鞘から、青年はガルールスを抜く。
「何?」
フロスティは身構えた。
「こちらをご覧下さい」
青年が差し出すガルールスの剣身には、線彫で目玉が描かれていた。
「あれ、これって」
目玉の下には人の名前がある。
「ダスティの作品じゃないか」
「左様。古代大陸のジイさんなんて、いないんですよ」
「ちっ、バレちゃしょうがねぇ。これだから呪術師って奴ぁ嫌なんだよ。そもそもダスティからして気にくわねぇ」
「お喋りな剣なんか作って、あいつ、よっぽど寂しかったんですかねぇ」
「おや、道具師さんはお人好しなんですね?」
「なんだよ2人とも。ひとが喋ってんのに無視すんじゃねぇよ。全く呪術師なんて奴等は、マジでイケ好かねぇぜ」
青年は意外そうに眼をぱちくりとした。それから親指と人差し指で鼻眼鏡の位置をクイッと整えた。そのままフロスティをまじまじと見る。
「じ、じろじろと、なんですよぅ?」
「演技じゃない、と」
「コイツ感じ悪ぃよなぁ。なあ姉ちゃん、そう思うだろ」
「えっ?あっ!それ、呪術道具じゃないですか!」
「まさか気づいておられなかったんですか?真贋眼鏡と申しましてね?人の嘘が見抜けます」
「へー」
「嫌味な野郎だぜ。鼻眼鏡なんてかけて賢く見せようってのもいやらしいよな」
フロスティは気付けなかった悔しさで、わざと興味が無さそうに振る舞う。意図的に逸らした視線の先に、1人で喋り続けるガルールスがいた。
「あら?でも変ですね?」
「今度は何に気がつかれましたか?」
青年は愉快そうに声を弾ませる。
「お、やっと俺を観る気になったか?おらおら、じっくり鑑賞しろよ?稀代の天才呪術師ダスティの最高傑作である俺様をよ」
ガルールスは興奮してカタカタと剣身を震わせた。フロスティはやや不機嫌そうに答えた。
「ダスティが布に変えたなら、動ける力なんて残さないでしょうに?」
「その通りですね」
「はっ、そりゃあ俺様が偉大だからに決まってんだろ?あんなへなちょこ野郎の呪いなんざ効かねぇよ」
「雑な呪いでござんすねぇ」
「まあ、おおかたガルールスに嘘を吐かれた腹いせで、適当な呪言で布玩具の姿へと変えてしまったんでしょう」
「あの粘着野郎がこんな雑な呪いを使いますかねぇ?」
フロスティは首を捻る。
「それに、ガルールスを嘘吐きにしたのは作り手のダスティでござんしょう?」
「そりゃまあ、そうですな」
「事実無根の呪いがかかってますよね?」
「そのようです」
青年は短い返答をしながら、フロスティが正解に辿り着くのを待っているようだ。
「嘘つき嘘つき言うんじゃねぇよ。何が事実無根の呪いだ」
「遣い手が敵に捕まった時に秘密を喋らせないように、かけた呪いなんだろうけど」
「肝心の遣い手には効果無さそうですな」
「旦那もそう思いますかい?道具本体にだけ効くなんて、役に立たないじゃないか。ダスティにしちゃ、やる気の無い呪いだなあ」
フロスティは剣身に眼を注ぐ。ガルールスは腹を立てて、盛大にガチャガチャ揺れた。
「やる気がねぇとは、聞き捨てならねぇ」
「この気配、どっかで」
言いかけて、杏子髪の娘はハッとする。
「カビ倉庫の新人!」
「もしや、ダスティの贋作ですか?」
フロスティが真実を言い当てたので、青年はご満悦である。
「とぼけんじゃありませんよ。真贋眼鏡でとっくに判ってたろうにさ」
「何ですか。急にぞんざいな口を聞きますねぇ」
青年はニタリと悪辣な笑みを作る。造形が美しいので、どこか背徳的な魅力さえ感じさせる笑みだった。
「そんな口効いたら罰せられると思いませんか?」
「旦那、そこまでお偉いご身分なんで?」
「ふふふ、覚悟なさいよ?」
「あたいが逃げられないとでも?」
「ハハハッ、強気じゃないですか!」
青年が上機嫌になる。
「可愛らしい人ですね?」
「何を言い出しなさるんで?気持ち悪いなあ」
「おいおい、俺様そっちのけかよ。イチャイチャしやがって。最近の若者は簡単にくっつきやがる。奥ゆかしさってもんが微塵もねぇよなぁ」
「気持ち悪いとまで言うことは無かろうに、ガルールス」
「それよりこれ、贋作作って売るつもりだったんですかね?」
フロスティは話を戻す。
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続きます