黒髪の青年は鼻眼鏡をかけている
「よし、まとめてみよう。まず金銭トラブルがあっただろ」
髭の男がまとめだす。
「そうだね。目抜き通りの玩具屋の密輸が原因て噂があるんだろ?輸入玩具に混ぜて、ご禁制の品をこっそりわがクレセントチャント伯爵領に持ち込んでるっていう」
フロスティが受け取って情報を整理した。
「その通りだな。そんで、運ぶのに使った川船の運輸業者にきちんと支払わずに逃げた」
髭の男が続ける。
「その頃、倉庫街にカビが生えた」
フロスティは言ってから、何かが引っ掛かる様子で顎先に人差し指をあてた。
「あれ?」
「なんだ?」
「被害者は運輸業者だよね?玩具屋が倉庫に嫌がらせするの、おかしくない?」
フロスティは、カウンター向こうの親爺と、隣に座る髭面を交互に見た。
「まず玩具屋が支払わなかっただろ?」
髭面が仕切り直す。
「うん」
「川船の連中が怒って」
「そうだね」
「恐らくは玩具屋も腹を立てて」
「そっか。理不尽だけど、思い通りに丸め込めないから嫌がらせをした線があるか」
フロスティは、玩具屋が依頼料を踏み倒そうとしてくる様子を目に浮かべた。フロスティもまさに今夜やられた手口だ。
「玩具屋は悪どいけど、呪術の気配はなかったよ」
「気配なんてのが分かるのか」
髭面が感心した。フロスティは説明する。
「調べる道具があんのさ」
透明な球のことである。
「何でもあるんだな」
「だいたいあるよ。なければ作る」
「作るときたか」
髭面の男は首を何回か振って、気分を落ち着かせた。そして、改めて推理を語り出す。
「玩具屋は自分じゃ呪いは出来ないから、誰かにカビる呪いを頼んだ」
「そこまでして、うん、やりそう」
「なんかされたのかよ?」
「あたいも代金踏み倒されそうになった」
「常習犯だな」
「あたいはちゃんと取り立てたよ」
「つええな」
「まあね」
軽くドヤって、フロスティは話を戻す。
「犯人探ししてるんだから、川船の連中も聖術師もカビの犯人分からないんだよね?」
「そういうことになるよな」
「そしたら、玩具屋にあったこの剣を使って嫌がらせ返しをしたとは思えないなあ」
「そういえばそうだよな。連中、まだ犯人の目星をつけてない」
「やっぱりこっちは別口かぁ」
フロスティはがっかりして席を立つ。
「お?行くのか?」
「うん。またね」
「おう」
「気をつけて帰んな」
「ありがと、親爺さん」
酒杯をすっかり空けて外に出ると、東の空が白んでいた。フロスティは屋根に上がるべく建物の陰へと回り込む。道を歩いて帰るのはリスクが高い。
フロスティのマントは呪術だらけである。見破れないように、不可視の呪いを縫い取りにはかけた。だが、依頼の木札やら呪いがかけられた道具類を多数所持している。布製の剣を筆頭に、回収して来た呪術道具の数々だ。帰宅途中で朝の巡回当番に出くわしたら捕縛されてしまう。
夜廻をやり過ごすのは比較的簡単だ。凶悪犯罪が起きた訳でもなく、この町はそれなりに平和だ。貧民街の治安は悪いが、日夜死体が転がるなどという惨状は免れている。このため、夜半でも巡回がさほど頻繁ではないのである。その上、呪術師摘発のキャンペーン中ででもない限りは、呪いを見破る聖術師たちが同行することもない。
とはいえ、帝国治安維持部隊は大変に勤勉な団体である。こんな違法が服を着て歩いているような人間は、直ちに逮捕、起訴、懲役刑執行である。この人間が着ている服までも違法の塊なのだ。違法が違法を着て歩いているということになる。もはや違法でしかない。
「早く屋根に上がろ」
巡回当番たちは、頭上も見る。くまなく町を検分して廻る。だから、屋根に登るのは巡視の眼を逃れる意図からではなかった。屋根ルートの方が近いのである。
地上の道を通る場合には、建物に遮られて大回りとなる場所もあるのだ。屋根ならば道具を駆使して、直線を多用できる。最短距離を使えば、巡回が始まる前に帰り着ける。早朝巡回当番と顔を合わせる恐れはなかった。
「わわっ」
目の前を赤っぽい何かが横切った。角を曲がりしなに突然顔の前に飛び出して来たのだ。フロスティは思わずのけぞった。道の端に積まれた樽の上に落ちたそれは、見れば親指の爪ほどしかない蛙であった。
身体はイチゴのように赤く、手足が毒々しい青色だ。ところどころにどす黒い斑点もある。そして、目玉は恐ろしい程に透き通っている。
「気持ち悪い色だけど、なんだか愛嬌があるねえ」
早くしないと巡回が始まってしまうのだが、そのカエルには何故か惹きつけられてしまう。目玉は無色で透明なのだ。どこかを見ているようには感じられない。それなのに、カエルもフロスティを観察しているかのように思われた。
「呪いっぽいなあ」
フロスティは透明な球を取り出して、カエルをよくみようと屈んだ。マントの前が割れて、裏地の金糸が朝日に煌めく。フロスティは気にしない。凡人には単なる模様にすら見えないのだ。呪術をこめた手縫の文字や形が一面に刺繍されているなんて、夢にも思わない。一般人の瞳に映るのは、上質な紫の裏地だ。
この帝国で紫は下賤な色である。遥かな昔、厚かましくも皇帝の御所に忍び込んだ泥棒が、紫色の眼をしていたからだと言われている。
「えっ?」
目の前でゆらりと空気が揺れて蛙が消えた。蛙がいた場所はしばらくぐにゃぐにゃとしていたが、やがて長身痩躯の人型に仕上がった。茶色いラシャのローブは、聖術師が好む服装である。足元から覗く靴も茶色い。裏町には似合わない、ツギも穴もない短靴であった。しかし、上質な靴とは程遠い。質素を旨とするのも聖術師の特徴だ。手は、ゆったりと筒状になった袖に隠れて見えない。
フロスティは、突然現れた聖術師らしき人物の全身に視線を走らせる。相手はフードを被らず不適な笑みを向けてきた。前髪がやや長いまっすぐな黒髪が、鼻筋の通った色白の細面を飾る。普通なら手で持って使うツルなし眼鏡が、高い鼻の根元に危なげなく留まっている。聖術を使って落ちないようにしているのだろう。
「おや、道具師さんじゃないですか」
人情味の感じられない薄い唇から漏れるのは、男性にしてはやや高めの声である。
「旦那、あたいをご存知で?」
「ご存知もなにも。そのえげつないマントは有名でしょう」
「ふうん。旦那良い眼をお持ちだねえ」
「そりゃどうもありがとう」
「そんな格好なすってるけど、旦那は聖術師じゃないんだね」
黒髪青年が鼻に乗せた眼鏡の奥で、漆黒の瞳がギラリと光る。
「よっぽど優秀な呪術師でもなきゃ、あたいのマントを見てえげつないなんて思わないだろ」
軽い調子で言うフロスティは、スッと片足を下げて腰をやや沈める。上へ跳ぶ準備をしたのだ。フロスティのマントは、一般的な呪術師が見ても普通の防塵マントに見える。裏地にびっしり縫い付けた金糸の呪言は、不可視の呪いで見破れない筈なのだ。
「まあまあ、そんなにお急ぎなさらずとも良いじゃありませんか」
ローブの腕が伸びてきて、ガッチリとフロスティの細腕が掴まれた。顔に似合わぬ節くれだった指が袖口から見える。中指には、先程の毒々しい蛙が巻き付いていた。宝石細工の呪術道具らしい。
綺麗に切った爪先は青黒い染みが滲み、幾つものペンだこが目立つ。それは、聖術師の修行の跡を伺わせる。彼等は毎朝、秘伝書の書写を修練として欠かさず行う。爪にはインクが染み付き、指先にはペンだこが出来るのだ。
「スポティッド?」
「やだなあ。そういう呼び方はお品が無いですよ?」
スポティッドとは染み付きという意味で、聖術師崩れの呪術師を指す。指についたインクのシミと、堕落して呪術に堕ちた汚点という意味と、2つの意味が重なっている。
スポティッドたちは、呪術聖術どちらの陣営からも眉を顰められる存在だった。彼らは利己的なのである。純粋な呪術師は、利己的というより合理的だ。基本は個人行動だが、組織は存続するし情報も回る。治安維持部隊から身を守る為に助け合う。
彼らの数は少なく群れを嫌う。仲介屋を通さず個人経営であり、実態は謎に包まれていた。
「噂には聞くけど、初めて見た」
「珍獣みたいに言わないでいただけまいか」
ニコリと胡散臭い微笑みを浮かべて、青年は腰を屈めてフロスティの顔を覗き込む。フードに隠れていた顔を見る為に、下から見上げてきた。フロスティは思わず後ろへ下がる。下がる拍子に、掴まれた腕で青年を引っ張ってしまう。
杏子色の髪が夜明けの風にサラリとと流れる。引かれた青年の黒髪も微かに軽やかな音をたてた。フロスティは、宵闇の空に翼を広げる鴉を幻視した。思わず見惚れたそのエメラルドを、罠に嵌めようとでもいうように傲岸不遜な漆黒が捕える。
時にしてほんの一瞬。しかしフロスティには果てしない夜に抱かれている心地がした。刹那の中に永遠がある。それは呪術師のスローガンであった。思わずその言葉を引き出す問答を唇から解き放とうとした時、青年の声が遮った。
「おっとっと」
愉快そうに言った青年は、大袈裟にバランスを崩す。フロスティは引き摺られる形で建物の壁際に追い詰められた。ヒラリと捲れたマントの下へと伸ばされた手を、フロスティはピシャリと打った。
「ちょっと旦那さん、あたいのマントを解呪したんですかい」
通常であれば、フロスティ以外の手がマントの下まで伸びることは不可能なのだ。正確に言うならば、フロスティだけが入れる呪いである。不埒な真似をするにせよ、物盗りを試みるにせよ、誰でも普通はフロスティのマントに阻まれるのである。
フロスティは好奇心から、青年にマントを解呪したのかと尋ねた。他にも聞きたいことはある。夜間は蛙になる呪いが込められた指輪にも興味がある。そんな珍しい呪術道具を使いこなしているように見えて、尊敬を禁じ得ない。
指輪そのものにも心惹かれる。これは職業病である。よくできた呪術用品を目にすれば、夢中になって立ち止まるのだ。どんな状況であるにせよ無限に知りたいことが湧いてくる。先ずは、どこで手に入れたのか。それはスポティッドとなったきっかけなのか。
フロスティはスポティッドの青年を見上げた。物問いたげな視線を送る。青年は自信に満ちた眼差しで応える。
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