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隣の部屋で窓が開く

 短めに切り揃えた杏子色の真っ直ぐな髪を風に遊ばせて、痩せ気味の若い娘が窓際で洗濯物を干している。丸顔に円いエメラルドグリーンの瞳が並ぶ、あどけない顔立ちだ。小さな鼻がちょこんと真ん中についていて、ふっくらとした唇が愛らしい。干し終わると、支柱に取り付けられた金属のレバーを倒す。


「固定」


 娘が出す低めの声を受けた物干しが、紫色に一瞬光った。そしてまた何事もなく、布類が夜明けの夏空にそよいでいた。


「さて、一眠りしようかな」


 杏子髪の娘はエメラルド色の瞳を眠そうに細めて、質素な木のベッドに潜り込んだ。


 そこへ、ドタドタと階段を登る音が響く。足音はギシギシと古い床を軋ませて近づき、激しく扉を叩く音へと変わる。


「フロスティ!いるんだろう」


 中年と思しき女将さんの声が部屋の外からがなる。


「とっとと家賃を払っとくれ!」

「んー、むにゃむにゃ」

「払えないなら出ていきな!」


 赤毛のフロスティは既に夢の中。女将さんがどんなに喚いても目を覚ます気配はなかった。


「婆ぁうるせぇ!朝っぱらから怒鳴るんじゃねぇ」

「黙んな!アンタも出てくかい?」

「冗談じゃねぇ!俺はちゃんと払ってんだろ」

「大家に楯突くんじゃあないよ!」


 代わりに別の間借人が怒鳴り返す。負けじと脅しつける女将さんの声は、建物の中にも外にも聞こえていた。



 フロスティの呪術道具工房は、カビ臭い裏町の集合住宅の3階にある。馬車どころか荷車すら通れない細路の両側には、縦長の狭苦しい建物が立ち並ぶ。見上げる空には、洗濯物のロープが張り巡らされている。細路を挟んだ建物同士で引っ張っり合いながら干すのだ。


 フロスティは人付き合いをしたくない。独り身で洗濯物も少ないので、お向かいとの協力が必須のロープは利用していなかった。自作の物干し台を窓際に置き、外側に張り出した横棒に洗濯物をかけている。


 夜が来て、のそりと起き出したフロスティは、物干し台に近づいた。


解呪(かぁいじゅぅ)


 半分寝惚けたふにゃふにゃ声と共にレバーを上げる。物干し台はピカッと白く光る。フロスティは手早く洗濯物を取り込むと、欠伸をしながら身支度をした。



 簡単な食事をしながら、フロスティは粗末なテーブルに並べられた沢山の木片を見る。長かったり尖っていたりと形は様々だ。表面には草の汁で何やらメモが書かれている。


「問屋街の壁がすぐカビる。呪いかどうか調査して欲しい」


 フロスティは、薄いスープをすする。野菜クズと豆が僅かに浮いた椀を、片手で口に運ぶ。


「川岸の藪に光る金赤の瞳。呪われた動物ではないか」


 フロスティはごくりとスープを飲み込んだ。野菜クズは細かいので、よく噛まれずに喉を通って行った。


「夜中に歩き回る布製の剣。呪われた名剣なのでは?」


 フロスティは器用そうな細長い指で、読んだ木片を裏返してゆく。


「うーん、どれも緊急性はないかなあ」


 席を立って飲み干したスープ椀を洗い上げに伏せると、赤毛の娘は指を組み合わせて大きく伸びをした。


「適当に見廻りして、呪い道具を見つけたら解呪か回収かな」


 他のメモにも目を通す。見過ごすにはやや異様だが、勘違いとも考えられる些細な案件ばかりだ。


「けどちょっと、最近多い気がする」


 ぶつぶつと不審を口にしながら、フロスティは真っ黒なマントを羽織る。裏側は濃い紫地に金糸でびっしりと呪言が縫い取られていた。これも自作である。様々な反撃用の呪いが込められた、フード付きの防御服なのだ。



「ん?」


 隣室の窓が開く音がする。建て付けの悪いここの古窓は、開け立てするとガタピシと喧しい。


「お隣、人が入ったのかな」


 昼の青天に違わず澄んだ藍色の空に、眩い銀の三日月が光る宵の口である。人々は戸締りを始めたのだ。長らく空き家だった隣の部屋からも音が聞こえたのだが、人の気配がしない。


「訳ありかねぇ」


 フロスティは、隣室とこちら側を隔てる壁にちらりと目をやる。


「壁の呪いを強化しとくかぁ」


 何かのトラブルに巻き込まれたら敵わない。フロスティは壁際の小机から筆と壺を手に取ると、壺の中に入っているどろりとした緑色の液体に筆をどっぷりと浸ける。


「反射、不透化、記録、あとどうしようかな」


 剥げやひび割れの目立つ灰色のモルタル壁に、スラスラと筆を走らせる。円や三角を組み合わせた奇妙な模様と、呪術に使う特殊な文字が筆先から現れては消える。


「反崩壊はかけてあるし、捕縛も仕込んであるし、うーん」


 隣室はシンと静まり返っている。窓の音だけが聞こえたが、それ以外は足音ひとつしなかった。


「侵入防止でも追加して終わるか」


 最後に一筆加えると、道具を元の場所に納めた。



 フロスティは窓枠に足をかけ、ひらりと夜空に身を踊らせる。夜風を軽やかに踏み越えて、あちこち欠けた古い石の壁を駆け上る。三階建の屋根に登れば、ごちゃごちゃとした裏町が一望出来る。見下ろせば、隣家の窓が開いていた。ちょうどそこから出てきた灰色の背中が、細路に飛び降りるところであった。


「夜に向かって窓から出入りするなんざ、マトモな御仁じゃ無さそうだよ」


 ひとりごちるフロスティも、あまり胸を張って表通りを歩けるような人間ではない。呪いに使う道具を作る職人だ。呪いと言っても様々である。冬場に寒くならない呪いをかけた服や水が枯れない呪いをかけた井戸など、金持ちから重宝されている。


 フロスティの商品は耐久性にも優れており、高額で取引されていた。だが呪術道具を作る材料もまた、高額な物が多いのだ。それ故にフロスティの財布はいつも空っぽである。家賃は長らく滞納していた。



 呪術は御法度である。聖術と呼ばれる不思議の技と同じように稀少な能力だが、扱いは正反対なのだ。呪いには対価が必要で、多くは金銀財宝や寿命、時には頭髪や視力などを要求する。その力の源は怒りや不満といった負の感情だった。寒さや渇きへの苛立ちも、充分に呪いの力となる。



「さて、行くか」


 フロスティは入り組んだ裏町の屋根を音もなく渡って行く。建物が途切れる所まで来ると、向こうに川が見えた。


「盗品の隠し場所にしちゃあお粗末だねぇ」


 依頼のひとつである、藪に光る金の目だ。何かが入った布袋を取り囲むように配置されている。この道具を起動させた者以外が囲まれた物を取ろうとすれば、目から出る光線に射殺されてしまう。


 井戸のない貧民街では、この川から生活用水を汲んで暮らす。川は、いわば裏町の生命線なのだ。その川岸に不審なものが現れたので、貧民たちは髪の毛やらなけなしの食べ物やらをかき集めて集団でフロスティに調査と解決を頼みに来た。



「これじゃあ却って目立つよ。官権に通報されたら終わりじゃないか」


 フロスティは薮まで下りると、ごわごわの手袋を取り出した。白い蛇皮の使い込んだ手袋である。


「まあ、人騒がせな虚仮威しなんざ、無くなったって構わないだろ」


 フロスティはしなやかに伸びる白い腕に、肘下までのごわつく蛇皮手袋をはめる。


「喰らえ」


 フロスティは無造作に藪へと腕を突っ込む。両手を枝の間に差し入れる度に、金赤の瞳が消えてゆく。手袋が呪いを喰らっているのだ。最後の一つは藪から拾い出し、赤いベルベットの巾着に仕舞う。


「この趣味の悪さはダスティの奴だね」


 眼球を象る石で出来た呪術道具を嫌そうに巾着へと放り込み、フロスティは先を急ぐ。今日は細かい依頼が多いのだ。フロスティは、呪術の力が強まる夜間に仕事を終えたい。最初の呪いを白蛇皮の手袋に食わせてしまうと、藪に隠された盗品をそのままにその場を離れる。



「えっとここからだと、問屋街が近いかな」


 自然の川を利用して、幾つもの問屋が様々な物資を運搬している。運輸業者の倉庫は川の程近くにある。倉庫街から貧民街を抜けた下町の外れに、問屋街は位置していた。貧民よりはマシな階層が暮らしている界隈だ。


「川からはそれなりに遠いし、カビやすいのは湿気のせいじゃなさそうだ」


 フロスティは屋根に立って、ざっとその辺りの建物を検分する。作業員はとっくに退勤しており、月夜の道には小走りの猫が数匹行き交うばかり。壁は依頼人の言葉通り、どの倉庫でも一面に黒いカビが生えていた。



「どれどれ?」


 腰につけた道具鞄から、フロスティは透明な球を取り出した。胡桃大のその球を親指と人差し指で挟むと壁に向けた。少し腰を屈めたフロスティのマントが、ひらりと月夜に翻る。フロスティは透明な球を覗き込む。エメラルド色の瞳がすっと細まった。


「こりゃあまた、雑な呪いだねえ」


 球を通して観ると、施された呪いの文言や紋様が丸見えなのだ。これも当然、自作である。


「誰だこいつ。駆け出しかな」


 カビの呪いは壁にしか効いていない。しかしどうやら、倉庫の中身が本来の狙いだったようだ。


「放っといてもいいかなあ」


 未熟な呪いなので、早々に弱まって消えそうなのである。カビる呪いが影響する範囲は倉庫街全体なのだが、商品に影響はなく依頼は調査のみ。フロスティは面倒臭そうに首を横に振り、透明な球をポケットに戻す。



 そこからまた屋根を伝って、フロスティは幾つもの依頼をこなしていった。不快な音を断続的に立てる木の柵、物陰に置かれた異臭を放つ壺。回ることを止めてしまった馬車の車輪が、大商店の車庫で黒々と光る。人の顔に見える奇妙な花は、商店街の小洒落たカフェの窓辺に咲いていた。


「今晩は、玩具屋さん」


 目抜き通りの玩具屋では、依頼主が待っていた。


「やあ、今晩は。お忙しいところ、お越しいただきまして誠にありがとうございます」

「それですね?」

「はい。このところ、ずっとこんな調子なんです。気味が悪くて敵いません。調査をよろしくお願い致します」


 恰幅の良い店主の男は明るい緑のベストを身につけている。大きな鼻の下にはちょび髭を生やし、人の良さそうな笑顔を浮かべていた。店内には高級な魔法の灯りが作る薄黄色の光が溢れている。


「どれどれ、ひとつ、見てみましょうか」


 磨き上げられた木の床には、一振りの剣が縦になってピョンピョンと跳ねていた。剣と言っても玩具である。実物大の武骨な剣だが、全体が布で作られていた。


お読みくださりありがとうございます

続きます

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