魔王の最期。
「ハァ……ハァ……。トドメを刺さぬのか……? 勇者よ!」
この世界を恨み憎しみ抜いた我が肉体が今、灰のように崩れ去ろうとしている。
魔の王になる為に、人として生きることを辞め、私は世界を滅ぼそうとした。
何も、生きとし生けるものたちの命を奪うことが、私の目的ではなかった。
私の愛するかつての家族の者たちの命を奪った世界災害こそが憎かった。
世界は呪われている。生まれることそのものが呪いなのだ。
その呪いも、人びとの信仰する神々によってもたらされていると言うのに。
誰も気づかぬ……。神々の創った世界を滅ぼしたかった。神々が憎い。
「トドメを刺す必要は無い。お前は、もうじき死ぬ」
何という冷たい勇者の眼差しよ。
私を打倒するために神々によって与えられしお前の伝説の武具とやらも、滑稽に見える。
世界は神々によって操られているに過ぎない。いや、その神々とて……。
「フッ……。時間が、無い──か……」
私の築いた魔城の宮殿。その白い大理石の床に横たわり、足先から始まった崩壊が頭部に及ぶまでの僅かな時間。遥か高い天井を見つめる私の視界から勇者の姿が見えた。
「まだ、居るのか? 勇者よ……」
世界を滅ぼしたところで、神々にさえ遠く及ばないことは、分かっていた。
ただ、魔の王となった私を滅ぼす為に遣わされた天空の使者──神々の寵愛を受けて生まれた勇者を打倒することで、私は大きく穴の開いた自身の心を満たそうとした。
つくづく思い知らされる。私は矮小なのだと。限りなく小さな存在なのだと。
そして──、かつて愛した私の家族たち、妻も子どもたちも二度とは戻らない。
「あぁ。居るさ。お前の最期を見届ける」
不意に声が聞こえた。
いよいよ視界がぼやける。しかし、消えゆく私に歩み寄る勇者の目が、優しい眼差しへと変わったのを、朧気に霞む意識の中で見た。
所詮、飾りにしか見えなかった鎧兜から、澄んだ勇者の目が、暗闇だった宮殿に射し込む光によって映し出される。神々しいなどととは、言いたくはないが……。
「勇者よ……、お前は何のために生きるのだ?」
もう、最期となろう。我が言葉さえ。生まれ変わったのならば、愛する妻と我が子どもたちに、もう一度会いたいものだ。かつてのように……。
「人びとの幸せのために。そして、いつか──、自分も幸せになりたい」
「世界のためでは無いのだな?」
「あぁ……」
「フッ、それを聞いて安心した。お前も、いつか自身の幸せを見つけるが良い……」
勇者を照らしていた宮殿の僅かな光から、あろうことか、神の使者のような姿が見えた。
が、しかし、次の瞬間、目を疑った。
「あなた……」
「フ、フローゼ……!?」
あり得ないことが起こった。
魔に身を堕とした我が身さえも、神が祝福するように──。
「──き、奇跡かっ!?」
「いいえ……。ずっと私を見つめてくれて、ありがとう。セシル……」
「フローゼ……」
あぁ……、かつての我が名──セシルと呼んでいたのは、妻のフローゼだけだった。
幻ではない、本物のフローゼが、私を天へと昇らせるように抱きしめる。
「またな。魔王、セシル……」
光の射す方へと、妻に導かれながらも、私の足もとで勇者が神々しい笑顔をたたえながら、私へと手を振る。まるで、旧知であった友のように。
「あぁ……。また、会おうぞ。勇者ルースよ……」
抗い難い柔らかなフローゼの唇が、魔の王となった私の渇いた口もとに重ねられた。
もはや、呪いは解けた。
仮に愛することさえも呪いと呼ぼうとも、我が愛する妻を今一度、この手に抱きしめられるこの瞬間に、私の全てが光の中で溶けて行く。
妻のフローゼとともに……。
「愛してる……。愛しているわ、セシル……」
「あぁ、私もだ。フローゼ……。愛している。また、私と会ってくれるか?」
「えぇ。もちろんよ、セシル。ともに、生まれ変わりましょう」
温かな光の中で、フローゼの温もりとともに、我が魂が溶けてゆく。
そして、勇者よ……。人として、これからは生きるが良い。
自分の幸せを見つけ、お前の意志は子々孫々と受け継がれてゆくことだろう。
また、新たな魔王が生まれたとしても、平和になった今のこの世界の中で……。
──END──