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9、行くあてがありません

「もっと早くに動いていればよかった」


 ジークさまの言葉はため息とともに、夜に消えていきます。


「年の差もあるし、身分の違いもある。伯爵家の出身とはいえ、俺は次男だから家督は継げない。家を出て騎士になったから、あのとき何もできなかった」


 何をおっしゃっているの? 

 ジークさまの言葉は分かるのに、その内容が掴めません。


 なのに、心臓がどきどきと速い鼓動を刻み、うなじが熱くなるの。


 そのとき、わたしが握りしめていた封筒が地面に落ちました。握りしめていたからくしゃくしゃになった封筒に、わたしはあわてて手を伸ばします。

 けれど先に拾いあげたのはジークさまでした。


「これは俺の文字……」

「見ないでください」

「いや、だが。間違いなく俺の手紙なのだが」


 そうです、はい、そうなんです。


 ごめんなさい。過去の手紙をいつまでも大事に保管していて。しかも屋敷を出るにあたって持ちだしてくるなんて。

 いやですよね、迷惑ですよね。


 気持ちは雄弁なのに、自分の唇はかすかに震えるばかりで。言葉はろくに出てきやしません。


「ああ、そうだ。あなたに助けてもらったんだ。髪が薔薇の枝だったか棘だったかに引っかかって」


 一瞬、泣きそうな顔をなさったかと思うと、ジークさまは柔らかく微笑んだのです。


 道のはしにも草むらにも薔薇なんて咲いていないのに、野薔薇もなさそうなのに。

 たしかに甘く涼しい、うすべにの薔薇の香りがただよいました。

 きっとこれは記憶のなかの香り。


「俺の黒髪をきれいだと言ってくれた。それに髪についた薔薇の花びらをとってくれたね」


 ふるふるとわたしは首を振ります。

 否定ではありません、恥ずかしすぎてもう駄目だから。

 

 ふたりの間に沈黙が降りて、風もやんだのでしょうか。星の涼しいきらめきの音が聞こえそうなほどに青く澄んだ夜。

 自分のどきどきという音が、ジークさまに聞こえやしないかと、そればかりを考えていました。


「音がする」


 ふと立ちあがったジークさまが、街道の遥か先を見据えました。

 ちいさな明かりが揺れながらこちらへ向かってきます。車輪の音も地を蹴る音も。


「お嬢さまっ!」


 馬上で手綱をひいて停まったのはリタでした。

 少し遅れてやってきた馬車は、見覚えのあるおばさまの家の物。つややかに黒く、灯りをにじませています。


「リタ。ありがとう、大変だったでしょう」

「いいえ、いいえ」


 立ち上がれないままのわたしにリタが飛びついてきました。一緒にそのまま倒れてしまいそう。


「ずっと一緒ですから。わたし、お嬢さまと一緒ですから」


 しゃくりあげるリタは、すでに頬が涙でぬれています。

 違和感は、すぐに確信へと変わりました。

 いい知らせは、ないのです。


「クリスタ、話は聞いたわ。デニス・テルメアンがモニカの夫になったそうね」


 馬車のワゴンから降りてきたのはおばさまでした。少しふっくらとした体形に似合わず、意志の強いまなざしをなさっています。


「あの子にも困ったものね、好き勝手して。すぐにクリスタのものを欲しがるところは昔と変わらないのね」


 けれど、とおばさまは腕を組んでわたしを見おろします。


「本来ならば、今すぐにでもうちに連れていくのが筋なのだけれど。なんとかしてあげたい思いはあるのよ。でも、夫と話しあった結果、あなたをうちに住まわせることはできないの」

「おばさま?」

「ごめんなさい。かわいい姪の力になれなくて」


 あまりにもはっきりと断言され「なぜですか」と問うことすらできません。


「理由は分かるわね?」

「……はい」


 もしおばさまがお一人で暮らしていらっしゃるのなら、居候させていただくこともできたでしょう。

 おばさまがモニカ個人と対立することには、さほどの問題がないからです。


 けれど、親交の深いブローム子爵家と我が家の間にいさかいが起こることは避けねばならないのです。


 今後、わが家の実権をにぎるのはモニカとデニス。

 彼らが忌み嫌うわたしをかばうことは、ブローム家にとってなんの益ももたらしません。それどころか害悪でしかないでしょう。


 いつものおばさまでしたら、怪我をしたわたしを真っ先に家に迎えてくださることでしょう。

 あたたかなお茶と、ゆっくりと休める部屋を用意してくださるはず。

 でも今は、それすらも無理なのですね。

 モニカが……何をするか分からないから。


「あなたを隠してかくまうことは可能です。けれど、まるで女中のように屋根裏部屋に押しこんで、誰に目にも見つからないように暮らさせるなんて。そんな惨めなことはさせられません」


 おばさまは、ぼさぼさになったわたしの髪を、手で軽くなおしてくださいました。

 やさしい手つき、丁寧な指の動き。

 わたしを突き放すしかない、そのことを悔やんでいるのが伝わってきます。


「クリスタ。あなたには納得できないことでしょうけれど。修道院に入ることを勧めます。神の御許でしたら、モニカも手出しはできないでしょう」


 おばさまの言い分は分かります。けれど、即答はできませんでした。

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