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7、騎士さまとの再会

 夕暮れ間近。春とはいえ日が暮れかかると風はひんやりとします。


「乗合馬車を使いましょう」

「お嬢さまがお乗りになるんですか? 運転は荒いですし、混雑していますし、危険です」

「ここでぼんやりとしているほうが危ないわ」


 乗合馬車の運賃がどれくらいかかるのか分かりません。


「銀貨で足りるかしら」

「そんなにするはずは、ございません」


 いけません。世間知らずが露呈してしまいました。


「それよりもですよ、お嬢さま。今日の分の馬車はまだあるでしょうか」

「そうね……時刻が決まっているんですものね」


 自分の好きな時間に御者に馬車を出してもらうことが、いかに贅沢であったのか思い知らされました。


 糸杉の幹に手をついて立ちあがり、馬車が来るのを待つしかありません。

 どれくらいの時間、そうしていたでしょう。


 ちらほらと行き過ぎる人や荷車、男爵家の紋のついた馬車。それらを見送っているうちに、東の空は群青の夜を迎えていました。

 西の丘はまだすみれ色に染まっていますが、青い宵のなかに、わたしたちは閉じ込められます。


「来ませんね、お嬢さま」


 リタの言葉はため息の形をとり、涼しい宵風にまぎれました。


 もう立っているのもつらくて、足首が痛んで。わたしは草の上に腰を下ろします。

 カッカッと馬の駆ける音がして、でもこれは馬車ではないわ。一頭ですし、車輪の音もしませんもの。と顔を上げることもしませんでした。


「どうしましたか」


 すみれ色の空を背景に、馬上から問いかけてくるのは男性でした。

 その顔はうす暗くて、はっきりと分かりません。


 けれど、その低いけれども柔らかな声。うす闇よりもさらに暗い黒髪。なのにほんのりと淡い水色の瞳は、まだ昼間の空の色。


 信じられません。いえ、でも、黒髪にアクアマリンの瞳の方なんて、滅多にいません。

わたしの知っているのはただひとり、彼だけです。


 わたしはまだ大事な封筒をぎゅっと握りしめました。


「あの、困っているんです。乗合馬車を待っていたのですが、来そうにもなくて」

「ああ。とうに運行時刻を過ぎているな」


 耳にすっと入ってくる声が、染みこんでゆきます。その言葉は、失望そのものですのに。


 懐かしい、あまりにも懐かしい声。

 わたしは返事も忘れて、馬から降りる殿方を呆然と見つめました。


 あまりにもぼうっとしていたせいでしょう。騎士服を着たその方が、地面に膝をついてわたしの顔を少し覗きます。


「もしかして。クリスタ・ローゼンタール嬢?」


 覚えていてくださったの? 

 あまりの感激に言葉が詰まってしまい、わたしは子どものようにこくこくと何度もうなずくことしかできません。


 ジークさまです。

もう何年もお会いしていないのに、ジークさまは変わらず。いいえ、子どもの頃にお目にかかった時よりも、落ち着いた風貌で、なのに今は目を丸くなさっているの。


「ちょっと待ってください。混乱して、えーと、どうして子爵家の令嬢が侍女とこんな道端に?」

「追い出されました」


 口にするのも恥ずかしいのですが、正直に答えるよりほかありません。


「誰にですか?」

「妹のモニカと、元婚約者のデニス・テルメアンにです」

「本当に待ってください。どうなっているんだ」


 ジークさまは両手で頭を抱え、うーんと唸っています。


 やはりおかしいですよね。みっともないですよね。妹と婚約者に裏切られ、住む場所すらも失ったなんて。


 彼らの画策にも気づかずに、のんびりとラベンダーのサシェを作ろうとしていた自分が、急にみっともなく、みじめに思えました。


「その地面に落ちている鞄の持ち手と思しきものは、クリスタ。あなたの物ですか」

「はい。中には形見の宝石が入っていたんですけれど。物取りに奪われて」


 とうとうジークさまは両手で頭を抱えてしまいました。


「大問題だ」

「はい?」


「あの、お嬢さまはその時に突き飛ばされて。足首を痛めたんです。お嬢さまのおばさまがいらっしゃるブローム家でお世話になる予定でした」


 リタの訴えに、ジークさまは頭から長い指を外しました。凛々しい眉が寄せられて、眉間にはしわが刻まれます。


「問題だらけだ」


 ジークさまはあごに手を当てて考えこんだ後、リタの方に向きなおりました。


「そちらの侍女のかたは……」

「リタと申します」

「では、リタ。君は馬に乗れますか? ここからブローム子爵家まではそう遠くはない」

「はい、乗れます」


 身を乗りだしてこぶしを握りしめるリタを、わたしは驚きをもって見つめました。


 二人はブローム家に仔細を説明し、馬車をここまで出してもらうことを相談していました。

 乗馬服でもないのに、長いスカートなのに。リタは裾をひるがえして、毛並みのよい美しい月毛の馬にまたがりました。


「お嬢さま。すぐに戻ってまいります」

「え、ええ。お願いね」


 三つ編みをなびかせながら、颯爽と馬を駆けさせるリタ。

 彼女を見送りながら、わたしはまだ頭のなかが混乱していました。


 蹄の音が遠くなってゆきます。

 赤毛を気にするリタは、自分を卑下することが多く。あんな風に器用に馬を操れるとは知らなかったのです。

 けれど、リタの出身地は良馬を産する土地と聞いたことがあります。


 わたしは今も昔もぼうっとして生きているのですね。だから、家を追い出されるまでなにも気づかないのです。


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