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6、道の途中で

 社交界でお話する他の令嬢と比べると、わたしはふだんから歩いているほうです。公園の散歩や、なだらかな丘をラベンダーを摘みながら歩くことも多々ありますから。


 けれど、いつもは馬車に乗っていく道を延々と歩くのには、慣れていませんでした。


「お嬢さま。大丈夫ですか」

「ええ。平気よ」


 となりを進むリタに応えるわたしの顔は、こわばっているかもしれません。

 ブーツに包まれたかかとがしくしくと痛んで、足の小指もこすれて痛く、たぶん腫れているでしょう。


 目立たぬように服はできるだけ地味な色を選び、髪も一つにまとめて結い、ぱっと見た感じでは家庭教師であるガヴァネスに見えるでしょう。


 当然、人目を引く華やいだレースの日傘など使えません。

 中流階級の娘に見えるように。往来は危ないですもの。


「おばさまのお屋敷までは、あとどれくらいかしら」

「そうですね。馬車でしたら、ここは道がなだらかで整備されているので。あと半時間も進めば。徒歩なら一時間半はかからないと思いますよ」

「一時間半」

「ええ、たったそれで着きますから。がんばりましょう」


 ああ、優しいリタにはとうてい言えません。一時間半をとほうもない長さだと感じてしまったこと。

 庭での草花の手入れも、読書も刺繍も、一時間半なんてあっという間ですのに。


 鳥籠でしか暮らしたことのない小鳥に、さぁ空を飛びなさいと放つようなもの。

 自分がいかに甘ったれて育ったのかを思い知ったのです。


 後方から足音が聞こえてきました。よほど急ぎなのか走っているよう。わたしとリタは道のはしに寄ったのです。

 その時でした。


「え?」


 肩に衝撃。

 わたしの体はふわりと前につんのめって、青黒い糸杉や樹皮のはがれかけた白樺が、視界でゆっくりと流れてゆきます。


 ざくり、と鈍い音。リタの悲鳴。


糸杉の枝にとまっていた鳥がいっせいに飛び立ちました。ばさばさと騒々しい音、灰色の羽根が落ちてきます。


 なに。どうしたの?

 地面に倒れ、じんじんと鈍い痛みが襲ってきます。痛む肩を押さえながら立ちあがろうとすると、右足首に激痛が。


「くぅ……うぅ」


 唇をかみしめ地面に手をついても、立つことができません。

 顔をあげれば、走り去る後ろ姿。あれは男性?

 わたし、突き飛ばされたの?


「お嬢さまっ、お嬢さまっ」

「大丈夫よ」


 応える声がかすれているのが自分でもわかります。


 痛い……足首が、動かそうとしただけでつらくて。手で触れると悲鳴をあげそうで。


 着替えを入れていた布の手提げはあるのですが。

 地面に持ち手だけが残って、小さな鞄本体が見えません。どこにもありません。


 土の上にこぼれ落ちたラピスラズリ。そしてジークさまからの懐かしいお手紙。少しばかりの金貨と銀貨。それしかないのです。


 形見の大粒の真珠も、青い夜を映したサファイアも、明るい色の遊ぶオパールも、澄んだうす青のアクアマリンも。ハンカチに包んでいた宝石のほとんどがないのです。

 数少ない、わたしに遺された財産ですのに。


「返してっ」


 わたしは走ろうとしました。けれど激しい痛みにうずくまってしまい、それも叶いません。


「どろぼうっ! 待ちなさいよ」


 リタの叫び声が、夜のなかに虚しく響きます。


「どうして……どうしたらいいの」


 土にまみれて汚れた封筒と瑠璃の宝石を手にとり、ぎゅっと握りしめます。


 世間知らずで箱入り娘のわたしには、どうすることもできませんでした。襲われた時は逃げていった鳥たちも、徐々にもとの糸杉に戻ってきます。


 太陽はさんさんと明るく街道を照らし、春風はふだんと変わらず穏やかに、道の端のうすべにや水色の小花をなでて吹きました。


「野宿しないといけないかしら」

「そんな、お嬢さまに野宿なんてさせるわけには参りません」


 二度と野盗に奪われぬように、自分の鞄を身近に引き寄せています。


「私がいただいた宝石がございますから。それを換金して……」


 言いかけて、リタははっと口を開きます。


 ええ、換金するには町に行かねばならないのです。わたしは歩けませんし、リタにはわたしを待たせて置いていくという選択肢がないのです。

 考えなければなりません。この先のことを。

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