23、なつかしく、新しい暮らし【1】
つぎの年の春。
すでにジークさまと結婚していたわたしは、ローゼンタールの家に戻ることができました。
国外に逃亡していたデニスは強制送還され、いまは牢獄に入っています。
テルメアン家は、彼を勘当しようとしたそうですが。
それではなんの解決にもならない、放蕩息子を野放しにするだけだと、いつかは出獄するであろうデニスを厳しく監視することにしたようです。
──ちがう、ぼくはモニカに利用されていたんだ。彼女が誘惑しなければ、なにも問題は起こらなかった。
だってそうだろう? ぼくの元婚約者であるクリスタのことを悪く言うから。
ほんとうはそんなことはなかったんだ。
なのに、純粋なぼくは他人の言葉を信じてしまって。
うちが輸入した宝飾品に、真珠貝や鼈甲をつかった高価なレースの扇だって、モニカがほしいとねだるから。
そう、ぼくは断れなかったんだ。
鉄格子のむこうで、涙ながらに語ったそうですが。
誰が、彼がただの被害者であると信じるでしょう。
子爵家につたわる宝は、すべてが戻ってきたわけではありません。ですが、大半は無傷で元あった場所に収まっています。
デニスの実家が、失われたものの補償金は支払ってくれました。
彼が生涯かけて、父親へ借金を返してゆくことになるそうです。
それでも、青の染付がうつくしい陶器の花瓶、代々うけつがれてきた大粒の緑したたるような宝石。それらは、いまでは瞼の裏に思い描くことしかできません。
けれど、ローゼンタールのイニシャルが刻印されたスターリングシルバーのカトラリーや、壁に掛けられていた繊細な花々を織りこんだタペストリー、家族の肖像画。
懐かしい品々は、かつてのように我が家にあります。
ジークさまの手を取り、階段を降ります。
緻密な織り模様の絨毯がしかれた階段は、靴をとおしても懐かしい感触です。
階段下の、一階のホールには使用人たちが並んでおりました。
「お嬢さま。お待ちしておりました」
「また、私どもを呼び戻していただき、まことに感謝しております」
使用人たちの顔ぶれも以前とおなじ。人数はすくないですが、なじみの人たちです。
わたしの後ろには、リタも控えています。
ちがうのは、隣にジークさまがいらっしゃることと。モニカがこの家にいないこと。
モニカは遠くの地方の郷紳のもとで、スカラリーメイドとして働いているようです。
スカラリーメイドは、お鍋やお皿を洗ったり、厨房の掃除がおもな仕事です。メイドのなかでも下級で薄給。
これまで馬鹿にしてきた、人としても扱ってこなかった立場の人たちからも軽んじられる日々をすごしていると聞きました。
屋根裏のうす暗く、じめじめした部屋。そして硬いベッド。
かさこそと夜中には、ネズミの走る音。それに湿気が多いせいで、ベッドで眠ると体がかゆくてしょうがないそうです。
――私は子爵家の令嬢なのよ。あなたたち、失礼よ。無礼だわ。
――お貴族さまですって。子どものままごとじゃあるまいし。
──そんな品のかけらもない貴族がいるものですか。気品っていうものが、あんたにはないのよ。
先輩のメイドからいじめられて。たとえ身分を明かしても、信じてもらえずに悔しい思いをしているとも。
食事はといえば、乾燥してかたくなったライ麦パンに、野菜くずがほんのすこしの、お湯のようなうすいスープ。
ちゃんと働いているのかと、はるばる様子を見にいったおばさまに「早くここからつれだしてよ。姪である私のことがかわいくないの? ほら、見てよ。皿洗いで、こんなにも手がかさついて、指がひびわれて。ああ、なんて痛いんでしょう」と迫ったそうですが。
あの素っ気なく、手厳しいおばさまが、情に流されるなどありえません。
おばさまは、わたしに「あの子がローゼンタール家にいるときは、平気でクリスタに皿洗いをさせていたくせにね。まだわかっていないのよ。あのままメイドを続けさせるわ」と首をふっていました。
「あなたは面会しない方がいいわ。面倒なことになるでしょうからね」とも。
その後も「ブローム子爵夫人は、私の叔母だから会いにきたのよ」と主張するモニカは、女中たちから「妄想がひどい」「虚言癖がある」と、さらに疎まれたそうです。
味方がひとりもいない環境というのは、モニカにとって初めてのことでしょう。




