20、あなた、捨てられたのね
どうしてモニカは、わたしがジークさまのお家にいることを知ったのでしょう。
その住所も。
そう考えて、ジークさまが副団長を務めていらっしゃる騎士団と、ローゼンタール家は昔から交流があったことを思いだしました。
用事があって、騎士のかたがこの家を訪れることもあります。そのあたりからでしょう。
「ほんっと、こんな狭いところによく住めるわよね。感心するわ」
「モニカ。失礼よ、あやまりなさい」
「はぁ?」
わたしが口ごたえをしたからでしょうか。モニカが眉をひそめて睨みつけてきました。
なにをえらそうに、とばかりに茶色い瞳が、わたしの頭からつまさきまでを値踏みします。
怖い。
手がふるえそうになるのを、ぎゅっと握りしめることでこらえました。
実家にいたころのわたしならば、ただ口をつぐんだことでしょう。
けれど、ここはジークさまのお家。モニカが好き勝手にふるまうのを、許していいはずがありません。
「出ていってちょうだい」
声がかすれるのを気取られないように、ふだんは出さない大きな声を発します。
「はーぁ? 誰に言ってるの」
「あなたよ、モニカ」
「あらぁ、いつのまにか大口をたたけるようになったのね。たいしたものだわ。そういえば、家を出てゆくときに私を愚弄していたわよね」
「モニカ・ローゼンタール。俺は、きみを客として招いた覚えはないが」
わたしの肩にそっと手をおいて、ジークさまがきっぱりと言い放ちました。
ふだんの囁くような優しい声ではありません。空気をびりりと震わせる、副団長としての声です。
モニカはひるんだようで、一歩あとずさりました。
「なによ、生意気よ」
「生意気、ね。よく云えたものだ」
ジークさまは苦笑をうかべました。その表情が、馬鹿にされたと感じたのでしょう。モニカはとっさに右腕をふりあげました。
風を切る音。
けれどジークさまのほおを叩く前に、彼の手によって遮られたのです。
モニカの手首をにぎるジークさまの力は強いのか、彼女は顔をしかめました。
「馬鹿にしないでよ」
「突然、他人の家にのりこんできて、叩くのは俺を馬鹿にしているのではないか。己のことを顧みずに、よく言えたものだ」
手をはなされ自由になったとき、それまでモニカが握りしめていた新聞が地面に落ちました。
おおきな文字で『ローゼンタール子爵家の宝が流出。隣国のオークションで落札される』との見出しが書かれていました。
さらには『モニカ嬢の婿は国外に逃亡。姉を追放した報いか』とも。
もしかしてデニスがモニカに近づき、結婚したのは。ただお金のため?
たとえ金銭的には貧しくとも、代々わが家につたわる宝飾品や調度品は高く売れることでしょう。
だから盛大な結婚式は口約束だけで、隣国の農夫に立会人をたのんで。ええ、わずかな謝礼金とちいさなブーケだけで充分ですもの。
そこに愛があると思わせておけば、錯覚させておけば。ものごとを浅くしか考えないモニカは、簡単に飛びつくから。
「モニカ。説明してちょうだい」
「あ、あいつ。私をだましていたのよ。家にはもう何もないわ。誰もいないわ」
「だから、いまさらわたしを頼ってきたの? あなたに追いだされたわたしを」
「だって、お姉さまは家族でしょう」
あきれて一瞬、ことばを失いました。
なんて身勝手な行動。
自分の都合だけで、その場だけの感情で先のことを考えずに、周囲をひっかきまわして。どんなにひどいことをしでかそうとも、自分が困れば頼ってくる。
「わたしからデニスを奪ったのはあなたでしょう。婚約者を捨てようが気にしない男が、新たな婚約者は……妻は捨てないとどうして疑わないの。そんなにもあなたは愚かだったの?」
「いじめないでよっ」
「いじめていたのは、あなたよ」
「お姉さんでしょう。なら、妹を守って当然じゃないの」
「……わたしはそこまでお人よしではないわ。裏切られたことを、簡単に忘れるほど記憶力は悪くないの」
「そうだな。クリスタは妹のためだけに存在する、都合のいい人ではない。なにか勘違いしていないか? それでも君が、クリスタにしたほどのひどいことは強いていないな」
ジークさまの正論に「なによぉ」と、モニカは地面にしゃがみこんで、両手で顔をおおいました。
土に落ちた新聞を、ジークさまは拾います。
それは貴族や財界人のゴシップの記事ばかりの大衆新聞でした。
小さな文字で『姉から奪った夫にだまされたモニカ嬢。没落した子爵家の今後に注目』と記されています。
「君のことも書いてある。有名人だな」
「そんなことで有名になりたいわけじゃないわっ!」
そのとき、馬のひづめの音と馬車の車輪の音が聞こえました。
石畳のせまい道です。民家も少なく、あまり馬車のとおる場所ではありません。
「お嬢さまっ」
門の前で停まった馬車から、侍女のリタが飛び降りました。
勢いあまってスカートのすそを踏みそうになりながら、三つ編みにした髪をゆらして、前庭へと駆けこんできます。
「ここへ来る途中で、モニカさまを見かけたんです。それであわてて、ブローム家に戻って、奥さまにお知らせしたんです」
わたしの両手をにぎるリタの指は、何か所も包帯が巻かれていました。
馬車は、おばさまの家のものでした。黒くつややかなワゴンに、ブローム家の紋章が金に輝いています。
ゆったりと威厳をもって、おばさまが降りていらっしゃいます。